第十二章 世界で一番 ①



第十二章 世界で一番



 初めてご挨拶させていただきます。

 私、夕陽さんと真剣にお付き合いをさせていただいている門真敏生と申します。

 このお手紙をお読みになっているということは、私は既にこの世にはおりません。

 本来でしたら、ご結婚のお許しをいただきに、そちらに夕陽さんと一緒にお伺いするつもりでした。

 私は夕陽さんを心の底から愛していました。

 夕陽さんはとても可愛くて、とても優しい素敵な女性です。私は、一生涯を賭けて夕陽さんを愛し、守り抜いていくつもりでしたが、今となってはそれも叶いません。

 ご両親と夕陽さんとの諍いのことはお聞きしています。実は、その件でお願いがあってお手紙を書かせていただきました。

 どうか夕陽さんを赦してあげてください。

 夕陽さんは男社会の自衛隊にあって、今もなお、必死に歯を食い縛って生きています。あんなに真面目で、頑張り屋さんで、そして素直な子はいません。

 そんな彼女のどこに罪があるというのでしょうか?

 私もまた、ご両親の大嫌いな自衛官です。自衛隊のことをご理解いただこうとは思いません。

 ですが、愛し合うべき実の親子が、たかがイデオロギーのことでいがみ合うなんて、哀しすぎます。

 ご両親が平和を愛すがゆえ、自衛隊をお嫌いなのは承知しております。〝戦場に教え子を送るな〟という考えはとても崇高なものだと私も思います。

 ですが、それが夕陽さんを勘当する理由になるのでしょうか?

 お互いに譲らず、イデオロギーを押し付け合うことこそが争いの原点なのです。その結果、私達は戦場へと送られました。

 主義主張の垣根を越えて「戦争を起こさないためにはどうするべきか」を、皆が向き合って真剣に議論して行かない限り、この世から争いなんてなくなりません。

 どうか今一度、夕陽さんと向き合っていただけますよう、なにとぞお願い申し上げます。

 このようなお願いをお手紙で済ませることは大変失礼だとは思いましたが、私の戦死に免じてお許しいただきたく、重ねてお願い申し上げます。


                  海上自衛隊自衛艦隊航空集団いずも航空隊

                            二等海尉 門真敏生





           *


「よし!」

 ルージュを引き、もう一度髪型を整えると、夕陽は気合いを入れて鏡の中の自分を見た。

 常装である黒のダブルの幹部冬服姿。これに白手袋をはめれば第一種礼装だ。

今日はあなたの晴れ舞台だもんね…。

 夕陽はサイドボードの上に置かれたフォトスタンドを手に取ると、写真の中の人物にキスをし、そっと元に戻した。

 外でプップとクラクションが鳴る。

「はぁい!!」

 相手に聞こえるはずはないがとりあえず大声で返事をすると、夕陽は慌てて靴を履いた。

 じゃあ行ってくるね、敏生。

 夕陽は振り返って部屋を見渡すと、ドアを開けて外に出た。

 アパートの前に停まっている黒のアルファード。

「おはようございます!」

 運転席に座るのは隊長の勝野。助手席には刑部がいた。二人とも夕陽と同じく常装姿。

 厚木への帰投後は休暇だったので、こうして公務で会うのは一か月振りだ。夕陽は二列目シートに乗り込むと頭を下げた。

「すみません、隊長に運転していただいちゃって」

「何、お安い御用だ。こちとら休日にはいつも家族の運転手だからな」

 勝野はおどけた表情で応えると、車を発進させた。

「自分のアパートはもう引き払ったのか?」

 助手席の刑部が振り返らずに聞いてくる。

「うん、ようやくね。ねぇ、聞いて。ひどいんだよ? 敷金全然戻ってこなくてさ。綺麗に使ってたはずなのに〝ウチは退居時には全て改装する方針なのでお返しできません〟だって。あんまりじゃない?」

