第32話 意志強き女王の頁-6-

「…………………」


アイリスは厨房に隠れて二人の会話を聞いていた。


「陛下…」


厨房から出てきたアイリスに、少年は無意識に跪いていた。


「よしてくれ…今はお忍びという形でここに来ているのだから…呼び方もせめて『様』くらいにしてくれ。固いのは嫌いだ…」


そう言う彼女の声は、どこか虚ろだった。


無言で立ち上がると、店の出入口の方にカインは視線をずらした。


「…城内での彼の様子は、どのような感じなのですか…?」


遠慮してるように見せながらも、心からバルトを心配している少年に、アイリスはすっかり心を許していた。


「ずっと暗い。あれよりな。闇に溶け込みそうなほどだ。あれでもだいぶ今までよりテンションは落ちていたが、それでもあそこまで明るくいてくれる場所があったのはありがたいことだ」


淋しげに答えるアイリスに釣られて、カインも淋しげに「そうですか…」とだけ返事した。


「あいつは…何時いつから此処に?」


「うーん、戦争が始まって、序盤の方だったと思いますが…ある日から毎日来て下さってます」


「毎日…?!」


全然気付かなかった。気付けていなかった。


アイリスが更に気を落とすのを見て焦ったカインは、気遣いのつもりで止めの一言を投げた。


「け、決してアイリス様を避けてのことじゃないですよ?!!!」


グサリという音が聞こえるのではないかと思うほどに、アイリスに大きなダメージを与えた。


アイリスを避けてのことではない。


つまり、――アイリスに非が無いのはバルトの発言でも明らかだったが――あれの原因は他にある。


――あれだけ「何かあったならば直ぐに私を頼れよ」と言っていたのにも関わらず、あいつは私に相談一つ無しにずっと悩んでいたということか…?


結局、この事実が一番アイリスを苦しめていた。


いっそ嫌われたほうがマシなほどに心が痛む。


自分の頼りなさを、見せつけられているような気がした。


「…………………………………」


「あ………あの…………」


「一体どこまで私は頼りないんだ……」


完全にしょげりきった体のアイリスに、カインは驚いた。


いつも庶民の前に出るアイリスは、常に威風堂々といった構えを崩したことがない。


そのためてっきり、「よし!私が何とかしてみせよう!!」などと言ってやる気満々に帰るだろうと、カインは思い込んでいたのだ。


「アイリス様…………」


城のバルトに負けないくらいの暗いオーラを放ち始めたアイリスに、カインはどうしたら良いかと思考をフル回転させ始めたが、「あ!そうだ!」言うなりカインは厨房にすっ飛んでいってしまった。


アイリスが目を丸くさせたままでいると、暫くしてカインがジュースを片手に戻ってきた。


「せっかくお越しいただいたのに、何もお出ししていませんでした。ご無礼、お許しください」


差出されたジュースからは、アイリスの大好きな桃の香りがフワッと感じられた。


「バルトさんから、アイリス様の好物は聞いていたんです」


「あいつが…私の話を?」


「はい!一日に一回はアイリス様のお話になりますよ!」


「はぁあ?!!」


素っ頓狂な声を上げた後、アイリスは何か良からぬことを話してはいないかと気を揉み始めた。


「そ、そんなに心配されなくとも…」


「あいつのことだ!私の何を言うか解ったものではない…!!」


暫く苦笑いを浮かべていたカインだったが、何だかその光景はどこか微笑ましかった。


「うーん、バルトさんの仰る通り、やっぱりアイリス様は素敵な魅力に溢れる女性なのですね」


にっこりと花のような笑顔でそう言った少年に、アイリスは赤面しながら噛み付いた。


「そ、そんな訳無いではないか!!お、お世辞など求めた覚えはないぞ?!!」


それに対してカインは軽くクスッと笑うと、少し真面目な顔をして、ボソッと呟いた。


「きっとバルトさんは、貴女のそのような所に惹かれたんですね」


「ひ、惹かれる…?!!!」


その呟きを聞き逃がせなかったアイリスは、もう既に茹上がった蛸のように顔を真っ赤にしていた。


「あ、聞こえちゃいました?でも本当のことですよ?」


カインの笑顔にアイリスはわざとった事だと解ったが、それでも顔の火照りは収まらない。


――なんだそれは…初耳だぞ……


「大切に思える人がいるから、バルトさんはまだ、あと一歩で穴に落ちそうなところを、踏み留め続けることができているのではないのでしょうか?…それもそろそろ限界が来ているみたいですが…」


「………」


何を思い立ったのか、いつの間にか空になったグラスを置いて、アイリスは席を立った。


「カイン…ジュース、美味しかった。感謝する」


「感謝する」の中に、複数の意味を込められていることを悟ったカインは、店を出て行くその背中に「頑張ってください」のたった一言を送った。


店に取り付けられたベルが、可愛らしく、どこか淋しげに店内に響いた。


「…頑張ってください」


カインはポツリと、念を押すようにもう一度、誰もいない空間にそう言った。

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