▼第一章  『さようなら〈じんりゅう〉』 

♯1

▼プロローグ


 太陽系第五惑星――木星――その大赤斑と赤道ガス潮流との接触点――

 木星軌道エレベーター〈ファウンテン〉最下部――

 〈ユピテルOEVコーポ〉ドクタースィン・ラボ――

 第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦の六十二カ月前――


『時に23世紀の初頭、人類は遥か深宇宙より飛来し、地球を我がものにせんとする謎の敵性異性体グォイドの襲撃により、かつてない存亡の危機を迎えていた!

 人類は、太陽系防衛艦隊――通称SSDFを創設し、これに対処した。

 そしてその中に、適正を持つ少女でしか扱えない超高速情報処理システム【ANESYS】を用いることで、敢然とグォイドに立ち向かう艦隊があった。

 名を〈ヴィルギニー・スターズ〉!

 彼女たちの艦隊である!』


 木星雲海・深度200キロの高圧ガス大気に、VSファンの歓声が響き渡った。











♯1


 目を閉じれば、耳を澄ますまでも無く、凄まじい轟音が鼓膜を……いや身体全体を揺さぶっていた。

 それが今、風というにはあまりにも暴力的な超ダウンバーストによって、〈じんりゅう〉の船体そのものが揺さぶられる音なのだ。

 時々恐ろしく心臓に悪いギギギィという船体フレームが軋む音が混じり、クルー達は生きた心地がしなかった。

 瞼を上げれば、艦首方向を映すメインビュワーが、位置情報視覚化LDVプログラムによって向かい風を示す赤色に染め上げられ、その画面下方には、何度見返しても信じられないものが、今だに存在し続けていた。

 画面下方、〈じんりゅう〉をダウンバーストによる沈降から繋ぎ止めている最後の頼り、木星軌道エレベーター〈ファウンテン〉のピラー壁面状に、それはへばり付いていた。


「スネークイド…………いったい何で……」


 ユリノはあらためて呟かずにはいられなかった。

 その木星雲海の底の怪物は、ピラー壁面から抜け落ちてしまった〈じんりゅう〉のスマート・アンカーを触手で掴まえると、再びピラー壁面へと押し付けてアンカーを食いこませ、〈じんりゅう〉を沈降から救ってくれた。

 今、そのスネークイドはピラー壁面上の〈じんりゅう〉の少し上で、ピラーに触手を絡みつかせて超ダウンバーストに耐えている。

 猛烈な超ダウンバーストが襲いかかり始めてから、すでに一〇分以上が経過していた。

 クルー達にとってその一〇分間は、何十倍もの時間に思えた。


「ええい! ダウンバーストはまだ終わらないのか!?」

「惑星規模の変動が、そう簡単に終わるとは……」


 轟音に負けないよう声を張り上げて尋ねたカオルコに、サヲリ副長が答えた。

 高温高圧の木星雲海内で受ける超ダウンバーストの風速は、宇宙戦闘で航宙艦が出すスピードに比べれば、雲泥の差がある程に遅かった。が、その代わり風圧は凄まじい。

 〈じんりゅう〉にとって、それはマグマの津波を真正面から受け止めているようなものであった。

 〈じんりゅう〉は超ダウンバーストによって、耐圧限界深度まで沈降させられてしまうことは辛うじて免れたが、上方艦首方向から襲い来る高圧下降気流が、沈降してしまった場合と指して変わらぬ負荷を、〈じんりゅう〉のUVシールドに与えていたことは否めない。


「キルスティちゃん、UVシールドはもってる?」

「…………辛うじて……辛うじてですが維持できています。ですが、増設したUVシールド・コンバーターが限界です! このままダウンバーストが続いた場合、現状を維持できるのは、もってあと三〇分が限界です!」


 キルスティはしばしの沈黙の後、青ざめた顔でユリノに答えた。


「UVシールドのバッファに溜めこんだ熱を排出できれば、あるいはUVシールドを維持できるかもしれません……ですがそれは……」


 溜まった熱の排出など、高温高圧下の現状では不可能な話であった。


「30分が過ぎたらどうなるの?」

「……」


 ユリノの問いに、キルスティは黙って顔を振った。


「分かったわキルスティちゃん、UVシールドの形状を衝角モードにして空気抵抗を可能な限り減らして!」

「了解!」


 キルスティの返事と共に、〈じんりゅう〉を包む卵型のUVシールド形状が、直ちに前後に長く伸び、鋭く尖った形状へと変更された。

 同時にブリッジを襲う風音が僅かに変化する。

 ユリノはこれで少しでもUVシールド維持時間が延びることを祈った。


「……ルジーナ、このダウンバーストは、30分以内に治まりそう?」


 ユリノは機関長に命じ終えると、電側席に向かって尋ねた。


「艦長、この索敵能力の限られた現状では、下降気流の詳しい状態は知りようがありませんデス。ですが……風速は加速度的に上昇してます。まもなく下降風速は時速1200キロに達する模様デス!」


