▼第一章  『天の光は全て星……とは限らない』

 ――そこは無限に広がる闇と、無数の光に満ちた世界――


 『心』なんていらない――ずっとそう思っていた、ここに来てからは。

 ここでは喜怒哀楽なんかには塵程の価値も無い。必要なのは機械のごとき正確さと速さ、論理的で合理的な思考だ。

 ……それに、ここでは喜びや楽しみより、悲しみや恐怖の方が圧倒的に多い。

 だから心なんていらない……この五年、そう思い、ただ無心で任務と訓練に励むことで生きてこれた。

 だが、そんな主義など、現実の前ではなんの意味も無かったようだ。


 ――宇宙――太陽から約八億キロ、木星公転軌道上の宇宙空間――


 目覚めると、眼前には無限の闇と、ありとあらゆる光が満ちていた。

 今、彼を照らすのは、遠く離れた太陽からの儚く弱い光だけではない。

 断続的に繰り返される眩い閃光が、彼を照らしていた。


 本来不可視のはずの対宙レーザーが、散乱するガスに衝突し、光の針となって敵味方の間を飛び交い、無数のミサイルや飛宙戦闘機の噴射炎の尾が、光の孤を描いていた。


 一瞬、虹色のリングを閃かせてから放たれる極太の光の柱は、敵味方の艦が放つ主砲、UVキャノンの光だ。


 それらは時に互いの艦の防御シールドに阻まれ、本来見えないはずのシールド形状を鈍く浮かび上がらせ、あるいはシールドを貫きその奥の船体に突き刺さると、艦は内側から溢れようとする光を抑え込もうとするかのようにゆっくりと膨れ上がり、次の瞬間、耐えきれずに爆発四散していく。


 そうして散乱した大量のガスが太陽光を乱反射させることによって、本来は漆黒であるはずの宇宙空間が、時折オーロラの様に薄ぼんやりと虹色に照らしだされていた。


 ヘルメットの自動防眩機能が無ければ、間違い無く失明していたであろうその眩い閃光の数々を、少年は見つめていた……ただ宇宙を漂いながら。

 そうせずにはいられなかった。

 それに、他に出来ることも無かった。

 無意識に手足をジタバタと動かしてみる。が、真空無音の宇宙では、掌に感じる空気抵抗さえ無く、ただ掌に虚しさが残るだけだった。


 彼のその肉体から硬式宇宙服ハードスーツを挟んだ数センチ先の宇宙空間には、彼に手で触れられるものは何も無い。

 広い、ただひたすらに広い空間が広がっていた。圧倒的な数で迫りくるグォイド艦隊と、それを迎え撃つ太陽系防衛艦隊SSDFを除いては……。




 時に二十三世紀の初頭、その存在を人類が観測し、遭遇し、戦闘を行うようになってから既に半世紀余り、グォイドGOIDと名づけられたその敵性異星体は、既に土星圏を手中に収め、さらに太陽系の内側へと侵攻せんとしていた。

 前回の大規模侵攻から五年、再び大規模なグォイドの侵攻を観測した人類は、その時動かせうる全戦力をもってこれを迎え撃った。



 数分前まで、少年はグォイドとの激戦の最中、SSDFミサイル駆逐艦の補助エンジン区画ナセル内で、停止してしまった補助エンジンの応急修理をしていたはずだった。

 それが機関部兼ダメコン担当エンジニアたる彼の任務であったからだ。

 本来ならヒューボに任せるべき任務であったが、艦搭載の作業用ロボットヒューボットは全て他の修理作業で出払い、艦唯一の生身の機関部員である彼しか手が空いてなかったのだ。

 なんとか応急修理を施し、補助エンジンを再起動した直後、突然襲ってきた凄まじい衝撃に隔壁にその身を叩きつけられ、目覚めてみると、いつの間にか宇宙空間を身体一つで漂う羽目になっていた。

