第11話 秘密の頁

 テオたちが帰ってきてから一時間経ち、やっとレシカが帰ってきた。


結果としてはスラスタの範囲は全部探したが、調教師どころか、手掛かりになりそうなものすら見つからなかったという。


「やっぱアナスタチア内で操ってたか〜」


バルトは、大方予想はしてた というようだった。


その後、お互いの報告をし終わると、今日は男子勢も泊まりという事で、解散してすぐに、それぞれの部屋へと入っていった。


✽✽✽


 ――眠れない…


テオは解散してからベッドにすぐ潜ったが、結局それから二時間経っても眠れずにいた。


初めての環境には緊張する性格(たち)だったが、ここまでは初めてだった。


しかし、日頃から見慣れないこれ以上にないと思えるほどのふかふかのベッドや、天井に下がっている豪華すぎないが気品のあふれる照明や、寝転んでみると余計に広く感じる部屋に、この夜中を使って慣れろというのは、テオには至難の業だった。


「………どうしよう…」


流石にこのまま寝不足で隈を作って起きたとしたらを考えると、皆の反応は目に見えてわかる。


レシカは恐らく何の反応も示さないだろうが、バルトは爆笑するだろうし、何よりもこの家の持ち主であるリルが心配するだろう。


「…あ、そうだ!」


何を思ったか、テオはベッドから出ると、スケッチブックと色鉛筆を手に外に出た。


外の空気は中途半端に温まっていた体温を、緩やかに冷ましていく。


静まり返った夜は、心を落ち着かせる不思議な効果があった。


裏口に回ってスケッチブックを開く。


「今日は雲もないし絶好の観察日和なはず…」


そう言って座りながら空を見上げた。


満天の星空。この言葉に尽きるほどの綺麗な星空がそこにはあった。


さて…どこから描こうかな…と、思った瞬間、屋敷の表玄関から扉の閉まる音がした。


「?」


気になってスケッチブックをたたみ、足音をなるべく立てないように玄関の方に行くと、銀の髪を揺らして歩いて行く少女の背中があった。


「こんな時間に何を…?」


テオは急いで能力を使って、彼女の後を追った。


✽✽✽


少女は時折、人目がないかを確認しながら、とうとう『狂気の森』に姿を消していった。


テオは少し躊躇したが、結局そのままついていった。


――傍から見ればストーカーに近いんじゃないか?


テオは、思わず自分に苦笑いしていた。


✽✽✽


「ここは……」


テオは思わず声が出た。


入り組んだ迷路のような道を、迷いもなくレシカが進んでいくと、ある空間に辿り着いた。


あの重苦しい空気も、気を病むような禍々しさも、震えるような闇もそこには無かった。


『狂気の森』には時折、森の中に空気の違う空間が存在するが、ここは格別だ。


中心に小さな泉があり、蛍が舞うように飛び交っている姿は、幻想的な雰囲気を醸し出している。


空気は澄み渡り、月明かりが優しく、空間全体を照らしだしている。


白昼夢のようなこの空間は、しかし確かに、今目の前にあった。


この空間だけどこかからか切り取られてきたのではないか…?

そんな風に、テオは勝手に思えてしまった。


そんなテオに、レシカはまだ気付かないまま、ゆっくりと水辺に腰を下ろして空を見た。


テオにはその姿が、とても同い年の少女には見えなかった。


髪を下ろした彼女は、パジャマ姿だったが、とても大人びていて、月の光で神々しくすら見えてしまう。


そして、感情を未だ自分の前で顔に出したことがない彼女の横顔には、とてつもなく淋しげな色があった。


《娘は唄う 一人を唄う 》


「……?」


不意にレシカは、歌を歌い出した。

物語調の様な、今まで聞いたことのない歌だった。


《誰もいない 秘密の場所で 唄を唄うの 消えないように》


凛として、でも透き通った綺麗なソプラノが響き渡っていく。


《空が歌えど心は晴れず 水が歌えど心は乾く 虚無だけが心を埋めていく》


だんだん聴いているこっちが淋しくなってくる。


《孤独の心は救われぬまま 霧と共に消えていく 探せぬように 触れられぬように》


刹那、少女が消えていくような錯覚がテオを襲った。


――駄目だ…この歌は駄目だ…!


テオがそう思った時には、体が既に動いていた。


「あれ?やっぱりレシカだ!」


「?!!」


テオは偶然を装ってレシカに声を掛けると、レシカは目を大きく見開いてこちらを凝視した。


「な………何で………」


普段は作戦の時や余程の大事じゃない限り絶対口を利かないレシカが、この時ばかりは声を出した。


そしてその声も、驚きのせいか掠れて入る。


「あ、いや、星空観察しようと森に入ってたら、知ってる気配がしたからさ…」


テオは慌てて理由を言うが、次のレシカの一言に頭が真っ白になる。


「………森の中って空、見えたかしら?」


「……あ、えーと、ほ、ほら、あのー……」


何とかして言い訳を考えなくてはいけない。


――考えろ僕……!!


「そ、そう!こういう空間が森にはいくつがあるからさ!ここ以外の場所に行こうとしてたんだけど!ほら!さっきも言ったように知ってる気配があったから!!」


「…かなり苦しいけど、まぁいいわ」


やっと胸を撫で下ろせるとテオは思っていたが、また質問が飛んできた。


「…歌、聴いたの?」


「え?!!歌?!!!」


思わず大声になって答えてしまい、レシカがその反応に溜め息を吐いた。


「聴いたのね…………?」


溜め息の次は、地獄の長も震え上がるような睨みでテオを氷漬けにする。


「ゴ、ゴメン……聞ク気ハナカッタンダケド……」


「……………………」


必死過ぎて嘘に聞こえてもいいくらいだが、何も知らないレシカはもう追及しようとはしてこなかった。


「秘密にして」


「え?」


「秘密にして。

歌の事も、私がここに来ていることも、この場所の存在も、何もかも」


「わ…分かった…約束する」


それだけ聞くと、レシカはやっと張り詰めた空気を開放し、水辺に座り直した。


穏やかな空間に、重い沈黙が流れてしまった。


流石にこの空気がむず痒くなり、テオが気を紛らわそうと空を見ると、そこにはテオにとって、宝石よりも価値があると思える空が広がっていた。


「凄い…?!星がこんなに見える?!」


空気が少しでも汚れていれば、すぐに消えてしまいそうな星まで、くっきりとその空には映しだされている。


月も星の輝きを邪魔しないで優しくそこにいて、テオを魅了するには十分すぎる光景だった。


「…ね、ねぇ!またここに来ちゃ…ダメ…かな?」


気付いた時にはレシカに尋ねていた。


「は?」


訝しげな視線を送るレシカに、テオは更に続けた。


「お願い!こんなに綺麗な空、本当に生まれて初めて見たんだ!この空さえ見れればいいから…!お願い!」


必死に懇願し、終いには頭を下げたテオに、流石のレシカも困惑した。


「………貴方ねぇ…」


「お願い!!!」


もはや有無を言わせないようなお願いの仕方に、流石のレシカもお手上げだった。


「…分かったわよ。ただ…解ってるわよね?もしこの場所のことバラしたら――」


「ありがとう!!絶対言わない!!意地でも言わない!!!約束する!!!やったぁ!!本当にありがとう!!!」


結局テオのペースに完全に乗せられ、レシカはもう、どうする気も無くなってしまった。


その後、夜明けまでずっと空を見ていたテオだったが、日が昇ると同時に絵を描いていないことに気付き、その日一日はまるで元気がでなかった。

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