「キルスティちゃん、〈じんりゅう〉はその風速には耐えられる?」

「…………正直言って、保証の限りでは……」

「艦長、前!」


 キルスティが答えに詰まったその時、フィニィが血相を変えてメインビュワーを指さした。

 画面の向こうで、〈じんりゅう〉艦首から伸びるスマート賢いで無くなったアンカーが刺さった軌道エレベーターのピラー壁面に、斜めに裂け目が生じ始めていた。

 その裂け目は、〈じんりゅう〉が超ダウンバーストによって押し下げられるに従って、徐々に、だが確実に広がっていた。

 いかにハイパー・ナノ・カーボン製といえども、超ダウンバーストによる負荷には耐えきれなかったのだ。

 ナノ・カーボンは引っ張る力には強いが、横方向からの力には弱く、〈じんりゅう〉がアンカーを突きたててしまったが故に、そこにダウンバーストによるストレスが集中してしまったのだ。

 その裂け目がピラーを一周した時、ピラーは二つに千切れ、〈じんりゅう〉の掴まっているピラー下部は雲海の底へと果てしなく沈んでいくことになるだろう。


「……よくもまぁ次から次へと……!」


 ユリノは歯ぎしりしながらメインビュワーを睨むことしかできなかった。

 キルスティとルジーナの報告からすれば、下降風速が時速1200キロにまで上がるか、あと30分現状のまま経過すれば、UVシールドの維持が限界を迎え、〈じんりゅう〉はおじゃんということになる。

 たとえUVシールドが維持できたとしても、軌道エレベーターのピラー壁面に走った裂け目がそのまま伸び続ければ、〈じんりゅう〉が掴まっているピラーの底から下は千切れ、〈じんりゅう〉もろとも木星雲海の奈落へと沈降し、やはりUVシールドが限界を迎え、〈じんりゅう〉はおじゃんということになるだろう。

 そして、そのことに対して〈じんりゅう〉にできることは何も無い。


 ――せっかくスマートアンカーでOEVのピラーに捕まることができたのに……。


 ユリノは唇を噛んだ。

 バトルブリッジを見回せば、クルー達の視線が返って来る。

 本当に、もう、どうすることもできないのだろうか?


「下降風速、急激に上昇しますデス!」


 ユリノが何か言葉を捻りだそうとした瞬間、ルジーナが報告した。

 同時に、ブリッジを揺さぶる風の音があからさまに増してゆく。

 メインビュワーの彼方に、高速下降気流の境目が、位置情報視覚化LDVプログラムによって、まるで波打つ巨大な壁のように表現されながら迫って来るのが見えた。

「総員、耐衝撃態勢!」

 ユリノはなんとかそれだけ絞りだした。

 そして迫る来る壁が〈じんりゅう〉に接触するその寸前――……。


「スネークイドぉ!?」


 ユリノは目の前で起きた光景に、思わず声を出さずにはいられなかった。

 高速下降気流が〈じんりゅう〉に達する寸前、艦首方向でピラーにしがみ付いていたスネークイドが、まるで風呂敷が広がるかのようにひらりと膜状に姿を変え、〈じんりゅう〉をすっぽりと包みこみ、時速600キロを超える下降気流から〈じんりゅう〉を守ったのだ。


 ――そこまで自在に姿かたちを変えられるっていうのっ!?


