第13話ドクターギアの娘

「こいつが……?」

 言葉を詰まらせた。先の事件の中で空操拷問が退却する寸前、天守閣の瓦礫の中に倒れていた少女を連れ去ろうとした。その際に【ZOO】は妨害工作を展開。無事に捕獲を成功させたところまでは記憶にある。だがその少女がドクターギアの娘だった事には驚きを隠せなかった。

「『城跡公園』の事件は、ドクターギアが犯人なんじゃなかったのか?」

「指揮はそうなるね。でも事件の全貌はそうではなかった。『城跡公園』を中心としたRS事件は別件の陽動に過ぎなかったんだ」

「陽動だと?」

 オロチは一拍の間を置き、乗馬用のムチで自分の肩をトントンと叩く。

「そもそも【ZOO】がこの街に来た理由は、ドクターギアが秘密裏に何らかの行動を起こしているという情報がリークされたからなんだ。この街である以上、『史上最強の死神』に事件への協力要請を出す事も考えた。だからキミに接近したという側面もある」

「ラムネさんに取り入るために、僕を利用したのか」

「いや。『史上最強の死神』の保護下にある『拒絶の壁』の能力者にも興味があったよ」

「口だけは上手い奴だな」

「いや。キスのテクもなかなかだぜ。なんなら試してみるかい?」

 チロチロと舌先を見せて微笑みを浮かべるオロチに対し、今度は僕が肩を竦めて見せた。

「話を進めてくれ」

「この歯車に見覚えはないかい?」

 オロチはテーブルの引き出しを開け、中から一枚の歯車を取り出してみせた。

 それは以前、空操拷問のたこ焼き屋で見つけた歯車と同じものだ。

「ナノマシンウイルスの説明は前の事件の際にしたはずだ。今回の事件でドクターギアはナノマシンウイルスをこの歯車に成型し、有名たこ焼き屋のたこ焼きの中に入れ散布する事で、RSの大量保持を成功させたんだ」

「あの異物にそんな意味があったのか……」

 もしあの時、異物に気がつかずそのまま食べてしまったといたとすれば、僕もみぞれちゃん同様RSになっていたのかもしれない。

「あの事件の裏でドクターギア本人は別行動を始めていた。オレ達の仕事はドクターギアの捕獲である以上、そちらを優先しなければいけない。だが敵の陽動作戦である『城跡公園』の事件も鎮圧する必要がある。どうするべきか。そこに一人の便利な少年が現れた」

「それで僕に『城跡公園』の件を押し付けたのか……」

 まぁ、みぞれちゃんがRSになってそこに行ってしまった以上、結局僕はその事件を解決せざるを得ないわけだが。

「キミがその事件に関与する以上、『史上最強の死神』もそれは同様だろう?」

「ジョーカーを引きずり出すための囮扱いかよ」

「いい餌でなければ、囮は務まらないけどね」

 褒められているのかすら微妙なニュアンスだ。

「……で、そっちはどうなったんだよ?」

 オロチは僕の問いに困ったように眉根を潜め、掌の歯車を再び引き出しの中へとしまった。

「敵もさることながら、後一歩という所まで追い詰めたんだけどね。残念ながらそいつは偽物であり、最後は自爆爆散して全ての情報を消し去って行ったよ」

「こっちに事件押し付けといて、そのザマかよ」

「それについては面目ないというばかりだね。だがまだ可能性は残されていた。それがこのアイアンメイデン。ドクターギアの娘という訳さ」

 ピシッとムチの先を向けながら、オロチは語った。

「要は人質という訳か」

 年端もいかない少女が、レオタード姿で亀甲縛りを受けていると変態的なシチュエーションにはそういう事情があったらしい。

「奴に関しての情報は、組織内でも著しく乏しいのでね。出来れば重要な情報を聞き出したいと思っている所なんだ。だが思いのほか強情でね。これが中々口を割らないんだよね」

 確かラムネさんも同じ事を言っていた。

 ドクターギアに関しての情報は殆ど無く、その素顔すらよく分かっていないのだと。

 とすれば、アイアンメイデンの捕獲は希少な情報入手のチャンスだという事になる。

「この子は、この後どうなるんだ?」

「協会組織に身柄を明け渡す事が決まっている。ドクターギアの娘だ。あっちにいけばサンプル個体として体の隅々まで調べつくされ、実験動物みたいに扱われるだろうね。──ま、オレとしては、それまでに出来る限りの情報を入手しておきたいと思っている。手段は選ばずにだ」

