第一章『ゴースト・プロトコル』  ♯1



 ――『黙示録アポカリプスキャンセルデイ』からさらに約一週間後――



[【テルモピュレー集団クラスター】―――側出口手前約6000キロを航行中の輸送艦隊に次ぐ! こちらSSDF・VS‐80――――――――大至急、無人護衛――――せよ! 繰り返す! ――――――]


 突然届いたノイズだらけの通信に、二隻の輸送艦と、二隻の無人護衛駆逐艦からなるごく小規模の輸送艦隊旗艦〈第6ユーリカマル〉の艦隊長は、即座に対処などできなかった。

 

 【テルモピュレー集団クラスター】内でのジャミング効果により、通信内容が理解できなかったからだ。

 だが、だからといって仕方がないと諦められるような状況ではなかった。

 〈第二アヴァロン〉への生活物資輸送任務から火星圏へと帰る復路での出来事であった。


「今……VS艦隊って言ったか?」


 〈第六ユーリカマル〉ブリッジに立つ艦隊司令がようやく口に出せたのは、そんな緊張感の無い疑問だけだった。


 『黙示録アポカリプスキャンセルデイ』は、一時人類社会に大混乱をもたらしたが、それも急激に収束へと向かっていた。

 内太陽系人類圏を通過した【グォイド増援光点群】は、太陽を掠めて1割ほど数を減らした上で、この恒星系から離れていった。

 その際に土星圏にもたらした甚大なダメージにより、少なくとも当分の間、人類はグォイドの大規模侵攻を恐れる必要が無くなっていた。

 このまま二度と土星圏のグォイドは、大規模侵攻を行うことが出来る程に、戦力を回復できない可能性すらあった。

 それはつまり、人類のグォイドに対する勝利であり、グォイドにより滅ぼされる恐怖からの解放であった。 

 もちろん、グォイドの脅威が完全に去ったかについてはまだ確定ではなく、また太陽系内のグォイドが一掃されたわけではない。

 だが、多くの人類に、理性では抑えきれない程の一時の安心と油断をもたらすには充分であった。


[【テルモピュレー集団クラスター】内太陽系側出口手前約6000キロを航行中の輸送艦隊に次ぐ! こちらSSDF・VS‐80――――――――大至急、無人護衛艦で後方5時、仰角プラ―――方向に――――――――――――――――――! 繰り返す! ――――――]


 輸送艦隊のクルーが【集団クラスター】のジャミング効果により、ノイズまみれで明確に聞き取れない通信に耳を澄ます中、時間だけが刻々と過ぎていく。

 女性の声で繰り返される通信音声は、正確な通信主からの要望はまだ聞き取れないが、明らかに緊迫感を帯びており、この輸送艦隊に何がしかの危機が航法から迫っていることだけは伝わってきた。


「全艦戦闘配置! 輸送艦は緊急加速に備え、無人護衛艦二隻は臨戦態勢で航法警戒に回せ!!」


 輸送艦隊司令とはいっても、総数たった四隻の小規模艦隊であり、司令を務めていた艦長兼任の20代前半の少佐は、できうる限りの指示をとばすことしかできなかった。

 だが、事態は彼らの事態把握に関係無く推移していった。


「司令! 護衛艦〈ラパナス〉がUV弾頭ミサイルを発射!」

「はぁ!? まだそんな指示は出してないぞ! 第一――」


 艦隊司令は無人艦指揮担当の報告に、「第一何に対して撃つっていうんだ」と、部下の先走った行動を疑いながら言おうとして、自爆したUV弾頭ミサイルの合成効果音に掻き消された。