 確かにスネークイドがおそろしく柔らかい身体をもっていることは分かっていたが、ヘビやイカ様の形から、さらにここまで姿を変えられるなどとは想像していなかった。

 メインビュワーが膜状になったスネークイドにより、毛細血管らしきものが浮き出たライトグレー一色に覆われる。

 ブリッジを襲う風の轟音が、急にくぐもった音へと変わった。


「UVシールドへの負荷、急激に低下しました! ……ですが……」


 キルスティの報告、しかし彼女の言葉は途中で途切れた。

 その訳を、彼女と同じようにメインビュワーを睨んでいたユリノにはすぐに分かった。

 メインビュワーを覆う膜が、高速降下気流の熱と圧力に耐え切れず、ブルブルを震えながら、小さな穴が無数に空き始めたからだ。

 その歪な形の穴は、虫に食われるように徐々にその大きさと数を増していった。

 スネークイドは木星高温高圧下で生息していると思われるが、〈じんりゅう〉のようにUVシールドを持っているわけでは無い。

 スネークイドといえど、UVシールドを持つ〈じんりゅう〉が耐えきれ兼ねる程の高温高圧の高速降下気流には、その身体が耐えきれないのだ。

 膜に空いた無数の穴の向こうから、降下気流の紅い輝きが漏れだしてきていた。それに合わせてブリッジに響く風音が、歪んだ笛の音のように変化していく。


「……なのに、そうまでして……なんで!」


 ユリノはまたしても呟く他無かった。

 自身の身体を崩壊させてまでして、何故ドクター・スィンとやらが生み出したというこの謎の生き物は……自分らを守ってくれるというのだろうか?

 その疑問に答えてくれる者はいなかった。

 そして〈じんりゅう〉にはひたすらこの状況に耐える以外、できることはなに一つありはしなかった。





 ―――――――そして永遠とも思える十分がさらに過ぎ去った。





 キルスティはきつく目を閉じ、両手で耳を塞ぎたくなるのを必死で耐えた。

 そんなことをすれば、機関部コンソールが見えなくなるし、艦長からの指示も聞こえなくなってしまう。

 今、機関長として〈じんりゅう〉の命運の一旦を握っている自分には、許されることでは無い。

 ましてやこの状況になってしまったのは、【ANESYS】を維持できなかった自分にも責任の一端はあるのだ。

 皆に訊けば「そんなことないよ」と言ってくれるかもしれないが、キルスティはそう思わずにはいられなかった。

 だからキルスティはひたすら待った。

 この地獄のような超ダウンバーストが、もう過ぎ去ったという報告が聞こえるのを。

 だからルジーナ中尉の「艦長、風速が弱まり始めていますデス」という報告が聞こえた時、キルスティは最初、自分の願望が生んだ幻聴なのではと思った程であった。

 だが、その報告に合わせたように、ブリッジを襲う振動と風音が僅かだが治まっていくのを感じた。

 加えて自分の目の前のコンソールの数値が劇的に変化している。

 キルスティは慌てて艦長に報告した。


「UVシールドへの負荷が低減していきます! 維持可能時間が50分まで延長されます!」

「下降気流、風速400キロにまで減速デス」


 キルスティに続けてルジーナ中尉が追加報告した。

 張り詰めていたバトルブリッジの空気が僅かに和らぐのを感じる。


「もうすぐこのダウンバーストが終わるってこと?」


 ユリノ艦長が皆の気持ちを代弁するかのように尋ねた。

 もし、艦長の言う通りならば、〈じんりゅう〉の危機は去ったことになるのだから。

 だが、その希望は叶わなかった。


『艦長、残念ながらそうではないようなのです』


 バトル・ブリッジ直下の電算室から、シズ大尉の声が響いた。


木星上空作戦指揮所MCから届いた情報を元に、超ダウン・バーストのシミュレーションを構築してみたのですが、今下降気流の風速が弱まったのは、あくまで一時的なものと思われるのです』


 シズ大尉の報告に合わせ、メインビュワーの隅に小ウィンドウが現れ、木星の断面図を描いたシミュレーション映像が再生され始めた。


『隆起してしまった木星赤道部が、元に戻ろうとする際に起きる超ダウンバーストは、赤道部を形成するガス潮流を引き伸ばしながら、ガス雲深部へと引き摺りこんでいるものと思われます』


 シズ大尉の声に合わせ、木星赤道付近の断面図が拡大されると、無数のガス潮流の歪なパイプ状の断面の集合体となった。

 超ダウンバーストが発生すると、その赤道表層部の南北のガス潮流断面が、薄く引き伸ばされながら衝突、一つの巨大な下降気流となって沈んでいく。


『今、この超ダウンバーストの風速が落ちたのは、この引き伸ばされたガス潮流とガス潮流の境界に達したからだと思われます。つまり、いずれ再び超ダウンバーストは先ほどのような風速まで戻ると思われるのです』


