▼第三章 『ダーク・タワー』 ♯2
「エクスプリカ……お前ブリッジにいなくても良いのか?」
[少シナラバ問題ナイ。基本〈じんりゅう〉艦内デアレバ、ドコニイヨウト俺ハ機能ヲ果タセル]
ケイジの問いに、エクスプリカは再び頭部の単眼カメラをオリジナルUVDに向けながら答えた。
確かにエクスプリカは頭脳労働が主任務なので、理屈から言えば〈じんりゅう〉のどこにいようと、艦内ネットワークに接続さえできるならば、その機能発揮に支障は無いはずであった。
艦のコンピュータ・プログラムでも代用はできるし、なにしろ初代〈じんりゅう〉以外のVS艦では、エクスプリカのようなインターフェイス・ボットは使われなかったくらいなのだから。
『ええ~! そうだったんですかぁ? じゃなんで普段はブリッジにいるんですぅ?』
[ソレハ……]
サティの躊躇というものが無い質問に、しばしの間、エクスプリカはまるで悩んでいるかのように極めて機械らしく無く沈黙した後に答えた。
[ソレハ…………ソレハ俺ガイナイトゆりの達ガ不安ガルカラダ!]
『へーそうなんですか』
サティは即納得した。
が、それほどまでにすんなり納得されると、逆に興味が無いというふうにも聞えた。
[ホ……本当ダゾ! 〈じんりゅう〉ガ作ラレル前カラ、連中ハ俺ガイナイト心細クテ仕方無カッタンダカラ!]
サティのリアクションに、エクスプリカは己の有用性を懸念された気がしたのが、耳部分のレドームをピコピコさせながら力説した。
[俺ガ〈びゃくりゅう〉デ使われハジメタ頃ハダナ、れいかモゆりのモマダ全然頼リナクテダ、俺ガイナキャスグニ泣キゴトバッカ――…………]
『ちょっとまってください、〈びゃくりゅう〉って……〈じんりゅう〉の前にユリノ艦長が乗ってた船のですか!?』
[ソウダガ……]
『まぁそのあたりってアニメのフィクションだと思ってました! 〈びゃくりゅう〉ってホントにあったお船なんですね!?』
[…………ウン]
『そのあたりはあまりアニメ化してないんで、ワタクシ興味があります!』
[……ソウカ]
ずずいと詰め寄るサティの触腕に、エクスプリカが軽くたじろいでいるようにケイジには見えた。
「〈びゃくりゅう〉…………〈びゃくりゅう〉かぁ……あの艦の機関部員は大変だったろうなぁ……」
ケイジはケイジで、エクスプリカの発した〈びゃくりゅう〉という単語を聞いた途端に、何か猛烈な郷愁めいた感覚を覚えていた。
一応VS艦隊ファンであり、航宙艦マニアたるケイジは、当然〈びゃくりゅう〉のことも知っていた。
印象だけで言えば〈じんりゅう〉より大きくて旧式な艦だ。
ヒューボもまだ充分に揃っていない時代であり、その巨体の整備を担うクルーの苦労が忍ばれた。
だがあくまでケイジは知識として知っていただけであり、〈びゃくりゅう〉という艦が己の人生の中で登場したことなど一度も無いはずであった。
それなのに何故〈びゃくりゅう〉という声を聞いた途端、猛烈に懐かしく感じたのか、ケイジには皆目分からなかった。
が、その感覚はとても儚いものだったので、ケイジはそれ以上〈びゃくりゅう〉について考えはしなかった。
「――で、そのお前がなんだって主機関室にわざわざ来てるんだ? どこにいても一緒ならここに来る必要もないだろうに……」
ケイジは無駄話に反れそうな気配を感じ、まず訊きたいことを尋ねた。
[アア……ソウダッタナ……エ~ト……話セバ長クナル……けいじヨ、オ前ハ【ケレス沖会戦】デおりじなるUVDニ起キタ現象ニツイテ知ッテイルカ?]