 振り返ると、ついさっきまで自分がいた補助エンジン区画ナセルが、僅か数十センチほどの鼻先に漂っていた。真空無音の宇宙空間では、視界に入るまで気が付かなかった。

 問題は、補助エンジンナセルはあれども駆逐艦本体が影も形も無かったことだ。

 あるのは回転しつつ補助エンジンナセルからゆっくりと遠ざかっていく、爆圧で無残にひしゃげた駆逐艦の残骸らしきものだけだった。


 どうやら、敵の攻撃により駆逐艦は爆沈してしまったらしい。

 自分はたまたま誘爆防止の為、駆逐艦主船体とはパイロンを介して独立した補助エンジンナセルの中にいた為に助かったのだ。

 今、こうして身体一つで宇宙空間を漂っているのは、艦が沈んだ時の爆発の衝撃で、補助エンジンナセルと主船体の接続口から外に放り出されたからのようだ。

 少年は振り返り、再び戦の光に目を向けることにした。


「はは……凄いや……光で一杯だ……」


 目の前の光景に、自分のおかれた状況にはあまりそぐわない呟きが、我知らずもれた。

 防御シールドに守られた艦内から、ビュワー越しに見る戦闘などとはわけが違う。その光景と瞳との間を隔てているのは、ヘルメットのフェイスシールドだけなのだ。

 宇宙での戦闘をこうも間近で見るということは、大抵の場合は死を意味していた。

 宇宙空間における戦闘破壊行為、それは大量のデブリをまき散らすことと同義だ。

 戦闘によって破壊された航宙艦やミサイル諸々の破片デブリは、たとえ数ミリであっても真空故に一切減速されること無く、遅くとも秒速数千メートルの速さで飛び散る凶弾となる。

 今着ている装甲宇宙服ハードスーツは、その名の通り鎧のような外殻に覆われた船外作業用宇宙服だ。

 これとは逆の軟式簡易宇宙服ソフティスーツに比べれば数百倍の対デブリ耐性を持っていたが、それは戦闘宙域以外での話あり、戦場で発生する大きくかつ大量なデブリの前では無力に等しい。

 防御シールドと装甲で守られた艦内ならともかく、体一つで戦闘宙域を漂っていれば、いずれ散弾とかしたデブリにその身を貫かれるのは必至であった。

 だからこの壮大な光景を生で見れるのは、宇宙に放り出され、仲間も、帰るべき艦も失い、あとは死を待つだけとなった人間の最初で最後の特権なのだ。



 ………………が、いつまで経ってもその決定的な瞬間が訪れることはなかった。

 目で見て分かる程の巨大な破片が迫る。しかし、それは少年にぶつかる寸前で、見えない壁に阻まれ弾かれていった。

 背後の補助エンジンが、少年が修理に成功したことにより、艦本体から切り離された後も独立して稼働し続け、防御シールドを展開して彼をデブリから守り続けていたのだ。

 自分だけが生き延びてしまった。

 けれど、それにどれだけの意味があるのだろうか。

 補助エンジンナセルは、迫りくる敵グォイド艦隊の方へと、ゆっくり、だが確実に流されていた。どう考えても助けを呼んで来てもらえる場所ではない。

 開放されていた宇宙服の無線は今も聞こえていたが、内容は被害報告と助けを求めるものばかりだった。自分を助けてもらう余裕など誰にもありそうに無かった。

 だから少年は、驚嘆すべき目の前の光景に再び目を戻すことにした。





 巨大な影が少年を覆った。

 弱々しい太陽光に照らされた大小様々なサイズと形のグォイド艦が、時折、戦闘の光に全形を浮かび上がらせながら少年の頭上や足元を通り過ぎていく。

 その船体はまるであらゆる動物の頭蓋骨――恐竜や牛などの獣の頭骨を前後に引き伸ばしたかのようなフォルムをしている。

 船体色も、太陽系防衛艦隊SSDFふくめ人類側艦艇が太陽光からの熱吸収を恐れ、白や銀を中心としたカラーリングなのに対し、グォイドは黒地に原色のラインが入った毒々しい毛虫のような極彩色をしていて、何度見ても慣れない。

 それらは間違い無く、地球とはまったく異なる起源で生まれたものなのだ。

 彼らが一体どんな起源や過程をへて太陽系にやって来たのか?