 シズ大尉のその言葉に、キルスティは隣の通信席でミユミ少尉が小さく「そんな……」と呟くのが聞こえた。


「おシズちゃん、それで次の超ダウンバーストが始まるまで、時間的余裕がどれくらいあるか分かる?」

『索敵状況が状況なので、正確には答えられませんが、恐らく30分から一時間の間かと思うのです』

「……」


 問いに対するシズ大尉の答に、艦長は何も返さなかった。

 彼女の答えは、死刑時期の宣告にも等しかったからだ。


「艦長、スネークイドが……」


 キルスティがシズ大尉の言葉の意味をなんとか呑みこもうとしたその時、操舵席のフィニィ少佐が叫んだ。

 彼女が指し示したメインビュワーの先では、〈じんりゅう〉を覆っていた穴だらけのスネークイドの幕が、真っ白に近い灰色に変色すると、力尽きたかのように、正しく燃え尽きた灰のごとく崩れ去りながら下降気流によって吹き飛ばされていった。


「……」


 誰も何も、その光景に対し言うべき言葉が出てこなかった。

 出会ったばかりの木星の有人は、良く知りあう間も無く消え去ってしまった。

 一体何者なのか? 一体なぜ〈じんりゅう〉を助けてくれたのか?

 答えてくれるかはともかく、尋ねたいことは山ほどあったのに……。

 それに何よりも、もう〈じんりゅう〉を高速下降気流から、盾となって守ってくれる者はいなくなってしまった。

 〈じんりゅう〉は木星雲海に一人ぼっちになってしまった。

 そして次の高速下降気流が襲いかかってきた時、もう〈じんりゅう〉に身を守る術は無い。


「フィニィ、次のダウンバーストが来る前に〈じんりゅう〉を木星雲海から浮上させることは可能かしら?」

「艦長、弱くなっているとはいえ下降気流は今もなお時速400キロ以上はあります。ただでさえ2.5Gある木星で、艦尾にオリジナルUVDをくっつけたまま、一時間以内に垂直上昇で雲海から浮上というのは……残念ですが、物理的に不可能としか……」


 ユリノ艦長の問いに操舵席のフィニィ少佐はすまなそうにそう答えた。


「せめて超ダウンバーストが起きてる赤道周辺から北か南には逃げられない?」


 なおも粘るユリノ艦長に、フィニィ少佐は目を伏せながら顔を横に振った。

 赤道の幅は、ここから雲海表層までの距離よりもはるかに長い、どちらにしろ現状の〈じんりゅう〉では、次の高速下降気流が襲い来るという一時間以内に脱出は不可能であった。

 そして、仮に次の高速下降気流に〈じんりゅう〉のUVシールドが耐えたとしても、〈じんりゅう〉がアンカーを打ち込むことで掴まっているピラーの裂け目がもたないだう。

 ピラーの自重に加えて、〈じんりゅう〉の九万トン近い重量が集中したピラー壁面の裂け目が、時速1200キロの高速下降気流に耐えられるとは思えなかった。


「これは……なかなか盛り上がってきたものだなぁ」


 カオルコ少佐が、不敵な笑みを浮かべながら呻くように言った。

 冗談めかしてクルーの緊張をほぐそうとしたのかもしれないが、効果はあまり感じられなかった。

 キルスティは機関部席からユリノ艦長の横顔を見つめた。

 彼女の席からは、艦長席が横からよく見えるのだ。

 クルーへの質問を終えた艦長は、三つ編みにした髪の先を片手でぐるぐるといじりながら、ひたすら至高に集中しているようだった。

 その瞳は瞬きを忘れたかのように、メインビュワーの彼方の裂け目の出来たピラー壁面に集中していた。


「あ、あ~艦長、考え中に悪いんだが、聞いて欲しいことが……」

「ん? なに?」


 珍しく遠慮がちなクィンティルラ大尉の言葉に、ユリノ艦長はじめ、クルー一同が一斉に彼女の方を向いた。


「あ~……さっきまで俺が操っていたセーピアーなんだが、今だにトランスポンダー・シグナルが届いてる……」


 クィンティルラ大尉は、皆の集中した視線にやや緊張しながら答えた。


「セーピアーのUVキャパシタじゃ、この環境ではとっくの昔にUVシールドの展開時間に限界がきて、もう潰れてるはずなのに……だ」


 キルスティはすぐには彼女の言葉の意味が分からなかった。

 彼女の言うセーピアーとは、超ダウンバーストが始まる直前、〈じんりゅう〉の前方に先行させ、ナマコ・グォイド撃破の為のガス潮流や、この木星軌道エレベーターのピラーの発見に役立った機体のことだ。

