外伝・マクガフィアン狂騒曲《ラプソディー》
1/3 Anybody find me
…………これは現実なのか夢なのか、これまでの人生と、その記憶が、時々ふと曖昧になる。
が、毎朝毎朝目覚める時の体の痛みで、これが夢でないことは分かった。
この痛みが蓄積されて、いつか死ぬんじゃないかと思うほどだ。
だから誰か……誰か……。
「ママ~!」
「う~ううううううううう~・・・・」
――〈マクガフィン歴49年【地球時間換算】〉――
うつ伏せで眠ていた背中の上に、ドスンとばかりに体重17キロ前後の生きた肉の塊が勢い良く覆いかぶさり、以下、耳鳴りがしそうな程かん高い声で……というか奇声で「ママッ!」「ママッ!」「◆▼〇〇×ァ~!!」と集団に耳元で呼びかけられると、彼女は一瞬で覚醒し、言葉にならないうめき声で返答した。
直後に、フォセッタは幾度めかもわからぬ朝が、またやってきたことに気づいた。
だが、意識は覚醒したものの、身体はまだ動かない。
何時間寝れたのか分からないが、肉体はまだ蓄積した疲労を訴え、再起動を拒んでいた。
不可思議な程に眠ったという記憶がほとんど無いまま、気が付いたらまた朝になっていた。
母親という肩書を持つようになってからおよそ5年、毎日がこうだった。
背中の肉の塊は、そんなフォセッタに構うこと開く、情け容赦なく彼女を揺さぶって彼女を起こそうとした。
髪の毛を引っ張らなくなっただけ、これでも優しくなった方だ。
フォセッタは揺さぶられながら目を開ける前に、トテトテトテという無数の足跡と、狂ったように「ママ! 朝だよ!」と、全員で眠ることにしている寝室内で、自分を呼び続ける10人分の声に耳を傾けた。
大丈夫だった、10人全員の声が聞こえる。
子供たちの安全は何よりも優先される。
すぐ熱を出す、転ぶ、鼻血を出す、ケンカする。
気の休まる時間などありゃしない。
だからフォセッタは、なによりもまず子供たちの声が、とりあえずは全員分聞こえることを確認し、安心したのだ。
だが同時に、声の中に半分泣きそうになっている声が複数混じっているのに気づき、背中に乗る子をおんぶするようにしながら、ムクリと起き上がった。
「……どうしたぁ?」
頭をかきながら、全員で眠ることにしている広い寝室の、自分の布団の周囲に寝ぼけ眼で尋ねた。
そう尋ねるなり、子供達の何人かが、彼女のお腹に抱き着いてきた。
「ママぁ……」
鳩尾にほぼ頭突きに近いものを食らい、フォセッタが何も声を発せないでいる最中、抱き着いた子の一人は、肩を震わせて泣き始めた。
「……怖い夢でも見たのか?」
ようやくフォセッタが訪ねると、その子はお腹に頭を押し付けたまま首を左右にふった。
「じゃおねしょか?」
腹に抱き着く子は頭を振った。
他の子たちも同様だった。
まぁ他の子ふくめて、同時にそうなることも無くはないが、今回は違うらしい。
「じゃ何がどうしたぁ?」
フォセッタは早速困り果てながら尋ねた。
周りを見れば、残る子たち全員も程度の差はあれ、どこかもじもじとしながら、悲しそうというか不安そうというか、切なそうな眼差しをフォセッタに向けていた。
「ふ~む……」
まだ5才なのだ、こういうことは珍しいことではなかった。
毎日毎日、何かしらの理由で一喜一憂してはフォセッタを振り回す。
その度にフォセッタは、理由を探っては対応してきた。
最初の頃は、子供達の生死にかかわる問題で、いつか自分は心臓マヒで死ぬんじゃないかというほど、何かある度に心配したものだったが、今はそのこと自体に慣れつつあった。
はてさて、今回は何事なのか? とフォセッタは思いながら、抱き着く子の頭を撫でつつ「大丈夫だから話してごらん」と再度尋ねた。
「……あのね……あのねママぁ……〈あくししょん〉……は……どうなった……の?」
フォセッタの問いに、その子は何度もしゃっくりを交えながらようやく答えた。
同時に周りも子たちもコクコクと頷いた。
――…………〈あくししょん〉? 〈あくししょん〉ってなんだっけ? …………ひょっとして……アクシ……――
フォセッタは瞬時にして、子供たちが朝っぱらから泣きながら抱き着いてきた理由に思いいたった。
原因は、間違いなく自分だった。
フォセッタは大慌てて子供たちに、心配ないぞと伝えようとして――――――そして目が覚めた。
――――――――――――――――――――――――――――――
瞼を開けると、うつ伏せになって全裸で寝る自分の、だらしなくベッドからはみ出た右腕が目に入った。
と同時に、大きく息を吸い込みながら自分が夢を見ていたことに気づく。
確か最初の子供達の夢だった気がする。
“気がする”というのは、目覚めた途端に夢の内容が思い出せなくなりつつあったからなのか、それとも、自分が意識している今の方が夢に思えたからなのか、自分でもよく分からなかった。