ケイジは首を横に振った。
「オリジナルUVDに起きた現象だってぇ?」
初耳だった。
ケイジはケレス沖会戦時の記憶を取り戻しはしたが、実際の〈じんりゅう〉とグォイドがケレス沖で戦闘している最中には、〈じんりゅう〉艦内には(宇宙を漂流していた為)いなかったので知りようが無かったし、記憶が戻ってからも知る機会は無かった……それどころではなかった。
[マ、無理モナイ話ダ。タカガ三曹ニ知ラサエルニハ機密れべるノ高イ内容ダカラナ。ダガ臨時トハイエ今ハ〈じんりゅう〉機関長デアルオ前ハ、知ッテクベキダロウ]
『もったいぶらずに教えて下さい~』
[…………]
好奇心旺盛なサティに、エクスプリカはよく分からない立場である彼女の前で話すことを躊躇ったのか、一瞬沈黙した。
が、腹をくくったようだった。
[ヴ~ム……デハ話ソウ……シカシ事ハ〈じんりゅう〉ト人類ノ命運ニ関ワル可能性ガアル事ダト覚悟シテ欲シイ]
「良いから早く話せってば」
ケイジも無闇にもったいぶるエクスプリカに痺れを切らして言った。
[分カッタッテバ…………。ゴホン、【ケレス沖会戦】デノ戦闘ノ最モ激シカッタ時刻、けいじニヨッテ換装サレタ〈じんりゅう〉ノおりじなるUVD表面ノ紋様ニ、謎ノ発光現象ガ起キタノダ]
「ん? 発光現象だって?」
[アア、タダノ発光現象デハナイ。点滅シ、シカモソノ点滅ぱたーんガ素数トナッテイル]
ケイジはエクスプリカの言っている意味を理解するのに、しばしの時間を必要とした。
オリジナルUVDは、人類が
人類はこれを他のグォイドの残骸と合わせてリバース・エンジニアリングすることで、その原理は解明できないまでも使用方法を解明し、模造量産することに成功していた。
だが、オリジナルUVDが一体なんなのかという謎は、今もまだ解明されておらず、その謎は先の木星深深度での闘いで得た情報から、ますますもって深まっていた。
どうやらオリジナルUVDは、グォイドが宇宙に誕生するはるか前から、グォイドとは関係無しに存在していたのかもしれない。
グォイドは人類がそうしたように、グォイドの先祖と言える存在がオリジナルUVDを発見・分析・模倣し、宇宙の旅をするようになった存在なのかもしれないことが、木星で発見された新たなオリジナルUVDと、数々の状況証拠から示唆されていた。
エクスプリカはこれらの情報に加え、〈じんりゅう〉搭載オリジナルUVDが起こした新たな発光現象から、この存在の謎を解こうと試みていたのであった。
「ちょっとまて、それがまた光っただって? グォイド・スフィア弾をぶっ壊した時に?」
[ソレダケジャナイ、オ前ガ〈ゆぴてぃ・だいばー〉デ〈じんりゅう〉ニ乗リ着ケタ時モダ]
「あの時の【ANESYS】中にも?」
『それって、ワタクシがグォイドに撃たれて格納庫で延びちゃった時のことですかぁ?』
[ソウダ]
エクスプリカのはケイジとサティにまとめて答えた。
先の木星深深度に構築された
の発射を阻止すべく、グォイド・スフィア弾に戦いを挑んだ時の話であった。
【ANESYS】を起動させ〈ユピティ・ダイバー〉から新たなUVシールド・コンバーターとシュラウドリング状大型ノズルコーンを受け取った〈じんりゅう〉は、グォイド・スフィア弾に強攻着陸し、発射した主砲UVキャノンを
その最中にも、オリジナルUVDの鏡面状の表面にある螺旋状の紋様が、素数パターンで輝いたのだという。
その時ケイジもまた、〈じんりゅう〉艦尾上部格納庫に着艦した昇電のコックピットで気絶していた為、ことの成行きは伝聞でしか知らなかった。
そして
「それで……その光った理由は分かったのか?」
[イヤ全然]
エクスプリカは首を横に振った。
[ダガ、発光パターンが、連続して2回、3回、5回、以下7,11,13,17,19,23,29,31,37,41,43,47……]
「分かったってば! エクスプリカ」