 すっかりその存在を忘れていたが、今までの状況を考えれば、それは超ダウンバーストによって、雲海奥底にまで無理矢理沈降させられ、圧壊したと考えるべきなはずであった。


「……しかもそのトランスポンダー・シグナルは、10キロほどここの真下から届いているっぽい……」


 クィンティルラ大尉は、自分でも言っている言葉に自信が無さげな様子で続けた。

 しかしユリノ艦長は、その言葉の意味にすぐに気づいたようだった。


「ルジーナッ!」

「こっちにも届いてますデス! 今、総合位置情報図スィロムに出しますデス!」

 艦長の意を読み取ったジーナ大尉が、指示内容を尋ねるまでも無く、〈じんりゅう〉周辺の総合位置情報図スィロムをブリッジ中央に投影させた。

 ほぼ垂直となった軌道エレベーターのピラー壁面に、スマートアンカーをひっかけ艦首を真上に向けたホログラム〈じんりゅう〉の下方約10キロの地点に、セーピアーを示すアイコンが、薄く静かに点滅していた。


「なんで、こんな深さにいて圧壊していないのだ?」

「さぁ……分からん」


 カオルコ少佐がもっともな疑問に、クィンティルラ大尉はあっさり答えた。


「それになぜこの状況下のこの距離で、セーピアーのシグナルが〈じんりゅう〉にまで届くのだ?」

「それなら分かる。おそらく〈じんりゅう〉が真上を向いて下降気流を受けているもんだから、艦尾にくくりつけていた曳航式センサーブイも真下に垂らされることになって、セーピアーのシグナルを拾うことができたんだろう」


 再度尋ねたカオルコ少佐にクィンティルラ大尉は答えた。

 キルスティが総合位置情報図スィロム内の〈じんりゅう〉に目を凝らすと、彼女が言う通り〈じんりゅう〉艦尾から細いケーブルが伸び、ブーメラン状のセンサーブイが、真下に向かって伸びているのが見えた。

 ガス雲内での艦尾方向への索敵能力低下を補う為、ノォバチーフが取りつけたものが、ここにきて役に立ったのだ。


「クィンティルラ、そのセーピアーからテレメトリ遠隔情報は来てる!?」

「いや、弱々しいシグナルを辛うじて拾うだけで精一杯な状態だ。細かいデータのやりとりで出来ていない」

『おそらくセーピアーと〈じんりゅう〉の間に立ちはだかる高圧大気の層が、データ通信の邪魔をしているのです』


 ユリノ艦長の問いにクィンティルラは即答し、さらにシズ大尉が電算室から補足した。

 つまり通信状態が悪い故に、セーピアーの機体状態も、周りの状況も知ることができないということだ。もちろん、こちらから指示を伝えることも出来ない。

 だが……、


「だが少なくとも、シグナルを送り、〈じんりゅう〉の真下にいることをキープできる状態ではあるってことだな」

「それってつまり……」


 クィンティルラの言葉に、ユリノ艦長は言い掛けていた言葉を途切れさせた。まるで口にしたら幻になってしまうことを恐れるかのように……。


「あ~クィンティルラよ。つまりセーピアーがいる10キロ下方の空間は、セーピアーがその位置をキープできて信号を送れる程度には……その……なんというのか……環境が……厳しく無いということなのか?」

「理屈でいえばそういう事になるな、カオルコ少佐」


 クルーを代表して尋ねたカオルコ少佐に、クィンティルラはやや慎重に答えた。


「では話は簡単なのではないか? 〈じんりゅう〉がこの窮地から脱出するのは……」

「だぁ~あああ!! ちょっと待ったカオルコ! そう結論を急がないで!」


 カオルコ少佐が言いかけた言葉を、ユリノ艦長が慌てて遮った。


「副長、おシズちゃん、ルジーナ、それとエクスプリカ、意見を聞かせて。ただでさえ高温高圧のここよりもさらに下に、セーピアーが無事でいられる程に気圧も温度も低い空間があるだなんて……そんなことありえるの?」