「な……」

「護衛艦より発射されたUV弾頭ミサイル、自爆しました!」

「誰の判断だ!? 俺はそんな指示は出してないぞ!」

「司令、強制遠隔操作オーバーライドです!」


 行きかう問いと報告の中、艦隊司令の問いに真実を正確に告げたのは通信士からであった。


「司令、本艦隊は外部から強制遠隔操作オーバーライドをされている模様」

「外部とはどこの誰だ?」

「それが、一瞬のレーザー通信を受けただけで、正確なところは不明です。ただしSSDF艦なことは間違い無い模様」

「…………」


 艦隊司令はそこまで部下からの報告を聞いた時点で、ようやく状況が分かった気がした。

 むしろ自分の推測能力の無さに嫌気がさした程であった。

 もし、事態が予想通りならば、本艦隊はかなりのピンチということになる。

 だが同時に、救援を呼ぶ必要は無さそうであった。

 問題はすでに向かっているらしい救援が、間に合うかどうかだ。


「本艦と〈第五ユーリカマル〉は直ちに最大加速、逃げろ! 無人護衛艦は艦隊後方で防御態勢!」


 艦隊司令は直ちに命じたが、遅かった。


「司令! 艦隊後方5時方向、仰角プラス3度、距離380キロにグォイド巡洋艦三隻出現!」


 加速によるわずかなGの最中、電測員が報告すると、ブリッジクルーが息をのむのが聞こえた。

 慌てて後方ビュワーに目を移すと、拡大された画面の彼方で、ごく薄いアルミ箔を突き破るようにして、三隻のグォイド巡洋艦が姿を現すのが見えた。


「敵艦加速開始!、本艦隊はすでに敵の有効射程圏内です!」


 電測員からの報告と同時に、ビュワーに映された後方映像の彼方で、グォイド巡洋艦の艦尾で光が瞬き始めたのが確認できた。

 敵艦加速の噴射炎だ。


「ひょっとして報告のあった野良グォイド!?」

「恐らくな。必然か偶然かはわからんが、慣性ステルス航法で知らない間に近くに来ていたのだろう」


 振り返る〈第六ユーリカマル〉副長に、艦隊司令は答えた。

 『黙示録アポカリプスキャンセルデイ』騒ぎで土星圏を追い出されたグォイドが“野良”と化して、慣性ステルス航法を用いて襲ってきたということなのだろう。

 慣性ステルス航法なるものをグォイドが実用化したという話は、半年以上前から把握されていた。

 知られる範囲では、それはその名の通り、慣性航行中でしか使用できないはずであり、こんなピンポイントで補給艦隊に気づかれずに忍び寄れるほど便利ではなかったはずだが、今となってはもう関係のない話であった。

 今、グォイド巡洋艦がギリギリのところで慣性ステルス膜を剥がされ、その姿を現したのは、強制遠隔操作オーバーライドにより護衛艦〈ラパナス〉が放ったUV弾頭ミサイルが、自爆したことで生じたUV衝撃波を食らったからだ。

 おかげで手遅れになる前に敵の存在に気づけたが、補給艦隊に出来ることは、あとはもう救援が来るまでひたすら逃げることだけであった。


「敵艦発砲!」


 電測員の報告が終わる前に、敵UVキャノンの光の柱がビュワーの彼方からブリッジ内を照らした。

 さらに第二射、第三射と続く。

 続いてUV弾頭ミサイルの襲来が報告されたが、それらは各艦からの対宙レーザーで迎撃された。


「無人護衛艦二隻は減速して本艦隊後方250キロに遷移、そこで足止め防衛戦闘開始!」


 下せる命令はそれでほとんどであった。

 他に出来ることは、もう思いつかなかった。

 第五、第六〈ユーリカマル〉は、旧型人造UVD一基を主機とし、魚の骨のような船体に、無数の貨物コンテナを接続して運ぶ完全な輸送専用航宙艦だ。

 しかも今回は輸送任務の帰りであり、コンテナは無しの空荷状態であった。

 つまり貨物コンテナを捨てて加速をするまでもなく、艦の加速力は現時点で限界である。

 もちろんUVシールドは搭載されているが、敵巡洋艦の兵装には到底持ちこたえられないだろう。

 頼みの綱は無人駆逐艦〈ラパナス〉二隻だけだが、数でも戦闘力でもグォイド巡洋艦に勝てるとは思えなかった。


「〈ラパナスα〉撃沈!」


 報告と同時に、ブリッジ内がビュワー後方からの猛烈な光に照らされた。

 〈ラパナス〉主機の人造UVDの爆発光だ。

 野良グォイド発見から二分と経過しないうちに、早速護衛の〈ラパナス〉が一隻沈められたのだ。


「〈ラパナスβ〉に直撃弾! 同艦沈黙!」


 覆しようのない劣勢に、瞬く間に二隻しかない護衛艦が両方とも撃破されてしまった。

 隠れる物体の無い宇宙戦闘で、本来は出来るはずのない奇襲を許してしまった場合、逆転できる可能性は限りなく低い。

 極めて自然な結末と言えた。


「司令! 先ほど通信してきた艦は……」


 ほぼ死刑宣告を受けたに等しいブリッジ内の沈黙を破り、副長が訪ねてきた。

 彼の気持ちはよく理解できた。

 もし希望があるとしたら、この事態を警告し、強制遠隔操作オーバーライドで護衛艦を操り、UV弾頭ミサイルを発射・自爆させ、敵グォイド巡洋艦の存在を暴いたと思しき通信の主だけだ。

