▼第三章  『眼下の脅威、頭上の脅威』

♯1

 クィンティルラ大尉が「ぷはぁ~」とばかりに、まるで数年ぶりのシャワーであったかのような吐息をもらしつつ、〈ヘファイストス〉内にあてがわれた二人部屋備え付けのシャワールームから出て来ると、二段ベッドの下段に腰を下ろした。


「お前さんは浴びんでもいいのか?」


 そうタオルで髪を拭きながら尋ねるクィンティルラ大尉に、備え付けのコンピュータ端末付きデスクで作業を続けていたキルスティは、「もちろん浴びます……けど、まだいいです」と答えた。

 その作業は二人でこの個室に入った直後から続いている。


「……そうか」


 ただそう返すだけのクィンティルラ大尉の声を聞いてから、キルスティは彼女なりの思いやりを無碍にしてしまったかも……と少し気が咎めたが、今行っている作業を止めることはできなかった。

 木星深々度ガス雲からの脱出に成功して半日が経過し、キルスティやノォバ・チーフ、テューラ司令……そしてケイジ三曹とは異なり、パイロットなるクィンティルラ大尉自身には、作戦報告を終えてしまった今、できることはない。

 強いてあるとするならば、それは次の発艦に備えて疲労から回復し、万全のコンディションを取り戻すことだ。

 だがこの状況下で、自分だけ安全な場所で休息をとるなど、理屈では分かっていても心では受け入れ難いことだろう。

 ひょっとしたら、今彼女はそんな自分を恨めしく思っているのかもしれない。

 少なくとも自分ならそう感じるはずだ。

 キルスティは、心の片隅でそんなことを考えながらも、だからといって彼女に自分ができることなど何も思い浮かばず、今自分が行っている作業に思考を戻す他無かった。

 ホロ会議室でのブリーフィングを終え、ノォバ・チーフ、テューラ司令、そしてケイジ三曹

はそれぞれの作業へと向かってしまった。

 実はキルスティが今、個室備え付けのコンピュータ端末で行っている作業も、必ずしもせねばならない作業では無い。

 ただ、〈じんりゅう〉救出の為、次の発艦が決定されているクィンティルラ大尉と異なり、とりあえず再び木星に潜る予定の無い自分が、促されるがままに唯々諾々とベッドに転がって休息をとることが出来なかっただけだ。

 キルスティには、この状況に対し責任があった。

 【ANESYS】の統合を維持出来なかった責任。

 クィンティルラ大尉の助けで自分だけ〈じんりゅう〉から脱出してしまった責任。

 そして、【ANESYS】統合時の確信に近い感覚的な理由で、あの技術三等宙曹を連れ出して来てしまったことだ。

 恐ろしいことに、ケイジ三曹が〈じんりゅう〉に必要だというあの時の確信は、時間経過と共に着実に薄れていってしまっていた。

 【ANESYS】統合時の記憶とはそういうものなのだから、それを責める者はいなかったが、だからといってこれは間違いでした……などとは今さら言えやしない。

 だが、わざわざ〈ワンダービート〉から拉致同然に彼を連れてきたことが無駄に終われば、〈じんりゅう〉救出計画もまた危うくなる……。

 一番困った事は、キルスティのケイジ三曹に対する確信が薄れゆく一方なのに反し、実際に連れてこられた彼が、意外に優秀であったということだ。

 ホロ会議室で行われたブリーフィングにおいて、キルスティはケイジ三曹の”優秀”……というよりも”特異”といった方が良いような能力の一旦を垣間見たような気がした。

 彼は突然連れて来られたあげく、三等宙曹という最も下位な立場でありながら、今木星で起きている異常を速やかに理解し、そこそこ的確と言える意見を述べ、それはVS艦隊の今後の行動の指針として、ある程度採用された。

 正直なところを言えば。キルスティはそれが気にくわなかった。

 一人のVS艦隊のクルーとして、一番下っ端の男子に助けられるなどという状況が、プライドを傷つける半歩手前だったと言えるかもしれない。

 とはいえ、ケイジ三曹のその曰く言い難い能力が、【ANESYS】時に自分が感じた、彼が〈じんりゅう〉に必要だと感じた理由ならば、それを調べないわけにはいかなかった。


