第34話 意志強き女王の頁-8-

 「どういうことなのか、はっきり申さぬか」


バルトが穏やかな寝息を立てる横で、アイリスは見る者が震え上がるほどの剣幕で医師を睨みつけた。


「で、ですから、睡眠不足が原因の頭痛が、過労などのストレスが重なってここまで悪化したのではないかと……」


「そこではない」


タジタジの医師に視線だけで詰め寄りながらアイリスは続ける。


「さっきも言ったように、こいつは最近運動量が減っている。いくら一般兵よりは動くと言えど、過労をストレスの原因と考えるのは少し無理があるのではないか?」


「お、仰る通りでございます…」


「ならばお前の思うの原因を言ってみろ」


二度目の質問にも、やはり医師は答えようとしない。


もごもごと口籠りながら時が過ぎるのを待とうとしているその子どもじみた態度に、アイリスは怒鳴るのを必死に堪えていた。


理由は他でも無い。今隣で規則的な寝息を立てたまま、昼間になっても目を覚まさない幼馴染の為だった。


「……答える気は無いようだな」


「そ、そんな事は…!!」


「先程と言い、私に嘘を吐くか?随分と身分が高くなったものだな。それとも私が見下げられたか?」


「そ、そんなことは…!!!」


「私が『嘘を見抜く能力』を持っていることくらい、お前が知らんわけがないだろう?」


「も、勿論でございます…」


「ならば答えよ。お前が思う主な原因は一体何だ?」


殺気を込めた語気に、とうとう医師は降参した。


「恐れながら…精神的なストレスが原因かと……」


「もっと細かく知っているだろう。それを答えぬか」


「それは…………」


再び口を濁す医師に、とうとうアイリスは痺れを切らした。


「…言えぬということは、お前も一端を持っていたと捉えていいのだな?ベルディの嫌がらせとやらに」


「な、何故それを…?!!あ……」


そこまで言って、医者は病的なほどに顔を白くしたがもう遅い。


――まんまと罠に嵌ったな…やはりベルディだったか…


アイリスは心底呆れたと言わんばかりの溜息を一つ吐いた後、冷淡な声で言葉を放った。


「……もう良い。下がれ。追って沙汰を下す」


「っ………はい……………」


後の恐怖から足を引きずりながら退出する惨めな姿を一瞥した後、アイリスは愛しい幼馴染の髪を撫でた。


熱こそ無いが、ずっと眠ったまま目を覚まさないその様子は、今まで眠れなかった分を取り戻そうとしているのではないかと思えてならなかった。


「……バルト…」


彼の冷たい言葉と態度は決して忘れられはしないが、アイリスは別の意味で傷ついていた。


――すまなかった…バルト…


ここまで彼が変わるまで気付いてやれなかったという自責の念は、海の波のように何度も彼女を襲い続けた。


「……………んん…」


「!」


起こしてしまったのか自然に起きたのか、バルトがゆっくりと瞼を開けた。


「全く…やっと起きたか馬鹿者が」


まだ虚ろな視線が、アイリスを見つける。


「…アイリス………?」


自分の名を呼んだ声がいつもの彼である事に、やっとほんの少しだけ気持ちが軽くなった。


「今を何時だと思っているんだ。昼の二時だぞ二時!寝坊助にも程があるだろうが」


「……あぁ…」


しかしバルトの声は、次には暗くなっていた。


「…………」

「……………」


暫く長い沈黙が続く。


――えぇい、言いたいことは山程あるというのに!!何故このような重要な時にこの口は動かない!!


アイリスは自分に苛立ち始めていた。


その苛立ちに拍車をかけるように、ドアの外から慌ただしい足音が響いてくる。


「何の騒ぎ――」

「アイリス様!カインでございます!」


声の主に驚いたのはバルトだった。


「なっ…?!何であいつが此処に――」

「入ってくれ」


バルトが問い質す前にアイリスは声の主を招き入れた。


水色の瞳の少年は二人の前に来ると、主にアイリスに向かって深く一礼した。


「持ってきてくれたのだな。感謝する」


「はい!バルトさんやアイリス様のためならこんなのどうってことないですよ!

