プロローグ

 その日、人類はこれまで辛くも回避し続けてきた黙示録の時が、とうとう到来したことを確信した。


 サートゥルヌス計画中のVS‐802〈じんりゅう〉が、土星圏へ最接近し、消息を絶ってから一週間後のことであった。


 見上げる地球の夜空から……月SSDF総司令部から、宇宙ステーション〈斗南〉から、火星圏から、木星圏〈第一アヴァロン〉から……その他諸々の太陽系各地から見た土星の背後の星野から土星の公転軌道の先10億キロにかけて、突如として細くは見えたが少なくとも土星直径の三倍の上下幅があり、そして観測範囲一杯に広がる果てしなく長い金色の水平ラインが現れたのだ。

 信心深い人間であれば、神あるいは天体サイズの巨人が、星空に筆で描いたと思ってしまいそうな光景であった。

 そして観測されたのとほぼ同時に、その金色のラインは、無数の輝く粒となってゆっくりと崩壊をはじめた。


 その長大極まる金色のラインの正体について、人類には皆目見当がつかなかった。

 あまりにも唐突で、あまりにも長大過ぎた。

 その金色のラインの正体を推理するヒントが、人類には何一つ与えられていなかった。

 だが人類に絶望を与えたのはその事実ではない。

 人類に己の歴史の終焉を確信させたのは、その黄金のラインが霧散した後の土星近傍の宇宙に、かつて見たことのある眩く輝く光の群れが観測されたからだ。

 その無数の輝きが、到底迎撃不可能な数の艦で構成されたグォイドの増援であることは、かつて観測したUDO=後のグォイドの初観測データとの照合により、即座に判明した。

 その輝きが新たなグォイド艦の大群の放つ減速噴射の光であり、現在の人類の戦力では、とうてい迎撃が不可能な数であることが、この一連の事態に対するあらゆる推測の中で、何よりもまず確定したのであった。

 グォイドの増援の減速噴射の光の強さからいって、太陽系到達までおよそ三か月。

 状況から推察して崩壊した金色のラインは、グォイドの増援の存在を示す減速噴射の輝きを、内太陽系人類から秘匿するための一種のステルス膜であると、観測開始から数十分で分析がなされた。

 が、それが分かったところで、人類の滅亡が回避されるわけではなく、なんの慰めにもなりはしなかった。

 金色のライン=ステルス膜が何故崩壊したのかは不明だが、それでもグォイドの増援が、人類に対処不可能な距離まで接近するまでの間、人類からその存在を秘匿するという目的は充分に達成していたのだ。

 観測し、事態を知ることのできた人類の多くが、種の滅亡を覚悟した。

 それ以外の未来など想定できなかった。

 人類に許されたのは、残こされた時間を、いかに過ごすかという自由だけであった。

 だが多くの人間にとって、唐突に突きつけられた最後通牒に対し何もできはしなかった。

 迎撃態勢を整えるには時間が無く、また仮に最大限の迎撃準備が出来たとしても、戦力差から防衛は絶望的であった。

 多くの人類には、ただ土星の彼方でゆっくりと崩壊し、見えなくなる金色のラインと、瞬きながら確実に内太陽系に迫るグォイドの増援の群れの光を、茫然と見つめ続けることしかできなかった。

 仮にもう少し時間が経過していたならば、この情報が人類社会全体に伝わり、社会全体での大パニックが発生していたかもしれない。

 だがそうはならなかった。

 そうなる前に事態が急変したからだ。



 観測からおよそ三時間後、人類が待ち構える破滅に対して覚悟を決める間もなく、事態は急転した。

 グォイドの増援が、太陽系内で“停止”する為の“減速”から、太陽系を“通過”する為の“加速”に切り替わったことが、内太陽系方向に向けられていた噴射が、反対側に向けられたことで、観測される光が半減し、人類の知るところとなったのだ。

 土星圏で何かが起き、その結果として、グォイドの増援と思しき減速噴射光が、突然減速を止め、それどころか加速を始めたのだ。

 と同時に、加速した結果、亜光速と言っても過言では無い速度で、グォイドの増援が、数日内に内太陽系人類圏の真っただ中を通過することが判明した。

 結果としてグォイドの増援が、地球を始めたとして内太陽系人類圏に接近することに変わりは無かった。

 それどころか、およそ三か月後に起きるはずの内太陽系人類圏への接近遭遇が、最短で二日後にも起きることとなってしまった。

 だがこの宇宙においては、同じく距離が近づく現象ではあっても、停止と通過には雲泥の差があり、グォイドの増援が、何故か停止を諦め通過を選択したということは、少なくとも人類にとっては数百年単位で、グォイドの増援が原因で起きる種の滅亡が先送りされたことを意味していた。

 内太陽系内の各惑星の配置的に、グォイドの増援のコースに交わるものは何も無く、通過の際の速度差からいって、グォイドの増援が、内太陽系通過時に人類に対しできることは何もないからだ。