 だが、観測できうる範囲内にそれらしき存在は確認できなかった。


「敵巡洋艦三隻、間もなく必中距離!」


 反撃できない輸送艦二隻に対し、どうあっても攻撃を外しようが無い距離まで敵艦が接近した。

 若き艦隊司令は、ブリッジ内のクルーの視線があつまるのを感じたが、なにもできることは無かった。

 後方ビュワーの画面いっぱいに敵艦の姿が迫る。

 だが接近した敵艦が発砲することは無かった。


「?」


 画面内を占めていたグォイド巡洋艦の一隻が、突然引っぱたかれたように水平回転しながら、画面から横方向へと消え去っていった。

 その後方にいた残る二隻のグォイド巡洋艦もまた、同じように横方向に吹っ飛ばされていった。


「報告!」

「分かりません! ただぶっ飛ばされたとしか……」


 電測員が正直に答える最中、艦隊後方から回転しながら飛ばされたグォイド巡洋艦が、次々と膨れ上がってから爆発し、火球となって輸送艦隊を照らした。

 若き艦隊司令はその直前に、回転するグォイド巡洋艦のどてっぱらに、大穴が穿たれていたのを見た気がした。


「司令、艦隊左舷に味方艦識別信号……識別VS‐803〈ファブニル〉!!」


 電測員の報告と同時に、クルーが一斉に左舷ビュワーに振り返った。

 拡大された画面の彼方では、あの〈じんりゅう〉級の三隻目にして、初代〈じんりゅう〉無きあと、グォイド第五次大規模侵攻迎撃戦などの数々の戦闘で活躍したという英雄艦VS‐803〈ジュラント〉が、先ほど見たグォイド巡洋艦のステルス膜と同様のアルミ箔のような破片をまき散らしながら、濃緑色の船体を現わしたかと思うと、艦隊の横を慣性航行で追い越していった。







「間に合って良かったですね……」


 副長のねぎらいをかねた言葉に、〈ファブニル〉艦長アストリッドは頷きながら大きな溜息で答えた。

 危ういところであった。

 プローブが得た情報をシズィーナ・スペシャル索敵法により分析した結果、慣性ステルス航法を用いたグォイド艦三隻の存在を察知。

 進路予測した結果、【テルモピュレー~集団クラスタ】通過中のSSDF輸送艦隊を狙っているものと推測、直ちに急行。

 しかしわずかな時間差により、到着が間に合わないと判断した〈ファブニル〉は、短い【ANESYS】を用いた強制遠隔操作オーバーライドで輸送艦隊の護衛駆逐艦〈ラパナス〉にUV弾頭ミサイルを撃たせ、自爆の際の衝撃波で敵ステルス膜を除去、敵艦の姿を暴露させた。

 その一方で【テルモピュレー~集団クラスタ】境界にいた〈ファブニル〉は、いったん敵艦隊に向け大加速した後に慣性航行に移行。

 SSDFで開発した人類製の慣性ステルス膜〈ケーキ&クレープ〉を用いて、敵艦隊に存在を露見されないよう通信封止しつつ姿をくらましながら交戦距離まで接近した。

 接近に伴ってジャミングによる阻害が無い距離になっても、輸送艦隊と通信を行わなかったのはこの為である。


「なんか、悪い事しちゃったかも……」


 結果的に味方にまで存在を秘匿したことに、艦長席の背もたれにに体重を預けながら、アストリッドは申し訳なさそうに呟いた。

 〈ファブニル〉は一カ月前に完了した改修により、船体喫水線部に二基の実体弾投射砲を挟み込むようにした実体弾狙撃艦に生まれ変わっていた。

 実体弾は、発射の際のマズルフラッシュさえ抑え込めば、光を放たず、目標に察知されずに遠距離から攻撃可能な武装だ。

 アストリッドはこの特性を最大限に活かす為、〈ケーキ&クレープ〉と組み合わせた戦術を確立させ、ごく短い時間の【ANESYS】を用いて実行したのであった。

 確かめようのないことだが、撃破されたグォイド巡洋艦には、己が如何なる方法で沈められたかも分からなかったことだろう。

 これまで大口径UVキャノンを用いてグォイドを屠ってきた〈ファブニル〉であったが、これからは実体弾投射砲による超遠距離狙撃によってのグォイド撃破が可能となったのだ。