 その身柄の扱いを聞き、アイアンメイデンの顔が徐々に青ざめていくのが目に入った。

「怖いのか?」

 沈黙し、顔が強ばるアイアンメイデンに対し、そう尋ねてみる。

「……くっ。殺せ。辱めを受けるくらいなら、ここで命を散らしたほうがマシだ」

 涙目のアイアンメイデンはそれでも強気に言い放つ。

 どこの女騎士だよ、って話だ。

「聞けよ、アイアンメイデン。そこにいるのは裏世界では名の知れた拷問請負人でね。殺さず壊さず精神を削る事を生業としている人物だ。彼の手にかかれば口を割らない人間はいない。それどころか最期には、お願いだから殺してくださいと手を合わせる者が出てくる程らしい。そこで付いた異名が『拝みのヤマト』だ。今日、キミを拷問にかける奴の名前だよ」

 冷めた視線がアイアンメイデンを捉え、怖気を感じるほどの薄ら笑いを浮かべている。

「ヒッ……」

 僕を見たアイアンメイデンが怯えた目で小さな悲鳴を漏らした。

「や、やれるもんならやってみろ。私はどんな責め苦にも屈さない!」

 それでも気丈に声を張り上げるのだが。

 どうみても堕落フラグにしか聞こえないのは、気のせいだろうか。

「お前はどうしたんだ?」

 肩に手を置くと、ビクッと身が跳ねる。

 質問の意図を理解していないのか、今から行われる責め苦を前に気を張っているのか、口は真一文字に閉じられ、顔は強ばったままだ。

「質問に答えてくれ」

「意味が理解できない。どうしたいとはどういう事だ?」

「お前の今後の身の振り方だ。このままでは、情報を引き出すために散々拷問を受けた挙句に協会組織に身柄を明け渡され、そこでも延々体のあらゆる部分を調べ尽くされるだけの人生が待っているだけだぞ。……賢い判断をするべきだと、僕は思う」

「取引……という訳か。答えはこうよ」

 プッと顔に向かって唾を吐きかけられる。

 思ったよりも強情な性格のようだ。

「大和くん。そういうプレイは別の時にやってもらえないかな?」

「ご褒美もらうためにやってる訳じゃねーよ!」

 少女に唾を吐きかけてもらって喜ぶとか、どんな変態プレイ所望してんだよ。

「確かに取引は悪くない相談だね。情報次第では、協会組織への身柄明け渡しは待ってもいい」

「あまり関係性が良いとは言えない言葉だな」

「大きな組織ともなれば、大なり小なりいざこざというものは生まれるものさ」

 僕の取引という言葉に、場の空気は大きな変動を持ち込もうとしていた。

 オロチは協会組織との間にしがらみでもあるのか、存外乗り気である。

 アイアンメイデンも先程のような強固な姿勢はなく、逡巡が顔に出ていた。

「わ、私の身の安全を約束できるか?」

「それは情報の対価次第だな……」

 オロチの返答で、アイアンメイデンに明らかな迷いの色が見え始めた。

「私の知っている情報なんて、僅かだ。ママの方が詳しい」

「……ママか。ドクターギアは女性なのか?」

 僕の言葉にアイアンメイデンは、ハッとした表情を見せる。

「ドクターギアが女性なのかは知らないが、私のママは女性だ。少なくともな」

「要領を得ない答えだな」

 うっかり情報を漏らしてしまった事へのバツの悪さなのか、アイアンメイデンは口を尖らせながらそう答えたのだが、言葉の意味がよく分からない。

 以前の『城跡公園』の事件。空操拷問を通してドクターギア本人からと思われるメッセージがあった事は覚えている。あの口調から察するに、女性ではないかと思っていたのだが、アイアンメイデンのあの曖昧な答えの真意とは一体なんなのだろうか。

「──ドクターギアは何人いるんだ?」

 オロチの質問にアイアンメイデンの表情が固まる。

「どういう事だ?」

「先の事件を思い出してくれ。オレ達はドクターギアを追い詰めた。だがそれは偽物であり、最期は情報隠滅のために自爆した。だが『城跡公園』の事件が解決すると、ドクターギア本人は空操拷問を通して君たちにメッセージを寄越した。──ここから、こう推察できないか。ドクターギアは目的を一つとした集合体であり、その一人の娘がアイアンメイデンだとね」

