第36話 意志強き女王の頁-10-

 午前三時。


バルトは一枚の手紙を手に、大荷物を背負いながら、ほんの数カ月だけ世話になった部屋に一礼して部屋を出た。


寝静まって静寂に包まれる城の中で、彼の足音だけが響く。


「あいつ、起きてねえといいが…」


苦笑いを浮かべながら、幼馴染を思い浮かべる。


――何せあいつは、悪運だけは強いんだ


そう思いながら城の出口に向けて一歩一歩進んで行った。


物心がついてから、人の前で初めて泣いたあの日。


バルトは、一つだけアイリスに嘘をついていた。


「恋愛対象とは捉えてねぇ…か…我ながらど下手くそな嘘だな」


結局、忠誠を誓っておいて尚、自分の心を偽ることはできていなかった。


それが今回のような結果を招いたのだ。


「は〜ぁあ!これでまた失敗したらガチで俺、居場所消えるよな〜」


笑いを含んでとんでもないことを言っている自分が、この上もなく面白かった。


どんな時でも崖っぷちは、彼にとってただの人生の調味料にしかならないのかもしれない。


「燃えてくるねぇ?…これからが楽しみだ」


気が付けばもう城の出口に繋がる広場にいた。


一度止まって深く息を吸う。


再び足を進めようとした時、あの屈強なバルトの体が揺らぐほどの勢いで、何かが彼の背中にぶつかった。


「うお?!」


驚いて振り向くと、そこには寝間着のアイリスが必死にバルトの荷物にしがみついていた。


「ぷっ!何してんのお前…くくっ」


荷物を下してもまだしがみついているアイリスの顔を見ると、バルトはギョッとした。


当然だ。今にも泣きそうな顔で睨みつけられていたのだから。


「お前まさか起きてたのか?」


苦笑いしながらバルトが聞くと、アイリスは首を横に振った。


「起こされた。お前の気配に」


ぶすったれた声でそう言うと、今度は噛み付いてくるような勢いでバルトに詰め寄った。


「こんな夜中に!一体何処へ行くつもりだ!!死ぬ気か馬鹿者が!!!」


アイリスはこんなことを言いつつも、薄々気付いていた。


バルトがここを出て行くだろうと、いつかその日が来るだろうと、あのカインの店で二人の会話を聞いて以来、ずっと思っていた。


それは、バルトが泣いた日の後も同じだった。


「まぁ聞けやアイリス。俺は…」


「聞きたくない!!」


大声を出すアイリスに、努めて戯けようとしたバルトは目を丸くした。


「嫌だ…行くな、バルト………」


「…何だ、解ってんじゃねぇか」


バルトがアイリスの頭にポンと手を置くと、アイリスはすかさずバルトの腹に強烈なパンチを食らわせた。


「おっと〜…相っ変わらず強烈だな〜ははは!」


大して痛がらないバルトに、アイリスは怒りが湧き水のように湧いてくる。


実は割とバルトにダメージが入ったことにも気付かずに…


「何なのだ!どこまでも子供扱いしおって!!今回何も言わなかったのもあれか?私がお前から見てまだガキだからか?一応私はお前より一個歳上だぞ?!!」


「はいはいはいはい、一旦落ち着けアイリス〜」


頭から手を離そうとしないバルトを、アイリスは渾身の力を込めて睨み付けた。


それをサラリと受け流してバルトは切り出す。


「お前に何も言わないで出て行きかったのは、どうせ言ったらお前が止めると思ったからさ」


「当たり前だろうが?!!」


吠えながら、やっぱり出て行く気だったのかとアイリスは内心今すぐこの場で泣きたい気持ちになった。


「まぁそう噛み付かないで最後まで聞けや〜。相変わらず短気だなぁ?」


「余計なお世話だ馬鹿者!!!!」


「はははははははははっ!」


暫くして笑い終えると、バルトは再び話を再開した。


「……なぁ、アイリス。申し訳ねぇんだが、どう頑張っても、この状況を打開するには、俺の力が足りねぇ。…状況も悪い。何よりも、今の俺の発言の説得力は無いに等しい。今の俺が元帥をやるべきではないのは、お前が一番判るはずだ」


