第21話 暗闇の頁

 「…お〜い?いるかい?」


真夜中の森。国境ギリギリでアナスタチアに位置する場所。


バルトは人が四、五人入れる程度の一つの空間で、見えない誰かに声をかけた。


「…いねぇか。ま、抜き打ちだしな〜」


「いるってーのばーか!気付かねぇとでも思ったかよ!」


残念そうな口ぶりのバルトに声をかけて出てきたのは、真っ黒な長髪を後ろで軽く結んでいる、バルトに負けない長身の男だった。


彼の紅いつり目は、馬鹿にしたような、しかし嫌みの無い光を湛えている。


「何だよ〜いたのかよわんこ〜!いるならワンとかキャンとか言えよ〜!」


からかいながらも、バルトはその男を確認するとパッと嬉しそうな顔で笑った。


が、相手は今にも噛み付きそうな顔でバルトを睨みつける。


「だぁぁあからぁぁあ!!俺様はわんこじゃねぇ!!!ウルズっつう立派な名前があるんだよ!!いい加減覚えたらどうだ!!!」


ウルフ?いやいや、仔犬の間違いだろ?いやぁ、相変わらず元気に吠えるねぇ?よく声が枯れないもんだ〜」


「四六時中笑ってるお前に言われたくねぇよ?!!」


「それもそうだ!はっはははは!!!」


敵地でも余裕で構えるバルトに、ウルズと名乗った男は呆れたような溜息を一つ吐いた。


「お前よぉ…俺が一応アナスタチアの人間だってこと、忘れてんじゃねぇだろうな?つか、自分がスラスタの人間だって自覚、ちゃんとあるのか?」


「お前じゃねぇから三歩歩いたって忘れねぇって〜の!」


「俺は一体何なんだよ?!人間で犬で鶏なのかよ?!!」


黒髪の男は吠え終わると、すぐに疲労感から再び溜息を吐いた。


このバルトという男は昔から人をからかうことについてはプロ級だ。


――ニ、三年会わなかったとはいえ……幼馴染の自分でさえ未だに疲労を覚えるんだ…ある種の能力だぞこりゃ…


と、ウルズと名乗った男は、久々に合う幼馴染にそんな容赦のない感想を持つ。


しかし、いい加減本題に入らせなければと、なかなか笑いを収めないグレーの髪の青年に軽く詰め寄った。


「で?俺を呼び出した理由ってなんだよ。わざわざ呼び出したってことは、何かあるってことだろ?」


ウルズは真剣な顔をしてバルトを見詰めたが、バルトはというと、含み笑いをして手に持っていたパチンコに目を移した。


「いやぁ、単純に、お前がこれに反応してくれるかを知りたかったってだけさ」


バルトはパチンコを握る手の中にある、淡く蒼い光を漏らしている石を見つめたままそう言った。


「はぁあ?!それだけか?!」


余りにも想定外の理由にウルズは絶句した。


「相当昔に決めた合図だったからよ〜?もし忘れられてたら大変だと思ってな?」


「誰が忘れるか馬鹿野郎!!?」


「はははははっ!わりぃわりぃ!だがまぁそろそろこうやって会って話す機会を設けなきゃいけなさそうだったからよ〜」


ウルズは全身の力が抜けたように、その場に座り込んだ。


「あのよぉ…俺、一応『五芒星』のメンバーな訳なんだけどよぉ…?」


「あ〜そういえばお前そうだったな?

いやぁ、凄いねぇあのアナスタチアの幹部様とは」


飄々とした体で返してきたバルトに、ウルズはふと疑問を抱いた。


「お前だってだろ?スラスタの」


「ん?………あ〜…」


珍しく言葉を濁すバルトに、ウルズは更に違和感を感じた。


「もう消えちまった資料だが、確かに名前を見たぞ?『元帥バルティオ・フィデリティ』って文字を、はっきりと。あれはお前しかいないだろ」


「…随分と記憶力が優れてるねぇ…?わんことは思えねぇなぁ?」


からかって話を逸そうとするところはいかにも彼らしい。


しかし、そんな判りやすいトラップにわざわざ掛かっていられるほど、事は軽いことではない。


この際だからと、ウルズは今日会う日までに泉のように湧き出ていた疑問を、次々にバルトにぶつけていった。


「そういえば、随分最初は優勢だったのに、何で戦略を変えた?あんな馬鹿なこと、らしくねぇじゃねぇか。アイリスだって何故反対しない?あいつだって、俺と考えは同じはずだ。」


バルトは黙ったままだが、ウルズは更に、それこそ休みなく質問をぶつけ続ける。


「まさかアナスタチアのスパイの存在に気付いてないとか言わねぇよな?それの警戒か?だとしたら余計な事だぞ?てかそういやアイリスとどうなったんだよおま――…」


「…………」


ひたすら質問を投げかけていたウルズだったが、バルトの顔がどんどん厳しくなるのを見て、自然に口が閉じていった。


――こいつがこんな顔をするのは、自分を責めている時だ


やってしまったと、ウルズは自分の浅はかな行為を後悔した。


普段こそチャラチャラした風を装っているが、この青年の根の真面目さは人一倍だ。


その誠実さ故に自責の念に駆られやすいことを、質問攻めの熱で忘れてしまっていたのだ。


この空気をどうしたものか…とウルズが考えていると、バルトが急に口を開いた。


その声は飄々としていながらも、もう何時もの彼の声では無い。


「俺さ、辞めちまったんだ。元帥を」


「…はぁ?!!」


――辞めただと……?!!


ウルズは声も出なかった。


ましてや簡単に呑み込める話でもない。


「スパイの存在にあの時は気付けなかった。…嵌められたんだ。何重もの罠に。今なら判る。気付いたのは辞めた直後でもなく、本当にごく最近さ」


彼にしては珍しい失態に、ますますウルズは目を見張る。


しかし、バルトの視界に、既にウルズはいなくなっているのか、彼の声は彼らしさを失い、震えを帯びていく。


「いやぁ…呆れるわ…自分に…とんでもない奴を残して、俺は――…………今気付くんじゃおせぇんだよ畜生っ!!!!」


突然の雄叫びと共に、バルトは近くにあった木に拳で怒りをぶつける。


木はその振動で巨体を揺らし、まだ緑色の葉が数枚ひらひらと舞い落ちた。


ここまで感情を荒ぶらせたバルトを、赤ん坊の頃からの付き合いの中で初めて目の当たりにしたウルズは、その何にも例えられない迫力にただ押されていた。


まだ真夏だというのに、冷たい風が二人を包んだ。

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