第14話 癒やしの少女の頁-2-

 二年前、あるアナスタチアにある一つの大きな村での事。


早朝、リルは知らせを聞いて、雪が降っている中、寝巻き姿で靴下すら履かずに、屋敷を飛び出した。


村のある一軒の家に着くと、丁度、一人の少年が旅支度を整えた格好で外に出てきたところだった。


普段とは違う彼の姿に、リルは思わず叫んで彼の名を呼んだ。


「カインさん!!!」


「え?!リル?!」


冬の空をそのまま映したような瞳をこれでもかという程見開く彼のことなどお構いなしに、リルはカインと呼んだその少年の両手を掴むと、そのままその手を振り回した。


「酷いです酷いです酷いです!!!徴兵されるだなんて私聞いてませんよ?!!その時が来たら、隠さないでちゃんと教えてくれるって言ったじゃないですか!?」


涙が溢れそうなほど目を潤ませて、マシンガントークならぬマシンガン抗議してくる少女に、少年は「あはは…」と苦笑しながら弁解を始めた。


「ご、ごめんリル、なんか、こう、言うタイミングを掴み損ねてさ――」


「言い訳は聞いていません!!!!」


「痛い痛い痛い痛い痛い!そんな振り回さないでくれよ?!」


そう言われても、リルはブンブンと音が聞こえるほど、彼の手を振り回し続けていた。


リルがここまで人の話を聞かないのは初めてのことだった。


「リル、落ち着け?な??」


カインはなんとか少女の手を片方だけ外すと、少年は彼女の頭をポンポンと撫でた。


二人は二歳しか歳は違わないが、身長差が激しいため、傍から見れば、その光景は妹を宥める兄に見えただろう。


「だ、だってもう、会えないんですよね…?」


少女の言葉に、少年は一瞬だけ顔を強張らせた。


戦争に行くとは、ほぼそういうことだ。


アナスタチアの戦死者の報告は、まだ戦争が始まって間もないにも関わらず、既に七万を優に超えていた。


アナスタチアの人口からすれば、そんなもの塵に同じくらいの単位だが、七万に入る者の家族や友人には、それこそ塵と同じくらいどうでもいいことだった。


生きて帰れる者は幸運を持つ者と呼ばれるような地獄の場所。


そんな所に彼は行かなくてはいけないのだ。


幼い頃から『村長の孫』というレッテルを無視して、ずっと分け隔てなく接していてくれた唯一の友人が、そんな所に………………


「し、死ぬこと確定みたいな言い方しないでくれよ〜…」


困りきった笑顔でなお、頭を撫でてくるカインを前に、リルは駄々っ子状態だった。


「行っちゃダメです!絶対ダメです!ダメですダメです!!」


普段、行儀が良く聞き分けの良い彼女からは想像もつかないような言動に、小さな騒ぎを聞いた村の住民が、家の窓やらから、ちらちらと二人の様子を見ていた。


「リ、リル、落ち着いて――」


「嫌です絶対嫌です!!!うぅぅぅ…」


とうとう泣き出そうとしてるリルを見て、カインは焦った。


――最後かもしれない日にそんな顔をしないでくれ…!


「絶対帰るから!約束するから!だから村で待っててくれ。リルならできるだろう?」


もう完全な子供扱いだったが、既にそんなことは気にせず、リルは堪えられなくなった朝露のような涙を淡い黄緑の瞳からポロポロと零し始めていた。


「俺が泣かせたみたいになるから!ほら!な?!」


「泣かせたも同然じゃないですかあぁぁあ!!」


頬を赤くして反論しながらもまだなく少女に、完全にカインは振り回されてしまった。


――相変わらず感情の忙しい子だ…


カインが少し膝を折って彼女の目線まで視線を落とすと、やっとリルは反論を止めた。


だがまだ泣いている。


「これは俺が決められることじゃないから…

でも必ず、『幸運な者』として帰ってくるから…ほら、な?」


カインはそう言うと、自分の巻いていたマフラーをリルに掛けた。


マフラーを普通に掛けてもらっただけなのに、リルは何かに縛られたように身動きが取れなくなった。


もっと言いたいことはあるのにも関わらず、ただ見つめることしかできなかった。


「……もう行かないと…元気でな?」


リルはそう言われても暫くその場で固まっていたが、少年が村の出口まで行ったとき、やっと口だけが動いた。

 

「か、必ず帰って来てくださいね?!!

無事じゃなかったら、私の手作りパウンドケーキ食べさせますからね!!?」


こんな時に何故捻くれてしまうのだ!と、リルは頭の中で自分の頭を小突いた。


「ぷっ…!どうやって食べさせてくれるのやら。…あぁ、でも絶対食べたくないから必ず帰るよ」


カインは、笑いながらも振り返らずに返事をしながら、少しずつ姿を消していった。


その姿が完全に見えなると、またリルは人目も気にせずその場で泣き崩れた。


――ずっと村で待っています……


締め付けられるような胸の痛みに堪えながら、リルは何度もそう繰り返した。


しかし、この心の中の誓いを、たった一年後に破らざるを得なくなる日が来るだなんて事を、リルは知る由もなかった。

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