第七章 ハイレートクライム ②

           *


 辺りはすっかり暗くなっていたが、マスコミのフラッシュやスポットライトが眩いばかりの光を放っていて、その中で仲間のパイロット達が家族や恋人と別れを惜しんでいる。

 刑部なんかは溺愛してやまない娘を抱き締めたまま身動き一つしない。そんな様子を遠巻きに眺めながら夕陽が所在なさげに一人ポツンと佇んでいると、後ろからポンと肩を叩かれた。

「よっ、婚約おめでとう」

「瑠美さん……」

 振り返ると、勝野の妻の瑠美が高校生の娘と中学生の息子を連れて立っていた。 夕陽がペコリと頭を下げると瑠美は腰に手を当て溜め息をつく。

「本当遅いわね、うちの男どもは」

「あ、その、敏生と話があるとかで……ごめんなさい」

「何で夕陽ちゃんが謝んのよ」

 瑠美がおかしそうにケタケタと笑う。竹を割ったような性格の彼女は、元CAらしく細やかな心配りもできる官舎の主婦達のリーダー的存在らしい。今も一人ぼっちの夕陽を気遣い、声をかけてくれたのだろう。

「で、夕陽ちゃんのご家族は来てないの?」

「あたし、勘当された身ですから……」

 夕陽が寂しそうに答えると、瑠美が驚いた様子で覗き込んできた。

「何それ? 初めて聞く話ね」

 彼女の言葉に夕陽は小さく頷くと、ためらいがちに口を開いた。

「……うちの両親、中学校の教師なんですけど、いわゆる反戦教師で大の自衛隊嫌いで。だからあたしが航空学生になった瞬間に勘当されました」

 夕陽の両親は君が代斉唱でも起立をしない、筋金入りの某教職員組合員だった。 厳格な教育方針で、漫画やゲームはおろかテレビすら碌に見せてもらえず、習い事の体操クラブがある日以外は門限も五時と決められていた。

 そんな両親への反発が芽生え始めたのは中学時代のこと。仲のよかった子の親が自衛官だと知った両親が、烈火の如く怒って夕陽に友達付き合いをやめるように迫り、あろうことか仲間の教師達と結託してその子の内申点を低く付け、夕陽と一緒の学校に行けないように仕向けたのだ。

 夕陽がその事を知ったのは高校に進学してからだった。その子は気にしないでと言ってくれたが、夕陽はあまりのショックにしばらくの間学校に行けず、両親への反発から自衛隊に興味を持ち色々と調べるようになった。

 パイロットになろうと決めたのは高校二年生の秋。こっそりと訪れた福岡・築城ついき基地の航空祭でダイナミックなF15Jイーグルの展示飛行を見て心を奪われた。天空に向かって一直線に駆け上がる荒鷲。そのときめきは自由への渇望だったのかもしれない。

 幸いにも航空学生の試験は同じ山口県内の防府北基地だったので、受験自体は両親にバレずに済んだ。

 生来、運動神経は抜群、勉強もトップクラスの夕陽は見事合格を果たしたのだが、いつまでも隠し通せるものでもない。案の定、親バレと共に修羅場が待っていて、夕陽は家を飛び出した。

 アルバイトはしていたとはいえ、これまで親の庇護の下で育ってきた右も左も分からぬ女子高生。行く当てなどあるはずがない。そんな彼女を救ってくれたのは、夕陽の両親が嫌がらせをしたあの中学時代の親友とその家族だった。自衛官夫妻は嫌な顔一つせず、夕陽が航空学生入隊まで官舎に住まわせてくれたばかりか、高校の授業料も肩代わりしてくれた。

 一度、その自衛官夫妻に和解を諭され、付き添われて両親に会いにいったのだが、両親は自衛官夫妻にお礼の言葉を述べるどころか自衛隊を罵倒した挙句、未成年者略取で警察に訴えるとまで言い放ち、夕陽は悔しさと情けなさ、そして申しわけなさで三日三晩枕を濡らした。

 それ以来、両親には一度も会っていない。

「敏生君は知ってるの? その話」

「はい。それでもあたしの両親にはどうしても挨拶したいって。土下座してでもあたしの勘当と結婚を許してもらうんだって言ってくれて……」

「いい男ね。なかなかいないよ、そんなやつ」

 夕陽も本当にそう思う。どんな状況でもいつだって自分のことを最優先に考えてくれて、そんな敏生に自分は甘えっぱなしだ。

 だからこそもっと強くなりたい、と改めて思う。せめて、彼の爪の先だけでも。

「で、彼のご両親には会った?」

「あ、はい、プロポーズされた週の土曜日に」

「速攻ね~。会ってびっくりしたでしょ?」

 その瑠美の意味深な問いかけに夕陽が弱々しく笑いながら頷く。

「彼、今まで何も言ってくれなかったから……」

「きっと夕陽ちゃんにありのままの自分を好きになって欲しかったのよ。可愛いやつね」

 瑠美がぽんと夕陽の背中を叩く。と、前方から

「瑠美!!」

 と大声がかかり、視線を向けると勝野と敏生が隊舎から出てくるところだった。 真っ先に勝野の娘と息子が父親に駆け寄り、瑠美も夕陽に会釈すると小走りに夫の下に向かう。

 横に並ぶ敏生の表情は心なしかすっきりとしていた。勝野と話したことで気持ちの整理がついたのだろうか? 

