第19話 因縁の頁
「………バルト…」
アイリスが意を決したように、馬から降りた瞬間、思わぬ事態に場が騒然とした。
「レシカ?!!!!」
テオは思わず叫び、バルトは目を見張った。
何処からか飛び出してきたレシカは、馬から降りたアイリスの喉元に双剣の刃を突きつけていた。
軍の全員が、レシカに向けて武器を構える。
「…お前たち、武器を降ろせ」
アイリスはそれでも毅然として、冷静に指示を出す。
兵たちは、納得行かないといった様子を見せたが、「有無は言わせん」とばかりのアイリスの睨みに、渋々武器を降ろした。
「…久しぶりだな、レシカ。……無事で、良かった」
アイリスは微笑すら浮かべ、穏やかな声でレシカに話しかけた。
「無事で良かった?思ってもない事を」
それに対してレシカの声は、静かだが、確かな怒気を帯びて吐き出された。
殺気と呼ばれるオーラが、隠れることを知らずにレシカを包んでいる。
「…どういうことだ?」
アイリスの疑問の声に、レシカは鉄仮面を外し、全ての憎悪を込めてアイリスを睨みつけた。
「よくもそんな………姉さんを殺したくせに………!!」
「おいレシカ、それは違うぞ」
二人の会話に割って入ったのはバルトだった。
レシカを否定したバルトの声は、彼とは信じられないくらい冷たい声だった。
テオが思わずバルトを見ると、彼は笑っていないどころか、背筋も凍るほどの怒りの表情を顕にしていた。
しかしそれにも怯まず、レシカはバルトを睨み返す。
「違う?何が違うの?教えてよ。私は確かにあの時、聞いたのよ?『アイリス様からの命令だ』ってね。他に誰がいる?アイリス・S・グレイシフルという名の女は一体どこにいるというの?!!!」
レシカがとうとう怒鳴り声を上げた。
「おい、落ち着けレシカ、それはお前と再会した時、俺が説明しただろう?お前は誤解して――」
流石に危険を察知したバルトは、怒りの表情を解き、今度は真面目な顔で、レシカを説得しようとした。
が――
「誤解?!ふざけないで!!それにこの女は、ニつの村を滅ぼさせたのよ?!どれだけの人が死んだと思う?!どれだけの人が――!!!」
ヒートアップした彼女には、どんな言葉も届かなかった。
「レシカ、バルトの言う通りだ。誤解している」
今度はアイリスが冷静な口調で口を開く。
その言葉に、レシカの憎悪の炎は天を突き抜けるのではと思う程に燃え上がった。
炎に身を焼かれる彼女は、その身体を微かに震わせていた。
「姉さんどころか、サラ姉たちのことまで無かったことにするつもり?!!!そんなの…許さない!!!!」
「サラ姉?サラ…じゃ、なくてか?」
「姉さんじゃない!サラ姉。戦闘民族のサラよ!指示を出したのは貴女でしょう?ずっと私の事を追ってたんでしょう?沢山の人を、巻き込んでまで!!」
「違う!レシカ、それは違う!お前を追ってるのは私じゃない!」
「じゃあ誰だというの?あの側近たちは言ったわよ?!全て貴女の命令だと!!」
「それは嘘だ!!」
「何が嘘だっていうのよ!!!!」
ヒートアップし始めた女二人の怒鳴り合いに、バルトも含めた男勢は皆気圧され、氷に閉じ込められたような顔をして固まっていた。
「レシカ、聞いてくれ、お前を追ってるのは――…?レシカ?」
諭すような口調で話し始めたアイリスが、突然、驚いたような顔をして話すのを止めた。
そして、レシカの目を覗きこむような仕草をする。
「……………あいつ、やらかしたな…」
「え?どう言うこと?」
テオが二人の様子を改めて見てみると、アイリスの表情は凍りついたような緊迫感を漂わせていた。
そして背を向けているレシカの顔がちらりと見えた時、テオは自分の目を疑った。
「レシカの目が……」
まるでその復讐の炎を示すかのように、レシカの瞳は金色に輝いていた。
能力が発動されている証拠だ。
「っ……本格的に止めに入んねぇとやべぇな………」
しかし、テオが「そうだね」と言い、たった一瞬バルトを見ていた間に、レシカの姿は跡形もなく消えていた。
「あれ…?!」
急いでテオは能力を発動させたが、彼女の気配は既に消え去っていた。
テオの上げた声の意味を察すると、バルトはホッとしたように溜息を一つ吐いた。
どうやら表には出さなくてもかなり焦っていたらしく、その表情にはまだいつもの余裕は見られなかった。
「ま、流石に怒り任せに斬りつけるようなやつじゃあないか」
「だけど、あそこまで感情的なレシカも珍しかったね…」
確かに普段は、鉄仮面を被り、感情も負の感情しか表立って見せない彼女だが、だからといってあそこまで激しく感情を顕にしたことは、今までテオが知る中で一度も無かった。
「怒ってた理由も気になるけど…でも何で居なくなっちゃったんだろ…」
「さぁなぁ〜?流石にあんなふうに怯えられたんじゃ、まともに話し合いもできないだろうと判断したんじゃね?実際、能力を使った状態のレシカに敵うやつは、少なくともこの場にはいねぇし、怯えるのも無理はないさ」
バルトはそう言いながら溜息と共に小さく呟いた。
「とはいえそもそも、あいつが変な誤解をしてるだけで、あそこまで怒り狂う必要は何処にもねぇんだけどなぁ?」
「誤解…ねぇ、レシカって一体――」
「バルト」
更に質問を重ねようとした時、アイリスがバルトに話しかけた。
無駄に広い二人の距離や沈黙は、意味あり気に思えてしまう。
「…いやぁ、悪かったなぁレシカが!一応、今は俺の仲間だからさ!あいつの失態は俺の失態さ」
バルトの声はいつもの調子だが、どこかよそよそしい感じもした。
「……バルト…」
「そっちはどうだい?上手くやれてっか?」
「………………」
「流石に酷な質問だったか」
ははっと乾いた笑いをした後、バルトはアイリスにくるりと背を向けた。
「帰ろーぜーテオ〜。俺疲れたわ〜」
「え?!」
「おい!バルト!!」
「おーい?何してんだよ?」
「え、え?え?!あ、う、うん…」
テオは暫く挙動不審になっていたが、結局、アイリスに一礼してバルトに付いていった。
「い、いいの………?ましてや陛下にあんな………」
「あぁ、俺、あいつとは幼馴染だから、問題ねーよ?」
「………はぁあ?!!いや!?え?!!ん?!いや、問題は違うけど、いや、え?!幼馴染?!!」
「はいはい、落ち着きまちょうね〜テオく〜ん?」
「誤魔化さないで答えてよ?!!!」
「後でな〜」
――
バルトはボソリと、テオに聞こえないように呟いた。
「まだ…その時じゃねぇんだ。」
✽✽✽
二人を追い駆けようとした兵士を、アイリスは制した。
「………バルト…いや、バルティオ…………………」
たった一言呟いて、アイリスは一人、兵士たちを置いて先に城に戻った。
その時、彼女の瞳が潤んでいたことを、誰も知らない。
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