結局、あの嫌がらせ事件から約五日経ったが、態度は改められても、噂や悪いイメージがまだ、屈強な根を張って残っているというのが現実だった。


アイリスは大臣たちを総入れ替えということも考えたが、最も混乱が大きいこの大事な時期にやるべきではないと、被害者であるバルトに止められた。


何よりも、そんなことをすれば依怙贔屓だというベルディの意見を肯定するようで、アイリスとしても不満があった。


結果としてアイリスからの厳重注意という形で片付いてしまった今回の件は、ベルディの狙い通り、バルトの信頼をどん底に落として終了したのだ。


「そんな俺が軍を引っ張っていれば、確実に今後の軍事で支障が出る。中枢がそんなんじゃいけねぇってことくらい、お前だって解るだろう?だから俺は、内側から身を引き、外側からこの戦争を終わらせる。な〜に、次は成功させてみせるさ!」


子供に言い聞かせるように話し続けるバルトは、笑ってはいるものの、どこか切なげな目をしていた。


「まぁ会えたなら丁度いいや。これに、俺の希望を書いといた。後はまぁ雑談じみたものをな。少しだけ俺の意見を買ってくれると嬉しい」


渡されるがままに手紙を受け取ると、アイリスはとうとう真珠の玉のような涙を一粒、また一粒と落とし始めた。


「お前最近泣きすぎじゃね〜?涙腺緩んだ?歳取ったか〜?」


バルトのからかいに本来なら「煩い!馬鹿者が!!!」と吠える所なのだが、今日のアイリスは違った。


「…行かないでくれ…バルト……」


「うあ〜、ちょ、マジで調子狂うなこれ」


弱り切って頭を掻くバルトにアイリスはいきなり抱きついた。


「うお?!」


「…………」


まさかの不意打ちにバルトも面食らった。


が、暫くそうしていたかと思えば、不意にアイリスが口を開いた。


「………バルト、ちょっと屈(かが)め。」


「え?あ、お、おう。」


アイリスの目線までバルトが屈むと、アイリスは左手を自分の唇に当てた後、その手で彼の額に触れた。


「?何した??」


「例の『まじない』を解く儀式だ」


「?!」


「これならお前だって、自由に動けるだろう?まぁ別に、公の場でやったことではないから、心持ちだけの問題だろうが」


「おま――」

「その代わり」


語気を強めたアイリスは、一呼吸置くと、出来る限りの笑顔で言い切った。


「必ずまた、戦争が終った後でもいいから、帰ってこい。馬鹿者」


それを聞いたバルトは、暫く硬直してはいたものの、硬直が溶けた瞬間に、これでもかというほどの笑顔を見せた。


「あったりまえだば〜か!やりたいようにやってきたらまた戻ってくるさ!」


そこまで言うと、バルトは城の出口へまた歩き出した。


アイリスは、それを黙って見送った。


✽✽✽


 バルトの手紙には、やはり、あの日の謝罪や、感謝の言葉が書き並べられていた。そして、次の元帥をベルディにしてほしいという内容も。


しかし、最後の文だけはそれらとは全く違う内容が書いてあった。


《お前が気付いているかは解らない。

――が、俺はお前に一つ嘘を吐いた。

それは次、会うべき日に会った時、どんな嘘を吐いたのか話すつもりだ。

その日まで、互いに、戦争を終わらす日まで。 バルト》


――気付いていたよ。バルト。お前は気付いていないと思っているんだろう? 私を少々、甘く見ていたようだな。馬鹿者が。


正直なところ、アイリスはずっと前から、彼の心に気付いていた。


そして自分も密かに、同じ想いを秘めていた。


――まぁだからこそ、私もお返しに嘘を吐いたわけだが………


アイリスは肺の空気を吐き出すような、雑な溜息を一つ吐く。


「忠誠の誓いを無かったことにする方法なんて、ある訳なかろうが…」


青年が去って以降、伸ばすことをしなくなったショートの髪を弄りながら、何となく窓の前に来た。


部屋の外を見ると、綺麗な星々が、切なげに光を瞬かせていた。


「早く戻って来い。バルト…」


蒼い一人の女の声は、儚げな光に吸い込まれていった。

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