 夕陽の憤懣やる方ないといった様子に前の二人が笑う。

「今日は……大丈夫か?」

 前方を見据えながら勝野がさりげなく問う。この一か月間、ずっと心配してくれていた上官。彼の妻の瑠美も何かと世話を焼いてくれていた。

「いろいろありがとうございます。大丈夫です。もう一か月経ちましたから」

 全てに絶望し、十日ほど前には彼の後を追おうとまでした。色のついていない、闇に包まれた世界。

「それにね、今日は重大発表があるんです」

 そう言って悪戯っぽく笑う夕陽に刑部が反応する。

「重大発表?」

「そ、重大発表」

「何か知らんが隊長に迷惑かけんなよ」

「なぁに、可愛い娘のやることだ。何やっても許す。何なら大臣のババァでもぶっ飛ばすか?」

「隊長も発言にはご注意を」

「へいへい」

 前席の二人のやり取りにクスッと笑うと、夕陽は窓の外を見た。クリスマスの空はとても澄み切っていて心が洗われるようだ。

 紛争相手国の中国でも騒動はようやく収まりつつあった。共産党政権の終焉と共に。

 予想外の大敗と、公表こそされないもののおびただしい数の戦死者。その惨憺さんたんたる結末に、ますます日本に向かうと思われた中国国民の怒りのパワーは、ある日を境に一転して共産党指導部に向けられた。

 引き金は政争で追いやられていた軍部の穏健派だった。彼らは今回の敗北の責任が指導部の腐敗と無能な武断派の作戦失敗にあると喧伝すると、北京から遠く離れた広州で旗上げをし、米国に亡命していた天安門事件の民主化リーダーを呼び戻して担ぎ上げ、中央からの独立を宣言した。

 これにいち早く呼応したのは民衆からの突き上げを怖れ、その動向を慎重に伺っていた各地方政府と解放軍の各地方軍区だった。

 こうなるとかつて文化大革命を主導した四人組の末路と同様、後は転げ落ちる一方だ。

 四人組と違っていたのは、今回の騒ぎが共産党内部の政争に留まらず、腐敗しきったその存在自体が民衆から問われたこと。民主化の表明が遅れた地方政府には怒り狂った群衆が容赦なく襲いかかり、その熱波は一気に中国全土へと広まった。

 北京の指導部層は形勢不利と見るや海外への亡命を図ろうとしたが、最後は、押し寄せる民衆へのご機嫌取りを企てた下級官吏達に行く手を阻まれてあえなく拘束され、毛沢東以来の共産党政権は呆気なく終わりを告げた。

 そして、暫定大統領に祭り上げられた民主化リーダーによって高らかに宣言された新民主国家・中華民主共和国の誕生。

 日本政府はいち早くこれを承認し、その新政府との間で、尖閣紛争の永久棚上げ・実質統治と平和条約締結の調整に入った。

 それはベルリンの壁崩壊やソ連崩壊に遅れること三十年弱、第二次世界大戦後の秩序が完全に崩れさり、新たな歴史が刻まれた瞬間。

 だが、夕陽の戦いはまだ終わっていなかった。

 太平洋戦争緒戦以来の戦勝に沸く日本国内。

 仲間達の盾となり散った最愛の人は、まるで軍神のような扱いを受けて連日のようにマスコミに取り上げられ、夕陽自身も尖閣紛争のトップエースとして、本人の預かり知らぬ所でアイドルのようにもてはやされている。

 政治に疎かった夕陽にもその危険な雰囲気は感じ取ることができた。

 いつか聞いた軍靴ぐんかの響き。それは敏生が決して望んでいなかった未来。

 自分にできることは正直、限られている。だが、このまま黙っていることだけはできなかった。


           *


 東京・晴海埠頭。ここが今日、夕陽にとっての戦場だ。

 クリスマスの寒空の下、屋外にて執り行われる政府主催の尖閣紛争戦没者追悼式典。

 湾上には第一護衛隊群の八隻と、「はるさめ」が所属していた第二護衛隊群の六隻の計十四隻の艦艇が式場に主砲を向け、二列の単縦陣で投錨している。損傷した「てるづき」はオーバーホールのため、乗組員達は「いずも」に乗艦して参加していた。

 今回の紛争における戦死者は一四一名。その内訳は「はるさめ」の一四〇名と、敏生。

 尖閣沖海戦で日本側唯一の戦死者を出した「いずも」戦闘飛行隊は式典会場への列席を要請され、隊長の勝野と刑部、そして夕陽の三名が参列することになった。

 その他の参列者は総理大臣を筆頭に全閣僚、自衛隊は統合幕僚長と陸海空の三幕僚長、および今回の海戦の司令と幕僚連中、そして「はるさめ」の遺族達。それぞれが様々な想いを抱える中、式が始まった。

 式の冒頭に「はるさめ」戦死者一四〇名の二階級特進と、そして超異例とも言える敏生の一等海佐への四階級特進が発表された。

「俺を一瞬で超えていったな」

 勝野が淋しそうに呟く。特進は死亡退職金や遺族年金の算定が有利になるという側面はあるものの、本人や悲しみに呉れる遺族にとって、果たしてどこまでの意味があるのだろうか?