 人類は遭遇から半世紀たった今もその答えを得ていない。

 分かっているのは、グォイドが地球を狙っているということ、そして人類が宇宙に進出する遥か以前、恐らく何千、何万……何億年も前から彼らは宇宙を旅し続け、そこに合わせて進歩、進化し続けてきたのであろうということ、それだけだ。





 太陽系防衛艦隊SSDFとグォイドの戦いは苛烈を極めていた。

 遠距離からの大質量実体弾の撃ち合いを経て、人類側は地球に猛進しようとするグォイドの大幅な減速になんとか成功し、今は互いの装備するUV防御シールドと、それを唯一貫くことが可能なUV兵器の奇妙な射程距離のバランスから、本来宇宙では考えられないような極至近距離で撃ち合う状況へと移行し、こうして少年が両陣営を肉眼で捕らえることができる範囲に納めていた。

 太陽系防衛艦隊SSDFは火力を最大限集中できる宇宙版のT字戦とも言える陣形で、横に長い楕円形の障壁となって、針のように細長い円錐陣形で迫るグォイドを阻もうと試みていた。

 人類は理想的な陣形で戦闘を開始することに成功してはいたが、それでも宇宙を舞台に人類とは全く違う起源の敵を相手にしていては、戦況は芳しいとは言えなかった。

 グォイド艦隊が迫る方を向けば、遥か奥に遠近感が狂う程の巨大な六角柱型の艦が控えているのが見えた。

 直径だけでも数キロ、全長はその十倍はあろうそれこそが、グォイドが地球に打ちこもうとしている繁種柱シード・ピラーだ。

 それが防衛ラインを突破し地球への到達を許せば、恐ろしいカタストロフが起きることを、人類は過去の苦い経験から学んでいた。

 太陽系防衛艦隊SSDFは、必死にUVキャノンによる砲撃と、飛宙攻撃機による対艦ミサイル攻撃をシードピラーへと繰り返していたが、敵護衛艦隊に幾層にもに阻まれ、今一歩のところで届かない。

 このままでは、太陽系防衛艦隊SSDFの防衛ラインが突破されるのは、時間の問題に思えた。



 戦の閃光の遥か彼方には、斑に輝く木星の姿があった。

 太陽光に照らされ猫目形に光って見える木星のその傍らでも、小さな光の粒が無数に瞬いていた。

 戦場はここだけでは無い。木星の付近でも、シードピラーを擁するグォイドとの戦いが繰り広げられているのだ。

 少年は自分の存在の小ささを、ただ噛みしめることしか出来なかった。

 グォイドとの戦が続く世の中に生まれて育ち、現在十六才。

 少年――〈三鷹ケイジ〉は航宙艦乗りであることを除けばごく普通の少年、これが初陣であった。

 この時代、人的損失の激しい太陽系防衛艦隊SSDFでは、その意思さえあれば、いかに若くとも門戸は開かれており、彼のような年齢で航宙艦乗りとなる者は珍しく無かった。

 ケイジは今のこの状況に陥ったことに、実はあまりショックは受けていなかった。

 こんな結果になる可能性も充分認識し、そのリスクを承知の上で航宙艦乗りになったのだから。

 だから、どうせこんな末路が待っているんじゃないかと、ずっとそう思っていた。


 ――ああやっぱりか……。それが今の正直な感想だ。


 所詮、どんな人生を選んだとしても、結局最後にはグォイドに地球ごと滅ぼされる結末が待っているだけなのだ。自分は分の悪いギャンブルと分かっていてそれに賭け、負けたのだ。

 人類の何千、何万倍もの時間、宇宙で進化し続けてきた彼らに、宇宙への進出歴が精々二世紀程度の人類が、そもそも立ち打ちできるわけが無かったのだ。

 人類は地球上で、時に多種を絶滅させつつ生存競争に勝ち抜き、こうして宇宙に進出するまでに至ったわけだが、宇宙でもまた、そこを舞台にした生存競争があり、そこでは人類は滅される側だった、それだけのことなのだ。

