♯3

 バトルブリッジ艦首上方ビュワーに、逆V字陣形を組んだ〈ナガラジャ〉〈リグ=ヴェーダ〉〈ヘファイストス〉を見上げながら、〈じんりゅう〉はフィニィの操舵により減速を開始すると、〈じんりゅう〉は航行速度を木星の衛星軌道速度=第一宇宙速度・秒速約42キロからそれ以下に落とすことで、木星の重力に引かれその高度をゆっくりと下げていった。

 眼下に見える巨大な乳白色の雲の渓谷へと降りて行く〈じんりゅう〉。

 艦首から艦尾方向へと猛烈な速度で流れていくガス流の速度が、〈じんりゅう〉の減速に合わせ、徐々に目に見える速度まで減速していく。

 高度低下と共に、艦首方向のメインビュワーが、大気との接触による断熱圧縮で淡い山吹色の光のベールに覆われていくが、減速がゆっくりである為、その輝きはごく淡いものであった。

 同時にバトルブリッジに、木星大気との接触による振動と共に、普段は聞くことの無いコンピューターによる合成効果音では無い、本物の風鳴りの音が響き始めていた。


「……すごい」


 思わずそう呟くミユミの声が、フィニィの後方の通信士席から聞こえてきた。

 確かに、風鳴りはもちろん、この風とシンクロした振動も、〈じんりゅう〉では今だかつて体験したことの無い感覚であった。

 なによりも本物の風、それも木星の風と、〈じんりゅう〉は今接触しているのだから。

 上辺だけをまねた機械の効果音とも、グォイドとの戦闘で味わうUV爆発の振動とも違う、巨大な惑星の自然のパワーのようなものを、フィニィはその風鳴りと振動で、そして操縦桿を握る手から感じたような気がした。

 バトルブリッジ左右両舷側のビュワーを見れば、先ほどまで見下ろしていた乳白色の雲の渓谷が、今や左右を囲う幅10数キロの巨大な双壁となって〈じんりゅう〉を呑みこんでいた。

 改めて上方に目をやれば、僚艦たる〈ナガラジャ〉他の艦はすでに豆粒のように小さくなり、その背景の漆黒の星野と〈じんりゅう〉の間に、薄い靄がかかりはじめていた。

 先ほどまで頭上から〈じんりゅう〉を照らしていた太陽の光は、急激にその輝きを衰えさせてゆき、艦は薄暗闇の中を、渓谷の奥底に見える黒茶色の河の水面のようなガス流へと向かって降下して行く。

 今まではまだ、雲と雲との切れ目を下ってきただけだったが、そこから先はいよいよ濃厚なガス雲の中だ。

 近くで見るガス流は、距離が縮んだことで赤褐色に見えた。上空で見た時はほぼ同側で止まって見えた流れが、〈じんりゅう〉が減速したことで、今は艦尾から高速で艦首方向へと流れて見える。

 よく見ると、その濃い紅茶みたいなガス流の奥で、微かな光が明滅しているのが見えた。

 おそらくそれが、ガスの摩擦で大量に起きているという木星の雷の光なのだろう。


 ――これからあの中に潜るっていうの?


 フィニィは操縦桿を握る手が汗で滑るのを感じた。


「ねぇ~、なんか言う程ダイブ・ダイブ・ダイブでも無くね?」

「だ! ……だってだって、昨日見た映画で言ってたじゃないかクィンティルラぁ!」


 ブリッジの緊張感を裂くように、操舵席の背もたれにもたれかかりながら声をかけて来たクィンティルラに、図星を指されたフィニィは頬を赤くしながら答えた。

 確かにさっきの〈じんりゅう〉降下開始時の「ダイブ! ダイブ! ダイブ!」は、自分で言ってしまってから猛烈に恥ずかしくなってきてしまっていた。

 それについてはもう、追及しないでいて欲しかったのに……。

 やはりスルーはしてくれなかったのか!


