第八章 お願い、神様 ①



第八章 お願い、神様



 それは奇妙な状況だった。お互い宣戦布告すらしていない日中両国が、領土防衛を名目に小さな島に次々と兵力を送り込む。

「いずも」出航に恐れをなした中国は翌日、寧波と青島から六隻のフリゲート艦を増派した。先行した部隊と合わせ水上艦だけで計十七隻の大艦隊。

 中国海軍の稼働率の低さを考えると、北海艦隊と東海艦隊の稼働可能な艦艇全てを投入してきた計算になる。戦略的には台湾海峡有事への備えを残しておかなければならないはずだが、戦力を出し惜しみして敗北することだけは許されない中国側の面子めんつが見て取れた。

 また、空軍もSu30MKKを擁する浙江省・衢州チュウチョウ基地の第八五航空連隊が既に臨戦態勢を整えており、安徽省・蕪湖ウーフー基地からも同じくSu30MKKを擁する第九航空連隊が同基地に前進し、迎撃の準備を完了させていた。

 一方の自衛隊は撃沈された「はるさめ」の母港である佐世保第二護衛隊群から二隻の護衛艦が増派された。

 舞鶴の第三護衛隊群は北朝鮮への備えで、呉の第四護衛隊群は遠洋航海後のオーバーホールで、それぞれ身動きが取れる状態にない。佐世保の第二護衛隊群は「いずも」級二番艦「かが」が戦闘飛行隊の立ち上げ準備中ではあったが、「かが」以外は出撃可能な状態にあった。なので二護群からの増派は当然と言えば当然だったのだが、この決定に世論は沸きに沸いた。出撃した二隻のうちの一隻が尖閣から帰投したばかりの「てるづき」だったからだ。

 当初、艦隊防空能力向上の観点からイージス艦「ちょうかい」と「あしがら」の追加投入が検討されていたが、虎の子のイージス艦の大量投入は、万が一それを失った時の弾道ミサイル防衛システムへの影響が大き過ぎることから、統合作戦本部もなかなか決めあぐねていた。そんな中、「てるづき」の艦長以下、乗組員達が再出撃を直訴したのだ。

 もともと僚艦防空能力が高い上、何より今回の事態で唯一の実戦経験を積んでいる「てるづき」は増派に最適任と言えたが、統合作戦本部では乗組員達の的外傷後ストレス害を心配する声が多く、慎重論が強かった。

 そこで統合作戦本部は「てるづき」の乗組員達の参加を任意とし、十%以上の離脱者が出た場合は出撃を見送るという条件で打診をしたのだが、驚くべきことに離脱者はただの一人も出なかった。

 仲間を守り切れなかった自責の念。反撃を諦めざるを得なかった悔恨。そのあまりにも強い想いが彼らを再び戦場へと駆り立てたのだ。

「てるづき」の悲壮感溢れる出撃に大いに盛り上がるマスコミと国民達。

 そんな中、日本政府は焦っていた。いつまで経っても態度を明確にせず、動こうとしない同盟国・アメリカ合衆国に。

 インド洋での作戦行動を終えた第七艦隊の空母「ロナルド・レーガン」を中心とする第五空母打撃群が南シナ海を北上中であったが、尖閣に向かっているのか横須賀に帰投中なのかすら判然とせず、統合作戦本部から第七艦隊司令部に確認を入れても、「我々は本国から命令を受けていない」の一点張りだ。

 中国を相手にする以上、単独の軍事行動は避けたい日本。米国を引き込むことで自分達の正当性を証明し、日本にくみする国際世論を盤石のものにしておきたい。

 一方で、当の米国は中国との全面衝突には及び腰だった。イデオロギーの違いがあるとはいえ、最大の輸入相手国にして第三位の輸出相手国。中国現地には自動車BIG3を始め、多くの米国企業が大量の資本を投下している。今や日本よりも経済的な繋がりが深い中国は、米国にとってもはや欠くことのできない重要なパートナーだ。

 とは言えここで経済を優先し、日本を見捨てたとあっては世界中の同盟諸国に対して不信感を抱かせることとなり、また、尖閣諸島を中国に押さえられるようなことになれば、彼の国の太平洋進出を許すことにもなりかねない。

 政治と経済の板挟みにあい、状況を慎重に見定めているのが米国の現状であった。


           *


 第一護衛隊群の横須賀出港から三日目。佐多岬沖で第二護衛隊群から増派された「てるづき」「おおなみ」の二隻と合流した艦隊は、明日の午後には中国艦隊の待ち受ける尖閣沖に到着する見込みだ。

 午前中のアラート任務を終えた敏生と夕陽は、士官室で遅めの昼食をとった。今回の派遣艦隊司令を兼務する一護群司令の尾澤三郎海将補や「いずも」艦長の森川伸宏一等海佐といった司令部のお歴々も何やら気難しい顔で話をしながら食事中で、幹部として限りなく下っ端の二人は、そこからできるだけ離れて腰を下ろした。