 湧き上がる全ての感情を押し殺し、ケイジはこの事実を受け入れようとした。

 どちらにしろ、一人の少年の思惑など、この広大な宇宙の前では塵デブリみたいなものなのだ。

 全部分かっていたことだった……なのに……。

 ケイジはこの光に満ちた光景を見た時、それまで薄ボンヤリと心の片隅に巣食っていたある感覚が、唐突に形になったような気がした。


「……畜生」


 ――そうだ、この宇宙は人間なんざお呼びじゃなかったんだ!


「……畜生!」


 人類の歴史も進化も文化も何もかも……いや地球の生み出した全生命の存在さえも、全てが無意味だと、宇宙に告げられているような気がした。

 もちろん自分自身のこれまでの人生も。


「こん畜生……こん畜生! こん畜生! こん畜生ォォォォォォッ!!!」


 いつしか瞳から溢れた雫が、ヘルメットの中に震える球体となって漂っていた。


 ――滅ぼすくらいならなんで生み出したんだ!!!!!


 心なんていらないはずだったのに……呟きだったものが、いつしか絶叫になっていた。

 どんなに叫んでも、真空の宇宙に彼の声が響く事は無い。が、それでも思いっきり怒鳴らずにはいられなかった。

 全てが虚しく、悲しかった。

 今自分が生きているのは、他の死者達と僅かな時間的誤差があっただけに過ぎない。

 自分は間違いなくこれから死ぬのだ。

 全てを諦め、受け入れようとした…………。



 と、その時…………。

 眼前の戦況に変化が起きた。

 それまで、前方に立ちふさがる太陽系防衛艦隊SSDFに向けて放たれ続けていたグォイド艦の砲撃が、いつの間にか進行方向左舷上方の何もない空間への砲撃に変わっていたのだ。

 いや、何も無いように見えたのは肉眼では見えなかったからにすぎない。グォイド艦はそれ程遠く、遥か彼方の目標に向かって砲撃しているのだ。

 それと同時に、聞こえていた無線通信の内容がそれまでとは違う事を伝えていた。


『……繰り返します、こちらSSDF第8艦隊・VS第2戦隊。これより敵艦隊左舷側上方二〇度よりシードピラーへ突撃を試みます。敵艦隊中心部付近へ侵攻中の飛宙攻撃機隊は至急退避してください。繰り返します……』


 その声音は、この戦場において明らかに場違いな、まだあどけなさの残る少女の声だった。

 ケイジは不思議とその声に懐かしさを感じた


 ――……連中が……彼女たちの艦隊がやって来るんだ!


 ケイジはその艦隊のことを知っていた。いや人類で知らぬものなどいるのだろうか!?






 ケイジはヘルメットのバイザーを下すと、視覚をバイザーに搭載されたカメラに切り替え、グォイド艦隊が砲撃する先を向いた。

 彼女達の艦隊の来る方向は、星々をはじめ様々な光の粒だらけだったが、宇宙服のコンピュータが、味方艦の識別アイコンで前方の光点の一つを自動的に囲ってくれた。

 その光点は見つけた瞬間からみるみる大きくなっていった。

 当然だった、これからグォイド艦隊中心部に突っ込もうと急接近しているのだから。

 それは秒速数十キロから一気に戦闘可能速度、およそ一〇〇分の一以下まで減速する為の猛烈な逆噴射リバース・スラストの輝きだった。

 その間もグォイド艦の激烈な砲撃は続いていた。防御シールドに砲撃が命中しているのか、VS艦隊の光が激しく瞬いている。


「ああ、全然駄目じゃん!」


 ケイジは思わずそう声を漏らした。

 そもそもからして無策無謀な突撃だった。いくら比較的防御力の薄い艦隊の側面方向からの突撃とはいえ、何の策も無しでは、近づく前に沈められるに決まっている。

 やはり無茶だったのか、ケイジには敵弾を受け、爆発を繰り返し、破片をまき散らしながら近づいてくるVS艦隊の光点を見つめていることしかできなかった。

 だが、あのVS艦隊たるものが、本当にこんな無策無謀を行うものなのだろうか?