「確かにボクがちょっと早まったよ。けどもうすぐ本当のホントにガス雲の中に潜るから!」

「はいは~い……思った程には潜った感がなかったもんだからさぁ」

「だから~! 潜ろうと思って降下した先が、たまたま雲の切れ間だっただけなんだって!」


 クィンティルラに言いわけがましく説明するが、あまりフォローになってないなとフィニィは赤い顔のまま思った。


「にしても……いやぁ~なかなか面白かったよなぁ潜水艦映画ってのは。まったく昔の人間は、人間同士でけったいな殺し合いをしてたもんだぜ」


 操舵交代が待ち切れず、こうしてフィニィの席に寄り掛かって来て彼女が操舵する姿を見守っているクィンティルラは、フィニィの心情を余所に、「ダイブ! ダイブ!」発言の原因たる昨晩の作戦前恒例の映画観賞の彼女なりの感想を語った。

 いつもであればアニメ『VS』シリーズを見ていたはずなのだが、ケレス沖会戦でちょっとした人気者になってしまっって以来、クルー達には『VS』シリーズを平常心で見る精神的タフネスさは無く、代わりにルジーナの提案で、いわゆる20世紀中期以降の名作潜水艦映画を三倍速でハシゴしたのだ。


「なぁなぁ、木星にも、あの馬鹿でかいイカみたいなのがいたりしてな」

「何言ってるのさ、地球にだってあんなのいやしないよ。もしいるとしたら、どっちかというエウロパあたりじゃないの?」


 最初に見た潜水艦映画に出てきた巨大イカのことを話すクィンティルラに、フィニィは呆れながら答えた。


「分からないぞ~。チーフも言ってたじゃないか、人類はせっかくUVテクノロジーを得たのに、身近な惑星のことをよく調べようとしなさ過ぎたって。謎の影の話もあるし」


 クィンティルラは手をひらひらさせながら脅かすように言った。

 20世紀以降の歴史的知識に乏しいクルー達には、よく理解できないことも多々あったが、潜水艦映画作品群を、クルー達は概ね楽しむことができた。

 そしてルジーナやノォバ・チーフが、今作戦のことを何故潜水艦じみたと表現したのかが少しだけ理解できた気がした。

 視覚が塞がれた中で、索敵情報を頼りにあの手この手で知恵を絞り、仲間と協力しあい、敵と死闘を繰り広げる物語は、確かにこれから行われるガス雲流内での作戦に通じるものがありそうだった。

 ……とはいえ、クィンティルラが言うように、潜水艦と似た要素があれども、全てが潜水艦と同じというわけでは無いのだけれど。

 でも、フィニィが思わず作中のセリフを真似したくなる程度にはその映画に惹きこまれたはしたのであった。

 と、クィンティルラとフィニィの会話を窘めるように艦長が「こほん」と咳払いをした。


「どう? フィニィ、大気圏内航行は? 上手く舵をとれそう?」

「今の所は問題ありません。真空中に比べて恐ろしくレスポンスが良いですけど、シミュレーション通りで――」


 背後からのユリノ艦長の問い、フィニィが答えようとした瞬間、突如としてブリッジの人口重力が消え、完全0G状態となった。


「のわぁあ!?」


 一瞬、フィニィの座る操舵席のヘッドレストに、掴まって立っていたクィンティルラの両足が、ブリッジの床かからふわりと浮きあがり、彼女の身体が上下さかさまになった。。

 同時にビュワーに映る雲の景色が、それまでを遥かに超える速度で下から上へと昇っていった。つまり、〈じんりゅう〉が猛烈な速度で降下しているのだ。

 ブリッジに響くクルー達の悲鳴。


「超巨大な下降気流デス! すいません見逃しましたデス!」


 ルジーナが落下Gに耐えながら必死に報告する。

 雲の切れ間を飛んでいたことで無意識に警戒を解いてしまっていたが、目には見え無くともここは大気圏内であり、その大気は時に下向きの風となって〈じんりゅう〉を襲うのだということを、今、実体験させられているのだ。