最近はいつもそうだった。
ひと一人が覚えているには、あまりにも多い記憶が、過去と現在、夢と現実との境界を曖昧にし始めたのかもしれない。
ただ今は、目覚めてもベッドの周囲には誰もいないことだけは紛れもなく現実であった…………サティに押し付けられた猫たちを除けばの話だが。
そうだった……とフォセッタは数秒黙考してようやく思い出した、あれから地球時間換算で二世紀近く経ったのだ……と。
フォセッタは上体を起こすと、けほんと小さく咳をこぼした。
フォセッタはシャワー・朝食・身支度を終えると、猫たちに餌をやり、最後に変装用サングラスをかけ家を出た。
ドアを潜るとほぼ同時に、上空から濁った爆音が連続して響いてきて、彼女は空を見上げた。
ドームを形成する六角形の網目模様の下、天候の落ち着いたマクガフィンⅤの青空をバックに、小さな白い煙がいくつか霧散していくのが見えた。
式典用打ち上げ花火の音だった。
[始まりましたね、フォセッタ]
迎えに来ていたスキッパーが、家の前の道路に止めたエレカのそばからそう告げた。
フォセッタはしばし間をあけてから「ああ」とだけ答えた。
彼は結局、今も骸骨みたいな頭のままだった。
これぞ! という見た目の顔が未だに思いつかないらしい。
フォセッタがエレカ(電気自動車)に乗ると、スキッパーは静かに車を発進させた。
『全マクガフィン市民の皆さま、ついにこの朝がやってまいりました!
ここ中央ドームシティ、メインスタジアムは今、イベント開始3時間前にも関わらず、大変な熱気に包まれております!』
エレカ内に響くマクガフィン・公共ラジオからアナウンサーが高らかに告げた。
――〈マクガフィン歴200年〉――
[フォセッタ、コンディションはいかがですか?]
スキッパーの問いに、フォセッタは後席の窓からぼんやりとドーム内の景色を眺めながら、「ああ」と生返事で答えた。
視界の中を、建設当初に比べてはるかに巨大化したドーム内の端から、緑の丘、森、住宅街が過ぎさり、中心市街が見えてきた。
前方に視線を移せば、ドームのセンターピラー(支柱)を兼ねた軌道エレベーターの柱が視界を縦に割り、その基部に、目的地のマクガフィンⅤ初の巨大スタジアムが見え始めた。
収容人数2万人規模の巨大多目的スタジアムは、ドーム内故に天井は無い開放型であり、マクガフィンⅤ市民を一堂に集める必要性が生じた時の為に、今から20年程前に建設されたらしい。
先ほどの式典用打ち上げ花火は、そこから発射されていた。
今、スタジアムにはマクガフィンⅤに生きる人々……つまり〈アクシヲン三世〉で連れてきた子供たちとその子孫の8割が集まって、この特別な日を祝っているのだという。
フォセッタはその事実をしみじみと受け止めようとしたが、まだ無理だった。
マクガフィンⅤの人口をここまで増やすことができたということは、結果だけを言えば喜ばしいことのはずだった。
だが、ここまでにあまりにも色々なことがあり過ぎた。
一人の人間が受け止めるには、あまりにも多くのことが……。
ドーム内の変貌した景色をぼんやりと見ながら、フォセッタの胸に去来したのは、今朝見た夢のことだった。
何故、今あの夢を自分は思い出したのだろう?
フォセッタは一人の人間が覚えているには、あまりにも長い思い出の中から、必死に記憶を手繰り寄せることにした。
――――――――――――――――――――――――――――――
――〈マクガフィン歴43年〉――
テラフォーミングの進行と、初期型ドーム施設の建設の目途がついたことにより、マクガフィンVへの入植の目途が着くと、〈アクシヲン三世〉で運ばれてきた受精卵と胎児から、最初の10名の赤ん坊を世に生み出すことが、準【ANESYS】であるキャピタンにより決められた。
フォセッタは乗り気ではなかったが、いずれは行う宿命なのだとスキッパーとキャピタンに説き伏せられた。
――――――――――――――――――――――――――――――
――〈マクガフィン歴44年〉――
〈アクシヲン三世〉内の人工子宮から最初の10名の赤ん坊が生まれ、そのうちの一人を恐る恐る抱き上げた瞬間、フォセッタは自分でも思ってもみなかったほどの母性本能の発露を感じ、精一杯の愛情を注ぎ、この子らを育てることを瞬間的に決意した。
だがそれは、嵐のような育児の日々の始まるであると同時に、フォセッタの心労の限界を猛烈な勢いで更新し続ける日々のはじまりでもあった。
元からたった一人の人間(ただし耐宙人)と、|キャピタンとスキッパーを始めとしたヒューボット達と
キャピタンとスキッパーとサティという存在が無ければ、フォセッタは早々に諦めていたことだろう。
キャピタンが〈アクシヲン三世〉内での子育ての施設類を用意・制御し、さらにスキッパーは己の分身たるヒューボットを多数投入して、医学的、生物学的に、赤ん坊の成長と安全を確保してくれた。