 それに、なぜ艦隊であるにも関わらず、光点が一つしか見えないのだろう?

 通信が名乗っていた【SSDF第8艦隊・VS第2戦隊】通称第802VS艦隊は、有人の旗艦一隻以外は全て、旗艦から遠隔操作される無人艦ROSによって構成された艦隊だ。

 それが一つ光点にしか見えないということは……ひょっとしたら、VS艦隊は、無人艦を前方に縦一列で並べ、その防御シールドと無人艦そのものを盾がわりにして突っ込んできているのではないか?


「……ってことは、ひょっとして……ここって危ないんじゃ……」


 ケイジがそう思い至った瞬間、VS艦隊の光は、ケイジの眼前でその小さな体を覆う巨大な爆発光となって輝き、その爆炎を突き破り巨大な艦首女神像フィギュアヘッドが姿を現した。

 続いて艦首と艦尾周囲から、猛烈な減速噴射炎リバース・スラストをX字型にふりまきながら眼前に迫る巨艦に、ケイジは実際にはかすりもしなかったにも関わらず「ひぃいいぃゃああぁぁああぁぁ!」と、その巨体が自分の横を通り過ぎた瞬間、無様に回転しながら叫ばずにはいられなかった。

 そして回転しながら、その視界の隅に艦首側面に書かれた艦名を捕らえた。

 〈SSDF‐VS802 じんりゅう〉ケイジは読むまでもなく、その名を知っていた。


<i313121|16361>


 白銀のシュモクザメ、大雑把に例えるならそんな姿の艦だった。

 全長三五〇メートル、全高、全幅共に一五〇メートル。

 太陽熱吸収防止の為のパールホワイトを基調としたカラーリング、対デブリ避弾経始の為に先細りになった流線型の主船体は、まるで優美な水棲生物のようだ。

 船体の上下には、大昔の水上艦に搭載されていたような旋回式主砲塔や対宙砲塔群、探査・索敵機器類が詰め込まれた巨大な紙飛行機のような三角形のセンサーセイル・モジュール、各種ミサイル発射管とアンテナマストが密集している。

 まるで大昔の水上戦艦二隻の、喫水線から上半分を貼り合わせたような構造だ。

 艦尾は中心部に円筒状メインスラスター。そのまわりに独立した補助エンジンナセルが四基X字型に配置されている。大昔の化学燃焼式ロケットから変わらぬスタイルだ。

 洋上戦艦そっくりな上下に反り返った艦首部分で特徴的なのは、フィギュアヘッドの後ろから、唐突に真横にのびる翼状支持架パイロンの先に取り付けられた可動式ベクタード姿勢制御スラスターユニットだ。

 そのユニットがあるおかげで、真上から見ると艦首がまるでシュモクザメのようなシルエットになっていた。

 一見すると上下対称に見える艦だが、艦のそこかしこに、まるで古代魚のヒレのように生えている放熱翼の配置と形状の違い、艦上部セイルの根基に設けられた目視用ブリッジから、艦の上下を見分けることが出来た。


「なんてぇ無茶な!!!」


 いくら無人艦とはいえ、旗艦以外の僚艦全てを、ただ敵艦隊中心部に突っ込む為だけの盾として使い捨てにするなんて!

