▼第四章  『宇宙(病棟)大作戦』

♯1

 これは夢なのか……それとも現実なのか……判然としない。

 目の前には、無限の闇と、ありとあらゆる光が満ちていた。

 今、ただ一人宇宙を漂う自分を照らすのは、遠く離れた太陽からの儚く弱い光だけではない。

 断続的に繰り返される眩い閃光が、彼を照らす。

 その光景を見つめる彼の肉体から、硬式宇宙服ハードスーツを挟んだ数センチ先の宇宙空間には、彼に手で触れられるものは何も無い。

 広い、ただひたすらに広い空間が広がっていた。圧倒的な数で迫りくるグォイド艦隊と、それを迎え撃つ太陽系防衛艦隊SSDFを除いては……。

 UVエネルギーの虹色の光輪が舞い散り、敵味方の艦が次々と沈んでいく。

 グォイド艦隊とSSDF艦艇との戦の光が、少年を照らし続けた。

「はは……凄いや……光で一杯だ……」

 目の前の光景に、自分のおかれた状況にはあまりそぐわない呟きが、我知らずもれる。

 防御シールドと装甲で守られた艦内ならともかく、体一つで戦闘宙域を漂っていれば、いずれ散弾とかしたデブリにその身を貫かれ、死を迎えるのは不可避であるにもかかわらず……。

 この壮大な光景を生で見れるのは、宇宙に放り出され、仲間も、帰るべき艦も失い、あとは死を待つだけとなった人間の、最初で最後の特権なのだ。

 事ここに至っては助かる術などありはしない。だから少年は、驚嘆すべき目の前の光景に再び目を戻すことにした。

 巨大なグォイドの影が少年を覆った。

 いつのまにか、グォイドの群の中にまで流されていたのだ。

 ――ああやっぱりか……所詮、どんな人生を選んだとしても、結局最後にはグォイドに地球ごと滅ぼされる結末が待っているだけなのだ。

 人類の何千、何万倍もの時間、宇宙で進化し続けてきた彼らに、宇宙への進出歴が精々二世紀程度の人類が、そもそも立ち打ちできるわけが無かったのだ。

 いつもであれば、ここで「……畜生」と嘆き喚いていたかもしれない。

 ――そうだ、この宇宙は人間なんざお呼びじゃなかったんだ! ――と。

 だが、何故か今は違った。

 ――自分自身のこれまでの人生はもちろん、人類の歴史も進化も文化も何もかも……いや地球の生み出した全生命の存在さえも、全てが無意味だったんだと、悔しさに泣き叫んだりはしなかった。

 ――滅ぼすくらいならなんで生み出したんだ!! と、絶叫したりしなかった。

 全てを諦め、受け入れようとしたりしなかった。

 何故ならば…………。

 そうケイジが思い至った瞬間、眼前で弾けた巨大な爆炎を突き破り、巨大な艦首女神像フィギュアヘッドが姿を現した。

 ――だって彼女らがいるから……!

 〈SSDFーVS802 じんりゅう〉ケイジは艦名板を読むまでもなく、その名を知っていた。

 巨大な白銀のシュモクザメが、宇宙の戦場を舞い、グォイド艦を次々と屠っていく。


 グォイドとの絶望的と言っていい戦いくさが続く時代にあって、人類には唯一の希望にして切り札が存在した。グォイドに対し、唯一互角以上に渡り合える艦隊、名をヴィルギニースターズ艦隊。彼女達の艦隊だ。


 これは夢なのか……それとも現実なのか……いや……これはきっと思い出なのだろう。


 沈みゆくグォイド艦の爆炎がケイジを覆う。肉体は蒸発し、宇宙の塵へと還るだろう。

 だが虹色の光に包まれても、ケイジは割と穏やかな気分であった。

 もう心配はいらないのだ。〈じんりゅう〉の彼女がいれば、人類はきっと守られるだろう。

 艦長も副長も、火器管制も操舵も電側も、通信も無人艦指揮もパイロット達も、皆が最高のクルーだ。

 全てが無駄じゃ無かった。だから、自分一人の死ぐらい受け入れられた……。

 もう何も思い残すことは無いと言えた…………はずだった。

 が、しかし……、






 恐ろしく心地よい眠り、まるで身も心もとけて宇宙と一体になってしまったかのような、そんな深い眠りから一転、一瞬、ゾワリという微かな予兆のようなものを感じた。毎度思うことだが、もしこの予感の最中に行動することが出来たら……と願わずにはいられない。

 だがそう願った頃には時すでに遅く、覚悟を決める間も無く、その激痛は襲って来た。


「!!~っ」


 まるで映画の中のキャラクターの如く、ベッドから跳ね起きた。

 映画と違うのはべつに悪夢から目覚めたというわけでは無いということだ。

 ケイジは右脚の脛部分に襲う激痛に、声を殺して呻き続けた。いい加減、同室の人間を起こさないように痛みに耐える術は覚えた。

 またこんな夜がやってきてしまった。

 第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦から約半年、ケイジは目覚めて以来、眠れぬ夜を迎え続けていた。