[……ト素数ニナッテイルコトカラ、タンナル偶然ノ産物デハナイト思ワレル。ソレハツマリ、人間ノ諸君ニハ受ケ入レ難イ事実カモシレンガ、おりじなるUVDニハ動力源以外ノ機能ガアリ、明確ナ意図ヲ持ッテ我々ニ何カ伝エヨウトシテイル可能性ガアル]
『何か伝えたいって、何を伝えたいのか分からないんですか?』
[全然ワカラン]
エクスプリカは投げやりにサティに答えた。
[俺ヤSSDFノ研究班ハ、ココ半年、コノおりじなるUVD発光現象ノ謎ヲ解明シヨウト試ミテハキタノダガナ……、
…………ダガ発光現象ガ起キタ時ノ状況カラミテ、ソレハ【ANESYS】ノ、ソレモ統合率ガ極メテ濃密ナ時ノ【ANESYS】ガとりがートナッテ起キテイルト思ワレル]
『ユリノ艦長達の【ANESYS】がですかぁ?』
[ソウダ……ソウダト言ウヨリ、他ニ共通項ト例ガ無イカラナ]
「…………」
ケイジはエクスプリカの話に、しばし何も言葉が出てこなかった。
知らない間に重大な出来事が、自分が一応の責任者である主機関室で起きていたのだから。
だが、エクスプリカが言う通り、常識的にはたかが三等宙曹に知らせられるような内容では無かった。
そして木星の底に太陽系創世記からオリジナルUVDと
『でも……仮説とかは何かないんですか? どんなに可能性が低くても、仮説くらい立ててはいないんですかぁ?』
[無イ……事モ無イ]
『お勧めを聞かせて下さい!』
沈黙するケイジを余所に、この謎に食い付いたサティが訊くと、エクスプリカはその質問を待っていたかのように答えた。
[簡単ニ言エバ、おりじなるUVDハ、ドコカノぐぉいど以外ノ、ぐぉいどヨリモ遥カ以前ニ存在シタ知的生命体ガ作リ出シタ一種ノでーたかぷせるデアルトイウ説ダ。
例えば〈のあノ箱舟〉ノでーた版ノヨウナダ]
ケイジはエクスプリカの言うその説について、多少の心当たりがあった。
そもそも割と有名な仮説でもあった。
ケレス沖会戦で、木星から今までの〈じんりゅう〉で、オリジナルUVDに実際に触れ、動かしてきた身からすれば、当然の考えでもあった。
――オリジナルUVDには“UVD”以外の機能が隠されている……――。
それがいわゆるコンピュータやメモリ・デヴァイス的な機能だとして、何も目的としたものだというのかはサッパリであったが、ケイジはエクスプリカの言う説を耳にしても、そこまで意外には思わなかった。
オリジナルUVDの正体については様々な仮説がり、ケイジも耳にしたことがある。
中には、オリジナルUVDが絶対に破壊不可能なのは、オリジナルUVDがオリジナルUVDの形をした
だがそこから先のエクスプリカの仮説は初耳であった。
[ソシテ〈じんりゅう〉ノ【ANESYS】ニ反応シテ発光シタノハ、【ANESYS】ノ統合思考体あヴぃてぃらヲ、おりじなるUVD内ノAI、モシクハソレヲ生ミ出シタ存在ガ、こみゅにけーしょん可能ナ相手ダト判断シタカラダ……トイウ説ガアル]
「え~とそれはつまり、人間個人個人では頭がトロ過ぎて、話しかけるに値するような相手だと認識されなかったけれど、【ANESYS】中の統合思考体ならば、自分らと同等の知性があると思われた…………ってことか?」
[ソノ理解デ合ッテイルゾけいじ、タダシ、アクマデ仮説ダガナ。筋ハ透ってイテモ証拠ハ無イ]
『じゃ素数の発光信号はただの挨拶だったってことですかぁ?』
[仮説デハ、ソウイウコトニナル]
ケイジとサティにエクスプリカはそれぞれ答えた。
割と失礼な話だとケイジは思ったが、確かに筋は通っていた。
人類はグォイドとも未だにコミュニケーションをとることができていない。
だが、かといって人類はグォイドに知性が無いとは思ってはいなかった。
知性無くして、恒星間航行の果てに太陽系に辿り着き、人類との戦の最中にグォイド艦を進化させ、ケレス沖や木星での目論みを実行することなど不可能だからだ。