 ケイジを包んでいる補助エンジンが生み出した防御シールドに、爆発四散した無人艦の破片がデブリとなって次々と衝突してきた。

 が、ケイジはそんなものには目もくれず、なんとか身体の回転を止めると、宇宙服のブーツの磁力吸着機能マグロックで補助エンジンナセルの上に足を固定し、VS旗艦の向かった先を目で追った。

 そこではさらに驚くべき光景が繰り広げられていた。

 航宙艦が舞っていた。

 基本的な宇宙のルールとして、宇宙で目的地に向かって一度進み出した艦は、地球上のように空気抵抗や重力によって自然に止まることが無い為、動き出すのと同じだけのエネルギーを使わねば止まることはできない。【慣性の法則】がありのまま働くからだ。

 例えば宇宙のとあるA地点からB地点まで、最短時間で移動しようとした場合、全行程の前半を加速に使い、中間地点から後半を丸々減速に使わなければならない。

 これに燃料消費による重量変化等の諸条件を加えると、航宙戦闘艦はただ、動いて/止まるという機動をワンセット行うために、自艦の重量と推力、移動目標までの距離、慣性、姿勢、を慎重に計算した上で操艦せねばならなくなる。

 このルールを無視すれば、目的地に激突するか、通過して宇宙の迷子になってしまう。敵に沈められるまでもない程に危険なのだ。敵艦隊のまっただ中であれば尚更である。

 これらの問題を解決するため、人類はかれこれ二世紀以上もAIによる自動操艦を試みてきたが、戦闘という刻々と変化する状況を任せられるにはまだ至っていなかった。

 航宇宙艦の機動とは、ともかく慎重に行わねばならないはずなのだ。

 しかし、今突入して来たVS艦隊旗艦〈じんりゅう〉は、そういった宇宙のルールなど無視するかの様に敵艦隊のど真ん中に突っ込むと、前方の敵戦艦に衝突する寸前で急降下。

 前進する慣性をいかしたまま、いきなり艦首を引き起こしたかと思うと上下にいた敵艦の弱点、船体中央部を前後の主砲斉射で貫き、引き起こした勢いのまま一回転、進行方向の前後から迫る敵艦を主砲の一斉射で沈めた。

 さらに突入時の慣性を殺さずにバレルロールらせん機動で破壊した敵艦を避けながら、主砲塔を左右に向け次々と斉射、まるで敵艦が〈じんりゅう〉の撃つ主砲の軸線に自ら飛び込んでいるかのごとく、周囲を取り囲む敵艦を次々と沈めていった。

 全長三百メートルを超える航宙艦の動きでは無かった。

 まるで航宙艦によるドッグファイト……いや、CQB近接戦闘の類いを見ているかのようだ。

 さすがに全く被弾しないわけではない。が、巧みに致命的な直撃を避け、時に敵艦の同士討ちを誘い、傷つきながらも〈じんりゅう〉はその進撃を止めることなく、敵艦隊のまっただ中を突っ切っていった。


「……すご――わッ!」


 突然、〈じんりゅう〉を目で追うケイジの頭上と脚元を、次々と何かが通り過ぎて行った。〈じんりゅう〉の艦載機だ。敵艦隊突入と同時に発艦させていたのだ

 ブースターと対艦ミサイルを満載した有人機一機と、十機程の無人飛宙艦載機隊が、敵艦隊の間を縦横無尽に駆け抜け、必殺の対艦UV弾頭ミサイルを迎撃不可能な近距離で解き放って行った。

