♯5

 澄みわたった青空のもと、爽やかな風が視界一面を覆う草原を優しく撫でていた。

 その草原の中央、僅かに盛り上がった丘の上に立つ一本の巨木、その下に目的のものはあった。

 黒い御影石で出来た腰の高さ程の細い四角柱、その前面に、今は亡き姉の名は刻まれていた。


「今日はありがとうね、私のワガママに付き合ってくれて」


 ユリノは隣に立つ姪に、囁くように話しかけた。

 ユイは何も答えなかった。ただ無言でユリノと繋いでいた手を強く握り返しただけだった。

 ユリノにはそれで充分であった。姪はあまり喋らない人間だが、それは言葉の重要性を本能的に心得ているからではないか? と最近は思っている。

 二人はそろって膝をつき、それぞれ持っていた花束をレイカの墓石の元に置くと、目を閉じて姉であり母であるレイカに心で話しかけた。

 ユイが心で何と姉に話しかけていたのかは、ユリノには分からない。ただ、大人に言われるがままに、わけも分からず連れてこられて来ているだけかもしれない。

 それでも嫌な顔せずに、ここに一緒に来てくれてだけでユリノは充分満足だった。

 これから数カ月の間は、ここ半年のように頻繁に会う事は出来なくなるのだ。

 今日、生まれ変わった〈じんりゅう〉は旅立つ。

 ユリノとユイは、レイカの墓標に背を向けると、〈斗南〉SSDF航宙士霊園を後にした。

 背後でホログラム投影されていた草原のイメージが消え、白い部屋にポツリと立った姉の墓石が床に格納されていくのを、わざわざ振り返って見たりはしなかった。

 遺骨も遺体も無い航宙士の墓石が、この霊園の床下では弾薬庫の砲弾のように無数に格納されているのだろう。

 映画のワンシーンを切り取ったような草原に立つ墓標の光景など、全て幻にすぎない。

 容積の限られた宇宙ステーション内の墓標とはそういうものであった。

 そして、そうでありながらも尚、この宇宙ステーションに墓標を作るという行為は、人類の宇宙進出への不退転の決意の表れなのかもしれない。

 霊園の入口では、ノォバ・チーフの妹夫婦と〈じんりゅう〉前機関長のシアlシャが待っていた。


「お待たせしました」


 ユリノは義理の妹夫婦にまず頭を下げると、大きくなったお腹を重たそうに抱えて立つ、長身金髪碧眼の前機関長の方をを向いた。


「シア姉来てたのぉ? お腹は? お腹は平気なの?」

「ユリノ艦長、確かにもうすぐ予定日っすけど、だからってこんな晴れの日に引きこもってなんていられないっすよ」

「ありがとうシア姉」


 ユリノはシアーシャのお腹に気を使いながらハグした。

 第五次グォイド大規模侵攻の直前に妊娠が発覚し、〈じんりゅう〉に乗れなかったシアーシャは、〈斗南〉に〈じんりゅう〉が帰還したことを、それこそ全身全霊で歓迎してくれた。

 彼女にしてみれば、自分が乗船しなかったお陰で〈じんりゅう〉がピンチになったのだと思っても仕方無かったわけで、その借りを返そうと必死になってしまうは当然のことかもしれない。ユリノも自分が彼女の立場ならきっとそうするだろうと思った。

 ユリノをはじめ〈じんりゅう〉クルー一同は、そんな彼女にお腹の子に触るからもう気にしないでと何度も言っているのだが、彼女はこうして事あるごとに、何がしかの手助けになろうとやって来てくれている。


「シア姉さん、ユイちゃんのことをお願いします。もちろんお腹の子に触らない範囲でね」


 ユリノは彼女のお腹を触りながら頼んだ。

 第五次グォイド大規模侵攻迎撃の為に〈じんりゅう〉が出航してから今まで、彼女はちょくちょくユイの面倒を見に来てくれているのだ。


「任せてっすよ艦長!」

「出産には立ち合えそうに無くてごめんねシア姉」

「こっちこそ!……ちゃんと元気な子を生んでおくから……ちゃんと……」


 感極まりそうになっているシアーシャを、またハグして慰めると、ユリノはユイに今一度ユリノホールドの限りを行い、一時の別れを告げ、ノォバ・チーフの妹夫婦の所へ彼女を預けた。