 やがて総理大臣による弔辞が始まった。最小限の犠牲・・・・・・で紛争を大勝利に導いた彼は、何も実態を知らない国民達から熱狂的に支持され、内閣支持率もうなぎ登りだった。さぞや肩で風を切る勢いの弔辞になるだろうと思いきや、その内容には政治的な企図は感じられず、夕陽は違和感を覚えた。その後には、防衛大臣、そして「はるさめ」の遺族達の弔辞が続く。

 深山若葉の母親も登壇したが、そのあまりの嘆きように夕陽は彼女を直視できなかった。

 やがて遺族代表者達の登壇が終わり、最後は隊員代表の弔辞となる。その役割を務めるのは夕陽。

 容姿抜群の悲劇のヒロインを望むマスコミからの強い要請とのことで、断ることもできたが夕陽はあえて受けて立った。そう、これはあの出発の日の宣戦布告から続く、敏生と夕陽の戦い―――――

「神月夕陽二等海尉!」

「はい!」

 その勲功により一階級特進したが、それがマスコミ受けを狙った政府の意図によるものだということも分かっている。そこに感謝の気持ちなどは微塵もない。夕陽は睨みつけるように閣僚たちを一瞥すると、登壇し黙礼した。

 目の前には〝尖閣紛争戦没者之霊〟と書かれた大きな標柱。夕陽はしばらくそれを見上げていたが、やがて穏やかに微笑むと、静かに切り出した。

「敏生、元気?」

 脳裏に浮かぶ、愛しい人の顔。

「この一か月、ずっと敏生があたしの側にいてくれてたの、感じてたよ。でもね、今日は、やっぱり敏生と改めてお話をしたいと思います」

 そう、あなたを失ってからの苦しかった日々のことを。

「あたしね、いっぱい泣いたよ……。涙が出ない日なんてなかった」

 それは永遠とも思えた空虚な日々。どんなに流したところで、涙は決して枯れることはないということを夕陽は身をもって知った。そして。

「今でもね、まだ夢に見るの。レーダー画面からあなたのBlipが消える瞬間を……。そして聞こえるの……、あたしが墜としたパイロット達の、断末魔の声が……」

 夕陽は右手で胸を抑えると、目を瞑り、俯いて息を吸った。夢を思い出すだけで激しい動悸が襲ってくる。

「あの後……敏生が汚すまいと必死に守ってくれたこの手を……、あたし自ら進んで汚しちゃったの。あたし、本当に魔女になっちゃった」

 起きている時は片時も離れない、愛しい君の幻影。だが、夢に出てくるのは炎に包まれる敏生と、恐ろしい形相で夕陽を呪い殺さんばかりに睨みつけてくる異形の者達。それはおそらく自分が殺した敵のパイロット達。

「知ってるでしょ? あたしが死のうとしたの」

 その夕陽の発言に会場がざわつく。

 愛する人を失い、その後を追うこともできず、彼女に残ったのはただ、敵を殺したという事実だけ。

 あまりにも深い絶望感と強烈な罪悪感がぜになり、自我を保つことすら難しい。

 もう限界だった。

 夕陽は台所の果物ナイフを手に取ると、かつて彼と何度も愛し合ったベッドに横たわり、左手首に刃をあてた。優しかった彼の笑顔を思い浮かべながら。

 敏生……待ってて。

 これで彼のところに逝ける……、そう思ったのだが。

「でもね、死ねなかった……。だってね……、あたしのここに赤ちゃんが来てくれたんだよ? あたしと敏生の赤ちゃんが……」

 愛おしげに下腹を撫でる夕陽の姿に、ざわついていた参列者達がしん、と静まり返った。

「重大発表……か」

 呆気にとられた刑部が呟く。それは恐らくあの前夜の―――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る