コミュニケーションは、知性があるからといって必ず成立するわけでは無い。
それは、オリジナルUVDが人類に対し、コミュニケーションをとれる対象とみなさないことの理由なのかもしれないと、そうケイジは漠然と思った。
『……ってことは、オリジナルUVDには意思があるということなんですか? ワタクシが夢で話した木星の底の巨大リング状物体のAIさんみたいに』
[アクマデ仮説ノ一ツダガナ、可能性ハ充分ニアルト思ウ。木星ノりんぐノ異性AIノ存在モ、ソノ論拠ノ一ツダ]
『わお!』
サティは質問へのエクスプリカの答えに、触腕を震わせた。
『オリジナルUVDは……オリジナルUVD
[エエ……、マ~……ウン]
エクスプリカはサティに軽く気押されながら頷いた。
「でもさエクスプリカよ、それと〈じんりゅう〉が土星圏に行くことと、お前さんが主機関室にいることにどんな関係があるってんだ?」
[アアソレハダナ…………]
エクスプリカはしばし間をおいてから答え始めた。
[けいじモさてぃモ、今〈じんりゅう〉ガ太陽系デモットモ危険ナ場所ニ踏ミコモウトシテイル事ハ理解シテイルダロウ?]
ケイジとサティが頷くのを確認し、エクスプリカは続けた。
[万ガ一、ぐぉいど共ニ〈じんりゅう〉ガ発見サレテシマッタラ、我々ガ助カル可能性ハ、限リ無クぜろニ近イ。
ソンナ中デ、モシ〈じんりゅう〉ガぐぉいどニ見付カッテモ助カル可能性ガアルトシタラ……ソノ鍵ハキット、ゆりの達ノ【ANESYS】ト、コノおりじなるUVDガ握ッテイルト考エタノダ。
おりじなるUVDヲ、我々ハマダ欠片程シカ理解デキテイナイガ、ソレハ同時ニ未知ノ可能性ヲモ秘メテイルトモイエルカラナ]
『つまりエクスプリカさんは、このオリジナルUVDに“願掛け”に来たのですか?』
[エ~ト…………俺ニ人間ノヨウナげんヲ担イダリ、何カニ祈ルトイウ概念ハ無イノダガ…………マ|~大体ソノ理解デアッテル……ソレデ無事ニ帰レルナラ安イモノダカラナ]
サティの率直な質問に、エクスプリカはどこか恥ずかしそうに身体をモジモジさせながら答えると、ケイジとサティから顔を反らし、再びオリジナルUVDへと視線を向けた。
土星圏最接近を控え、ユリノ艦長はそれまで二名四斑三交代制だったブリッジ勤務のシフトを、三名三斑三交代制にした。
ブリッジにいるメンツを一人でも多くし、緊急事態への対処能力を上げた上で、〈じんりゅう〉が安全圏に出るまでの間、クルーが疲労困憊になることがないよう休養時間を組み入れた結果であった。
しかし、ケイジはこのシフトには基本的に組み入れられてはいなかった。
その理由についてはケイジの知るところでは無かったが、それでもケイジは何時でも緊急事態に対処できるよう覚悟した上で、サヲリ副長の考えたシフトに従っていた。
その日、ケイジは主機関室の保守点検を何事も無く負えると、〈じんりゅう〉厨房にてその日の夕食とデザート(『サティの謀反事件』の刑罰)を自ら調理した。
クルーらのお気に召すデザートをつくるのが、ケイジにとって一日の全仕事の中で最も難易度の高い仕事であった。
そうして出来あがった夕食をシフト交代するクルーらと共に摂り、待機時間という名目の自由時間を、ケイジは艦内ジムで軽くトレーニングをして過ごし、シャワーを浴びると自室にて就寝につこうとした。
ちなみに基本的に眠る必要が無いサティは、艦内時間の深夜は、中央格納庫で過去のアニメや映画の映像作品を観賞しまくって過ごしているらしい。
こうして、何のイレギュラーも発生しなかった平穏な一日が終わるはずだった。
――がしかし、
艦内時間の深夜0200、ケイジは不可思議な予兆を感じたかと思うと、次に瞬間鳴り響いた緊急警報にベッドからはね起きた。
『全クルーは直ちにバトルブリッジに集合せよ! 繰り返す……』
サヲリ副長の声と共に響く、アラートは緊急警報でも戦闘状態になったことを示す符丁のモノでは無かった。