 ルジーナが下降気流を見逃した事は誰も責められなかった。

 彼女は先行した無人艦の索敵データも監視せねばならず、地味に大忙しだったのだ。少なくとも昨晩見た潜水艦映画トークに参加できない程には。

 しかも大気圏内索敵など初体験だ。基本的に敵以外は真空の宇宙とは勝手があまりにも違う。


「フィニィ! 増速! 艦首上げ!」

「ふんぐっっつ!」


 艦長の指示を受けるまでもなく、フィニィは操縦桿を引き、スロットルレバーを上げた。

 艦首ベクタードで無理矢理艦首を上げながらメインスラスターをさらに吹かすと、たちまち艦の降下が収まり、クィンティルラの両足がブリッジの床へと着く。

 大気圏内航行では、真空無重力中の姿勢制御スラスターを駆使した機動ではなく、空力制御で艦をコントロールせねばならないことを、フィニィは実体験で理解した。

 ノォバ・チーフはこの時の為に、シュモクザメのような艦首ベクタードや、船体各部の古代魚のヒレのような放熱翼を、大気圏内機動の為に操舵コントロールと連動して可動するように改修・強化しておいてくれたのだ。

 〈じんりゅう〉は艦底部の腹びれのような放熱翼を、渓谷の底の赤褐色のガス雲に擦るようにしながらなんとか降下から水平飛行へと移行した。


「すいません艦長、シズの作った木星用艦内AGS(人工重力システム)の調整プログラムが甘かったようなのです。今の航行データを元にアップデートします。航行を続けていくうちにプログラムが自動学習して今のようなことななくなるはずなのです」


 通常の戦闘であれば、絶対に起こり得ないはずのブリッジ0G状態を、おシズが詫びた。

 あらかじめガス流内を航行することで、艦が上下左右に振り回されることは想定されており、おシズはそれに対応した艦内人口重力システムの調整を行ってはいたはずなのだが、何事も実地で体験してみないことには上手くいかないということなのだろう。


「了解したわおシズちゃん。ふう……みんなビックリしたわね」


 ユリノ艦長が溜息と共にそう漏らした。


 普段、重力下で落下した経験など無いクルーに、気軽に返事ができる者はいなかった。


 ――重力下こわ!


 クルー達はいきなり木星大気圏内重力下航行の洗礼を受けた気がした。

 木星降下に際し、〈じんりゅう〉は地球の2.5倍の重力に対応すべく、ノォバ・チーフとキルスティ機関長の手により、艦内の人口重力発生装置を惑星重力キャンセラーへと転用させることで、木星雲海の底への沈没を回避するようにしていた。

 単に重力に抗うだけならば、船体を艦尾を下に向け直立させて、艦尾スラスターを吹かせば良い話なのだが、ガス潮流の中ではそれは不可能だからだ。

 しかし、下降気流によって沈めさせられることもあるとは……、そういうこともあると予想はしていたにも関わらず、クルー達の鼓動は早鐘のごとく激しくなっていた。


「ルジーナ、索敵状況は?」

「は……はひ! 〈じんりゅう〉センサーレンジ内に敵影確認されず、先遣無人艦〈ラパナス改〉一号から四号艦も同じ。予定コースを順調に先行中でありますデス」

「おシズちゃん、各無人艦の状態は?」

「〈ラパナス改〉全五隻の無人艦、全て異常無し。リレー通信ラインも問題無く確保されていのです」


 艦長の問いに対する索敵電側員と無人艦指揮者マギステルからの報告。


「分かったわ。ミユミちゃん、〈リグ=ヴェーダ〉作戦指揮所MCのテューラ司令から、今の悲鳴は何事か? と訊かれたら下降気流にぶつかったけど心配無いって伝えておいて」