「【ドクターギア】も組織だというのか」

「RSの散布スピードを鑑みると、空操拷問のたこ焼き屋だけでは到底足りえないからね。その他の協力者がいると思った方が都合がいいだろ」

「単独犯ではなかった……。これは凄い情報なんじゃないのか?」

「あぁ。大きな収穫だ。捜査の洗い出しをするほどのね」

 大きな情報の収穫が得られた事で、僕は溜息を漏らした。

 これはラムネさんへのいい土産になりそうだ。

「……情報を渡したんだから、そろそろこの拘束を解いてくれない?」

 重大な情報を漏らしてしまった事で諦めもついたのか、アイアンメイデンは淡々とした口調で僕に話しかけてくる。

 どうするべきかとオロチを見やるが、こちらに任せると言わんばかりに肩を竦めてみせたので仕方なく拘束する縄を外そうと引っ張ってみる。

「ひっ……、縄が……、食い込む……」

 複雑な縛り方を前にどう解いていいのか分からず、強引にぐいぐいと引っ張っていると、アイアンメイデンの口から妙な声が漏れ、体がビクッと反応して仰け反った。

「よ、よくも……。私を謀ったのか!」

「ち、違う。初めてだから、外し方がわからないだけだ」

 慌てて弁解の言葉を入れ、アイアンメイデンの後ろに座るとその結び目をほどいていく。

 縄が幾重にも交差しているので複雑な縛り方かと思いきや、結び目自体はシンプルなもので、そこさえほどけば、あとは一つ一つ縄目をほどけばいいだけのようだ。

 そこから体勢を移動してベッドの前に立ち、正座の状態で縛られていた縄目をほどいていく。

「ちょ、ちょっと。変な所を触るな!」

「仕方がないだろ。太腿にきっちり巻きついているんだから」

 決して悪い意味で太ももをなでなでしているわけではない。

 だが触られている事がくすぐったいのか、先程からもぞもぞ動いて落ち着きがない。

「もういいっ。自分でやるから。自分で出来るから!」

 我慢出来なかったのか、顔を赤らめたアイアンメイデンは強引に立ち上がろうとするのだが、縄目がほどける直前に暴れたため、僕の手首に縄が絡まり、更に毛布に足を取られたアイアンメイデンがベッドに倒れこむのに巻き込まれる形で、僕もアイアンメイデンの上に倒れこんだ。

「おーい。紅茶持って来てやったぞー」

 ちょうど正にそのタイミングで、リャーナがお盆に紅茶のカップをのせて入室してきた。

 眼前に広がる光景を前に、リャーナの動きが止まる。

 ガシャンと盆が落ちる音が響いた。

「なにをしている?」

「この人が(縄を)無理やり(ほどこうとして)」

 どう見ても組み伏された形のアイアンメイデンの言葉足らずな説明に、リャーナのウルフカットが徐々に逆立っていくのが見えた。

「待て。誤解だ!」

「あたしだけにセクハラするなら、それもギリ我慢できたけど、他の女の子にも平気で手を出すのか、お前は。更になんだその性癖は? レオタードにSM緊縛でロリに手を出すだと? 変態性癖のオンパレードじゃねーか」

「ちょっと待て。これは僕の趣味じゃねーぞ」

 アイアンメイデンをこの格好で縛り上げたのは、チャムさんである。

 だが僕の言葉は耳には届かないらしく、喉をグルルと鳴らしたリャーナはその場で四つん這いの姿勢を取ると、その体は赤毛の狼に変化していく。

「オロチ。説明をしてくれ!」

「ああなったリャーナには、誰の声も届かないよ」

 どうしようもないね。と言わんばかりに肩を竦めるオロチの態度にイラッと来た。 

「その喉笛、噛みちぎってやる」

 鋭い牙をむき出しにして、赤毛の狼は僕に向かって飛びかかってきた。

「ったく。バカが!」

 絡んだ縄をほどき、組み伏した体勢から起き上がると、『拒絶の壁』を張る。

 寸前の所で赤毛の狼の襲撃を防ぐ事が出来た。

 赤毛の狼はそれでも攻撃の手を緩めず、『拒絶の壁』の爪を突き立て、噛み付いて破壊しようとしているが、弾丸すら防ぐ『拒絶の壁』には歯が立たないようで、とりあえずの膠着状態を築く事は出来た。