 ユリノ艦長はブリッジを見まわしながら尋ねた。


「艦長……木星の専門家では無いので断言はできませんが、少なくとも従来の常識から言えば、ありえません」

『シズもサヲリ副長と同意見です。ですが……』

「……ですが何?」

『ですが艦長、グォイドと人類が遭遇して以来、数々の常識が覆されてきました。ナマコ・グォイドが木星に侵攻してきたことが何か絡んでいるなら……あるいは……』

「分かったわおシズちゃん。ルジーナはどう思う?」

「正直に言いまして、ワタシャ楽観はできません。セーピアーが無事な理由は分かりませんが、仮にセーピアーが無事な環境があったとしても、それが〈じんりゅう〉とその中のワタシらにとっても優しい環境とが限らないと思うデス」

「……エクスプリカは?」

[ドーモコーモ無イ。手ニ入ッタ情報ガ全テダゆりのヨ。ソレカラ判断シ選択スルノハ人間ノ役目ダ]


 ユリノ艦長の問いに対し、最後にエクスプリカは機械とは思えぬぞんざいな答えを返した。


「フォムフォムは今セーピアーがどんな状態か想像つく?」

「フォムフォム……艦長よ、おそらくセーピアーは木星の重力に抗う為に、機首を上に向けてスラスターを吹かしまくり空中静止中と思われる。その場所の環境がどうあれ、間も無くセーピアーのシグナルは燃料切れにより消えると思う」


 艦長に対し、フォムフォムは掌をセーピアーに見立ててジェスチャーしながら答えた。

 そんなサヲリ副長らの返答に、ユリノ艦長はどう思ったのか、再び髪をいじりながら長考モードに入った。

 再び風音だけがブリッジに響く。


「キルスティちゃん」

「は、はい!」


 急に名を呼ばれ、キルスティは上ずった声で返事をした。


「ここからさらに10キロ潜航するとして、〈じんりゅう〉のUVシールドはそこまでもたせることは可能?」

「え、え~とぉ……下降気流を上手く使って……10キロの潜航にかかる時間を可能な限り短縮すれば……おそらく外付けUVシールド・コンバーターを使い潰す気で緊急潜航すれば、なんとかUVシールドは維持可能かと思います」