 たちまち失った無人艦の分を差し引いてお釣りがくる程の戦果が、〈じんりゅう〉一隻とその艦載機とで瞬く間にあげられていった。



 グォイドとの絶望的と言っていい戦が続く時代にあって、人類には唯一の希望にして切り札が存在した。

 グォイドに対し、唯一互角以上に渡り合える艦隊、名をヴィルギニースターズ艦隊。彼女達の艦隊だ。



 最後に〈じんりゅう〉は、シードピラーの横を通過する瞬間、船体各部の発射管からありったけの対艦ミサイルを放つと、ケイジの位置からは遠くてもう見えなくなった。

 通信を聞いてからから五分も経っていない、正に瞬く間の出来ごとだった。

 ミサイルはシードピラーの防御シールドに次々と炸裂した。

 その後には破壊された敵艦の残骸と、大量のミサイルの命中による過負荷で、防御シールドを消失させたシードピラーだけが残されていた。

 護衛艦隊と防御シールドさえ無くなってしまえば、シードピラーは味方艦隊の集中砲火で破壊することが充分に可能だろう。


「はは……ははははは」


 ――やっぱ……かっこいいじゃないか〈じんりゅう〉は……。


 ケイジは自分がいつの間にか、乾いた笑いを漏らしていることに気づいた。

 『心』なんていらないなどと、勝手にこの宇宙の仕組みについて悟った気になっていた自分が、急に馬鹿みたいに思えて仕方無かった。

 ケイジは〈じんりゅう〉を知っていた。

 思えば〈じんりゅう〉こそが、航宙艦乗りを目指すきっかけを与えた艦なのだ。それを最後の最後に直接この目で見ることになるとは……。

 つい先ほどまで、グォイドに対して無力さ噛みしめていたはずなのに……VS艦隊はケイジの目の前で、人にはまだグォイドに抗う力があることをあっさり証明して見せてしまった。


「……今更そんなことに気づいたって、遅いのに……」


 これから味方艦隊の砲撃が始まろうという宙域のど真ん中にいて、無事に済むわけが無い。今まで生きていただけでも奇跡なのに、これ以上の奇跡は望むべくも無かった。


 ――でもまぁ、最後に良いものが見れてよかったか……。


 ケイジは格段に残骸だらけとなったまわりの空間を仰ぎ見た。

 思いのほか冷静でいられる自分を褒めてやりたかった。いや、現実逃避に成功しているだけか……。

 やっぱり、自分がすぐ死ぬだなんて信じられない。だって今まで生きて来たのだから、これからもそうなのだと思ってしまうのだ。


『勝ち目の無い戦いなんて無い』『勝算ゼロなんて信じない』


 唐突に、そんなフレーズが頭に浮かんだ。誰が言った言葉だっただろうか? たしか昔、夢中で見ていた、太陽系防衛艦隊SSDFの活躍を描いたTVアニメで主役が言っていた言葉だ。

 皆を鼓舞するために言ったのであろうが、今のケイジはこの言葉が大嫌いだった。

 なんて傲慢で不遜で理想主義な物言いだろうか。今の人類の状況にまったくそぐわないし、なんといっても、とても面倒で長く辛い未来を予想させる気がするじゃないか……と。

 だがその時、ケイジは目の前の宇宙に、この状況の中の“勝ち目”を見つけてしまった。


『勝ち目のない戦いなんて無い!』『勝算ゼロなんて信じない』


 その言葉には、ちょっと知識や機転が利かなかったが故に、目の前に存在しているチャンスを無駄にするなと、そういう意味も込められているのではないか!?

 時間の流れが遅くなったような気がした。もちろん実際に時間が遅くなったのではなく、ケイジの時間感覚が心拍数の増加により遅くなったのだ。 

 ケイジはこれから死ぬことよりも、生きようとしている時の方が、よほど緊張して鼓動が速くなるのを感じて不思議に思った。


 ――ああ! 〈じんりゅう〉なんて見なけりゃこんなアホなことはっ!!!


 ケイジはブーツの磁力吸着機能マグロックを切ると同時に、思い切り補助エンジンナセルの外殻を蹴りジャンプした。

 だが、それだけでははるか彼方にある目標に正確にたどり着けない。

 それに時間も無い。ケイジはさらに、常に宇宙服に携帯しているピストル型の命綱射出機ワイヤーガンを構えた。

 これは命綱となるワイヤーを遠くに撃ち出して固定し、モーターで巻き取る事によって、無重力空間の移動に利用することができる道具だ。

 すでに幾筋もの味方艦隊の放つ対艦ミサイルが、シードピラーに向かっていくのが見えた。


 ――着弾、爆発まであと何秒だっ!?


 ケイジは絞るように、ワイヤーガンのトリガーを引いた。

 発射したワイヤーの先端が目標の無人機に命中し、巻き取り用モーターを動かすのと、無数の砲撃がミサイルと共にシードピラーに突き刺さったのはほぼ同時だった。

 ケイジは肉体がぺしゃんこに潰されるようなシードピラー爆発の衝撃波を一瞬感じると、再び気を失った。

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