「了解。もう司令から凄い問い合わせが来てますが、そう答えておきます!」

「ああ……そう。そうだ、あとクィンティルラ! 危ないから席に座ってなさい!」

「へ~い」

「ふう……よし。……みんな、覚悟を決めて、色んな事が起きるのは分かっていた事だし、ぐずぐずしてたって事態が良くなるわけでもなし、無駄に時間を失うだけよ」


 一通り支持を下すと、艦長はそう言って今一度大きく深呼吸すると、改めて覚悟を決めたようだ。


「副長、艦尾上部艦載機格納庫ハッチ開放、曳航式センサーブイ曳航開始!」

「了解、曳航式センサーブイ曳航開始します」


 ユリノ艦長の命により、通常は昇電が格納されている〈じんりゅう〉艦尾上部格納庫が開放されると、本作戦用の特殊装備、無人機セーピアーをコアに、巨大なガス雲内滑空用ウイングと各種センサーモジュールを取りつけた巨大なブーメランのようなセンサーブイが、アンテナを兼ねたケーブルに繋がれながら、ゆっくりと後方へと引き出されていくのが、艦尾方向ビュワーに投影された。

 この装備はガス雲内での索敵範囲を広げるだけでなく、木星赤道上空の〈リグ=ヴェーダ〉他の艦との通信ラインを確保する為の高感度高出力通信アンテナともなる。

 程無く長さ5キロのケーブルが出しきられ、〈じんりゅう〉に引っ張られる凧のような状態で、センサーブイの曳航が開始された。


「センサーブイ正常に稼働中。作戦指揮所とのデータ通信状態、良好。艦尾索敵範囲、4倍まで拡大デス」

「よ~し、うむうむ、よ~し! 早速だけどおシズちゃん、フィニィ、ルジーナ。例の【ANESYS】製位置情報視覚化LDVプログラムを起動させてみよう」


 フィニィは唐突に艦長に自分の名前を呼ばれ、そして艦長が言った内容に軽く驚いた。


「りょ、了解なのです。……ですがユリノ艦長、先刻【ANESYS】が作ったこのプログラムは、完全に分析できていないのです。さっきの急降下のように、プログラムの不備が無いとも限りませんのです……」


 シズがフィニィが思うのと同じ懸念を述べた。

 ガニメデ基地での最後の一日、クルー達はノォバ・チーフの指示により、【ANESYS】を用いて木星ガス雲内航行用支援プログラムを作らされていた。

 【ANESYS】の高速情報処理能力を使えば、手っ取り早く複雑なプログラムを構築することが可能だからだ。

 実際の戦闘中で行われた【ANESYS】戦術マニューバでも、終了と同時に用途不明な謎のプログラムが構築されている事があり、そのプログラムの中には、人類の対グォイド戦闘に有用なものも稀に存在する。

 しかし、明確な意図と認識をもって、内容を確認しながら時間を掛けて構築したプログラムでは無い為、信頼性に劣るという欠点もあった。

 〈斗南〉での【ANESYS】戦術マニューバシミュレーション中に、クルーの意図しないところで作られたプログラムが、〈ワンダービート〉にいるケイジ少年のカルテ・データの入手を妨害した……という例もある。

 おシズが躊躇うのももっともだとフィニィは思った。

 しかし、ユリノ艦長は早速それを使おうというのだ。


「分かってるわおシズちゃん、それは覚悟の上よ。それに皆が作ったプログラムでもあるんだから、悪い事にはならないって信じてるわ。出し惜しみしても意味無いし、駄目なら早めに分かった方が良いしね」

「は、はぁ。了解なのです。【ANESYS】製位置情報視覚化LDVプログラム、起動します。フィニィ少佐、備えて下さいなのです」


 艦長にそう言われては、それ以上はおシズは何も言えないようであった。


「プログラム起動!」


 無人艦指揮の他、〈じんりゅう〉メインコンピューターのオペレーター兼ねるおシズの操作により、【ANESYS】製プログラムが起動すると、バトルブリッジのメインビュワーをはじめとする上下左右前後の各外景ビュワーの映像が、じわりと変化した。