 姪のことが心配でならなかった。が、父がSSDF技術者として忙しい関係上、元よりノォバ親子は妹夫婦と同居して生活してきていた。

 一瞬当たり前のように感じていたが、ユイと頻繁に会えたここ半年の方がイレギュラーだっただけであり、それが元に戻るだけなのだ……と、ユリノはそう自分を納得させた。

 今回はユイの父であるノォバ・チーフも、新生〈じんりゅう〉の改良後調整の為、数カ月留守にしてしまうが、妹夫婦とシアーシャがいればユイの事は一応は心配ないはずだ。

 ユイがいない自分が心配ではあるけれど。

 後ろ髪引かれる思いを振り切り、ユリノは霊園最寄りの〈斗南〉北端宇宙港・短距離シャトルベイへと急いだ。








 〈斗南〉北端の短距離シャトルベイには、すでに他のクルー全員とノォバ・チーフ集まって待っていた。


「お~そ~いぃ~!」


 クィンティルラの艦長を艦長とも思わない第一声が、今のユリノには何故か心地よかった。彼女は彼女で、これから乗るシャトルの操縦がフィニィに任されてご機嫌斜めだったらしい。

 シャトルの操縦を買って出たら、キルスティとノォバ・チーフを含む全員に『絶対にダ~メ~』と反対されたのだそうだ。

 クィンティルラには悪いが、彼女にシャトル操縦を任せた結果、新生〈じんりゅう〉の発進式にクルー全員が真っ青な顔で出ていくわけにもいくまい。

 揃った一同はシャトルに乗り込むと、フィニィの操縦で〈斗南〉北端より出発した。

 どこか他所へ行くのが目的では無い。今回皆でシャトルに乗ったのは、生まれ変わった〈じんりゅう〉の最終目視確認を皆で行う為であった。

 旅客用短距離シャトルでまず〈斗南〉の北端から離れると、シャトルの窓から全長約八キロの〈斗南〉の全貌が見えた。

 宇宙ステーションの原材料となった小惑星〈斗南〉の姿が、まだ中央に目で見える形で残っているのがまず目を引く。

 〈斗南〉はラグランジュⅢに固定した小惑星をくり抜いて作った遠心重力ブロックの前後に、港湾・造船施設、各種プラントを行き当たりばったりで増設し、宇宙での終の棲家へと改造したものなのだ。

 改めて見る〈斗南〉宇宙ステーションの全容は、正直に言って、歪で機能的な美しさとはかけ離れていた。

 実際、UVテクノロジー以前に建造され、今だに遠心重力ブロックなどという世間では廃れたものを使っているこの宇宙ステーションは、人類全体で言えば時代遅れの産物なのかもしれない。