 だがアストリッドは素直にその変化を喜べなかった。

 実体弾には搭載数に限りがある。UVキャノンのように無限に撃てるわけではない。

 もちろん有効性に勝算があって行われた改修ではあったが、彼女はこのギャンブルとも言える判断に、若干の不安を覚えずにはいられなかったのだ。

 そして…………


「艦長、太陽系各所にて、野良グォイドの襲撃と存在が報告されています」


 通信士の報告に、アストリッドは早くも次の戦闘に思いを馳せ始めた。

 『黙示録アポカリプスキャンセルデイ』により、土星圏グォイド本拠地は甚大なダメージを受けた。

 だが決してグォイドとの戦いが終わったわけではない。

 まだ終わってはいない。

 それがたとえ野良グォイド相手だとしても、戦えば死ぬ可能性は存在するのだ。

 アストリッドは胸を過る嫌な予感が払える日を願いながら、次の野良グォイド狩りへ向け、新生〈ファブニル〉の発進を命じた。

 そして祈った、早く〈ファブニル〉の姉たる艦が帰還することを……。



 『黙示録アポカリプスキャンセルデイ』から今日までの間に、人類は【グォイド増援光点群】との接触直前に、土星圏を脱出したグォイドの掃討に追われていた。

 その数は決して少なくはなく、さりとて大規模侵攻艦隊には遠く及ばない規模ではあったが、太陽系全体に散らばった野良グォイドとして、無視できぬ厄介な存在となっていた。













 ――それからさらに三週間後――


 その艦の中で、ただ一人の少年は途方にくれていた。

 この悩ましさに比べたら、これまでのグォイドとの命がけの戦いの方がいくらかマシだ……。

 ……などと、三鷹ケイジ技術三等宙曹は、〈じんりゅう・テセウス・・・・〉メインブリッジに入る直前、ハッチの前で立ち止まり、ダラダラを冷や汗をかきながらほんの一瞬思った。

 未だに自分がこうして、生きてここにいることが信じられなくなる時がある。

 【ケレス沖会戦】に【木星事変】に、今回の【サートゥルヌス計画】での冒険…………一回どころか七、八回は死んでいてもおかしくない戦いだった。

 その場に自分が居合わせ、そして生き延びたことに、今更ながら猛烈な違和感を覚えて仕方がない。

 だが今、彼が〈じんりゅう〉メイン目視ブリッジに入るのを躊躇わせているのは、その経験だけが原因では無かった。

 マクガフィン恒星系に向かって旅立った〈アクシヲン三世〉との別れ際に、フォセッタ中佐達と話したことだ。


 ――託されちゃった…………――。


 ケイジはフォセッタと、〈アクシヲン三世〉に換装した元〈じんりゅう〉搭載のオリジナルUVDに、密かに宿ってた元〈じんりゅう〉艦長・秋津島レイカの残留思念らしき意識に言われたことを思い出していた。

