第十一章 邪魔をしないで ①

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


                         「日本国憲法・前文」より



第十一章 邪魔をしないで



「ジーク10、イデア出ます」

 突然響いた若い女性の冷えた声に、CICの中がシンと静まり返った。

「待て! 飛ばせるのか!?」

 航空隊司令の片山一佐が複雑な表情でマイクを口に当てる。

「問題ありません。行きます」

 その感情のない淡々とした返答に、かけてやる言葉も見つからず誰もが押し黙る中、夕陽のライトニングが発艦していった。

 ブリーフィングではイージス艦「あたご」の直掩に就く予定だった彼女。そのまま決められた持ち場に就くものと思われた夕陽のライトニングの針路に、やがてCICは騒然となった。

〝……イデア? おい!! イデア!!〟

 仲間達の呼び止める声に答えることなく一直線に突き進む彼女。

 その先にあるのは敵の大艦隊―――――

 しまった。

 気づいた時には遅かった。

「クソッ!! ジーク01より全機へ!! イデアをフォローだ!!」

 勝野が叫ぶ。

 だが、時既に遅し。一気に加速した夕陽のライトニングはフォローの及ばない領域まで完全に深入りをしてしまっている。このままでは中国艦隊の対空ミサイルの餌食になるのは確実だ。

 トシ……! こうなることくらい分かっていただろうが!? あの娘にとってお前のいない人生に何の意味がある!?

 さすがに部下の命を預かる身としてはこれ以上の深入りを命じるわけにも行かず、一瞬躊躇する。が、部下達は誰一人止まらなかった。大切な仲間を失い、誰もが冷静さを欠いていた。

 どのみち対空防御など、もはや不可能。……ならば仲間の被害を最小限に食い止めるため、できる限り多くの敵艦と敵機を道連れにするまで……。そういうことか、イデア!?

 彼が息子のように可愛がっていた部下の、まさかの戦死。そしてまた一人、死に急ごうとする娘同然の部下。いかな歴戦の猛者である勝野とはいえ、初めての実戦での過酷な現実に直面し、心が崩れ落ちそうだった。


           *


 尾澤はレーダースクリーン上の戦闘飛行隊の様子を見つめながら歯ぎしりすると、マイクを口元に寄せた。

「尾澤だ。見てるか? 仲間達の盾になって一人の勇敢な若者が散った。彼は貴様ら政治家なんかより断然に優秀で有能な若者だった。そして今、その彼と将来を約束していた女性隊員が……制止を振り切りたった一人で敵艦隊に向かっている。これでも貴様らはまだ保身に走るのか? ええッ!? この無能な政治家どもが!! 何がシビリアンコントロールだ!!!」

 ダァンッ!! と尾澤がテーブルを力任せに叩くも、相変わらずマイクの向こうは静まり返ったままだ。

「……分かった、あと十秒待ってやる。それまでに指示なき場合は以後、こちらの判断でやらせてもらう!!」

 その尾澤の言葉に市ヶ谷がざわついたのが分かったが、今さら知ったことではなかった。


          *


「敵艦隊に装填音。四次攻撃に向け準備を進めている模様」

 ソナー員の報告に土方は拳を握り締めた。

「そうりゅう」の潜む場所は中国艦隊の真っ只中。非常に静粛性に富み、至近であっても全く動かなければパッシブソナーでは捉えられない究極のステルス潜水艦。昔に比べれば静かになったとはいえ、相も変わらずうるさい中国の潜水艦では自艦の音が邪魔して捉えることはさらに難しい。

 事態発生直後に出航を命じられ二週間弱。別命あるまで敵艦隊を監視し続けるのが与えられた任務だった。

 中国艦隊による攻撃が始まった直後から何度も超長波による暗号文が届いていないかを確認したが、いくら待てども攻撃命令は届かず、三度に渡る中国艦隊のミサイル攻撃を黙って見送るしかなかった。一四〇キロメートル彼方の味方の様子はさすがにパッシブソナーでは分からず、ただ仲間達の無事を祈るしかない。もっとも頭上の中国艦隊が被害を受けた様子は特になく、味方が無事でいるとはとても思えなかった。

「攻撃命令はまだか?」

「来ていません」

 ふと周囲を見回すと乗組員達が訴えるような目で自分を見ている。彼らの気持ちは痛いほど分かった。任務とはいえ、仲間達のピンチに何一つ助けてやることができなかった口惜しさ。

 それは艦長の土方とて同じだ。だが、ここで手を出すことは即ち自分達の死を意味する。

 頭上には敵の大艦隊。そして前方には敵潜水艦が四隻。「そうりゅう」が魚雷を発射した瞬間にその存在を知らしめ、場所を特定される。仲間の潜水艦が二隻、同じ海域に潜んでいるが、それぞれとは二〇、〇〇〇メートル以上離れていて敵艦隊よりも遠く、フォローは受けられない。

