第15話 癒やしの少女の頁-3-

 カインが村を出て一年後、村長であるリルの祖父宛に、一通の手紙が届いた。


封筒には、国の紋章である薔薇の印があった。


「……………ふぅむ…」


白い髭を弄りながら、その手紙にさっと目を通すと同時に、眉間に皺が寄り、眼光が鋭くなった。


時計の針は既に丑三つ刻を指している。


何故こんな時間に…そう思っていたが、手紙の内容を見た瞬間に納得がいった。


「すまないが、リルを呼んできてくれ。

すぐ外に出れる格好で来るようにとも伝えるんだ。あと、残りの者はあの子が今すぐにでも旅立てるよう、準備も頼む」


彼の側に控えていた数人の使用人たちは、それを聞くと直ぐに動き出した。


✽✽✽


「お祖父様、お呼びですか?」


まだ眠そうにしているリルは、必死に目をこすりながら祖父のもとに来た。


目が赤く腫れている。


――また泣いていたのか…


祖父は、リルがカインがいなくなった日からずっと、寝る前にたまに泣いていることを知っていた。


二人の仲の良さは、この少し大きな村でも有名なほどで、勿論それが、祖父の耳に届かないはずも無かった。


…が、今はそれは置いておかなくてはいけない。


置いておかなくては、その涙も、意味がない物になってしまいかねないのだ。


「リル、今すぐこの屋敷から逃げなさい」


「…………へ?」


祖父の言葉に、リルは一気に目を覚まされた。


「逃げなさい。今すぐ。この屋敷から」


順を変え、区切り区切りに強調した言い方は、リルは頭の中を漂白していった。


「な、なんでいきなりそんな…」


余りにも急すぎる話だった。


何か祖父に嫌われるようなことをしてしまったのではないかと、リルは必死に今日の自分の行動を振り返る。


しかし、思いつくことなど、祖父が大事にとってあったお饅頭を食べてしまったことくらいだ。


「明日…いや、もう今日の昼だな、王国の側近の一人がいらっしゃる」


「これだ」と言って祖父は、王国の印が付いた封筒を見せた。


「差出人はイレーナ様だ」


「嘘……」


――あの『五芒星』の一人が………?