 やっぱりあたしじゃ敏生を笑顔にしてあげられないのかな……。

「な~に暗い顔してんだよ」

 敏生は夕陽の下に歩み寄ると、ニヤッと笑って彼女の両頬を片手でムニムニと解し、それから腰をヒョイッと抱き上げた。

「ちょっ! 敏生!? やだっ、みんな見てるってば!!」

 突然、赤ん坊のように縦抱きにされた夕陽が真っ赤になってポカポカと敏生の頭を叩く。

「いいさ。あいつら全国ネットだろ? 見せつけてやろうぜ」

 そう言うなり敏生は報道陣に見せつけるように夕陽の唇を塞いだ。美男美女のパイロットカップルによる突然のラブシーンに、報道陣のカメラが一斉に二人を捉える。

 いきなりの展開に慌てふためいたものの、次第に唇から彼の想いが痛いほど伝わってきて、やがて夕陽も彼に応えるように舌を絡めた。それは敏生の、そして夕陽の、この腐りきった世の中に対する宣戦布告だった。

「どうせ明日は俺らのキスシーンが一日中全国ネットに流れるんだぜ? 恐らくアルマゲドンの音楽付きで」

 唇を離した敏生が夕陽と額を合わせ、笑いながらそっと呟く。

「そっか。じゃあ、あたしは女優さんのようにキスを返せばいいのね」

 夕陽もまた悪戯っぽく笑うと、敏生の頬にそっと両手を添え、今度は自分からキスを落とす。

 頑なだった自分の殻をひとつひとつ、痛くないようにゆっくりと剥がしてくれた誰よりも大切な人。そして何よりも守りたい人―――――

「おい! お前らいつまでやってんだよ!」

 いつまでも終わらない二人のキスを呆れたように大声で茶化す刑部。その声をきっかけに、痺れを切らした隊の仲間とその家族達が乱暴に間に割って入り、皆ではしゃぐように二人を小突き回した。

 死地に赴く者たちとそれを見送る者たちの悪ふざけ。元が空自出身の彼ら、ノリの軽さは折り紙付きだ。おかげでその直後に行われた女性防衛大臣によるありがたい訓示は全くもって締まらないものとなった。

 そして彼らにもいよいよ出発の時が来る。

「いずも航空隊戦闘飛行隊、出発します!!」

 隊長の勝野が防衛大臣に直立不動で敬礼すると、背後で肩幅に足を開き、後ろ手を組んで整列していたパイロット達が一斉に姿勢を正し大臣に敬礼する。それがこの式典のクライマックスシーンだった。

「搭乗!!」

 勝野のかけ声でパイロット達が愛機に向かって駆け出す。

 夕陽の愛機の下では機付長の谷口美鈴士長が満面の笑みで待ち受けていた。女同士、パンと手を合わせると、美鈴は夕陽の耳元に口を寄せた。

「素敵でしたよ、お二人のキスシーン」

「もう、言わないで!」

 美鈴のからかいに真っ赤になりながらタラップを上る。飛行前点検は式典の前に済ませていた。

「後から行きます! お気をつけて!」

 整備小隊の面々は全ての機を送り出した後、輸送飛行隊のオスプレイで「いずも」に向かうことになっている。

 夕陽は美鈴に向かって親指を立てると、ヘルメットと酸素マスクを装着し、キャノピーを閉じてエンジンを起動させた。グラウンドクルーの誘導に従いタキシングを開始すると、ふと、見慣れたはずの基地の外の風景に惹きつけられる。

 月明かりに浮かび上がるハンバーガーショップやショッピングモールの看板。愛する人と共に暮らした綾瀬の街並み。自分は果たして生きてここに戻ってくることができるのだろうか?

「どうせまた切ないこと考えてるんだろ? イデア」

 からかうような無線が目の前を行く敏生から入る。

 ……ちぇっ、全てお見通しか。

「どうせまたって何よ?」

 拗ねたように返すと笑い声が聞こえてきた。

「俺たちが最初の離陸だ。景気づけにアレ行くぞ」

「はいはい、イデア了解。編隊長ガイアの仰せのままに」

 滑走路の端に辿り着くと門真機の左斜め後方で停止し、管制からの離陸許可を待つ。

〝Run Way01 Cleared for takeoff……〟

 聞こえてきたのは耳慣れた女性管制官の声。心なしか声が震えている。と、

〝……こちら管制、我々はあなた達を誇りに思います。どうか……、ご武運を!!〟

 離陸許可の後に感極まったのか、彼女が涙声でそう付け加えた。

〝Roger, cleared for takeoff……Thank you, We should meet again !!〟

 編隊長の敏生が管制官に照れ臭さそうに返答した後、こちらに向かって左手を上げたのを確認すると、夕陽はアフターバーナーのスロットルを開いた。ジェットエンジンの爆音が夜の街に鳴り響く。

 あたしはあなたに付いていく。その行き着く先がたとえ地獄であっても。

 静かに滑り出した二機のライトニングがあっという間に離陸速度に達し、その機体が浮き上がる。夕陽は瞬時に車輪を収納すると、一気に操縦桿を引いた。

 見送りの人々や報道陣からワッと歓声が上がる。

 ピッタリと息の合った、ド派手なハイレートクライム(急角度上昇)による見事な編隊離陸。

 ほぼ垂直に上昇していくその姿は、まるで二人が慣れ親しんだ街への未練を断ち切るようにも見え、二機のライトニングは見送る人々に切ない余韻を残して夜空の向こうに消えていった。

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