 乗艦時はこの三度の食事が公然と二人で居られる貴重なプライベートタイムなのだが、この日はどことなく会話が弾まない。

「今日はカレーが食べたかったな……」

 生姜焼きをつつきながら夕陽がぽつりと呟く。

「カレーは金曜日だから明後日だろ。この生姜焼きだってめちゃめちゃ美味いぞ?」

 敏生が普段の訓練時と変わらぬ様子で、ご飯をばくばくと勢いよくかきこむ。

「そうなんだけど……。いずものカレー、すごく美味しいんだもん」

「何だよ、明後日食えるじゃん」

「うん……」

 そこで押し黙ってしまうのはお偉いさん達が近くにいるからだけではない。敏生は悪戯っぽく笑うと、ひょいと夕陽の生姜焼きを箸でかっさらった。

「もーらい」

「あ―っ!? あたしの生姜焼き―っ!」

「何だよ、食べないんだろ?」

「食べる! 食べるよ~~~ぅ!」

「じゃあ、ほれ」

 敏生が夕陽の口元に生姜焼きを差し出すと、夕陽がパクっと食いつく。と、横でガタガタっと音がして、二人して振り向くと司令部のお歴々が食事を終え、立ち上がるところだった。

「全く、貴様らは相変わらずだな。あてつけやがって」

 司令の尾澤海将補が苦笑しながら敏生の肩を叩くと、そのまま背後を通りすぎ、士官室を出ていった。

「艦内で大っぴらにいちゃつくなと言っとるだろうが、バカたれが」

 ゴツン、と敏生の頭に拳骨を落としたのは「いずも」艦長の森川一佐。もっとも口元が上がっているので本気で怒っているわけではなさそうだ。その後も艦隊司令部の幕僚達が敏生を囲んでからかう。一日中どころか連日テレビで流されているという出撃前の二人のキスシーンも当然からかいのネタだ。

 いつも明るく、ムードメーカーで親しみやすい彼は「いずも」の誰からも愛される存在。

 特にリムパックで米空母「ロナルド・レーガン」を〝撃沈〟して以降は、上官達からだけではなく若い曹士達からも絶大な人気を誇っている。

 誰もが振り向く美人だが近寄り難い、というか怖い雰囲気を醸し出していた夕陽を、敏生の前だけとはいえ〝可愛く〟変貌させたことも彼のポイントの一つになっていて、休憩時間中は若い連中からの恋愛相談も後を絶たない。これは夕陽にとっては全くもって余計なお世話ではあったが。

 幕僚達が出ていくと、士官室は閑散となった。

「もっかいやる? あーん」

「結構です!」

 夕陽が真っ赤になってご飯を口に運ぶと、敏生がアハハと楽しそうに笑う。からかう敏生と怒る夕陽。付き合う以前から、それこそ出会った時から何度も繰り返されてきた、二人にとっては日常の光景。

 再びご飯をかき込み始めた敏生を夕陽はチラッと見た。

「ねぇ、敏生……」

「ん? どした?」

 さり気なく聞き返されて思わず口ごもる。何とか再び口を開くも上手く言葉が継げず、夕陽は寂しそうに笑った。

「……ん、何だっけ? 忘れちゃった」

「おいおい、大丈夫か?」

 敏生が呆れたように笑い、その笑顔になぜか胸が苦しくなる。

「てへ」

 夕陽はごまかすようにおどけて舌をぺろっと出すと、再びゆっくりと箸を進めた。


           *


 午後に入り「いずも」はにわかに慌ただしくなった。警戒中のP3C対潜哨戒機が艦隊から北西五〇キロメートルの海底に潜んでいる二隻の潜水艦を発見したからだ。

 P3Cが威嚇の水中発音弾を投下するとその二隻は全速力で逃げていったのだが、いよいよ戦域が刻一刻と近づいていることが否が応にも意識され、乗組員達の表情からもどことなく残っていた余裕の色が消え始めた。

「はるさめ」が撃沈された今、何事もなく済むなどとは誰も思ってはいない。だが、「てるづき」の乗組員以外は誰も実戦など経験したことがないのだ。戦争を最初からリアルに感じろという方が無理な注文だろう。

 敏生は自室の二人部屋で、二段ベッドの下段に寝転がってスマホの写真をぼんやりと眺めていた。上段では刑部が横になって読書をしている。

 スマホに入っている写真はほとんどが夕陽のもので、出会った時に無理矢理ツーショットを収めたものから始まり、不機嫌そうにこっちを睨んでいる顔や、付き合いたての恥じらう様子、シーツに包まって笑うかなり際どいセクシーな姿、そしてクマのプーさんの着ぐるみに抱きついて満面の笑みを浮かべる全身ショット。楽しかった記憶が昨日のことのように思い返される。