 毎夜毎夜、眠りについた頃になると、右脚の脛部分から上下に引きちぎられるような激痛が襲ってくる。他の身体の違和感は克服できたが、これだけはどうにもならなかった。

 ケイジは仕方なく自分のベッドから降りると、脚を引きずりながら病室から廊下へと出た。

 脚をなだめるようにして何とか廊下の壁に手を付くと、廊下に張られた舷窓代わりの薄型モニターに、現在航行中の宇宙空間が投影されていた。

 艦は少なくとも秒速数百キロ以上で航行中のはずだったが、宇宙の星々には、目で見て分かるような動きは見えない。

 だが、ケイジはその代わり栄えのしない景色を、見つめ続けずにはいられなかった。

 その星々の彼方から、もうすぐ彼女達の乗る船が来るというのだから。

 






 ――――ケイジが目覚めたのは、見覚えの無い天井が見下ろすベッドの上だった。

 その照明の光や天井の色合から、おそらくSSDFの艦艇内のベッドなのだとは思うのだが、確信は持てなかった。

 何故なら目覚めはしたものの、視力がまだはっきりと戻ったわけでは無かったからだ。

 見える世界は、すべてが漠然としてディティールがハッキリとしない。何故か右目と左目では見える世界の色調まで違う。

 さらに身体が殆ど動かない。まるで四肢に通ずる神経回路が麻痺してしまったかのようだ。

 そもそも、一体何故? どういう経緯を辿ってベッドに寝ているに至ったのだろうか? すぐには思い出せなかった。

 少なくとも、背中に感じるベッドの柔らかさには覚えが無かった。こんな柔らかいベッドで寝たことなんて今まであっただろうか……?

 少なくとも、ここは自分の知ってる場所では無いはずだ。

 数分後にようやく看護ヒューボットが通りかかり、ここが病室であること聞き出せたが、声を出すことも、声を鮮明に聞きとることも、まだ上手く出来なかった。が、幸いそれらの肉体的麻痺は、単にあまりにも長時間寝過ぎていたのが原因だったらしく、その殆どは急激に回復していった。


 ……右脚の感覚を覗いては。


 血相を変えてとんできた人間の看護婦から、すでに第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦の終了から二カ月が経っていると聞けたのは、目覚めてから3時間も後のことだった。

 どうやら自分はその間ずっと昏睡状態だったらしい。

 まるで立ち上がりの遅い古いコンピュータのように、時間が経つにつれて記憶も蘇って来た。

 自分の名は三鷹ケイジ、技術三等宙曹の十六歳であり、第一迎撃分艦隊ミサイル駆逐艦デヴォンシャー級のダメコン兼機関部エンジニアとして、第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦に参加。

 激戦の最中に、乗艦が沈められ、装甲宇宙服ハードスーツ姿で宇宙に一人放り出された………………ところまでは、なんとか思い出す事ができた。

 だがそこからの記憶は曖昧だ。

 曖昧も何も……それから救助され、ここ、SSDF汎用航宙士支援艦――〈ワンダービート〉に運ばれ、治療を受けるも昏睡状態が続き、今に至ったのだというのだから、考えるだけ無駄なのだけれど。

 ケイジは看護婦からの説明に、ただただ――そうだったのか……――と納得する他無かった。

 何か忘れているような気がする……というより何だか夢のようで信じられなかった。が、肉体的に余計なことを考える余裕など無かった。

 目覚めた自分の肉体は、我ながら酷い有様になっていたのだから……。

 それから三カ月と少し、ケイジはひたすらリハビリに励んできた。肉体の麻痺が無くなったが、長期間の昏睡で失われた体力は如何ともしがたい。

 23世紀の医療をもってすれば、死んでなければ必ず助かるとは言うが、命が助かったからといって、完全に元通りの健康状態を即取り戻せるというわけでは無いのだ。

 クローン技術を利用した再生医療や、MMマシン医療等々の治療を受け続け、ケイジは以前の自分を取り戻さんと努力を続けた。

 ここ航宙艦〈ワンダービート〉は、迎撃戦が終わった今、そういう境遇の傷病航宙士のリハビリと再訓練を行う為の艦として運用されることとなっており、それが許されていた。

 今から約二十年前、UVテクノロジーの獲得黎明期に、元々は航宙豪華客船として建造されたというこの〈ワンダービート〉は、グォイドとの戦の激化に伴いSSDFに摂取のうえ改装され、平時は訓練艦として、戦闘時は病院船として使用される汎用航宙士後方支援艦として運用されるようになっていた。