 後は、僕の説明にリャーナが耳を傾けてくれるかだが、このままでは難しいだろう。

 だとすれば、今一度アイアンメイデンの口から、あれは誤解だと説明するのが一番だと思う。

「おい。あいつに今のは誤解だって……」

「タッチ」

 説明してもらおうと思った瞬間、僕の後頭部にアイアンメイデンの手が触れた。

「『オーラマリオネット』展開」

 アイアンメイデンの言葉の直後、僕は体の自由が効かない事に気がついた。

「な、なんだ、これ……?」

 口は動く。だが体は自分の意思を無視したかのように動かない。

「驚いた?」

 背後に響くアイアンメイデンの声。だが振り返ろうにも、体は全く指先ひとつ動かせないのだ。

「驚いたな。ドクターギアの娘も『能力者』だったとはね」

 オロチが僅かに驚きの表情を見せる。

 と、言う事はこれは予期せぬ出来事だという事だ。

「私の『オーラマリオネット』は、対象者の後頭部に直接タッチする事で発動可能になるの」

「何をする気だ!」

「当然、大暴れに決まってるでしょ」

 言うよりも早く、リャーナの前に展開されていた『拒絶の壁』が凄まじいスピードでリャーナの体を突き飛ばし、入口の扉をぶち壊した。

「な、なにすんだ。てめぇ」

 吹っ飛ばされたリャーナは、向かいの壁に体を激しく叩きつけられるも獣人としての頑丈さなのか、人型に戻り咳を漏らしているが、体に異常はないらしく、身構えてみせる。

「僕じゃない。こいつが勝手に」

「『オーラマリオネット』は拘束した相手の『能力』を自由に操作する事が出来るのよ」

「正に傀儡人形か。さて困った事になったね」

 オロチが不敵な笑みを浮かべてみせる。

 口は動くが、体は指一本たりとも自分の意思では動かせない。

「悪いけど、今暫く私の手駒になってもらうわよ」

 後頭部に触れた手が離れた直後、僕は無意識の内に体を反転させ、『拒絶の壁』をオロチに向かって放っていた。

「よけろ!」

 叫ぶよりもオロチの行動は速い。凄まじいスピードで迫る『拒絶の壁』に対し、側にあったパイプイスを蹴り込む。だがその程度で威力が死ぬはずもなく、その体は吹っ飛ばされ、テーブルに叩きつけられた。

「中々の威力ね。これならここの機能の半分くらいなら、破壊できるかも」

「逃げ出すつもりなのか?」

「逃げ出して、何処に行けっていうのよ……」

 少し寂しげな返答があった。

 予想外だ。

「何処にって、逃げ出す絶好のチャンスだろ。あとは【ドクターギア】の連中に連絡を取って迎えにでも来てもらうんじゃないのか?」

 僕の一言にアイアンメイデンは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「私は任務に失敗した。【ドクターギア】は失敗作を必要とはしていない。だから私は可能な限り敵組織を破壊し尽くした上で、自分の始末をつけるつもりよ」

「それはどういう……?」

「リャーナ、手段は選ばない。アイアンメイデンを倒せ!」

 机に叩きつけられ沈黙を保っていたオロチが、アイアンメイデンの言葉を聞くなり叫ぶ。

 攻撃の隙を伺っていたリャーナは、その言葉を口火に再び赤毛の狼の姿に変わると、グルルと喉を鳴らしながら襲いかかってきた。

「無駄よ」

 再び僕は無意識の内に『拒絶の壁』を発動する。

 リャーナはジグザグと機敏に動きながら、僕の背後のアイアンメイデンを狙おうとする。だが『拒絶の壁』がある以上、その進行は阻まれる。だとすれば打開策はあるのか。

「邪魔ね」

 アイアンメイデンが言うやいなや、『拒絶の壁』がリャーナ目掛けて突進する。弾丸すら防ぐ壁の猛突進は避ける事すら困難だ。

 リャーナの判断が一瞬遅れ、その体が『拒絶の壁』に触れたかと思われた直後、リャーナは後ろ足で『拒絶の壁』を蹴り込み、後方へと飛び退る。そしてそこから更に鉄格子を蹴り込み三角飛びを決めると、器用に体を捻りながら大きく口を開く。