 クソッ。俺はここで一体何を……。

「艦長……」

 副長が苦悶の土方に声をかける。何かを言いたげだがそれ以上の言葉は来ない。その言葉を継いだのは若い乗組員だった。

「攻撃……しないのですか? 自分は……このまま仲間を見捨てたくありません」

 普段は寡黙で、何を考えているか分からない若者。息子と言ってもおかしくない歳だ。

 土方が驚いて彼を見つめていると、その彼の言葉に堰を切ったように乗組員達が次々と口を開いた。

「やりましょう! 艦長!」

「このまま何もせず自分達だけ生き残るなんて嫌です!」

「彼らが第四波を凌げるとは思えません。これ以上見殺しなんてできません!」

「艦長!!」

「艦長!!」

 長年、潜水艦の艦長を務めてきた土方にとって、それは初めて目にする光景。冷静で忍耐強いはずのサブマリナー達が自分に詰め寄り、決断を促す。土方は司令所にいる乗組員全員の目を一人一人確かめた。怯えている者など一人もおらず、誰もが決意の表情を浮かべている。

 攻撃許可は出ていない。

 防衛出動命令は下っているものの、禁を破って攻撃すれば刑罰に問われる可能性だってある。

 もっとも、攻撃すれば生きて還れる保証はゼロだが。

 汗が土方の額を伝う。その脳裏を過ぎる、愛しい家族の顔。緊急出港前の別れ際、スタジアムで不安げな表情を浮かべていた妻の香織と娘の七海。そして試合中のためひと言も言葉を交せなかった息子の海斗。

 万が一、生きて還れたとしても犯罪者にされるかもしれない。そうなれば家族は一生後ろ指を指されて生きて行かなくてはならない。だが、たとえどうなろうが仲間を見殺しにしてまでこのままやり過ごすことなど、土方には、いや「そうりゅう」の乗組員達にはできなかった。

 あれが最期のお別れだったね、ママ……。すまない……。子供達を、頼む。

 土方はハンドマイクを握り締めると前方を向いた。その目にはもう迷いはない。

「よし、やるぞ!!」

 その一言に、大声厳禁の艦内がドッと沸いた。

「一番から四番、発射管注水。目標、前方距離五、〇〇〇から七、〇〇〇に展開する敵潜水艦四隻。続けて五番と六番にハープーンミサイル装填。目標……敵航空母艦〝遼寧〟!!」

 その土方の命令に普段冷静な乗組員達からワッと歓声が上がる。彼らの人生の道連れとするには最高級の獲物。

「一番から六番、発射準備完了!!」

「敵潜に動き。こちらに気づいた模様です」

 今さら遅い……。地獄で待ってろ。

「撃てッ!!!」

 艦首より八九式魚雷四発とハープーン対艦ミサイル二発が発射された。

「よし、機関最大戦速!! ダウン二〇度、おーもかーじいっぱい!!」

 正直、どこまで逃げ切れるか分からないが、むざむざ殺られる必要などない。一隻でも多くの敵艦を道連れに華々しく散ってみせるつもりだった。


           *


 尾澤の定めた十秒ギリギリでその声は飛んできた。

「防衛大臣の道坂です!! 展開中の全艦艇・全作戦機に告ぐ!! 最低限の反撃を許可します!! 繰り返します!! 最低限の反撃を許可します!!」

 それはなぜか統幕長ではなく、あの迂闊な女性防衛大臣の、ヒステリックな声だった。

 そして誰もがその指示に戸惑う。この後に及んで、未だ保身に走る醜い政治家。

〝最低限〟の反撃とは一体どういう意味なのか?

 現場に判断を丸投げされた、それは最悪の命令だった。


           *


 遅いのよ、今さら……。

 防衛大臣のヒステリックな命令を夕陽は冷めた表情で聞いていた。

 レーダーの端に映る中国軍機が長距離ミサイルAAM4の射程距離に入る。彼らは第一波で既に長距離ミサイルを撃ち尽くしているので、この時点で攻撃を受けることはない。

 夕陽は蠢くBlipの中から最も近い二つを選択するとロックオンした。三次に渡る嵐のようなミサイル攻撃。その中で仲間の盾となり散った最愛の人。ためらいなどもはやなかった。

「ジーク10、フォックスワン」

「待て!! イデア!! 俺たちが行くまでこれ以上深入りするな!!」

 勝野の制止する声にリムパックの時の敏生の声が重なる。

 夕陽―――――!!

 ……あたしの邪魔をしないで。

 トリガーを引くとウェポン・ベイが開き、二発のAAM4が勢いよく飛び出した。途端にレーダー上のBlipが激しく動く。回避機動をとっているのだろうが逃げられるわけがない。

 マッハ五で飛翔するAAM4はあっという間に中国空軍のSu30MKK二機を捉えると、パイロットが脱出する間も与えず爆散した。

 自衛隊機による敵機の初撃墜。その地獄の扉を開けたのは、悲しくも本物の魔女へと変貌を遂げた夕陽だった。

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