「さっきから何をやってるんだ?」

「ああ……いえこれは……、クィンティルラ大尉! なんて格好でストレッチしてるんですか! いい加減に服を着て下さい!」


 背後から端末の画面を覗きこまれ振り返ったキルスティは、クィンティルラ大尉が未だに素っ裸であることに驚いた。


「ここはもう〈じんりゅう〉じゃないんですから、そんな格好で部屋から出でうろつかないで下さいよ」

「バカ言え、俺だってそこまでハレンチじゃないやい!」


 クィンティルラ大尉はさも心外とばかりに言い返したが、キルスティはまったく説得力を感じなかった。

 一応ここは〈ヘファイストス〉女子専用区画内の迎賓用空き室ではあるが、そもそも女子クルーの少ない同艦では女子区画も狭く、通路に一歩でれば、いつ男子クルーに出くわすか分かったものでは無い。

 ただでさえ乗艦していることが一般クルーには秘密なのに、これ以上の混乱は願い下げであった。


「それにしても……」


 キルスティはクィンティルラ大尉の裸身を、つま先から頭頂部までまじまじと見つめてから呟いた。


「な……なんだよぉ」

「シャワー直後だと、いつものライオンみたいな髪がスッキリして綺麗なんですね」


 キルスティは、普段の獅子のごときやたらボリュームのあるロングヘアが、嘘のように真っ直ぐになっているのを指して言った。


「……どうせならその髪の毛でケイジ三曹の前に出れば良いのに……」

「ば……ばばばば、バカやろう! 何を言ってやはるんだい! 上官をからかうんじゃないぞこんチクショーめいっ!」


 キルスティの言葉が、思いのほかクリティカルにヒットしたのか、クィンティルラ大尉はそれまでの堂々とした立ち姿から、両腕で身体を包みながら屈んでしまった。


「俺は抜け駆けする為に今ここにいるわけじゃないっつ~の!」

「もったいない……千載一遇のチャンスなのに……まぁ、ここで色恋沙汰を発展させられちゃ滅茶苦茶困りますけどね」


 キルスティは大変貴重な”恥ずかしがるクィンティルラ大尉”を目に焼き付けつつ、半分安堵しながら言った。

 〈じんりゅう〉の【ANESYS】戦術マニューバが強いのは、クルーの恋慕らしき感情がケイジ三曹に奇跡的に集中しているからだ。

 その均衡が、クィンティルラ大尉が少年に対して抜け駆けしてアプローチすることで崩れようものなら、かの少年を〈じんりゅう〉に連れていく意味が無くなってしまうところだ。


「まったく! 短い間にお前さんもなかなか言うようになってきやがったもんだぜ……」


 下着を身につけながら、クィンティルラ大尉が毒づくように言った。


「で………結局、キル坊は何の作業をしてるんだ?」

「あああ~それは……」


 クィンティルラ大尉の質問に、今度はキルスティが答えに窮す番であった。

 キルスティが先刻から行っていた作業は、木星雲海の底で〈じんりゅう〉が最後に行った【ANESYS】戦術マニューバから、過去に行った【ANESYS】戦術マニューバまで、その統合率を溯って調べることであった。

 再三行って来た作業でもあるが、木星の底で行った最新の【ANESYS】戦術マニューバのデータを加味すれば、新しい事実が浮かんでくるかもしれないとキルスティは考えたのだ。

 この作業を行おうとした切っ掛けは、初めて直に会ったケイジ三曹との人となりに、何か釈然としないものを感じたからであった。

 簡単に言えば「この人のどこが良いの!?」と思ったことが切っ掛けなのだが、それを今クィンティルラ大尉に言える分けが無かった。


「【ANESYS戦術マニューバ】について調べてるんですが……詳しく話すと長くなりますけど……それでも聞きます?」

「…………いや、いい」


 キルスティの捻りだした問いにクィンティルラ大尉はそう答えると、再び入念なストレッチへと戻っていった。

 キルスティは軽く安堵しながら、再び作業に戻ることができた。

 キルスティが行っている作業は、簡単に言えば、〈じんりゅう〉の【ANESYS】戦術マニューバにケイジ三曹が必要だとキルスティが強く感じた理由を、最新の【ANESYS】統合記録を含めた全【ANESYS】戦術マニューバの精査によって、解きあかそうという試みであった。