 昼食時に様子のおかしかった彼女。不安な気持ちは痛いほど分かった。だからこそ敏生はあえて気づかないフリをして、いつも通りに振舞った。

「なあ」

 敏生は画面をスクロールしながら上段の刑部に声をかけた。

「明日、本当に始まるよな?」

 返事は返ってこない。寝てしまったのか、読書に夢中なのか。敏生は溜め息をつくと、スマホをベッドの上に放り投げて横向きになった。

〝だったら、何があってもあいつを守りぬけ〟

 脳裏を巡る勝野の言葉。

 俺は……あいつを守り切れるのだろうか。

 彼女の腕前は何より自分が一番分かっているし、ウィングマンとして全幅の信頼を置いている。だが〝実戦〟となると話は別だ。演習でも、これまで何度も僚機の夕陽を〝失って〟いる。混戦になると正直守り切れる自信がない。どちらかと言うと直情径行な彼女は一度火が付くと周りを見失いがちになる。

 リムパックの時も敏生の制止を振り切り深入りした結果、〝撃墜〟されたのだ。

 嫌な予感を振り払うかのようにガバッと毛布を被ると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

「開いてますよ」

 毛布を払いのけてぶっきらぼうに応える。ガチャッとドアが開くと、入ってきたのは何と夕陽だった。

「夕陽……。どうした?」

 敏生は驚いて起き上がった。こんな時間に女性士官が男性士官の部屋を訪れるのはもちろん御法度だ。ましてや、乗艦時にはしっかりと一線を引いてきたはずの優等生の彼女が。

 バツが悪そうに弱々しく笑う夕陽。

「あ、うん。眠れなくて……」

 敏生が呆気に取られて夕陽を見つめていると、上段の刑部がむくりと起き上がり、二段ベッドの梯子を下りてきた。

 何だ、起きてたのかよ。

「一時間ほど外に出てくる。積もる話なら手短に済ませろよ」

 刑部はそう言ってヒラヒラと手を振ると、部屋を出ていった。どうやら二人に気を利かせてくれたらしい。悪友の気遣いが身に沁みる。

「おいで」

 敏生はベッドに腰かけると、横に座るように促した。夕陽が俯きながらちょこんと隣に座る。

「へへ、なんか久しぶりだね、このポジション」

 出航以来、二人っきりで並んで座る機会などあろうはずがない。敏生がそっと手を握ると、夕陽は敏生の逞しい肩に頭を預けてきた。

「楽しかったね。ディズニーランド」

 夕陽がポツリと呟く。はるさめ撃沈で中断したデート。あれからまだ十日間しか経っていないが、随分と昔の事のように感じる。

「あ~あ、ビッグサンダーマウンテン乗りたかったな~。せっかくファストパス取ったのに」

 おどけた感じで夕陽が伸びをする。

「帰ったらまた行こう。今度は隣のホテルに泊まってさ、ランドとシーの両方周ろう」

「本当? 約束だよ!?」

「ああ、任せとけ」

 敏生が笑いながらくしゃっと夕陽の頭を撫でる。さっきまでのもやもやと沈んだ気持ちが彼女の温もりで一気に安らぐ。改めて自分にとっての彼女の存在の大きさを実感する時。

 しばらく無言のまま手を繋いで寄り添っていると、彼女の肩が震えていることに気づいた。

「夕陽……?」

 彼女は答えず、ギュッと敏生の手を握ってきた。

「……こわいよ、敏生……。やだよ……あたし……しにたくないよ……。敏生と……はなれたくないよぉ……」

 覗き込むと、夕陽は床をじっと見つめたまま、ポロポロと涙を零している。

 その姿に、敏生はガツンと殴られたような衝撃を受けた。

 やっぱり、そうだよな……。

 分かっていたことだ。そこにいるのは冷酷で無慈悲な戦い方ゆえ名付けられた「北空の魔女」とはほど遠い、死の恐怖に直面し、怯えるただのか弱い女の子だった。

 くそッ!

 敏生は強く彼女を抱き締めた。小さく、男の自分に比べてとても華奢な身体。

 何を考えてたんだ俺は!? 守り切れる自信がないだなんて! こいつを絶対に守り抜くのが俺の戦う意味だろうが!!

「お願い、抱いて……」

 涙を流しながら懇願してくる彼女。常日頃より覚悟を決めているはずの幹部自衛官。だが人として生への未練を完全に断ち切るなど、そうそう容易いことではない。ましてや、ついこの間まで幸せな結婚生活を思い描いていた二人にとっては。 敏生は夕陽をベッドに押し倒すと、乱暴に彼女の濃紺の幹部作業着を脱がしにかかった。彼女の恐怖心を少しでも和らげてあげたい、ただその想いだけで。

「としき……としき……」

 泣きながら必死に縋り付いてくる彼女がたまらなく愛おしい。ブラジャーを剥ぎ取ると豊かで美しい乳房が露わになる。狭く、殺風景な部屋で、ベッドにショーツ一枚の美しい裸身を横たえる。久しぶりに目にする、透き通るような白い柔肌。

 その、天女のような姿がまるで夢か幻に思えて、彼女の存在を確かめるかのように敏生は手を、舌を、彼女の滑らかな肢体に這わせた。

「お願い……あたしの身体に刻んで。敏生の匂い、敏生の温もり、敏生の、んっ……」

 彼女の恐怖を振り払うかのように激しく口づけ、強く肌を擦り合わせる。今はもう何もかも忘れて、ただお互いの温もりに溺れていたかった。

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