 艦長の問いにキルスティは自分でも褒めてやりたいくらい、すらすらと答えることができた。


「ででででですけれども! ……それでセーピアーがいる深度まで潜航は出来るとしても、そこから木星雲海の上へ再浮上することは、当然ながらますます難しくなります」

「ふ~む、ありがとうキルスティちゃん」


 慌てて付け加えたキルスティの返答に、ユリノ艦長はそう言って、また考えるポーズに戻った。


「艦長、下降気流の減速が時速380キロで完全に止まりました。シズ殿の話した引き伸ばされたガス潮流とガス潮流の境界に達した模様デス」


 ルジーナ中尉が沈黙を破り報告した。それはつまり、悠長に考えている時間は無いということであった。


「よし分かった!」


 そのルジーナ中尉の報告が決心させたのかは分からないが、ユリノ艦長はそう言うと立ちあがった。


「私の決定を告げるわ。〈じんりゅう〉は再び高速下降気流が来るのを待って全速力で潜航。セーピアーがいる深度へ退避します!」


 ユリノ艦長の決定に、ブリッジ内にかすかに安堵の溜息が聞こえた。

 もうそれ以外〈じんりゅう〉に選択肢は残されていなかったのだから、艦長の決断は極めて妥当に思えた。

 しかし、


「ただし! その前に木星上空作戦指揮所MCに〈じんりゅう〉の現状を伝える為に、クィンティルラとキルスティ搭乗の昇電を発艦させる!」


 続けて決定を告げた艦長の言葉に、ブリッジに「なにぃ!?」という驚きの声が響いた。








「ちょっ……待っ……う! …………な! ……」


 クィンティルラ大尉がまず立ちあがり、ユリノ艦長の方をを向くと、何かを言わんと口を開けたが、言葉になって出て来る声は無かった。

 キルスティには彼女の気持ちが痛い程よく分かった。

 言いたいことは多々あるが、艦長の決定に対し、言う事が許されることはほぼ無かった。

 何も言えないクィンティルラ大尉は、ふと振り返ると、傍らでたたずむフォムフォム中尉と視線を合わし、そのまま無言で熱い抱擁を交わした。

 いかにキルスティといえど、彼女とフォムフォム中尉がただならぬ間柄であることぐらい分かっていた。もちろん詮索する勇気など無かったが。

 ユリノ艦長の命令は、クィンティルラ大尉とフォムフォム中尉との……いや他のクルー全員との今生の別れとなる可能性を秘めていた。

"はい了解、喜んで"と素直に聞けるわけがない。


「キルスティちゃん……どうか泣かないで」


 艦長席を降りてきたユリノ艦長にそう言われて、初めてキルスティは自分の頬に伝う雫に気づき、慌てて両の拳で拭ったが、その雫は拭っても拭っても溢れ続けた。


「あ……あの……私……変だな……何でだろ……」


 自分でもどうして良いかわからず、訳のわからない呟きしか出てこなかった。

 ただただ、とても悲しく辛く……そして悔しかった。

 ユリノ艦長はそんなキルスティをぎゅっと抱きしめた。


「誤解しないでキルスティちゃん、私達はあなた達をただ逃がす為に昇電に乗ってもらうわけじゃないのよ」


 キルスティの頭頂部に顎を乗せるようにして、艦長は続けた。


「たとえ〈じんりゅう〉がセーピアーにいる深度まで潜航することで、圧壊の危機を逃れることが出来たとしても、そこから脱出する術が〈じんりゅう〉にはもう無い。だから私達が助かる為に、助けを呼びに飛んでもらいたいの……全員で助かる為にね。それには作戦指揮所MCで事態を上手く説明できる技術系のクルーに行ってもらわないと……」


 キルスティは艦長の胸に顔をうずめながら、彼女の言葉に頷いた。

 理屈では分かる。だから彼女の胸に中で何度も頷くのだが、肩が震えるのを止めることは出来なかった。

 自分が情けなかった。

 自分が原因で【ANESYS】が維持できなかったことも……。

 〈斗南〉で何度も受けたユリノホールドを、またしても受けてしまったことも……。


「でも……あの私じゃなくても他に適任がいるんじゃ……作戦指揮所MCに報告するならエクスプリカでも……」

[ア~ダイジョブダイジョブ、俺ノコトナラ心配スルナ]


 顔を上げたキルスティの言葉に、エクスプリカがまったく空気を読まない軽さで答えると、キルスティの脚元に近づき、んべ~とばかりに口にあたるスロットからメモリーデヴァイスを吐き出した。


[作戦指揮所MCニ着イタラコレヲのぉば・ちーふニ渡シテクレ。ココマデノ任務記録ダ]

「……そういう事みたいね」


 エクスプリカに多少呆れながら艦長が言った。


「でも機関長の仕事が……」

「確かにあなたがいないと苦労はするだろうけれど、この間の大規模迎撃戦で私達は機関長不在で〈じんりゅう〉を動かしたことがあるわ、だから心配しないで」

「でもでも……」


 キルスティはまだ言いたいことがあったが、言葉が喉につっかえたように上手く口に出来なかった。

 自分が選ばれたのは、ユリノ艦長が一番新人で幼い自分を助けたかったから……という理由があるのは、隠しようもない事実だ。

 けれど、艦長はそれを完全に隠すだけの論理的理由をつけてしまった。

 結局、ユリノ艦長の言う通りにするのが、〈じんりゅう〉が助かる為には最も論理的なのだ。

 キルスティは諦めると同時に、決心した。

 自分に任せられた仕事を全力で成し遂げることを。

 そう決心した瞬間から、彼女の脳裏では、早くも次にすべきことが猛烈なスピードで渦巻き始めていた。

 クルー達は誰も口にしないが、キルスティには分かっていた。

 今の〈じんりゅう〉に最も必要とされているものを。


「だけど艦長よ」

「なに? クィンティルラ」


 ふとフォムフォムの胸から顔を上げたクィンティルラに、ユリノ艦長は尋ねた。


「一時より遅くなったとはいえ、超ダウンバーストは今だ時速400キロ近くあるんだぜ、いくら〈じんりゅう〉よか軽いつっても、昇電でその下降気流の中を突っ切って雲海の上まで脱出なんてできるのか?」

「大丈夫、考えならあるわ。まぁまだ確信があるわけじゃないけど、多分……きっと手はあるはずよ」


 途中から心なしか自信無さげになっていくユリノ艦長の言葉に、キルスティは若干不安にならざるおえなかった。

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