 なんの事か分からず、呆然とそれを見るその真上から、リャーナは咆哮の一撃を食らわせた。

 衝撃のソニックハウリングが炸裂し、防ぐ事の出来ない音の一撃は、脳天に強烈な一撃を食らったような感覚に陥らせ、気がつけば僕は床の上に突っ伏していた。

 鼻の奥が熱く、口の中に鉄の味が満ちる。

「今のは……?」

「リャーナの特殊技能だ。閉鎖空間で防御不可能な一撃となる」

 あらかじめ耳を押さえていたオロチが説明する。だがそれでもソニックハウリングのダメージは通じたのか、渋い表情を浮かべていた。

 沈黙が満ちている。アイアンメイデンはどうなったのだろうか。

 ふと指先が動く事に気がつき、『オーラマリオネット』が解除された事を察知した僕は、突っ伏した状態から起き上がることにした。

「大丈夫かい?」

「頭がグワングワン揺れてるけど、なんとかな」

 口の中に満ちた血の唾を吐き捨て、ベッドに倒れ伏したアイアンメイデンを見やる。

「死んだのか?」

「気絶してるだけだ」

 首筋に手を当て確認をしたオロチが応える。

 どうやら気を失った事で『オーラマリオネット』が解除されたらしい。

「リャーナ、チャムを呼んできてくれ。別の場所に拘束する必要がある」

 オロチの命令に人型に戻ったリャーナは、チャムさんを呼ぶために走り去っていく。

「で、どうしてリャーナにあんな攻撃命令を出したんだ?」

 ボロボロになった部屋の中で、やれやれと肩を竦めるオロチに対し、僕は溜息混じりに尋ねた。

 確かにあの状況は非常に緊迫したものだった。だが自分もろとも攻撃を受けてでもソニックハウリングを撃つべき状況だったのか。──そこに疑問が残った。

「キミを巻き込んでしまった事は、すまないと思っているよ」

「や、それはいい。僕も不用意に隙を見せ、敵に利用されていたからな」

「大和くん。キミはどれほどの任務を経験した事がある?」

「ラムネさんの手伝いなら、結構……」

「──そうか。なら、その任務の中で、爆弾を隠し持った自爆テロを行う子供を、現場で未然に防いだ経験は?」

 ギョッとするような発言に、僕は言葉を詰まらせる。

 だがオロチはいつものように肩を竦める動作もせず、淡々と僕を見据えていた。

「無い」

「──そうか。オレはその時、その子供の首を手刀で折ったよ」

 オロチは抑揚もなく、それが一つの経過であるかのように語り始める。

「あいつが自爆テロを?」

「彼女はあの時の子供と同じ目をしていた。悲しげであり、覚悟を決めた目だ」

 オロチの言葉に、僕は渋い表情を浮かべた。

 例えようのない感情がふつふつと湧き上がってくる。

 それをどこにぶつけていいのか分からず、「くそっ」と言葉を漏らした。

「【ドクターギア】ってのは、そこまでクソッタレな組織なのかよ」

「それには全くの同意見だね」

 オロチは嘆息し肩を竦めて見せながらも、そう同意の言葉を述べた。

「なぁ。これからどうするつもりだ?」

「──正直、難しいね。問題が複雑だ。アイアンメイデンの情報は大きい。【ドクターギア】が組織である以上、安易に受け渡しに応じると、その情報が漏れる恐れもある。こちらの協会組織にも彼等の手の内の者がいる可能性が無い訳じゃないからね」

 情報抹消するために自爆する奴等である。

 内通者がいれば、そいつに消される可能性もあるという事になる。

 それにアイアンメイデン自身が、自分は用済みだと思い込んでいるので、そのまま自決してしまう可能性もあるのだ。

「結局、お前自身はどうしたいんだよ……」

 未だ目を覚まさないアイアンメイデンの傍らに座り込み、その髪を優しく撫でる。

 亜麻色の長い髪は柔らかく、穏やかな寝顔は年相応の少女に見えた。



 外で何やらコロを転がす音が響く。

「隊長、準備が出来ました」

 淡々とした口調でチャムさんが部屋に入ってくるのだが、その後ろには膨大な量の衣装が並べられたハンガーラックを引きずってきており、その衣装もメイド服、フリフリのアイドルっぽい服、チャイナ服、スク水、体操服などなどよりどりみどりである。

「ちょっと待て。お前は一体何しに来たんだ?」

 僕のツッコミに、チャムさんは質問の意図が理解できないといった表情を浮かべる。

「部屋をチェンジしたいと聞いたもので。でしたら店子たなこの衣装も変えませんと」

 この人、いま、しれっと店子って言っちゃってますけど。

「何かオススメはあるのかい?」

 何故かオロチはそれに乗ってるし。

「はい。こちらの女騎士っぽい衣装はどうでしょう。鎧にアーマースカートがいかにもって感じですよね。奥の部屋に地下迷宮を模した『ダンジョンA』という部屋もあるので、オークと女騎士ごっこを楽しまれるのでしたら、こちらが今一番かと」

 間違いない。【ZOO】で一番ヤバイのはこの人だ。

「ま、この部屋はもうボロボロで使い物にならないから、とりあえずアイアンメイデンを別の部屋に移してもらえるかな」

 引きつった表情を見せる僕を見かねて、オロチはようやくチャムさんに命令を出した。

「どれだけ激しいプレイをしたんですか。店子を失神させるほどだなんて」

「失神させたのはリャーナだよ」

「え、まさかの3P?」

「オロチ、いいからこいつを黙らせてくれ」

 睨みを利かせると、オロチは無言のまま肩を竦め、さっさとやれと言わんばかりにアイアンメイデンを指し示す。

 チャムさんは納得がいかないのか、憮然とした表情を浮かべていたが、命令には逆らえないのかアイアンメイデンの側に駆け寄り、着ていたレオタードを肩口からはだけさせた。

「って、なんで脱がせるんだよ!」

「この衣装もボロボロだったもので。とりあえず脱がせるべきと思いまして」

 正論に言い返す言葉もなく、僕は複雑な表情を浮かべた。

「……で、大和さんはどの衣装がご希望でしょうか?」

「完全にあのコスプレ衣装を着替えさせるていに持ち込む流れだよね?」

「ほぉ……。ではこちらがご所望と……」

 僕の言葉にチャムさんはレオタードの襟口を更に胸元ギリギリまで下ろす。

 未発達で膨らみかけな胸が、そのまま見えてしまいそうな勢いだ。

「わっ、ちょ、待て待て。見えちゃうから。やめろ!」

「では、あちらの衣装からお好きなものをお選びください。早くしないと美少女の裸体が衆目に晒されてしまいますよ。いーち、にー、さーん……」

 秒数も数えながらも、チャムさんは無表情のままレオタードをするすると下ろしていく。

 一刻の猶予も許されず、僕はハンガーラックに向かって走った。

 よくよく考えれば、なぜ僕がこんな事をしなければいけないのかと、ツッコミをいれたい環境だが。その猶予さえなく、衣装を漁ってみるが、どれを着せていいのかもわからない。