 それの答は、ただデータを精査すれば出て来るというものでは無く、データを解釈する必要があり、やはり一筋縄ではいかなかった。

 だが分かって来たこともあった。

 当然と言えば当然だが、〈じんりゅう〉クルーの【ANESYS】統合率は、ケレス沖会戦後の訓練開始以来、急激に低下している。

 ……というより、ケレス沖会戦時に行った【ANESYS】戦術マニューバの統合率が高すぎたのだ。

 当事者であり、唯一客観的観察が可能だったエクスプリカの推論から、ケレス沖会戦でのその奇跡的【ANESYS】統合の原因が、ケイジ三曹への〈じんりゅう〉クルーの恋慕と思しき感情であると思われていた。

 しかし、恋慕などという曖昧模糊としたものが原因で、そこまで【ANESYS】戦術マニューバの統合率が変わるものだろうか? 

 VS艦隊クルーとはいえ、まだ誰かを好きになった事の無いキルスティには、そこが今一納得できなかった。

 しかし、エクスプリカが発案した〈ワンダービート〉でのケイジ三曹との刹那の邂逅により、確かに直後の木星赤道上空の戦闘では【ANESYS】の統合率は一時的とはいえ急上昇した。

 故に、エクスプリカの推論はある程度正しく、故に、ケイジ三曹を〈じんりゅう〉に連れて行けば、さらなる【ANESYS】統合率の上昇が見込めるはずなのだが……。


「ふ~む」


 キルスティは呻きながら思い切り背伸びをした。

 やはりシャワーでも浴びて、一度脳をリセットすべきなのかもしれない。

 キルスティは一応クィンティルラに告げてから、自分もシャワールームへと向かった。

 基本的に航宙艦でのシャワーや入浴は、水周りの配管やリサイクルの関係上、居住区に設けられている全クルー供用のものを使用するものであり、このようにシャワールームが備え付けられた個室は上級士官室や客室などごく僅かだ。

 まるでカプセルみたいなシャワールームであったが、贅沢など言ってはいられない。

 今の自分らの立場を考えれば、クルー供用のシャワーが使えるわけもなく、今の内にここで済ませておくのが得策というものだろう。

 …………などと言う、SSDF航宙艦における入浴事情など瑣末なことだ。

 女子としてシャワーを浴びる喜びに蘊蓄など無用であった。

 キルスティは〈ヘファイストス〉で与えられた常装服のジャンプスーツを脱ぎ、シャワーを浴びはじめると、程良い温度の湯に身を打たれる喜びに、一旦全ての思考を停止させた。

 昨晩〈じんりゅう〉大浴場に浸かったはずなのに、最後に浴びてから何週間も経っているかのような気分になってしまう。

 そして全身を伝う湯の感覚に、ふとひらめきを感じた。

 航宙士として、VS艦隊のクルーとして、シャワーや入浴をする時以外にも、このような感覚を味わう機会があったはずだ。

 キルスティはそれが何か考えるよりも先に、シャワールームを飛び出していた。


「おいおい何事だキルスティ!? ちとはしたなかないか?」


 クィンティルラ大尉が目を丸くして、素っ裸で部屋に戻って来たキルスティに告げたが、キルスティはそれに答える間も惜しんで部屋のコンピュータ端末に向かっていた。


「…………やっぱり」


 キルスティは自分の閃きが正しかった事を確認し、思わず呟いた。


「だから何事なのさ? キル坊~」

「……」


 ねだるように尋ねるクィンティルラ大尉に、キルスティは返答に困った。

 キルスティが確認したのは、ケレス沖会戦後に、〈じんりゅう〉が行った最初の【ANESYS】戦術マニューバのデータであった。

 記録によれば、その【ANESYS】はケレス沖会戦直後、戦闘に勝利したとはいえ、かなりのダメージを被った〈じんりゅう〉が、誘爆など二次被害が発生しないよう、船体に受けたダメージを、ヒューボットを駆使して応急補修する為におこなわれたもののようであった。

 【ANESYS】が使える〈じんりゅう〉ならではの使い方であったが、状況を考えれば妥当な選択に思えることであった。

 ただ一つ、その当時〈じんりゅう〉医療室内で、セーピアーにより救助された三鷹ケイジ三等宙曹の医療カプセルを用いた集中治療が行われいたことを除いては……。

 

 ――これって本当に応急修理の為の【ANESYS】だったのかしら……?