 ブリッジの各外景ビュワーに映るガス流が、画面のコントラスト調整されることによって、追い風は青色系で、向かい風は赤色系に微かに染まる。

 しかし変化はそれだけだった。


「何か……あんまり変らないな」


 カオルコ少佐が皆の心情を代表するかのように言った。


「このプログラムも学習型なのです。無人艦から得た進路前方のデータと、今回〈じんりゅう〉自身がガス雲内で得たデータを蓄積し解析することで、アップデートしていくはずなのです」


 おシズがフォローするように説明した。

 ノォバ・チーフの支持により、【ANESYS】を用いて作られたそのプログラムは、分かっている限りで言えば、原理としては【シズィーナ・スペシャル】の亜種と言えるものであった。

 いわゆる【シズィーナ・スペシャル】が、微小デブリの運動方向から逆算して敵の移動痕跡を割り出し視覚化するのに対し、この【ANESYS】製位置情報視覚化LDVプログラムは、センサーレンジ内のガス流の方向と速度から逆算して、センサーレンジ以上のガス流の方向や位置と速度を割り出し、外景ビュワーに実際の映像に重ねて映像化するプログラムなようであった。

 しかし、実際に使うのはこれが初めてであり、その有用性は未知数だ。

 おシズの言うように、使っていくうちに有用性が発揮されていくのかもしれないが、早く使えるようになってくれないと、グォイドと戦うどころじゃなくなってしまうと、フィニィは思った。


「それでかまわないわおシズちゃん。フィニィ、みんなガス流に潜りましょう。無人艦だって無事先行しているんだもの、大丈夫よ」

「良いんですね? 艦長」

「だって他に選択肢なんて無いでしょ?」


 艦長にそう言われて、フィニィには返すべき言葉が思いつかなかった。


「〈じんりゅう〉タダイブ! ダイブ! ダイブ!」

 

ユリノ艦長は声高らかに命じた。


 ――艦長も言ってみたかったんだね……


 フィニィは苦笑いしながら、艦首ベクタードを潜水艦でいう潜舵替わりにして、再び〈じんりゅう〉を降下させた。

 艦首を上げつつ推力を落とし、艦尾から追い風状態のガス流へと突入する〈じんりゅう〉。

 その瞬間、追い風に突入した為、背後からドスンと蹴り飛ばされたかのような衝撃がブリッジ襲い、クルー達が悲鳴をあげた。

 さらに外景ビュワーが赤褐色のガスで覆われ、視界はたちまち一キロ先も見えなくなる。


「ふんがぁ~!」


 先刻の下降気流に晒された時程極端ではないものの、ガス流内で激しく上下左右に揺さぶられるの艦を、フィニィは呻きながら必死に宥めようと試みた。

 艦内AGS(人工重力システム)の調整が進んだのか、ブリッジ内が0Gになるようなことは無かった。が、艦内AGS(人工重力システム)は僅かに艦の挙動にあわせたGを残し、クルーに艦の挙動を感覚的に知らせようとした。