つまり今すぐ〈じんりゅう〉が攻撃され、反撃する間も無く沈むというわけでは無いらしい。
ケイジはその事実に、瞬時に跳ね上がった心拍数を押さえようと、胸を押さえて深呼吸を何度か繰り返すと、自分用の
続々と集まるクルーに続きケイジがバトル・ブリッジに駆け込み、機関コントロール席へと着くと、シフトに当たっていたサヲリ副長はじめ、室内にいたクルーらは皆、メインビュワーに映る土星を声も無く凝視していた。
「じょうひょうひょうこく! なひにょこなの!?」
最後に艦長帽を咥えたユリノ艦長が、艦長用コートに袖を通しながら大慌てて駆けこんできた。
髪の毛がまだ塗れていたところを見ると、シャワー中だったのかもしれない。
ケイジはユリノ艦長と一瞬目が合うと、慌てて顔を反らした。
「艦長、今から約五分前、光学観測が土星の表層、赤道よりやや南の位置に人工物を発見しました」
「人工物? グォイド製のぉ?」
艦長席に上がりながら尋ねるユリノ艦長にサヲリ副長が答えると、艦長は思わず訊き返した。
同時に、メインビュワーのやや左方に投影されていた土星が拡大される。
左手に土星を見ながらフライバイを試みる〈じんりゅう〉からは、ちょうど左後方から射す太陽光により右側が黒く影となり、土星は猫目型となった月のように見えた。
拡大されたのは、その黒く影となった画面右側の土星の夜の面の地平線、やや左に傾く土星リングの下方であった。
画面は拡大され、完全に夜の面の領域を映すのに合わせ、緑がかったモノクロの暗視映像へと切り替わった。
「ここなのです……」
バトルブリッジ直下の電算室より、座席ごと上昇してきたおシズ大尉が、無人艦指揮席につくなり、画面の一部を矢印カーソルで指し示しながら告げた。
「あれ? あの黒い…………トゲみたいなの?」
「そうです艦長。五分前より地平線の彼方から突然現れました」
ユリノ艦長の問いに副長が答えるのを聞きながら、ケイジも画面に目を凝らし、彼女のいうトゲを発見した。
暗視画像補正によって背景である宇宙空間の星野のほうが明るくなり、そのトゲが黒い二等辺三角の逆光となって、土星の右側、赤道よりやや下方の地平線から生えているのが見えた。
確かにそれはユリノ艦長がトゲみたいなのと呼ぶのも頷けるほど、小さく映っていた。
だがケイジはすぐに思いなおした。
土星は直径がたしか約12万キロもある。
その地平線に、目で見て認識できる程のトゲがあった場合、それはいったいどれくらいのサイズなのだろうか? と。
「ねぇ、これってひょっとして……めっちゃ大きくない?」
「その通りなのです艦長、まだ大半が地平線の彼方に隠れている為、全体像とサイズは不明ですが、見える部分だけで少なくとも500キロはあるのです。
見える角度から逆算すると、優に1万キロは超える可能性があるのです」
呆れたように尋ねるユリノ艦長に、画面一杯にトゲを拡大しつつおシズ大尉が説明した。
「土星版軌道エレベーターの類いか?」
「少佐、その可能性は皆無ではないですが、リングがある土星では、その可能性はかなり低いと思われるのです」
カオルコ少佐がユリノ艦長に「ほれ」とばかりにタオルを渡してあげながら述べた仮説を、即おシズ大尉は否定した。
確かに惑星上にそびえる塔と言えば、地球にもある軌道エレベーターを連想するが、軌道エレベーターは基本的に、赤道の真上から、最低でも静止衛星軌道までの長さを必要とする。
土星の場合、多数の衛星と、赤道上にあるリングという障害物が地上から静止衛星軌道まで存在する為、軌道エレベーターの建設はまず不可能なのだ。
「サヲリ、おシズちゃん、それじゃこれの正体は分かってるの?」
「いえ、まだそこまで分析が進んでいません。発見してからまだ間も無いですから、それにパッシブな観測手段では、得られる情報も限られています……しかし」