 キルスティが引っ掛かったのはそこであった。

 そして想像してみた。医療カプセルでの集中治療中に、【ANESYS】が行われた場合、患者にいったいどのような影響があるかを……。

 残された治療記録によれば、ケイジ三曹は酸欠による脳へのダメージの治療が行われていたとある。


「いや……でも……」


 キルスティは安易に答に飛び着こうとする自分を諌めた。

 まず、ケレス沖会戦からすでに半年以上経っているのに、今までこの事実に着目されなかったのには、何か理由があるのではないだろうか?

 それに、もし――ケイジ三曹を救う為に【ANESYS】を行った――のであれば、その結果や経緯にユリノ艦長らのクルーから、何かしらの申告があっても良さそうなものだ。

 キルスティは思わず、背後に立っていたクィンティルラ大尉を振り返った。


「ん?」


 彼女は全く裏表の無い表情で、きょとんとキルスティを見返すだけだった。

 他の〈じんりゅう〉クルーならばさておき、このクィンティルラ大尉に、何かしら後ろめたいことがあって、それを今まで隠し通すことが出来るなどとは到底思えなかった。

 やはり自分の考え過ぎなのであろうか……?

 ”脳の治療中に行われた【ANESYS】によって、一部の【ANESYS】の能力がケイジ三曹の脳へと書きこまれた”……などとは……。

 下っ端の男子が優秀であることに嫉妬した、単なる自分の思いこみなのだろうか?


「あ、あのクィンティルラ大尉――」


 キルスティがどう質問していいものかも分からないまま、彼女に呼びかけたその時、艦内通信の呼び出し音が鳴り響き、キルスティはビクリとしてその思考は一時中断された。

 艦内通信の受話器を弾かれたように取ったのはクィンティルラ大尉だった。


「はい、こちらクィンティルラとキルスティ」

『休んでるところ悪いな、テューラだ』


 その声の主とその声のトーンから、二人はすぐにテューラ司令の要件が重要なことであることを察した。


『大至急またホロ会議室に集まってくれ、エクスプリカ……とケイジ技術三曹から聞いて欲しいことがあるそうだ』

「……」


 キルスティはクィンティルラ大尉と無言で顔を見合わせた。









 その約十分前――。


「……とりあえず〈ナガラジャ〉は何とかなったみたいだなぁ」


 隣に立ってそう語りかけてきたテューラに、ノォバは「まぁな」とだけ答えておいた。


 ――〈ヘファイストス〉舷側展望室――。


 ノォバはようやく修理のなった〈ナガラジャ〉が、ゆっくりと〈ヘファイストス〉の舷側から離れて行くのを見届けながら、ただ一度大きく溜息をつく事しかできなかった。 

 これはまだ、こなさなければならない膨大な作業の一区切りでしかないからだ。


「でチーフ、直った〈ナガラジャ〉にアイシュワリアの奴は何て言ってた?」

「別に、普通にお礼を言って去っていったぞ。音声通信のみだったから、どんな顔で言ってたかまでは分からんがな」

「ああ……」


 テューラはノォバのその答だけで、だいたい察したようだった。

 〈ナガラジャ〉左舷側には、失われた宇宙皮剥き器スターピーラー用補助エンジンナセルの替わりに、近接格闘無人艦〈ゲミニー〉の双胴船体の片方の船体がまるまる取り付けられていた。

 いかに駆逐艦とはいえ、そのサイズは補助エンジンナセルよりも二周り以上大きく、全体でみた〈ナガラジャ〉のバランスは著しく崩れていた。

 正直いってあまり格好いい姿では無い……というか無様と言っても良い。

 が、新しい宇宙皮剥き器スターピーラー用補助エンジンナセルが手に入らない今、修理できるのはこれが精一杯であった。

 その姿に、当然あのアイシュワリア艦長が満足するわけもなく、ノォバは罵詈雑言を浴びる覚悟をしていたのだが、意外にも彼女は感謝の意を表し、こうしてリバイアサン・グォイドの警戒と〈じんりゅう〉捜索の為、ここ木星静止衛星軌道から、〈ナガラジャ〉は再び木星上層部へと降下していった。