 そして仮にグォイドが太陽系通過後に亜光速から減速停止し、反転再加速して、再び太陽系に戻ろうとしたとしても、それが叶うのは数百年は後になるはずであった。

 つまりグォイドの増援による脅威は無くなったと言ってよかった。

 人類は下手に迎撃など行わず、グォイドの増援の太陽系内通過を座視することにした。

 そして種の滅亡の到来を知らせる観測から三時間も経たないうちに、内太陽系の全人類は、従来通り太陽系内のグォイドの脅威は存在し続けれども、当分の間は存在し続けられることを確信したのであった。

 それどころか、事態は滅亡の危機とは正反対の方向へと推移しはじめた。





 加速に転じたグォイドの増援の、土星圏グォイド本拠地への接近に伴い、両勢力のグォイドが互いに攻撃をはじめたのだ。

 予定通り減速すれば、外宇宙から来たグォイドの増援は、土星圏のグォイドと合流するはずであった。

 が、グォイドの増援が太陽系の通過を選び、加速し、亜光速となった結果、グォイドの増援にとって、土星圏が目的地から針路上の障害物へと変わったのだ。

 もちろん土星圏のグォイドにとっても、飛来するグォイドの増援は脅威極まりない実体弾へとなっていた。

 つまり、互いにとって相手の存在が放置すれば危険な存在に変わっていたのだ。

 内太陽系の人類からは、グォイドの増援と土星圏のグォイド同士が、己のサバイバルを優先した結果、互いに撃ちあう姿が、微かな戦闘光として観測された。

 そして同胞同士の撃ちあいを続けながら、土星圏へとグォイドの増援は到達した。

 人類はその瞬間、土星圏グォイド本拠地の中でも、オリジナルUVDを有するグォイド最大の建艦プラントがあると推測される衛星タイタンに、亜光速でグォイドの増援の光の一つが衝突し、同衛星が半壊するのを観測した。

 その事態が意味することを、人類が正確に把握するには、今しばらくの時間が人類には必要であった。

 最初の異常事態観測から24時間後、入念な観測の末にSSDF広報部は『一時到来が予測された黙示録の日アポカリプス・デイは無期限キャンセルとなった』と太陽系全人類社会に発表した。







 人類は救済された……滅亡の危機の存在を知ったと思った途端に……。

 それだけではない。

 まだ確定ではないが、グォイドの増援による脅威だけでなく、タイタンをはじめとした土星圏グォイド本拠地が、グォイドの増援と交差・接触した際に受けた甚大なダメージにより、太陽系内のグォイドの脅威それ自体まで消滅してしまった可能性すらあった。

 だがいったい何が原因で、太陽系目前まで迫っていたグォイドの増援が、突然に内太陽系での停止を諦め、通過を選択したのか?

 その謎については、内太陽系からの観測だけでは正確には知りようが無かった。

 だが、どうやって? かは分からずとも、誰がやったか? については心当たりのある者ならばいた。



 まだ〈じんりゅう〉が消息不明となってから一週間しか経過していないにも関わらず、世間とSSDF上層部から、オリジナルUVD搭載艦と、VS艦隊クルーを喪失させた責任問題を激しく追及され、地球ラグランジュⅢ宇宙ステーション〈斗南〉の自室にて、やんわりと謹慎を言い渡されていたVS艦隊司令テューラ・ヒュウラ大佐は、騒動を知るなり着の身着のままで自室から飛び出すと、土星方向を向いたステーション外壁窓に移動し、この黙示録アポカリプスキャンセル騒ぎをその目で直接確認してから呟いた。


「…………アイツらめ!」


 テューラは確信していた。

 この騒ぎが、いったいどこの誰がしでかしたことかについて……。






 テューラ司令の断定に近い推測は、継続した観測によって裏付けられた。

 グォイドの増援による黙示録の到来を、観測とほぼ同時にキャンセルさせたと思しき存在が、加速に転じたグォイドの増援の土星圏到達に紛れて発見されたのだ。

 それはグォイド同士の戦闘の最中、土星圏から猛烈な加速で脱出、何故か内太陽系方向ではなく、外宇宙方向へと猛烈な加速をしばし行った後、二つに分離し、一方が外宇宙へと飛び去り、もう一方は思い出したように内太陽系へと向かい始める光として観測された。

 人類はそれの放つ噴射光の特性から、オリジナルUVD由来のUVエネルギーが、SSDF航宙艦のスラスターから噴射されたものであることを分析し突き止めた。

 その時、土星近傍に存在し、この危機的状況に何がしかの対処が可能である……という条件を満たすオリジナルUVD搭載のSSDF航宙艦など、この宇宙に一隻しか考えられなかった。

 その光が何故二つも観測され、一方が外宇宙へ飛び去ったのかは不明だが、そのうちのどちらか片方は、間違いなくその艦であると思われた。





 それから三日後、人類はグォイド制宙権から脱出し、内太陽系人類圏へと帰還の途についたその航宙艦より送信された航行データから、いかにしてまた“あの”艦に人類は救われたのかを知るところとなった。


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