第35話 意志強き女王の頁-9-

 ベルディがバルトに本性を現したあの日。


狂気を帯び、どこか勝ち誇ったような顔で、ベルディはバルトに話し始めた。


「――バルティオ。貴方はアイリス様に気がありますよね?」


電流が流れたような感覚がバルトを襲う中、ベルディは更に続けた。


「アイリス様も同様に、お前に好意を抱いている。お前が元帥になれたのは他でも無い。アイリス様の贔屓目のお陰ではないのか?」


ベルディの核心を突いたかのような得意気な目は、更にバルトを何処か焦らせた。


「…俺は、あいつを恋愛対象とは捉えてねぇよ。忠誠を誓った、大事な主さ。それに、今の職は、自分の実力だと俺は思ってる」


「しかしアイリス様は違うでしょうねぇ?」


「…何が言いたい」


だんだんとバルトに怒りの火がちらつき始めるが、ベルディは全くそれを気にしない。


「皆噂をしているのですよ?貴方はアイリス様のお気に入りというだけで、実力などないのではないかと」


「……ほう?それで?」


「アイリス様は自分の意見を通す為に、貴方を利用しているのではないか…とも、噂されていますね。」


「……ぷっ!そんな訳あるかバーカ!」


やっと確信を抱いたバルトは、一気に自分の推理をベルディに投げつけた。


「今の噂、今でっち上げたな?」


「………………」


「噂になっているなら多少でも俺への態度は皆変わってるはずだ。どうせ今のでっち上げの噂を俺に信じこませて、アイリスと考えた作戦を潰そうって魂胆だろう?それとも……元帥を狙っていたお前に、俺の存在は邪魔だってか?」


間違っていない筈だった。


この男が元帥の座を狙っていたという話を、バルトは常々、風の噂で聞いていたのだ。


「もう少し上手くやったらどうだい?ハッタリにしても下手くそすぎたなぁ?ガキでもそんなの引っかかんねぇよ」


しかしバルトの台詞に、ベルディは動揺しなかった。


「……くくっ、なるほど、もう少し上手くやれば良いのですね?解りました。望み通りにしてあげましょう」


ベルディの眼の奥に残忍な炎を確認したバルトは、頭の中で警鐘が響き渡っているように感じた。


直感的に、何かに自分が嵌ったことを悟った。


「それでは……」


不気味な笑いを隠さずに、ベルディは部屋を出て行った。


次の日から、ベルディはどのような手を使ったのか、バルトへ対する城中の人間の態度が一変した。


たった一日で、全てが変わったのだ。


城の者には聞こえるように悪口を言われ、基本的に話しかけても無視をされる。


ヒートアップしてきた頃には、もう軍内の食事等も、身の安全を考えれば口にできぬ代物になっていた。


流石にこれはまずいとレアシスまで行ったとき、ぶらりと立ち寄ったのがカインの店だったのだ。


アイリスに話すべきかとも思ったが、彼女の贔屓疑惑をなるべく消し去るためにも、それは決してできなかった。


そして、アイリスが心配する事を解っていた上で、疑惑を打ち消すために彼女と距離を置いた。


喚くよりも、行動に出たほうが疑惑を拭えると考えたのだ。


孤独な戦いそのものだった。


睡眠も日に日に浅くなり、悪夢を見ればそれを忘れるために夜中は休み無しに剣を振る。

やっと眠くなったと思えば既に日は昇っていて、次の日の夜に再び布団に身を沈めれば、また悪夢に襲われる。


悪循環は重なり、身体や心に多くの負担を抱えたバルトの心は荒んでいく一方だった。


会議にも集中し辛くなり、バルト自身でも気付かないうちに、だいぶ劣勢になっている。それが余計にストレスとなる。


最近は頭痛がし始め、そろそろ自分の体に限界を感じ始めていた時に今回の件が起き、結果として不本意ながらもアイリスにこの事を知らせることとなったのだ。


✽✽✽


「………………」


アイリスはただ呆然としていた。


まず嫌がらせだって昨日知ったばかりなのだ。


それまでずっと、バルトが暗くなって周りも近寄らなくなったとばかり考えていた中で、昨日といい今日といい、目まぐるしいほどの速度で事実が判明していくことに、アイリスは追いつくのが精一杯だった。


「…過労はあながち、間違ってはいなかったのか…」


「…何か他に聞きてぇことは?無いんならもう――」

「ある」


「は……?」


まだあるのかと呆気にとられたバルトを、アイリスはしっかりと見つめた。


「逆にお前は何か言いたいことはないのか?」


「…ねぇよ。てか何言うんだよ」


「何も私に向けてのものだけじゃなくていい。他の誰かに向けてだって、誰に向けてもいない悪態だって、全部聞く。どうせお前のことだ。カインに愚痴を零していたって、最小限に抑えていたんだろう?この際なんだから思いっきり言えばいいじゃないか」