〈アクシヲン三世〉内の施設と、スキッパーの用立てた24時間態勢の子育て用ヒューボット軍団のサポートがなければ、赤ん坊たちは事件事故病気の類で、物心つく間もなくこの世を去っていたかもしれない。
10名程度であれば、準【ANESYS】であるキャピタンの制御により、〈アクシヲン三世〉内の設備で、赤ん坊たちへの充分以上の医療サポートが可能であった。
サティの方は赤ん坊の遊び相手というか遊具というか、不定形クッション的な面で、快く赤ん坊たちの面倒を見てくれた。
彼女の朗らかな性格は、何年たっても変わることがなく、フォセッタはそれに大いに救われた。
また彼女が、人間たるフォセッタでも、機械たるスキッパーとも違う観点からモノを見てくれたことが、大いに役立つこともあった。
意外なことに、〈アクシヲン三世〉のメンツの中で、サティがもっとも人間社会での常識に詳しいことも、大いに助けられた。
フォセッタがその出自から、いわゆる人間としての常識に疎かったという事情もある。
フォセッタの役割は、それ以外の全てであった。
彼女の役割は多義にわたるが、最優先任務は、まず彼らのそばにいることであった。
赤ん坊たちが、フォセッタのことをすぐに母親だと認識したからだ。
他に人間がいないのだから当然であった。
フォセッタは己に課せられた仕事にベストを尽くした。
が、彼女の育て方は、当初あまりにも機械的過ぎ、サティにもスキッパーにも苦言を呈される程であった。
グォイドとの戦いに勝つ為に生み出された彼女は、ある意味では生まれてきた赤ん坊に匹敵するレベルで子供であったのだ。
……それでも、彼女は生まれた赤ん坊を初めて抱き上げた瞬間から、生まれて初めて覚える感情に戸惑いつつも、必死に子供たちを導こうと奮闘した。
何か失敗する度に、何度も母親業の辞職を考えたが、それは許されなかった。
フォセッタと〈アクシヲン三世〉で運ばれてきた全てのものの目標は、太陽系人類文明を、このマクガフィンⅤで再興させる事なのだ。
少なくとも最初の10名の子供達が10才になる前に、新たな赤ん坊を誕生させることが決まっていた。
たった10名の人間を育てただけでは、人類をこの星で文明と共に繁栄させることなど不可能だからだ。
最初の赤ん坊10名は、まだほんの始まりでしかない。
〈アクシヲン三世〉で運んできた全ての受精卵と胎児から、適宜新たな子供が生み出され、ゆくゆくはマクガフィンVで生まれた子供達同士で新たな子供が生まれる状況を作らねばならない。
だからフォセッタは自分の母親としての至らなさに、子供達に内心大いに申し訳なく思いながらも、逃げることなど許されず、ただひたすら必死に毎日を送った。
様々なトラブルが毎日のように巻き起こった。
とりあえずフォセッタが真っ先に行ったことは、長かったピンク色の髪を、ベリーショートにまでカットすることだった。
10名の赤ん坊に引っ張られ、とても痛かったからだ。
最初の2年程は、発生する問題の多くは医学的なものであり、スキッパーによる24時間態勢のヒューボットの大量投入と〈アクシヲン三世〉の施設により、幸いにも乗り切ることができた。
医者ではないフォセッタは、赤ん坊が熱を出したり嘔吐する度に大騒ぎするのが仕事であった。
もしくは泣きわめく10名の赤ん坊を、次々とローテーションで抱きかかえることだった。
それ以外では育児使用のヒューボットと同程度にしか役に立たなかった。
だがヒューボットや〈アクシヲン三世〉のテクノロジーだけでは解決できない問題が、赤ん坊達の成長と共に訪れた。
“教育”という問題だ。
――――――――――――――――――――――――――――――
エレカが目的地のスタジアムに近づくにしたがって、窓の彼方に人々の姿が見え始め、その数は急速に増していった。
フォセッタはその中に、幼子の手をとって歩く親子の姿を見ると、思わず目で追った。
あの子は、誰と誰との子孫なのだろうか……フォセッタは良く観察さえすれば、通りすぎていく人々その一人一人が、自分の育てた子供達の誰の孫なのかひ孫なのか、なんとなく分かりそうな気がした。
中心街をスタジアムに徒歩で向かう老若男女の人々は、みな笑顔を浮かべ、これから始まるイベントに心を弾ませていた。
子供たちは綿あめやアイスクリームの他に、まるっこい〈じんりゅう〉や〈びゃくりゅう〉を模した風船をもって駆け回り、ソフティ・スーツを模したコスプレ姿のティーンエイジャーも見かける。
スタジアムの上空には、ミニチュア版……といっても全長80mはありそうな〈アクシヲン三世〉のアドバルーンが浮かび、そこからマクガフィンⅤ『開拓200周年記念祭』と書かれた垂れ幕が下がっていた。
今日はお祭りの日なのだ。
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