 しかし、ユリノは人生の中で〈じんりゅう〉以外で最も長い時間を過ごしてきたこの宇宙ステーションのことを、割と誇りに思っていた。

 確かに古い宇宙ステーションだが、それはこの施設を作った人々が、いち早く宇宙に挑戦し、諦めなかった証でもあるのだから。

 北端から南端に設けられた航宙艦ドックへと、緩いカーブを描いて〈斗南〉の端から端へと回り込む。

 ドックに横たわる他の航宙艦の影から、生まれ変わった〈じんりゅう〉の姿が見えて来ると、思わず息をのむ音が、自分以外からも聞こえた。

 “最終目視確認”などというのは口実に過ぎない。

 単に、皆が見たかったのだ。生まれ変わった〈じんりゅう〉の姿をこの目で。

 艦首大破、主砲搭全損、補助エンジン四基中二基大破、その他被弾多数……煤焦げだらけだったその船体は、見違える程に変っていた。


「新品みたい……」

「新品以上さ」


 ユリノの呟きに、チーフが答えた。

 クルーのひいき目であることを抜きにしても、白銀に輝く〈じんちゅう〉は美しく思えた。


「仕様書も読んだだろうが、一応説明しておくぜ。まず見れば分かることだが、補助エンジンナセルは四基は全て取り替えた。無事だった二基もガタガタだったしな」


 シャトルがフィニィの操縦により、〈じんりゅう〉艦尾斜め上方から艦首へと滑らかに移動していくのに合わせ、ノォバ・チーフが解説をはじめてくれた。


「最新モデルの補助エンジンを提供してくれるって話もあったんだが、最新だとまだ信頼性が危ういんで、中の補助UVDとガワのナセルは一つ前のモデルで揃えさせてもらったぜ」


 確かに〈じんりゅう〉の艦尾をX字型に囲む、テーパーのついた六角柱のような補助エンジンナセルは、そのデザインが若干鋭角なものに変っているのが見てとれた。


「メインノズルもオリジナルUVDの出力に耐えられるよう、特殊素材で新造したものに替えた。操舵担当は前の〈じんりゅう〉のつもりでスロットルを動かすと、この艦はかっ飛んじまうから気をつけろよ」

「は、はい!」


 フィニィがシャトルの操縦桿を握り締めながら答えた。


「船体各所のUVシールド発生グリッドは全部強化して、この間の戦闘みたいにメインUVDがやられることが無いようにした。ま、オリジナルUVDがイカれるわけ無いだろうが。あと何といっても一番の改修ポイントは主砲塔の換装だな」

「待ってました!」


 カオルコがべたっと顔を窓に張りつけた。


「主砲塔は全基単装から二連装に変えた。つまり全六門から全十二門に増えて威力も倍だ!」


 カオルコの視線の先を、新たな〈じんりゅう〉主砲搭が通過していく。

 平べったい箱状のUVキャノン砲搭の中心より右側から、二本の四角柱状の砲身が伸びているのが見えた。

 人類製UVキャノンは、旋回用バーベットリングを加速用シンクロトロンに使っている為、砲身が砲塔に対してセンターから右側にずれて搭載される特徴があり、空いた砲身と反対側の砲塔前部には動軸レーザー砲が備え付けられていた。

 新砲塔ではその砲身が二本に増えているのだ。


「せっかくのオリジナルUVDの大出力だ、有効に使わせてもらわないとな」


 チーフの説明に、カオルコは拳を握りしめて、身をかがめながら何度も小さくガッツポーズした。


「その他、電装系、索敵系、各UVコンジットは総とっ替えした。性能の出来うる範囲内でアップデートしてある。あとは艦首だな」


 シャトルが艦首前に移動すると、金色に輝く新たなフィギュアヘッドが、眩い光をシャトルの一同を照らした。


「見ての通り、フィギュアヘッドは職人による特注品だ。罰が当たるからなるたけ壊すなよ。あとベクタードスラスターの取りつけウイングの中に、小型UVDを真横にして搭載してある。仮にオリジナルUVDが停止した上に、補助エンジンも二基しか動かなくなるようなアホな事態があっても、この小型UVDと二基の補助エンジンと、艦内全てのUVキャパシタさえあれば、理屈のうえではオリジナルUVDの再起動は可能なはずだ」


 段々と饒舌になってきたノォバ・チーフの解説に、皆が「おお~」と拍手をしてリアクションするのを、ユリノは微笑ましく思いながら見つめた。

 皆でこれに乗り、また旅に出るのだ。

 さっきまでユイとの別れで沈んでいた心が、生まれ変わった〈じんりゅう〉の姿をこの目で見て、早くも復活し始めている。ユリノは自分の白状さに呆れる他無かった。


「だがクルーの諸君よ、肝に銘じておいてくれ。確かに〈じんりゅう〉は大幅なパワーアップを遂げたが、それは、オリジナルUVDの有り余るパワーを放出させる必要があったからだ」


 チーフは急にシリアスな口調になると続けた。


「オリジナルUVDは主機関として使っちゃいるが、基本的に誰が何の目的で生みだしたのか不明な未知の物体だ。いいか、二代目〈じんりゅう〉のこの船体は、オリジナルUVD実験艦〈じんりゅう〉の予備・・として建造されたものなんだ。ちょっとでも使い方を間違えば、オリジナルUVDの出力はこの二代目〈じんりゅう〉の船体を内側からぶっこわす敵になるぞ」