広大な土地を治めるアナスタチアの王は、王に即位してから、必ず五人の側近を決めるのが、この国の伝統だった。


選ばれた彼らは『五芒星』と謳われると同時に、恐怖の対象として王の次に恐れられる存在となる。


そんな彼らは余程のことや私事でない限り、城内から出ることもない。


わざわざ手紙が届いたということは、私事ではないのだろう。


――戦争のこと…ですか…


リルにはそれしか思い浮かばなかった。


「で、でも、もうカインさんで、徴兵対象の人はいなくなったはず………」


「今回は『兵』を目的にしていない」


「え?」


不思議そうに見つめてくるリルに、祖父は無言で側近からの手紙を渡した。


「『優秀な『キュアー』がそちらの村にいると聞きました。是非、その者を城内に入れ、その力を振るわせたいと思い――』これって………………」


何処か縋るような瞳でリルは祖父を見詰めた。


祖父は思わずそれから目を逸らしながら、苦々しげにボソリと告げた。


「お前の事だ…リル」


この村に『キュアー』は一人しかいない。


何よりも、その力の強さは、誤魔化すことも不可能だった。


✽✽✽


 彼女が能力に気付いたのは、まだ物心がついて間もない頃だった。


不注意で割ってしまった祖父の写真立てを、泣きながらリルは腕の中に抱え込んでいた。


隠す場所がどうしても見当たらず、何とか祖父に隠そうと考えた結果だった。


しかし、腕の中に隠したはいいものの、やはりどうすればいいのか解らず、困り果て、後々落とされるであろう雷を恐れていると、涙が溢れ、止まらなくなってしまった。


先に気付いたのは祖母だった。


話を聞いた祖母は優しくリルを諭しながら、「どれくらい割れてしまったのかを知りたいから、写真立てを見せてほしい」と頼んできた。


リルは恐る恐る自分の腕を開くと、自分の目を疑った。


そこには、ヒビすら入っていない、綺麗で新品のような写真立てがあった。


✽✽✽


 『物』すら修復できるキュアーは大変珍しく、また、『生き物』へ対するその力の大きさも絶大だった。


その力を人の為に使える人間になれば、間違いなく皆の信頼を集め、人並み以上の幸せを得られるような人間になれるだろう。


しかしそれを、今の国は許さなかった。


力の大きな能力者が国王の目に止まれば、その能力者の運命は二つしかなくなる。


城に繋がれ、『英才教育』という名の洗脳を受け、死ぬまで国家の人形となるか。


もしくはそれを拒否して、その場で罪人として命を詰まれるか。


結論として、国は『国民としての幸せ』は許しても、『人としての幸せ』は掴むことすら許さなかったのだ。


写真立ての話を聞き、リルの本当の幸せの為にも、反逆罪を覚悟で、祖父はリルの能力を隠すことを選んだ。


それに関わる情報に細心の注意を払い、村人たちにも決して外部に漏らさないよう、再三に渡って勧告していた筈だった。


――が、手紙の内容は、全て破綻、露見したという事を意味したとしか取れない。


原因を探すのは簡単だが、こうなってしまった以上、祖父の中の最重要事項はリルの身の安全だ。


「ただでさえ戦争中なんだ。向こうで何をされるか解らない」


「そうですが…逃したことがバレればお祖父様は…」


「私はそこまでもう長くないよ。今更『生』に執着したりしない。それよりも私は、リルに幸せになって欲しいんだ」


「………………………」


物心つく前に事故で亡くなった父母の代わりに、祖父母はそれこそ溢れる程の愛情を込めてリルに接してきた。


そのお陰もあってか、決して器用な子とは言えなくても、可愛く、優しく、気立ての良い、自慢の孫に育ってくれたと二人は思っていた。


――今此処で、この子の心を壊すくらいならば…


祖父の心の中はそれだけだった。


「ご用意が出来ました」


二人の間の沈黙を、使用人が掻き消した。


「さて、じゃあこれを持って早く出なさい。地図には安全なルートを書いておいたから、必ずこれの通りに行くんだよ。

そうすれば迷うことはないから」


地図の目的地として記されていたのは、スラスタにある別邸だった。


「え…………スラスタまで逃げるんですか?!」


大声を出しかけたところを、リルは自分で口を塞いで必死にそれを防いだ。


「国内にいれば、捕まったとき間違いなく殺されてしまう。だがスラスタなら、もし勝手に入ったことがバレたとしても、もう少し賢明な判断をしてくれるだろう」


「そ、そうですね……」


一応、敵国な筈のスラスタの方が信頼できるというのも、また可笑しな話だ。


そしてそれに納得してしまう自分はもっと可笑しいんだろうと、リルは思ってしまった。


「もしスラスタの兵に見つかったら、隠し事はせずに全てをちゃんと話すんだ。下手に隠せば疑われたり、罪を被せられたりするかもしれない。」


「ア…アナスタチアの兵に見つかったら………?」


「…………………」


祖父は黙ったまま、静かにリルを見詰めた。


考えてみれば愚問だった。


「……私、戦争が終わったら必ずここに帰ります!ですからお祖父様、待っていて下さいね!」


「あぁ、分かったよ」


「お祖母様にもそう伝えてください!」


「必ず伝える」


祖父はそう言うと、骨張った腕を伸ばして孫を抱擁した。


お爺ちゃんっ子のリルはそれだけで涙が溢れそうになったが、そこは必死に堪えた。


「……いってきます…」


震える声で別れを告げると、リルは用意してもらった荷物を背負い、祖父に一礼すると、闇の中に駆け出した。


 その昼、村は兵に襲撃され、祖父は反逆罪として牢に繋がれ、処刑される日を待つ日が始まることになった。


牢屋の中で祖父は毎日、孫の無事を祈った。


あぁでも、最期にあの饅頭は食べたかったなぁ などと思っていたのは、祖父だけの内緒の話である。

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