 ――みんな酔わないと良いけど……。


 操舵しているフィニィ自身は割と平気であったが、他のクルーがこのランダムな揺れに耐えられるかは分からなかった。


「これは……なかなかね……」


 ユリノ艦長が呻くように呟くのが聞こえた。

 さらに、ブリッジ正面メインビュワーに、幾つもの閃光が瞬いた。先ほどガス雲の真上からも見た雷の光だ。

 その閃光の瞬きに合わせ、もはや人工の効果音なのか、本物の雷鳴なのか分からなくなるほどの轟音がブリッジに響いた。

 フィニィは艦に響く振動と豪音から、幾つかの雷が〈じんりゅう〉に命中しているのを感じた。


「サヲリ! ダメージは!?」

「大丈夫です! 船体にダメージ報告無し、シールドが正常に稼働し完全に防御しています!」


 振動によるビブラートがかかった声で、ユリノ艦長へ副長が報告した。

 高速ですれ違うガス雲流では膨大な静電気が生まれ、地上の無い木星では、それは上下左右の区別なく落ちる雷となる。

 その中へ飛び込んだ〈じんりゅう〉は、当然無作為な雷の的にもなる運命であったが、幸い、グォイドの攻撃に比べれば、雷など防御シールドの敵では無かったようだ。


 ――ああ……でもこれは……ちょっと……きっついかも……。」


 ガス雲に潜航してまだ5分も経っていなかったが、無人艦ならいざ知らず、人の乗った艦が、この状態を何時間も耐えられるとは思えなかった。


「艦長! 今……艦内AGS(人工重力システム)と【ANESYS】製位置情報視覚化LDVプログラムがガス雲内データを蓄積して解析中なのです。間も無く現環境に対応したアップデートが終ります!」


 おシズがコンソールに必死にしがみ付きながら告げた。

 正直、フィニィにはそれでどうにかなるレベルとは思えなかった。が、今はその二つのプログラムのアップデートとやらが上手くいくことを祈るしかなかった。

 そしてその答はすぐに分かった。

「両プログラム、更新されるのです!」

 おシズが宣言した瞬間、それまでが嘘のようにブリッジの振動と轟音が収まり、メインビュワー他、各外景ビュワーに映るガス雲が晴れて消えた。


「……うそぉ?」


 思わずユリノ艦長が呟いた。











 フィニィは一瞬、ガス雲の切れ目に〈じんりゅう〉が躍り出たのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 振動も轟音も完全に消え去った訳では無く、木星の大気上層部を航行した時程度には残っていた。どうやらおシズの調整した艦内AGS(人工重力システム)がその効果を発揮した結果らしい。

 どちらかと言えば、驚いたのは切り替わったビュワーに映る景色の方だった。

 先ほどまでビュワーを覆っていた赤褐色のガスは消え去り、ビュワーに映る景色は、まるで違う惑星……というか宇宙に来たかのように変っていた。

 大小幾筋もの黒ずんだ赤から様々な濃さのピンク、白から様々な水色、さらに黒ずんだ青色をした、太さの異なる――だがどれもが〈じんりゅう〉よりも巨大なチューブが、〈じんりゅう〉の上下左右を覆っていた。

 太さと色は異なるものの、そのどれもが〈じんりゅう〉の進行方向と平行である為に、なんとなくうどんやらパスタ等の、古今東西の様々な麺類の束の中に、微生物となって紛れこんでしまったような気分になった。

 チューブの断面もふにゃふにゃと歪で、茹で過ぎたマカロニのようだった。

 〈じんりゅう〉が収まっているのは白……というか透明なチューブ。

 上方左右を見上げれば、薄ピンクの恐ろしく太いチューブが蓋をしており、左右や下方には、赤系青系のチューブがランダムの存在している。ただ、よく観察して見れば、〈じんりゅう〉下方のチューブの方が、圧倒的に色が濃く、黒ずんでいる。

「これって……」

 フィニィには、もう少しでこの光景の法則性と意味が理解できそうだった。


「【ANESYS】製位置情報視覚化LDVプログラムが、先行無人艦と〈じんりゅう〉で得た索敵データを、クルーが認識しやすいように視覚化した結果なのです」


 おシズがそう説明した。


 ――と……いうことは……!


 フィニィはようやく、青から赤へかけての色の意味が分かった。

 なんの事は無い。最初に製位置情報視覚化LDVプログラムを起動させた時と変らないのだ。

 追い風のガス潮流は青色系で、向かい風のガス潮流は赤色系で、色の濃度は速度を表しており、その太さはガス潮流の太さ表現しているのだ。

 下方が黒ずんで見えるのは、深さによるガス圧の高さを表現しているようだ。

 目に映る景色は、見ている最中にも刻々と変化していく。

 それが自然のガス流なのだからチューブ自体が微妙にうねっているというだけでなく、最初はのっぺりとした各ガス潮流のチューブの表面が、プログラム起動前に見たガス雲のもくもくとした凹凸へとデティールアップしていくのが目に見えて分かった。