「……」


 チーフの言葉に、和やかだったシャトル内が一瞬にして静まり返った。


「……な~んてな! 考え過ぎだとは思うが、心に留めておいてくれればそれでいい」


 チーフは慌てて冗談めかしてそう締めくくった。


「よ~し、これであとは発進するだけだな! 艦長、発進式ではいっちょカッコ良いスピーチを頼むぜ!」

「!!」


 クィンティルラの言葉に、ユリノは今一番考えたくなかった事を思い出してしまった。


 ――せっかく考えないでいたのにぃ! ――


 今日、これから航宙艦ドックにて行われる新生〈じんりゅう〉発進式では、ケレス沖会戦の英雄にして、今は亡き姉レイカの残したオリジナルUVDの回収という偉業を成し遂げた二代目〈じんりゅう〉艦長からの、発進の挨拶が行われる予定なのであった。

 ――〈斗南〉中の人間が集まり、全人類圏へのネット中継がされる中で。


「あわわわ……」


 ユリノは頭を抱えて身をくねらせると、最終的に目の前で輝く〈じんりゅう〉の新造フィギュアヘッドむかって、拳を重ね合わせると祈った。

 最近そっくりになってきたと良く言われる、姉をモデルにした女神像は、何も答えはしなかった。










 数時間後、短距離シャトルの天井に、飛宙機パイロット使用のソフティスーツに、ヘルメットとグローブを装着して簡易宇宙服姿となったフォムフォムは座っていた。

 肩や手足をストレッチし、これから行う任務に備える。

 背後ではクィンティルラがボクサーのセコンドのように、フォムフォムの肩を手や肘でマッサージして、これから行われる彼女の晴れ舞台を支援していた。


「しっかし、宇宙くんだりまで来てヘンテコな儀式をするもんだよなぁ」

「フォムフォム……儀式とはそういうモノだクィンティルラ。それに、この儀式には艦を清めるという意味がある」

「へぇ~」

「元々は生贄の血で新造船を清めていたのだそうだ」

「うげっ」


 フォムフォムはクィンティルラに答えると立ち上がり、大きく背伸びして、最後のストレッチを行った。

 シャトルの天井に人工重力は無いが、ブーツのマグロック機能があるので、その立ち姿は重力下と何ら変わりない。


「よ~し準備は良いかフォムフォム?」

「フォムフォム……問題無い」

「よっしゃ~やったれぃ!」


 クィンティルラに背中をバンと叩かれると、フォムフォムはこれから投げる物体をクィンティルラから受け取り、投擲体勢に入った。


「ふぉむっ!」


 大リーガーのごとく大きく振りかぶり、片足をピンとまっすぐ上げると、その足を下ろす勢いで持っていた物体を投擲する。

 しかし、投擲モーションが大げさだったわりには、投げられた物体の速度はゆっくりであった。何故ならあまり勢いよく投げると、まず危険であるし、なにより速すぎて人の目には良く見えなくなってしまうからだ。

 フォムフォムの投げた物体――砕けると瞬時に気化することにより、デブリになる心配がない特殊な氷で作られた塊――それは、シャンパンボトルの形をしていた。









 無数の星々の光を一瞬だけ遮りながら、一本の瓶がゆっくりと回転しながら虚空を横切って行く。

 その氷でできたシャンパンボトルは、カメラ映像で、ネット配信で、街頭ビュワーで、展望ラウンジで、大勢の人々ば見守る中、進路の彼方にあったパールホワイトに輝く船殻に衝突すると、光り輝く氷の粒となって消えた。