艦長の問いに答えながら、サヲリ副長が画面に映るトゲに、幾つもの画像分析フィルターを掛けていくと、その巨大なトゲが無数の骨組みからなるトラス構造であり、その骨一本一本にケイジはよく見慣れた特徴を発見した。
「画像補正である程度ディティールは判明しています。その特徴はグォイドのそれと一致しています」
サヲリ副長が言う通り、ケイジにもトゲを構成している骨が、グォイド艦の生物の頭骨を引き伸ばしたような特徴とよく似ているようにに見えた。
「…………つまり、これが例の木星の底の【ザ・トーラス】やオリジナルUVDを作った太陽系の
タオルで髪を吹きながら、ユリノ艦長はやや安堵しながらそう確認した。
確かにここ土星圏にある自然ではあり得ないものは、グォイド製でないのであれば、例のオリジナルUVDや木星を惑星間レールガンにした存在絡みと考えるべきだが、今回は違ったようだ。
それはある意味、クルー達にとっては幸いであった。
人類どころか太陽系創生に関わる存在のことになど、あまり関わりたくない。
「問題はこいつの目的ね、軌道エレベーターでも無いなら何の為の装置なのか分からないとこの先の判断のしようがないわ。とりあえず差し迫ってこいつが〈じんりゅう〉に危害を加える可能性は?」
「今のところその兆候は無いのです。かりにこのトゲ……というより塔が、何かしらの“砲”の類いであったとしても、塔の先端は〈じんりゅう〉の進路のはるか上方を向いているので、問題無いと考えるのです……今のところはですが」
艦長におシズ大尉は慎重に答えた。
「ユリノ艦長、この【黒い塔】の目的はまだ分かりませんが、分かったこともありますデスよ」
副長と同じ斑として、【黒い塔】発見の場におシズ大尉と共にブリッジにいたルジーナ中尉が口を開いた。
「なにルジーナ?」
「この塔、動いてますデス……土星の表面上を……」
ルジーナ中尉の言葉の意味を、クルーらは一瞬よく理解できなかった。
が、ビュワー画面に映る黒い塔が再びズームアウトし、簡素なCGで描かれた土星にじわりと変化すると、そのまま土星が縦に90度倒れ、北極点をクルーらに向けると、その映像を見た瞬間、ケイジ達はルジーナ中尉の言葉の意味が分かった。
土星はもちろん太陽系の各惑星は、基本的に北極点から見て反時計回りに自転している。
もしも【黒い塔】が土星の自転に合わせて地平線の影から姿を現すとしたなら、〈じんりゅう〉から見て右側では無く、左側から現れねばならないはずなのだ。
にもかかわらず、【黒い塔】は土星の右側(東側)地平線より徐々に姿を現そうとしているのは、この高さ1万キロ以上はあるという【黒い塔】が、土星のガス大気の表面を、自転に逆らって移動しているからとしか考えようが無かった。
「…………………………はぁ」
ケイジはユリノ艦長の微かな、だが心からの溜息が聞こえた気がした。
そんな大それたことをしてまでグォイドが成し遂げたいことは、それは何であれ、きっととてつもなくロクでもないことであろうと、そう確信できてしまったからに違い無かった。
[マ……コンナデッカイモンガ土星ノ表層ニアッテ、今マデ観測サレナカッタッテコトハ、内太陽系カラハ観測デキナイ、土星ノ夜ノ面ニ居座る能力ガアルッテコトダカラナ……]
エクスプリカが気休めなのかフォローなのか良く分からないことを言った。
――その日その時、ユリノ艦長は土星表層で発見したトゲ……【ダーク・タワー】に対し、より一層の集中観測を命じた。
少しでも多くの【ダーク・タワー】のデータを集め、持ち返るべきだと判断したからだ。
彼女の立場ならば、誰だってそうするだろうと思える判断であったし、それ以外を選択するにたる情報など与えられていなかった。
しかし、後に起きた惨劇を避ける最後の分岐があったとしたら、それはこの時であったかもしれない。
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