 全長500メートルの巨大なアーモンド型の船体艦尾に、無理矢理UV推進機関を付けようなこの艦は、船足も遅ければ、防御力も攻撃力も無いが、元々豪華客船であったが故の、800名以上が乗船可能な巨大な船体と居住性の良さを活かし、傷ついた航宙士の心と身体を癒す場所として、あるいは新たに航宙士となる人間の訓練の場として、多くの航宙士が過ごしてきていた。

 ケイジも仮に第五次グォイド大規模侵攻が無かったならば、新人航宙士としてまずこの艦に乗り込み、日々航宙訓練に挑んでいたはずであったのだ。

 第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦が終わり、木星圏で大量の傷病航宙士を受け入れた〈ワンダービート〉は、患者の治療をしつつ火星圏に移動、完治のなった航宙士、あるいは命を救えなかった航宙士の亡骸を降ろし、新たな航宙士訓練生を乗せ再び旅路についていた。

 ケイジは予備役航宙士として、火星には降りずにリハビリと訓練の日々を続ける道を選んだ。

 〈ワンダービート〉内のには、ケイジと似たような境遇の航宙士は珍しく無かった。

 それはある意味、飼い殺しに近い状態であったと言えるかもしれない。

 SSDFとしては、今回の戦闘で生き延びた経験値のある航宙士は手放したくは無く、かといって彼らを乗せる艦艇の補充にはまだ時間がかかる為、いたしかたない状態であった。

 こうして、とりあえずの病院船としての役目をこなした〈ワンダービート〉は、訓練艦とリハビリ艦の両方の役目を担いつつ、SSDFの対野良グォイド掃討作戦の後方支援の任につくべく木星圏に向けて航行中であった。






 右脚の激痛に、再び眠りに就くことは無理だと判断したケイジは、脚を気遣って歩きながら、いつもの如く艦内を縦断して厨房へと向かうことにした。

 最初はエンタメ・アーカイブにある映画を見まくり、痛みを紛らわしていた。だが一日に二本も映画を見れば、他のことがしたくなってくる。

 無駄に〈ワンダービート〉の艦体をメンテして怒られたり、模型を作ってみたり、読書してみたり……様々な眠れぬ夜の暇つぶしをしているうちに、どうも厨房で何か食事を作ることが効果的であることに気づいた。

 最初は烹炊飯炊き科員に嫌な顔をされたが、ケイジがそこそこ以上に使えることが判明すると、彼を無碍にはしなくなった。

 調理用ヒューボ任せじゃ無い料理を振る舞いたいと、〈ワンダービート〉の烹炊科員も常々思っていたようであった。

 ケイジは〈ワンダービート〉内の食事の準備の一部を、ちょくちょく手伝うことになっていいった。

 確かに訓練生の頃に烹炊科で料理は習ったのだが、ただそれだけにしては異常に手際が良いことに、〈ワンダービート〉の烹炊科員はもちろん、ケイジ自身も驚いていた。

 ――一体なぜなのか?

 ケイジは漠然とした違和感を覚えたが、答は無かった。

 厨房へと向かう途中、艦内時間では夜中であるにも関わらず、通路内や艦内各所の空き室では、新人航宙士やリハビリ航宙士が眠りもせずに、なにやら活動中であった。

 普段からこうなわけではもちろん無い。

 きっかけは、二週間前に新生〈じんりゅう〉の発進と同時に発表された。

 新生二代目〈じんりゅう〉が慰問の為にこの〈ワンダービート〉にやってくる……その情報は瞬くに〈ワンダービート〉艦内の隅から隅まで駆け抜け、〈ワンダービート〉クルーと新人航宙士とリハビリ中航宙士は、即座に彼女達を迎える為の準備にかかったのであった。

 SSDF上層部の正式な許可が降り、〈じんりゅう〉とのランデブー日は、〈ワンダービート〉の正式な記念日となり、さながら〈ワンダービート〉学園文化祭とでも呼んだ方が良さそうな一代フェスティバルになることが決定された。

 通路や空き部屋で夜中に起きて何やらやっている連中は、〈じんりゅう〉クルーを歓迎する垂れ幕や、物販やら軽食の屋台やらの準備にいそしんでいる……か、あるいは興奮してただ単に眠れない人々なのだ。

 ケイジも、本人の意思に関係無く、このビックウェーブに否応もなく巻き込まれ、様々な形で〈じんりゅう〉の彼女らを歓迎すべく活動していた。

 積極的に興味があるイベントでは無かったが、脚の痛みを忘れるには丁度良かった。

 そして、いよいよ明日、〈じんりゅう〉とそのクルーはこの艦へとやって来る。

 ケイジは自分でもよく分からないとても穏やかな気分で、彼女らを待ち受けた。

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