 どうやらアイシュワリア艦長も、目的の為に艦の美醜に文句を言う余裕は無いようだ。

 あとは彼女達が、なんとかリバイアサン・グォイドに上手く立ち回り、〈じんりゅう〉を発見・救出に寄与してくれることを祈るしかない。

 ノォバ自身には、これからせねばならない仕事がまだまだあった。

 ノォバはテューラと共に振り返ると、船体内部方向を向いた窓から、ほぼがらんどうになった〈ヘファイストス〉船体内の大作業空間を見つめた。

 そこでは今、〈じんりゅう〉から脱出して来た昇電と、木星オリジナルUVD停止・回収作戦で使用された大型耐圧特殊UV弾頭ミサイルの予備が、巨大なガントリーアームに掴まれた状態で、今後の作戦の為の改修作業を受けているところであった。


「チーフ、こっちは順調なのか?」

「ハードウェア的にはな……。プラン通りに完成したとして、これが実際に役立つかどうかまでは、俺には何とも言えん…………だが……」

「だが……今は他に妙案も浮かばないと」


 ノォバの言いかけた言葉をテューラが継いだ。


「ああ、グォイドの企みがまだハッキリしていない以上、現在確認されている状況に対処する策を練るしかないからな」

「それが例の少年の出したアイディアというわけか……チーフ、気のせいかもしれないが、ひょっとしてケイジ三曹の考えたこのアイディアに不満か?」

「え!?」


 テューラに指摘され、ノォバは思わず無精ひげの伸びた頬を両手で捏ねまわして見た。

 そんなに顔に出ていたのだろうか? と。

 確かに、テューラの指摘に心当たりが無くも無い。

 今、視界の彼方では、〈ヘファイストス〉のクルーとヒューボットが総出で、昇電と大型耐圧特殊UV弾頭ミサイルへの改修作業にあたっている。

 それがたった十六歳の技術三曹の発案であるとは、俄かには信じがたいことだ。

 しかし、今現在、出されているアイディアの中で、最も早く実現可能なのはケイジ三曹の出したアイディアだけであった。

 それは簡単に言えば、昇電と大型耐圧特殊UV弾頭ミサイルの予備を改造して、即席の耐圧潜雲艇をでっちあげて、〈じんりゅう〉の救助に駆け付けようという案であった。


「だがこのアイディアには、チーフもチーフのところの部下も同意見なのだろう? それとも何か? 先にアイディアを出されたのが癪に障ったとか?」

「ち、違うわい!」


 ノォバは慌てて否定したが、それは図星だ白状したようなものでもあった。

 基本的に”冷たい方程式”が支配する宇宙での戦いでは、最も理にかなった選択はおのずと一つに収束する。

 故に、存在するのはアイデアの良し悪しでは無く、唯一無二の正答を、いかに早く出せるか?の問題だ。

 もちろん、その唯一無二の正当自体を出せるかどうかは、言う程簡単なことでは無い。

 むしろ、間違った答を時間をかけて出し、全てが台無しになるパターンの方が珍しく無いと言ってもいい程だ。

 とはいえ、ケイジ三曹に対し、その能力に評価すべき点があるとしたら、それは厳密に言えば、良いアイデアを出したことでは無く、唯一無二の選択肢を最短時間で導き出した事だと言える。


「チーフの部下達も同意見なら、それで良いではないか?」

「ああ、そうだな」

「ただちょっと若い奴が、自分よりも先に良い案を出したくらいで気にするなよチーフ」

「……ああ、……そうだな」

「私の知る限り、チーフの若い頃の方が、もっとムカつくこましゃくれたガキだったと思うぞ」

「……」


 ノォバはテューラが言外に励ましてくれているのか、段々疑わしくなってきた。

 確かに、〈じんりゅう〉級・航宇宙戦闘艦の設計主任として、若くして業界では有名人にはなったが……さすがにケイジ程の年齢の時の話ではない。

 しかし、正直なところあのケイジ三曹とやらに、自分が多少のライバル心を抱いていることは認めねばならないのかもしれない。

 実際に会ってみた少年は、拉致同然に連れて来られ一見傷つき弱って見えたものの、事態を聞き、アイデアを求められると、途端に活き活きとし始め、極めて論理的に事態を分析し、対処の術を発案してきた。

 彼には彼なりの事情があったのかもしれないが、少しばかり驚くべきことではあった。

 ……ひょっとしたら、そこにユリノ達〈じんりゅう〉クルーは惚れたのかもしれないが……。

 第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦と、ケレス沖会戦という修羅場をくぐり抜けてきたことが、少年をそう変えてしまったのだろうか?