 そのパールホワイトに輝く船殻には〈SSDFーVS802A〉と表示されていた。

 その光景を見ていた人々の盛大な拍手と歓声が、〈じんりゅう〉メインブリッジのスピーカー越しからでも伝わって来た。

 新生二代目〈じんりゅう〉発進式は、つつがなく進行し、〈じんりゅう〉艦首へのシャンパン割りの儀も無事成功した。

 残すところはもう〈じんりゅう〉が発進することだけとなった。

 が、その前に……、


「嗚呼……あああああ、とうとう来てしまった……」

「艦長、そろそろです」

「腹を括れよユリノ、グォイドを相手するよかマシだろ?」


 副長とカオルコに言われ、ユリノはグォイドの方がマシだと言い返しそうになるのを何とか我慢しながら、艦長席からおずおずと立ち上がった。

 昔からこの手の事が苦手だった。

 一度深く深呼吸すると、有線式アナログマイクを口元へと持ちあげた。


 ――誰よ!? 発進の挨拶なんてさせようと言いだしたのは! 


 ユリノが顔を上げると、エクスプリカが艦長席の真正面、操舵席と電側席の間で、その単眼カメラで自分の姿を撮影し中継するためにスタンバイしているのが目に入った。


「艦長、展望ラウンジで発進式監督中のテューラ司令よりGOサインが出ました。スピーチをどうぞ」


 ユリノの思いなど露知らず、通信士席のミユミが報告してきた。


 ――何を言えってのよ! ――


 ユリノはビュワーの一つに、展望ラウンジ一杯に集まった人々の映像が映し出されているのが目に入り、慌てて目をそらした。

 ユリノは艦長帽を脱ぎ、髪をかき上げると再びかぶり直そうとして……手を止めた。

 艦長帽の裏側に挟んでおいた一枚の紙が目に入ったからだった。

 それは半年と少し前、〈じんりゅう〉のメインブリッジで撮影したホロ写真をプリントアウトしたものであった。

 あの日あの時、無事に減速を成し遂げ、メインベルトを安全に通過した〈じんりゅう〉は、救援艦とのランデブーを前にして、突然の来訪者して、〈じんりゅう〉減速の功労者たる少年とのささやかなお別れパーティーを開き、最後に流れで全員そろってこのメインブリッジで記念写真を撮ったのであった。

 その写真には、艦長席の前で、全員揃ったクルーに囲まれて、極めて居心地悪そうな少年の姿が写っていた。

 もちろんVS艦隊のクルーとしては、撮影することも所持することも許されるものでは無い。

 だからデータにして漏れるのを防ぐ為に一枚だけプリントアウトし、こっそりと艦長帽の裏に隠しておいたのだった。

 ユリノが持つ少年の唯一の足跡であった。


 ――ケイジ君……あなたなら何て言う? ――


 ユリノは記憶の中の少年に問いかけた。

 きっと、彼もこの手のスピーチは苦手だろう。でも命令だったならば、苦手なりに何か言おうとするはずだ。

 目を閉じると、少年から最後に聞いた言葉と……あの歌の記憶が蘇ってきた。

 ユリノは覚悟を決めると、ミユミに目配せし、エクスプリカの頭部カメラに赤い撮影中ランプが点いたのを確認すると、ゆっくりと口を開いた。


「え~ごほん! み……みなさん、私はこの度生まれ変わりました〈SSDFーVS802じんりゅう〉艦長、秋津島ユリノです。

 本日、みなさまのご支援により修復のなった〈じんりゅう〉は、再び宇宙へと発進することになりました。クルー一同を代表し、ここに深く御礼申し上げます。

 ……現在、人類はグォイドの襲来により、有史以来の存亡の危機を迎えています。

 ある人は言います。

『何万何億年もの間、宇宙を旅し、進化し続けてきたグォイドに対し、宇宙に進出してたかだか二世紀と少ししか経っていない人類が、太刀打ちできるはずが無い』と。

 確かに、理屈で言えばその通りと言えるかもしれません。

 そして、その言葉の通りならば、新たに一つの疑問が沸いてくることになります。

 人類は何故、この宇宙に誕生したのだろうか? という疑問です。

 グォイドに滅ぼされる為に人類は……いいえ人類だけでなく、地球上の全生命は、この宇宙に生まれてきたと言うのでしょうか?