「大和くん。そういう時は自分の心に素直になるんだ!」

「今この状況でなければ、格好いいアドバイスなんだけどな」

 時間経過に焦り、頭が大パニックになる中、もうどうしていいのか分からず、後は運を天に任せようと手を伸ばし、その一着を掴んで見せた。

「……ほぉ。それを選ぶとは。中々いい趣味をお持ちで」

 チャムさんが感心した様子で頷いてみせる。

 僕が選んだ一着は、紺色のブレザーの制服だった。

 ある意味、一番無難な所に収まった事にほっと胸を撫で下ろす。

 これがスク水やボンテージであったならば、確実にド変態と冠が付く所だったであろう。

「先輩プレイかぁ。大和くんも通だねぇ」

「プレイ、いうな」

 こっちは必死の思いで選択したのだ。

 決してやましい気持ちがあって制服を選んだわけではない。……多分。

「はーい。ではぬぎぬぎして、制服にお着替えしましょうねぇ」

 制服を受け取ったチャムさんは、ボロボロになったレオタードを着替えさせようと、襟口を更に下にずらした。──と、同時に失神していたアイアンメイデンの目がパチリと開く。

 一瞬、状況が飲み込めないといった顔をしていたが、未発達な膨らみかけの胸が晒されているという状況に気がつき、一瞬で顔を真っ赤にすると、慌てて胸を手で隠す。

「いやぁぁぁっ。ケダモノ!」

「はーい。大丈夫。大丈夫。大人しくしてれば、綺麗なおべべを着せてあげるよー」

「ひっ、ひゃぁぁぁっっ、た、助けてぇぇぇっっ」

 背後から悲鳴が響き渡るが、振り返るわけにもいかず。

 僕とオロチは無言のまま、悲しい犠牲に黙祷を捧げた。

 そんな一連の騒動をリャーナは部屋には入らず、冷めた表情で覗き見ていた。

「……うわ、マジ引くわ」

 そんな言葉を僕に吐き捨て、ふんと鼻を鳴らすとそのまま部屋を去っていってしまった。




「お着替えしゅーりょー」

 チャムさんのその言葉に、僕とオロチは振り返る。

 そこには制服姿のアイアンメイデンが座っていた。

「あ、あんまジロジロ見ないでよ……」

 気恥ずかしいのか、未だ顔の赤いアイアンメイデンは視線を合わせようとはしない。

「うん。似合ってるぞ」

「別に……。褒めても、嬉しくなんかないんだから……」

 その姿を見て、素直な感想を述べるものの、アイアンメイデンは更に顔を真っ赤にするとぷいっとそっぽを向いてしまった。

 何か機嫌を損ねる事でも言ってしまったのだろうか。

 とりあえず着替えが済んだ事で、もう一度、今後の事を相談する事にした。

「アイアンメイデン。お前自身はどうしたい?」

 お着替えが少し気分転換になったのか、質問に対するアイアンメイデンの態度は先ほどよりも冷静さを取り戻しているように見えた。

「──どう、というのは?」

「言葉通りさ……。君自身は、この世界で何をしたいのかなと思ってね」

「私は……。私という存在は『ドクターギア』の歯車の一つに過ぎない。そして私は任務を失敗した。不必要な歯車は外されるだけ。この世界に壊れた歯車を必要とする者がいると思う? それこそ、この上の廃工場の小さな箱に置かれた不良品のネジと同じ扱いよ」

「だから死のうとした?」

「私もろとも、ここを可能な限り破壊し尽くしてね……。左耳にピアスがあるでしょ。それは小型高性能爆弾なの。奥歯のスイッチを噛めば、ここの大半の機能を使用不能に出来るだけの威力があるはずよ。ま、阻害されて失敗したけど」

「そのスイッチって、もしかしてこれの事かい?」

 オロチはテーブルの引き出しから、小さなボタンのようなものを取り出して見せる。

「なぜ、それを?」

 アイアンメイデンは驚いた様子で、オロチの手にあるスイッチを見やった。

「最初に捕獲した際に、危険物を保持しているかのボディチェックくらいするさ。これは危険なシロモノだったからね。先に取り外させてもらったよ」

「なんで爆弾ピアスの方も外してやらなかったんだ?」

「これが随分と難儀なシロモノでね……。強引に外そうとすれば、爆発する可能性があった。それにそのピアスは、RS同様、特殊な電波の制御下に置かれる仕組みだったから、電波を遮断する地下に幽閉しておく必要があったんだ」