 彼女達に、ユリノ艦長をはじめとした〈じんりゅう〉クルーのことを託されてしまった。

 ケイジとて彼女らの言わんとすることは理解できていた。

 それでもまだ言葉にするのは躊躇われるが、彼女達はケイジに対し、〈じんりゅう〉の皆に、友達として仲良くして欲しいと思ったわけではないことくらい分かる。

 もちろんただ〈じんりゅう〉の機関長として使命を全うすることで、結果的に彼女らを守れ……と言っているだけ・・でないことも理解していた。

 要するに彼女たちは、ケイジにユリノ艦長以下の〈じんりゅう〉クルー全員を、女としていっぺんに幸せにしろと言っていたのだ。

 女として、恋人として、生涯の伴侶として愛せと言っているのだ。

 それも九人同時に……。

 それどころか子供を沢山作れ的なことを言っていた。

 むしろそれがメインの望みであると言えた。

 それがユリノ艦長達の幸せだから……あるいはそれこそが生きることの意義だから……とかなんとかといった理由で……。

 そして…………ケイジの主観的観察が正しければ、ケイジに対しユリノ艦長達もまた、ケイジのことを憎からず思っている…………少なくと嫌ってはないように見えたのだ。

 自分のどこに彼女達に好かれる程の魅力があるのか? という大いなる疑問からは一旦目を背けた上での話だが……。

 この要請に対し、ケイジは自分の願望と未来予測をごっちゃにしていないか数え切れない程考えたが、確信ある答えが出ることは無かった。

 今ある主観ふくむ情報だけで考えるならば、男としてケイジに悩む理由など無いことになるはずなのだが……悩まないでいられるわけなど無かった。

 まだ一六歳のケイジにとっては、九人の〈じんりゅう〉クルー全員を、いっぺんに愛さねばならないなどと、とんでもないハードルであった。

 物理的にも、世間一般の人類社会の常識的モラルからいっても、極めて難易度が高い。

 そもそも、たとえユリノ艦長達〈じんりゅう〉クルー全員がケイジのことを好きであったとしても、ケイジがクルー誰か一人にだけ好意を告白し、恋愛関係になるならばさておき、九人いっぺんに好きだと伝えた場合、普通ならば男としての誠意を疑われて当然である。

 全員に一度に嫌われかねない。

 また仮に誰か一人と両思いになったとしても、その場合は残る八人のクルーとの関係は微妙になってしまうだろう。

 だからケイジは動けなかった。

 自意識過剰であることは重々承知した上でだ。

 ケイジ自身が、クルーの誰か一人だけを好きと言えたならばまだマシだったのかもしれないが……ケイジは彼女らから誰か一人を選ぶなど到底できなかった。

 キルスティ・プロトコルの問題もある。

 ケイジの不用意な振舞いで、今の〈じんりゅう〉クルーの精神バランスを崩してしまったならば、アヴィティラ化身を呼び出す程の彼女たちの【ANESYS】の思考統合が、いざという時にできなくなってしまうかもしれない。

 これまでの〈じんりゅう〉の成しえた奇跡を鑑みれば、それが理由で〈じんりゅう〉が実力を発揮できず、撃破され、挙句の果てに人類がグォイドに敗れ去る……などという未来も、あながちおとずれかねないように思えた。。

 それを防ぐ為に考えだされたのがキルスティ・プロトコルであるり、ゆえにケイジは動けなかった。

 だがケイジは彼なりに、このままではいけないとも思っていた。

 〈アクシヲン三世〉で人類未踏の地に旅立っていったフォセッタ中佐や、レイカ艦長の最後の願いは、けっして無下にして良いものではない。

 彼女らは太陽系の人類に対してできる最後の願いに、それを選んだのだ……他に何かなかったのか? と思わないでもないが……。

 それに、もしケイジに何か行動を起こすチャンスがあるとしたならば、今が最後の機会かもしれなかった。

 〈アクシヲン三世〉の旅立ちをサポートした結果、一度外宇宙方向へ加速したため、内太陽系人類圏に帰還するのに、当初の予定よりさらに時間を要することになり、その間、ケイジは〈じんりゅう〉クルーと親睦を深めることができた。


 大浴場をプール使用に改装して皆で泳いだり……。

 サティがデータベースを検索して発見した少女漫画の傑作に皆でドハマりした結果、艦内が少女漫画的空間になったり……。

 クルーの誕生日パーティをしたり……。

 レトロドラマや映画のマラソン視聴をしたり……。


 とても楽しかった……だがその時間も間もなく終わる。

 ようやく〈じんりゅう〉は、木星公転軌道内に入り、内太陽系人類圏に帰還を果たそうとしているのだ。

 これまで限定的にしかできなかった人類社会との交信も自由にできるようになる。

 そしてSSDFから、帰還した〈じんりゅう・テセウス・・・・〉をエスコートする為の航宙艦がやってくる予定であった。

 つまり、〈じんりゅう〉クルーと水入らずでいられる時間は、間もなく終わってしまうのだ。

 そして〈じんりゅう〉が母港である〈斗南〉に着けば、元々数奇な運命のイタズラで〈じんりゅう〉への乗艦が許されただけのケイジは下艦し、そして恐らくもう二度と〈じんりゅう〉に乗ることは無いだろう。