「………言わねぇ」


「何故?」


「俺は俺のやりたいようにやる」


「大嘘つくな。嫌というほど抑えこんでるじゃないか」


「俺がそうしたいからそうしてるんだ」


「知らん。それなら私だってやりたいようにやる」


そこからは随分と荒々しい言葉のキャッチボールが繰り広げられた。


両者とも目が据わっているが、その意味合いは大きく違う。


特にアイリスは必死だった。


✽✽✽


 数十分のキャッチボールを繰り返して、やっとバルトの本音の一部を聞き出すことができた。


「お前に何が解るんだよ」


今までの中で一番、刺のある発言だった。


怒鳴り散らされたときよりも、余程深く心を抉った。


必死に堪えながら、アイリスはキャッチボールを続ける。


「解らない。だから解りたい」


「綺麗事並べてんじゃねぇよ」


――正念場だ


そう、自然にアイリスは思った。


「お前がどう捉えようが私の本心だ」


「お前の本心なんて聞いてねぇよ」


「こっちが本心で話すんだから、そっちだって本心で話すというのが筋ってものだろう?」


バルトはこれでもかというほど忌々しそうな顔をすると、再び声を荒らげた。


「うっせぇな!!!!」


アイリスはその時、信じられないものを見た。


バルトの目には、明らかに笑いすぎた時のものとは違う涙が浮かんでいた。


「本心で話すも何も、話すことはねぇって言ってんだろ?!いい加減にしろよ!俺に…俺にこれ以上何かを求めんのは止めてくれよ!!」


涙で濡れた顔を俯くだけで隠したバルトの頭を、アイリスは初めて、優しく撫でた。


「何だ、やっぱり出来るじゃないか。最初からそうやって、本音で話してくれればよかったものを、手間とらせおって」


それを聞いてダムが崩壊したのか、時々しゃくりあげて苦しそうに息をしながら泣き始めたバルトを、アイリスは母親のように優しく寄り添った。


普段は歳上と錯覚してしまいそうになるような彼が、今この時だけは、幼い少年に見えた。


バルトの口からは、これまで受けた仕打ちや、それまでどんな思いでいたか、ぽつりぽつりと言葉が紡がれていった。


しかし一番多かったものは、主犯のベルディや、アイリスへの逆恨みの言葉でも無く、自分自身を責める言葉だった。


「俺が…もっと強けりゃ…」


「それ以上強くなってどうする。強くなりすぎるのも問題だぞきっと」


「んなことあるかよ…」


「大有りだ。お前を慕ってる兵士たちの立場になってみろ。いざって時、頼ってくれなんて口が裂けても言ってくれなくなるぞ」


「俺を慕うやつなんているわけねぇだろ…」


「お前…心配して練習を放り投げてきた兵士たちを、お前が眠りから覚めないようにと追い返すのに、どれほど私が苦労したと思っているんだ」


溜息混じりのその言葉を聞いて、初めてバルトは顔を上げた。


「…来た……のか?」


「兵士の殆どがこの部屋の前に集結したから流石に私も驚いたよ。城内の余りの騒がしさにボイコットか何かでも起こされたかと肝を冷やしたわ」


珍しく戯けたアイリスの態度に、一瞬部屋が静まり返った。


そして――


「…ははっ!何じゃそりゃ!そりゃ確かにビビるわ!」


久しぶりに聞いたバルトの明るい声と、笑い声に、アイリスは最初はキョトンとしてバルトを見つめた。


「そっか、あいつらは……ははは!」


思えば貴族への怒りを兵士たちに八つ当たりしないよう、彼らの練習中に顔を出さなくなっていたことを思い出し、バルトは自分の行動を笑い飛ばしていた。


涙で声は濡れていながらも、やっと心から笑えているバルトを見て、アイリスは安心から涙が溢れていた。


そこにいるのは、アイリスのよく知る、喧しく、陽気な幼馴染だった。


「お前まで泣いてんじゃねーよ〜?ここは俺が泣くとこだって〜の!」


そう言いながら涙を人差し指で掬ってきた幼馴染を、アイリスはいつもの態度で言い返した。


「ふん!何時いつ泣こうが私の勝手だろう?変なときだけ恰好つけようとしおって!」


「はははははっ!」


急に抱きついてきたかと思えば、ポカポカと痛くもない拳を自分の胸板にぶつけてくる幼馴染の女王を宥めながら、バルトは一つの決心をしていた。


それを何時言おうかとどこか遠い思考の中で考えつつも、バルトは子供みたいなじゃれ合いを楽しんでいた。


彼女の、爽やかなアイリスの花の香りが、傷ついたバルトの心を優しく癒やしていった。

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