「それはつまり……、あのピアスは外部からでも爆弾が作動する仕掛けだという事だよな?」

 その事実を知り、苦虫を噛み潰したような表情になる。

「分かったでしょ。私に、私自身なんて言葉はない。私はただの歩く爆弾よ」

 アイアンメイデンはそう言って自虐的な笑みを見せた。

「……じゃあ、その耳の爆弾ピアスが取れれば、自由の身になるのか?」

 僕の問いに、アイアンメイデンは返答を詰まらせる。

「お前にとって【ドクターギア】とは、命を犠牲にしてまでも必要とする組織なのか?」

「そ、それは……。私はそこで生まれ、私は【ドクターギア】のために存在しているのだと教えられた。だから、失敗作だとしても、私は【ドクターギア】のために死ななければいけないと思う。それが私の存在意義なのだから……」

「それは違うと思うぞ」

 滔々と論を語るアイアンメイデンに対し、僕は否定の言葉を述べる。

「そんな捨て石みたいな扱い方をされる組織に、お前はなんの未練があるって言うんだ?」

「それは……」

 考えるべき部分があるのだろう。彼女は複雑な表情を浮かべていた。

「生きろよ。組織のために捨て石になって死ぬなんて、絶対間違っている」

「でも……」

「アイアンメイデン、お前は生きたいんだろ?」

 言葉は無かった。

 だが、僕のその一言で、彼女が心の中で堪えていたものが一斉に溢れ出してくる。

 それだけで十分だった。

「大丈夫だ。僕が何とかしてやる」

 泣きじゃくるアイアンメイデンの頭を撫でながら、僕は優しくそう告げた。

「ほんとに?」

「この現状をどうにか出来てしまう人を、僕は一人、知っている」

「『史上最強の死神』か……」

 僕の言葉にオロチは肩を竦めながらそう語った。

 ラムネさんなら、爆弾ピアスの件もどうにか出来るはずだ。

「──確かに『史上最強の死神』ならば、どうにかできるのかも知れない。だが、果たして彼女は協力してくれるのかな?」

「どういう意味だ?」

「考えてもみろよ。アイアンメイデンは宿敵【ドクターギア】の娘なんだ。助ける義理はどこにも無い。勝手に爆発して死んだとしても、彼女には一切の関わりがない。そんな件にわざわざ足を突っ込んでくるとは、到底思えないけどね」

 オロチの言い分は確かに正論だ。ラムネさんは極力仕事をしたがらない。依頼だって、本来は【駄菓子屋亭】を訪れた者のみに限定しているし、わざわざ迷惑ごとに頭から突っ込むタイプではない。

「……だがな、オロチ。お前は一つ思い違いをしているぞ」

 付き合いはオロチよりも長い。

 それゆえに、僕はラムネさんの本当の部分を知っている。

「アイアンメイデン。自分の口で言え。お前は……、どうなりたいんだ?」

 その答えが出ない限り、『史上最強の死神』は動かないだろう。

「わ、私は……、生きたい。自分のために自由な世界で生きてみたい!」

 アイアンメイデンはその時初めて、自分の決意を口にした。

 ──直後、アイアンメイデンのピアスが赤く輝き始める。

「なんだ?」

 その場にいた全員の警戒心が高まる中、オロチの背後にあったテーブルがガタガタと不気味な音を鳴らしたかと思ったら、ラバーマスクを被った半身のマネキンが突如動き出し、オロチの背後に襲い掛かりその体を拘束した。

「くっ……」

「どういう事だ? これも仕掛けか何かか?」

「な、わけないだろ」

 異変が生じているのは確かだ。マネキンは今やテーブルや鎖と融合して、オロチの動きを完全に封じている。チャムさんが鎖を引っ張っているが、どうにも外れそうには見えない。

「一体、なにが……」

 どういう事か分からず焦りの色を見せる僕の体が固まる。

 僕の後頭部にアイアンメイデンが手を触れている。

「僕を、騙したのか?」

「違う。私じゃない」

 アイアンメイデンの涙声が響く。

 その必死さから、彼女の企みではない事は確かなようだ。

 なら、一体誰が……?