 人類のこれまでの歴史も、生み出してきた文化も芸術も何もかも、ただ無に帰す定めだと言うのでしょうか?

 グォイドの恐怖に怯え、眠れぬ夜を過ごす子供達に、明日は無いというのでしょうか?

 ……『そんな馬鹿なことあるか!!』と、今は亡き我が姉ならば答えるでしょう。

 私もそう答えます。

 人類は滅びる為に生まれてきたわけじゃない。人類は、生きて生き抜いて、幸せになる為に生まれてきたのだと、私は信じます。

 グォイドの脅威は確かに絶大です。

 ですが、我が姉はこうも言いました。

『勝ち目の無い戦いなんて無い』『勝算ゼロなんて信じない』と。

 私もこの言葉を信じます。

 グォイドは確かに強敵ですが、人類はこうして何度も滅びの危機を乗り越えてきました。それは、我々人類が、簡単には諦めなかったが故の結果です!

 みなさん、どうか私達〈じんりゅう〉の旅を見守っていてください。そして諦めないでください。できる範囲でかまいません。自分達にできることでグォイドの脅威に挫けずに立ち向かってください。

 人は、一人ひとりが互いを信頼しあった時に、最大のパフォーマンスを発揮するのだと、我々VS艦隊のクルーは【ANESYS】を通じて学びます。

 奇跡は起きます! 起こしてみせます!

 今、私たちの〈じんりゅう〉は発進します!

 人類の未来を勝ち取る為に……子供達が安心して眠り、迎える明日を守る為に!」


 ユリノはそこまで言いきると、敬礼し、それから深く頭を下げた。

 そしてエクスプリカの撮影中を示す赤ランプが消えるなり、どさりと艦長席に腰を落とし、そのまま沈み込んだ。

 ビュワーに映る展望ラウンジは、静まり返ったままだった。


 ――ああ滑った! やっぱり止めておけばよかったんだ~! 


 とユリノが不貞腐れそうになったその時、ぽつりぽつりとなり始めた拍手が、最初はゆっくりと、やがて割れんばかりの大歓声と共に展望ラウンジに響くのが、メインブリッジにも伝わった。


「ん、あ~……良かったぞ艦長。何て言うか……それっぽくて」

「……さすがです」


 カオルコと副長が、若干とってつけた感のある感想をくれたが、まあ深く考えるのは止めておこう。


「艦長、展望ラウンジのテューラ司令より、〈じんりゅう〉の発進命令がでました!」


 ミユミの報告。


「よーし、行くわよみんな! 各セクション、状況報告せよ」


 一番の難関をクリアしたユリノは、快活に命令を下した。


「操舵主及び、全操舵・航行システム異常無し」

「無人艦指揮担当及び、メインコンピュータと全電装系とそのオペレーターも異常無しなのです」

「全武装及び、火器管制官及び同システムに異常無し」

「副長及び、ダメコンシステムに異常無し。艦内全気密を確認。全ヒューボット、通常航行体勢で配置完了。補給物資の積み込み終了を確認」

「電側員及び全索敵システムに異常無しデス。〈じんりゅう〉予定進路の安全を確認」

『こちら艦尾底部シャトル格納庫、クィンティルラとフォムフォムの両パイロットは乗船済みだぜぃ』

「通信士及び全通信システムに異常無し。〈斗南〉航宙管制室からの〈じんりゅう〉発進許可降りました」

「ききき、機関長及び、メイン・サブUVD全基と艦首UVD、他推進システムに問題なしです!」


 最後にキルスティが緊張しながら何とか報告した。

 ユリノは微笑ましい思いでそれを聞くと、次の指示を下した。


「よし〈じんりゅう〉発進シークエンス開始する! メインサブ他全UVD起動。全ボーディングチューブ及び全繋留アーム解除」


 ただちに各セクションから復唱が返って来る。

 展望ラウンジからは、それまで一切自ら光を灯していなかった〈じんりゅう〉に、両舷灯、各部衝突防止灯、所属と艦名を照らす自己照明灯が次々と点灯するのが見えることだろう。