「そういえばチーフ、その少年は今どうしてるんだ?」

「ああ、あいつなら、自分もここで改修作業を手伝いたいと言ってたんだが、今、他のクルーにお前の存在がバレると面倒だからと断わったら、もう少しホロ会議室で状況分析をさせて欲しいってんで、エクスプリカ・ダッシュと共に、ホロ会議室に籠ってるはずだ」

「ふ~む、感心な奴だなぁ」


 テューラはノォバの説明に、背伸びをしながらそう呟いた。


「テューラよ、お前さんはどうお思ってるんだ? あの少年のことを……」

「私がか? …………ンまぁ~間違い無く悩みの種なのだが……今は希望でもある。細かいことは、〈じんりゅう〉が無事帰還してから考えることにしているよ」

「ああ、そう」


 ノォバはテューラのキッパリとした答えに、彼女が羨ましくなった。

 彼女とて〈じんりゅう〉を失う恐怖に、心中は不安が蠢いているはずなのだが、今のテューラのその姿からは、その不安が微塵も感じられなかった。

 少なくとも彼女の事をよく知らない人間には、こんな事態など日常茶飯事だというふうに見えたことだろう。


「ところでチーフよ、一応VS艦隊の司令として、この昇電とミサイルの合体した奴に名前をつけておいたぞ」

「名前? 確かに作戦中に呼称名は必要だが……でなんて名にしたんだ?」


 ノォバはあまり気乗りしないまま、テューラに尋ねてみた。

「〈ユピティ・ダイバー〉号だ!」

「…………そのまんまだな」


 ノォバには他にコメントが思いつかなかった。

 ケイジ三曹とエクスプリカ・ダッシュからの艦内通信が届いたのは、その直後のことであった。










「ちょっと待て、落ちついて説明してくれケイジ三曹、〈第一アヴァロン〉をどうしろだって?」

「ですから、今すぐにガニメデかカリストの影に移動させて下さい! イオかエウロパでもかまいませんから!」


 ホロ会議室にやって来たノォバに、ケイジ少年は杖を付き、ヨロヨロと立った状態で答えた。

 どうやら義足になったという右脚が痛みだしているらしい。

 だが、脂汗を浮かべながら告げる彼の顔は、極めて真剣だった。


「まてまて三曹、事態が急を要するものだとしても、〈第一アヴァロン〉を動かせだなんて、そんな大事はちゃんと事情が説明されんことには実現不可能だぞ」


 共にホロ会議室に来たテューラが、なだめるように告げた。

 今現在、木星圏からの脱出の準備を進めているSSDF木星防衛艦隊本部・ガニメデ基地〈第一アヴァロン〉、それを木星の衛星の影に移動させろとは、どう考えても簡単なことでは無い。

 〈第一アヴァロン〉はSSDFのなかでも屈指の巨大宇宙基地なのだ。航宙艦を動かすようにはいかない。


「わかりました。この結論にいたった経緯を準を追って説明します。まずこの太陽系ネット掲示板の書き込みを見て下さい。エクスプリカ、頼む」


 テューラの言葉に対し、思いのほか少年は素直に頷くと、エクスプリカ・ダッシュに指示し、ホロ会議室内の壁の一つに、膨大な量の太陽系ネット掲示板の書き込み文章が投影された。

 掲示板はVS艦隊ファン達が書きこんだものであり、スレッドタイトルは【アン・ブロークン・ドラゴン】。

 超ダウンバーストを伴った大変動が木星を襲った後も、浮上して来ない〈じんりゅう〉を心配したファンが書きこむスレッドだった。

 その投稿された文章と一部画像で構成された掲示板形式は、驚くほど21世紀初期から続く黎明期のインターネット掲示板形式と酷似していたが、それは惑星間ネット掲示板では、光速を超えて送ることの出来ない情報速度の限界と、それに付随する情報量の限界から、惑星上ネットに比して簡素な形式にならざるを得なかったからだ。

 しかし、宇宙暮らしの長いこの場の人間にとって、それらは今さら驚くようなことでもなかった。


「俺はこの膨大な書きこみの中から、エクスプリカ・ダッシュに、木星に起きた異常現象に関する書き込みのみを抽出してもらい、ある事実に行きついたんです」


 ケイジ少年の言葉に合わせ、壁に投影された掲示板への書きこみ文章から、〈じんりゅう〉クルーを労い、励ます内容等の書き込みが消され、猛烈な勢いで取捨選択されていった。