それに、アイリス様のお陰で、初めてあの街を出て、この国をもっとよく見ることが出来ましたし!」


そう言いながらカインは、手に持っていた小包を丁寧に開いた。


そこには、少し大きめのランチボックスがあった。


「いつものです。倒れられたと聞いたので、食べたいときに食べてください」


「お…おう……」


何が何だか解らないバルトは、半ば強引に渡されたランチボックスを暫く呆然と見つめていたが、やがてクスッとだけ笑い、「サンキューな」とだけポソリと言った。


「では僕はこれで。バルトさん、お大事に。アイリス様…頑張ってください」


口早にカインはそこまで言うと、バタバタと部屋を出るて、その勢いのまま廊下を走っていった。


「なかなかに騒がしいやつだな」


失笑するアイリスとは対照的に、バルトは疑いの目を隠さずにアイリスに再び聞き直した。


「…何であいつが…此処に…」


「私が呼んだ」


サラッと答えたアイリスに、バルトは目を丸くした。


「呼んだってお前…あいつはレアシスの住人――」

「全て知っている。その上で呼んだ」


アイリスが当然だと言わんばかりの顔で即答するのを、バルトは半ば唖然として見ていた。


――仮にもレアシスの人間を、この戦時中に街の外に出すか普通…


所謂いわゆる、職権乱用というやつではないのか?と思ったが、バルトはそこをなんとか、心の中で苦笑いするだけで収めた。


もっと気になることがあるからだ。


「知っているって…どうして――」


その質問に、アイリスは少しだけ間を置いた。


「…すまない。昨日、お前の後を付けた」


その言葉に、バルトは片眉を上げた。


アイリスは、無意識にバルトから顔を背ける。


「昨日のお前とカインの会話を…聞いていた」


「……………」


「カインは悪くない。私が無理に頼み込んだんだ。彼を責めてやらないでくれ」


「…分かった」


素っ気なくそう返すと、バルトもアイリスに背を向けた。


「…自分の仕事に行けばいいじゃねぇか」


バルトの発言に、アイリスは思わず「はぁ?!」と口に出し、再び怒りを顕にしながらバルトに向き直った。


「こんなとこで暇潰しできる程、女王様は暇じゃねぇだろ」


本来なら話しかけてくれているだけでも今までを考えればありがたいことなのだが、そんなことはアイリスにはどうでも良かった。


「暇潰しだと?!暇潰しで何時間もお前の側にいたり、カインをわざわざ呼んだりすると思うか?!!自意識過剰も大概にしろ馬鹿者が!!」


怒気を顕にするアイリスなどお構い無しに、バルトは背を向けたまま黙りこんでいた。


勿論その行動はアイリスの怒りの炎に油を注ぐ様なもので、更にアイリスはそのままの勢いでマシンガンを撃ち始める。


「大体何なんだ!!!何を悩んでいるのかを相談するどころか何も言わずに抱え込んで!!私がそんなに頼りないか?そんなに信頼できないか?!いざ話しかけても無視して、返事も素っ気なくて、今までのお前じゃないのは誰が見たって一目瞭然だろうが!!カインがいたからいいけどな!?お前、あいつがいなかったら今頃お前自身がどうなってたか解るってるのか?!おい!!聞いているのかバルト?!!」


「うるっせぇな!!!」


散々に怒りの炎を天井にまで舞い上がらせていたアイリスだったが、バルトのこの十年を超える付き合いで初めての怒鳴り声に、アイリスの火はあっという間に勢いを失った。


「俺の何を知ってるって言うんだよ!!俺が何を堪えてきていたのか、解ってもいないくせに、五月蠅うるせぇんだよ!!そんなに腹が立つなら、俺の事なんか、尚更ほっときゃいいだろう?!」


アイリスには相変わらず背を向けたまま、バルトは深い溜息を吐くと、再び黙りこんでしまった。


「…………ったら――」


「…?」


「だったら!!!!」


「?!」


アイリスの呟きを聞き取りきれなかったバルトがアイリスの方を向いた瞬間、アイリスが再び吠えかかった。


最初こそ怯んだが、彼女は一度罵声を浴びせられたくらいで縮こまって身動きがとれなくなるような、小動物系の女性ではない。


「だったら言ってくれればいいだけの話だろう?!知らないことなんだから、教えてくれたっていいじゃないか!!何も教えようとしないで、自分勝手な文句を並べ立てるんじゃないこの阿呆!!!」


バルトは目を見開いてアイリスのことを見つめていた。


アイリスが泣いていたからだった。


「ここまでしても言わぬか」とでも言わんばかりのアイリスの無言の圧力に負け、気付けばぽつりぽつりと、しかし決して目を合わせようとはせずに、バルトは話し始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る