 さらに〈じんりゅう〉上部センサーセイル後方のメインマストに、無重力でもはためく特殊繊維でできたSSDF旗、〈斗南〉旗、VS艦隊旗が掲揚される。

 最後に艦首ベクタードと艦尾のメイン・サブスラスターに、微かな虹色の噴射炎がアイドリング状態で灯る。


「〈じんりゅう〉離岸準備完了しました」

「よし、艦首スラスター最微出力で噴射開始。微足前進0.5」

「了解。微足前進0.5」


 フィニィの操舵により、〈じんりゅう〉は極めてゆっくりと前進を開始した。

 半年弱の間過ごしてきた〈斗南〉が、徐々に視界の後方へと消えていく。

 クルー達は離れていく〈斗南〉を、万感の思いと共に見つめ続けた。


「艦長!」

「な、なに? ミユミちゃん!?」


 急に真剣な顔で振り返ってきた彼女に、ユリノは何かトラブルなの!? と思い尋ねた。


「展望ラウンジよりSSDF〈斗南〉支部音楽隊と〈斗南〉少年少女合唱団による壮行演奏です!」

「あ、ああそう……スピーカーに繋げて」


 ユリノは安堵しながらミユミに答えた。

 直ちにスピーカーから、SSDF音楽隊による、この時代になってもなんら価値が変わることの無い、人による楽器の生演奏のメロディが響き始めた。

 最初は低くスローテンポで、まるで宇宙の深遠さと広大さ表わすかのようにメロディははじまる。

 そして低かったボリュームがゆっくりと盛り上がると同時に、メロディは聞き慣れたファンファーレへと変った。

 これはあの曲だ。

 勇壮さを具現したかのようなメロディ。

 この時代に生きる人間ならば、誰もが聞いたことがあり、歌ったことがあるあの曲だ。

 辛い時、悲しい時、勇気が欲しいと願った時、何時だって心の中で響いていたのは、この歌だったような気がする。





     ――この広き宇宙に、僕らはなぜ生まれたの? ――


    ――英知 勇気 友情 努力

        全てが無意味と諦めきれるの? ――


    ――きっといつかは気づくのでしょう

          答えはまだ知らないけれど――


    ――飛び立て! ヴィルジニ・ステルラ!

        奇跡は舞い降りる 希望と共に

          ここに生きる意義を取り戻すよ――





 〈斗南〉少年少女合唱団の歌声が時に力強く、時に儚く歌い上げる。


「やっぱ、船の旅立ちたるもの、こうじゃないとなぁ」


 カオルコが目を潤ませながら、そうコメントした。

 ユリノはただうなすく事しかできなかった。無理に声を出そうとしたら、泣き声でこの歌を邪魔してしまいそうだったからだ。

 カオルコの言う通りだ。船出とは喜びと共に、希望と共にあるべきだ

 ユリノはビュワーに映る展望ラウンジ内の合唱団の中に、精一杯に口を開き、合唱に加わっている姪の姿を見つけた。

 ユリノは瞳から溢れる雫を拭うことも忘れ、ただ歌声と演奏に聞き入っていた。





    ――嗚呼 ヴィルジニ・ステルラ!

        人は誰でも 心の奥に―――――――――

          揺るぎない輝き 秘めているから 嗚呼





 どんなに名残おしくとも、歌はいつか終わってしまう。

 〈じんりゅう〉はいつの間にかメインスラスターを噴射しても、〈斗南〉を傷つけない安全圏まで移動を遂げていた。

 ユリノは合唱が終わると、万感の思いと共に、涙を拭い命じた。

「〈じんりゅう〉発進!」と。

 生まれ変わった〈じんりゅう〉は、様々な人々の思いをのせ、艦尾から五つの虹色の光輪を閃かせると、〈斗南〉の元から外太陽系に向け加速を開始した。

 目的地は、木星・火星艦を周遊する病院船兼リハビリ訓練艦〈ワンダービート〉、そこへ〈じんりゅう〉は、クルーによる慰問イベントの為に向かうのであった。

 それがあくまで表向きの任務でしか無い事を、目的地にいる少年は、まだ知らない。

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