「木星が恒星化しているという予測の切っ掛けになった書きこみ主の、その後に書き込みに付随した一連の書き込みです。どうやらVSファンの中には木星を遠方から観測したり、木星付近の人工衛星から情報を得た人が多数おり、〈じんりゅう〉を心配して監視し続けているうちに、木星を取り巻く磁気に異常が起きていると気づいた人らがいるようなんです」


 投影された書き込み文章が、画像を伴った書き込みへと集中していった。

 文章と共に乗せられた画像は、全て木星の画像であった。


「俺達はこれらの書き込みと乗せられた画像情報を分析して見たところ、ある事実に行きついたわけです」


 木星の画像が拡大されると、壁から浮き上がり立体の木星ホロ画像となってホロ会議室中央に移動し、その色調が変化した。

 モノクロに近い色調に変化した画像内の木星には、その赤道上を南北に掛かるアーチ状の線が、無数に投影されていた。

 その線が、いわゆる磁気を可視化したものであることは、その線の特徴から見てとることができた。

 木星の赤道を取り囲む磁気のアーチは、全体として木星赤道をぐるりと一周し、木星が巨大なドーナツに無理矢理めり込まされたようになっていた。


[これは大変動が起きて以降の木星の磁気画像に、さらに幾つかのフィルターをかけて、磁力の差を強調した画像だヨッ]


 エクスプリカ・ダッシュが注釈する中、木星赤道を取り巻く磁気の輪が、明滅しだした。

 よく見ればその明滅は、光った輪の一部が猛烈な速度で赤道上を西から東へと移動した結果、そう見えているようだ。


[この分析結果から、どうも木星の赤道直下に、巨大な磁気発生機関が無数にあって、それがいわゆるシンクロトロンのような動きをしていると予測することができるネッ]

「ちょ…………ちょっと待てぃ!」

「おい! 今シンクロトロンって言ったのかエクスプリカ・ダッシュよ!」


 ノォバとテューラは続けて声を上げた。


「すいませんが、最後まで聞いて下さい。木星がシンクロトロンであるという根拠はまだります」


 木星のホログラムが90度回転し、北極点をノォバとテューラに向けた。


[極軌道衛星から捉えた木星のホログラムだヨッ。まずここが木星の自転軸だヨッ]


 木星北極の一点が光る点で強調して示された。


[そしてここが木星全体での本来の中心点だヨッ]


 新たに木星の北極に打たれた光点は、最初に打たれた自転軸の光点とはズレた位置で光っていた。


「エクスプリカ・ダッシュよ、少し早回しにしてくれ」

[ガッテン了解!]


 ケイジ少年の指示で木星に自転速度が早くさせられると、北極点に打たれた二つの光点の位置のズレの意味が如実に伝わって来た。

 木星の自転軸が、木星の中心から僅かにずれている単に、自転の度に木星がいわゆる歳差運動をしているのだ。


「木星の自転軸がズレてるってことか!」

「そうですノォバ・チーフ。しかもそのズレは、木星の自転速度とはシンクロしていません。どうも木星の赤道の下を、何か重たい物体が、木星の自転速度を上回る速さで周回しているようなんです」


 ホログラムが再び北極を上にするよう90度回転すると、ホロ木星の赤道直下を、半透明の球体がグルグルと西から東方向へ周回しはじめた。


[木星の赤道直下がシンクロトロンになっていると仮定して、自転のズレから逆算した重重量物体を可視化した映像だヨ]


「他の可能性が無いとは言いませんが、今得た情報から総合して最も可能性が高い仮説は、この木星がシンクロトロン化しているということになります」


 ケイジが脚を襲っていると思われる痛みに顔をしかめながら告げた。


「そして、この仮設が現実であった場合、木星がいわゆる巨大なレールガンとしてグォイドに使用されようとしていると考えざるを得なくなります。少なくともその警戒をすべきです」