 少なくともオフィシャルには〈じんりゅう〉には乗る予定は無く、その見通しもない……。

 だからケイジにとって、残された時間は、同時に〈じんりゅう〉クルーと過ごせる最後の時間となるはずであった。

 何を行うにしても、後悔はしたくない。

 ケイジは意を決すると、メインブリッジへと足を踏み入れた。

 この日、この時間は全クルーがいるはずであった。

 ケイジが何をクルーに伝えるにせよ、一度に全クルーに何かを伝えるとしたら、これが最後のチャンスの可能性もあった。

 一体何を彼女達に伝えるべきなのか、まだ皆目分からないが、それでも今何かを伝えなければ、一生後悔するという焦燥感だけは湧き上がっていた。

 だからケイジは勇気を出してメイン・ブリッジへのハッチを潜った。

 彼女達の顔を見れば、何か浮かんでくるかもしれないという甘い期待を抱きながら……。

 がしかし――








「…………あ……あの! ……あ、あの……なにか?」


 ケイジはメインブリッジに入るなり、意を決して口を開こうとしたが、その前に中にいたクルー全員から、どう考えても恋に燃える熱い眼差しとは別の、不自然に鋭い視線が無言で集中するのに気づき、脂汗をかきながら尋ねた。


「…………ゴメンね、ケイジ君……ホントにゴメン」

「他に選択肢はありません、どうか受け入れて下さい」

「なるべく痛くないようにするからな!」

「やってみたら、結構似合うと思うなボクは……」

「大丈夫! ワタシャこういうの自信がありますから、泥船に乗ったつもりでお任せあれ!」

「…………楽しみなのです」

「これを機に変な道に進まないでねケイちゃん」

「俺ぁ前々から全然アリだと思ってたぞ!」

「フォムフォム……早くはじめよう……」


 困惑するケイジに、ユリノ艦長が口を開くと、残りのクルー達が好き勝手にコメントを続けたが、いったい何が何やら、ケイジには皆目分からなかった……分かるわけが無かった。

 ただ猛烈に嫌な予感はした。


『もう~皆さ~ん、そんな答えでケイジさんが分かるわけないじゃないですかぁ~』

「それは……そうなんだけど……ああ、でもなんて説明したら良いものやら……」


 ビュワーの一つに映っていたサティ(の人型の触腕)が見かねてそう窘めると、ユリノ艦長はうつむきながらそうゴニョゴニョと呟いた。

 どうやらケイジがハッチの前で思い悩んでいる間に、ブリッジ内では何かあったようだ。

 ここ最近の状況から察するに、再会された内太陽系人類圏SSDFとの通信で、新たに受け取った何かのメッセージが関係してるのだとは思うが、推理はそこまでが限界だった。

 が、疑問にはカオルコ少佐が答えてくれた。


「まぁアレだな、結論から言うとケイジよ、お前、これからしばらくの間、女になれ」

「? …………カオルコ少佐、今なんと?」


 カオルコ少佐の結局何の説明もなっていない言葉の中から、ケイジはもちろん不穏なワードの存在に気づいたが、自分の耳の不調の可能性を捨てきれずに訊き返した。


[デハ俺カラ説明シテヤロウ、オ前達ニ任セタラ時間ガイクラアッテモ足リソウニナイカラナ]


 結局、もっとも上手に説明してくれたのは、ブリッジ端に狛犬のごとくたたずむエクスプリカであった。

 最初から機械たる彼に尋ねるべきだった。

 ケイジはエクスプリカの最大限に端的ではあるが、それでもそこそこに長い説明を聞きながら、突如として新たな災いが我が身に降りかかったことを理解していくと同時に、自分が〈じんりゅう〉クルーの皆に、何か伝えようと強く決意していたことをスコンと忘れた。





 エクスプリカの説明によれば、ケイジに課せられた新たなプロトコルは以下である。

 内太陽系へと帰る〈じんりゅう・テセウス・・・・〉を、エスコートという名目で監視すべく、SSDFよりVS‐806〈ウィーウィルメック〉が二日後にやって来る。

 その際に男であるケイジ三曹の存在が、同艦のクルーに露見することがないように、同三曹をキルスティ・オテルマの記した『木星文書』内で〈じんりゅう〉に登場したことになっている臨時エンジニアの女子クルーに変装させて秘匿せよ……というものである。

 もちろんこの指令を送ってきたのはテューラ司令であった。



 事態をようやく把握したケイジが、真っ青になりながら他のクルーの方を向くと、何故か〈じんりゅう〉女子クルーの顔は、それぞれがどこか嬉しそうに見えた。

 ……絶好の獲物を見つけた獣的な意味で

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