 こうして見ている間にも、プログラムが映像のクオリティを上げているのだ。

 さらに、前方やや下の遥か彼方に、小さ逆三角形のアイコンがポップアップした。

 それはどうやら〈じんりゅう〉前方を先行して航行中の無人艦〈ラパナス改〉を表しているらしい。


位置情報視覚化LDVプログラムすごい!」


 フィニィは思わず声に出して呟いた。

 この至れり尽くせりの視覚情報なら、なんとか〈じんりゅう〉を飛ばし、グォイドと戦うことだって出来そうな気がした。


「な~、あれって何であろうか?」

「あれって何?」


 と、唐突に訊いてきたカオルコ少佐にユリノ艦長が訊き返した。


「あれだよあれ。なにか髪の毛みたいなものが映ってないか?」


 そのカオルコ少佐の言葉にフィニィも前方を目を凝らしてみると、彼女が何を指しているかが分かった。

 遥か前方のやや下方に、細く黒い糸のようなものが、上向きの弧を描いて映っていた。

 一瞬、ビュワーに髪の毛でも張り付いているのかと思ったが違った。

 それは実際にビュワーに投影されているもので、弧の左右はビュワー画面の左右の切れ目まで伸びており、しかも、わずかだが蠢いている。

 それは〈じんりゅう〉の前進とともに、髪の毛程度だったものからみるみる太さを増していった。

 フィニィははここではたと気づいた。

 位置情報視覚化LDVプログラムは、どうやら色が黒ずんでいる程、気圧が高いものを表現しているようだ。……だとするならばあの細い糸状の物が真っ黒い場合は何を表現しているのか。

 前方の黒い糸は、カオルコ少佐が気づいてから僅か数十秒で、ロープサイズにまで巨大化していった。

 つまり、あの黒い糸……もとい黒いロープは実際に前方に存在するものであり、色が黒いのは気圧が極限で高い=硬いということなのではないだろうか?

 そうフィニィが思い至ったのと同時にルジーナが叫んだ。


「艦長! 木星軌道エレベーターの残骸デス!」


 彼女が叫んだ直後に、示し合わせたかのように衝突警報がけたたましくブリッジになり響いた。

 前方の黒いロープは、今や黒い横倒しの巨大な柱となっていた。


「フィニィ! 緊急回避っ!!」


 艦長の指示を待たずに、フィニィはすでに操縦桿を思い切り捻っていた。

 大気中の艦は恐ろしい程のレスポンスでフィニィの操舵に答え、〈じんりゅう〉は左ロールしながら降下した。

 ブリッジに響くクルーの悲鳴の数々。

 艦内AGS(人工重力システム)が余計なGや衝撃をキャンセルしたが、それでどうにかなる恐怖では無かった。

 フィニィはセンシティブな艦の操作性をなんとかねじ伏せながら、直径200メートルはありそうな木星軌道エレベーターの柱の直下を、〈じんりゅう〉が逆さまになって通過したのを確認した。

 即座に〈じんりゅう〉を元の高度と進路に復帰させる。


 ――そういえばノォバ・チーフが言ってたっけ……!


 艦尾ビュワーに、遠ざかっていく木星軌道エレベーターのなれの果てが映るのを見ながら、フィニィはついさっき――これならグォイドとだって戦えそうだ……などと思った自分を恥じた。

 いかに【ANESYS】が作ったプログラムの加護や、オリジナルUVDの恩恵があっても、それを操るクルーが油断すれば、一瞬で破滅は訪れるのだ……。

 フィニィは今一度、覚悟を決めると操縦桿を握り直した。

 








 〈じんりゅう〉のガス雲への降下は、それから三時間、何事も無く順調に進んだ。

 目的地の大赤斑深部へと到達した〈じんりゅう〉がようやく遭遇したのは、目標たるナマコ・グォイドと、何者かによって破壊された無数のグォイドの残骸であった。

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