 木星ホログラム内の赤道直下を周回する光点が、勢いよく木星内部から飛び出していった。


「その際、砲口となるのは、木星赤道直上まで移動した大赤斑である以外は考えられません」


 自転し続ける木星が、ぽっかりと巨大な穴となった大赤斑をノォバ達に向けた。

 今飛び出していったレールガンの弾体が、どこへ飛び去っていったかなど、ノォバは考えたくも無かった。


「だから……そのレールガンから逃れる為に〈第一アヴァロン〉を動かせと言うのか?」

「すこし違いますテューラ司令」


 ケイジはようやく口を開いたテューラに告げた。


[仮に木星が巨大な惑星間レールガンであるとした場合、まだ自転のズレから予測される重重量物体の発射まで時間があるんダ……デモ]


 エクスプリカ・ダッシュが言い淀むのに合わせて、木星ホログラムの赤道部が輝き出した。


[木星を巨大シンクロトロンにした場合、惑星間レールガンとしてだけでなく、巨大なUVキャノンとしても使えるんダ。そっちの方が技術的に簡単だからネ]


 ホロ木星の大赤斑から、極太の光の柱が瞬き発射された。


[UVキャノンとして使った場合、射程距離は短くなるけれど、それでも木星圏全体には優に届くヨ]


 ホロ木星の赤道上に、中央のくぼんだ分厚い円盤上にUVキャノンの射程範囲が描かれていった。その範囲は、木星の抱える衛星群をすっぽりと覆っていた。


[そしてUVキャノンとして使った場合は、惑星間レールガンとして使った場合と違って、準備が始まったら、今すぐにでも発射されてもおかしくないんだヨ]


 エクスプリカ・ダッシュは、まったく緊張感の無い口調でそう告げた。

「…………なんてこと!」


 テューラが呟きながら個人携帯端末SPADを取り出した。


「エクスプリカ・ダッシュよ、これらの仮設は、ここの【グォイド行動予測プログラム】にはぶちこんでみたのか?」

[もちろんだよヨ、テューラ司令。でも【グォイド行動予測プログラム】はまだ最終結論を出してはいないんダ……タダ……]


 エクスプリカ・ダッシュはそこで言葉を途切れさせると、無言で【グォイド行動予測プログラム】が導き出した様々な可能性の確率を棒グラフでホロ投影させた。

 木星恒星化説などを含む幾つかの仮説の中で、木星惑星間レールガン説の棒グラフが、現在進行形でその高さをましつつあった。

 ノォバはテューラと共に、しばし何も言うことが出来なかった。

 ケイジ少年だけが言いだしたことならば、若造の戯言と無視できたかもしれない。

 だが少年の仮説はエクスプリカ・ダッシュと【グォイド行動予測プログラム】の支持を得ている。不本意極まりないことに、無視するわけにはいかなかった。


「だがケイジ三曹よ、このシミュレート通りのUVキャノンの出力ならば、射程内の衛星の影に隠れたところで、衛星ごとブチ抜かれるんじゃないのか?」


 ノォバは身体が震えるのを感じつつ、やっと思いついたことをケイジ三曹の尋ねてみた。


「確かにその通りです。俺の予測が外れた場合、もうどこに隠れても無駄ということになります…………ですが……」


 ケイジ三曹がホログラムを操作し、木星UVキャノンが衛星を貫いた場合のシミュレーションを投影させた。

 巨大なUVエネルギーの柱によって砕け散った衛星の破片は、みるみる内に巨大なリングとなって木星を取り囲んでいった。


「全ての情報が仮説を重ねたもので、確証があるわけではありませんが、グォイドが木星を惑星間レールガンとして使うことを主目的としているならば、その前にUVキャノンとして使って衛星を破壊し、レールガンの射線の邪魔になるものを作るとは考えられません」


 ホロ木星が、惑星間レールガンとして、大赤斑から巨大な重重量実体弾を発射したが、その射線状に存在するリングとなった衛星の破片が、発射直後の実体弾に衝突した。

 惑星間の長大な距離を考えれば、その衝突が発射された実体弾の弾道に与える影響は計り知れないであろう。


「変な話かもしれませんが、グォイドのことを信用するならば、〈第一アヴァロン〉を助けるには、近くの衛星の影に移動させる他ありません! それも可及的に早く!」


 ケイジ三曹は叫ぶ半歩手前の声音で、唸るようにして告げた。


「でも良いニュースもあります! この仮説が確かならば、〈じんりゅう〉は惑星間レールガンの弾が周回しているであろう低気圧空間内で無事でいることになります!」 

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