 考察が答えにたどり着く暇さえなく、僕の体は勝手に『拒絶の壁』の展開を始める。

「おいおい。冗談だろ」

 拘束されているオロチが苦笑を浮かべている。

 こちらも必死に『拒絶の壁』の解除を目指しているが、『オーラマリオネット』の拘束力は凄まじく、やはり指先一つすら動かせず、能力の解除すら出来ずにいた。

「アイアンメイデン、そっちで僕の『オーラマリオネット』を解除する事はできないのか?」

「今必死にやろうとしてるんだけど、私の命令を聞かないの」

 だとすれば、怪しいのは光りだしたピアスだという事になるのだが。

 確かめようにも、僕もオロチも拘束されてしまっているわけで。

 この状況を打破できる相手……。そこに思考が到達した瞬間、僕とオロチは同時にリャーナの名前を叫んでいた。

 廊下から軽快な足音が響き渡る。

 同時に僕の体は廊下へと躍り出た。

 声を聞き、異常を察知したリャーナは既に赤毛の狼に変身しており、牙をむき出しにして襲いかかってくる。

 先程の戦闘で、『拒絶の壁』を普通に出したところで、それを足場に三角飛びを決められカウンターでソニックハウリングを喰らう事は分かっているはずだ。

 ここも十分閉鎖空間で音も響く。この対峙は戦闘的状況不利である事は確かなようだ。

「さて、どうする?」

 僕はその問いを、アイアンメイデンのピアスに向けた。

 試した、と言っても過言ではない。

 だが──、ピアスからの解は僕の予想を遥かに裏切る形となった。

 リャーナの更なる接近を許す以上、『拒絶の壁』を用いた近接戦闘を僕は予測した。

 赤毛の狼の機動力は高い。無駄に中距離からの戦いを挑んでも、スピードで撹乱され、更なる接近を許して喉笛を噛みちぎられて終わりだろう。

 ならば近接戦闘に持ち込み、『拒絶の壁』を盾代わりに殴り合いを展開した方が勝率は増す。

 そうなる事を覚悟していたのだが……。僕の体は予想とは裏腹に、無防備にリャーナに向かって飛び込んでいった。

 予想もしない無防備な飛び込みに、赤毛の狼も面食らった表情をしている。

 僕とリャーナは空中で正面衝突した後、絡み合って地面に崩れ落ちた。

「う、うぷっ……」

「ちょっ……。どこ触ってんだよ。このスケベ」

 地面に倒れた僕の顔面の上に、衝撃で人間に戻ったリャーナの尻が乗っかる。

 顔面に柔らかい感触があるのだが、それを楽しんでいる余裕などない。

「早くどけよ」

「わっ、バカ。喋んな。振動がお股に……」

 リャーナがか細い声でそう言いながら、体をビクッと痙攣させる。

「……たっち」

 その隙を突き、アイアンメイデンはリャーナの後頭部に触れた。

「おいおい。これ最悪の展開なんじゃねーのか?」

 リャーナが『オーラマリオネット』の制御下に入り、動きが停止した事で僕は慌ててリャーナの股下から逃れでた。衝突の直後から体が自由に動いたので、恐らく『オーラマリオネット』で拘束可能なのは一人が限界なのだろう。

 だが、その一人が問題である。

 相手は機動力抜群の赤毛の狼なのだ。

「アイアンメイデン!」

「ダメ。解除できない!」

 涙声の叫び声が響き渡る。

 その耳で赤く輝くピアスに変化が生じたのは、正にその直後の事であった。

 ピアスから赤いホログラムが浮かび上がり、タイムカウントが減っていくのが見えた。

「……おい。そのカウントはなんだ? ゼロになると何が起こるんだ?」

「えっ? 何? どういう事?」

 アイアンメイデンは驚きの表情を浮かべ、キョロキョロと周りを伺っている。

 自分からは、そのピアスから発せられたカウントを確認出来ないのだ。

「理由はわからない。……だが、爆弾が作動したと考えるのが妥当だろうな」

「爆弾? え、どうして? 起爆スイッチは抜かれているのに」

「外部からの電波も、この地下室は遮断されているはずだとオロチは言っていたんだけどな」

 ポケットからスマホを取り出して確認する。画面には圏外の表示。

 やはり電波遮断が強く、電波が入ってきていない事になる。

「これじゃ、ラムネさんへの連絡もできないのか」

 舌打ちを漏らす。

 助けると言っておいて、なんてざまだ。

「おいっ。ヘンタイ。後ろはどーなってんだよ。あたしは後ろに振り返る事も出来ないんだぞ」

 リャーナが涙目で叫んでいるが、今は関わっている暇はない。

 タイムカウントは今も刻々と減り続けているのだ。

「もう一度、失神させれば止まるか?」

 その確証はどこにもない。

 だが、賭けて見るより他に方法がないのも、また事実なわけで。

「リャーナ。動くなよ。お前の機動力が一番厄介なんだ」

 そう言いながら、前方に『拒絶の壁』を展開する。

「無茶言うな!」

 リャーナが文句を述べるよりも早く、再び赤毛の狼の変化すると、喉をぐるると鳴らした。

 アイアンメイデンが赤毛の狼の背に飛び乗る。と、同時に赤毛の狼は一気に加速して廊下を駆け抜けていく。

 このまま行かせては、外にまで被害が及ぶかもしれない。

 最悪、この地下室で爆発の被害を食い止める必要性があるのだ。

「させるか!」

 展開させた『拒絶の壁』で赤毛の狼の進路を塞ぐ。

 だが機動力の勝る赤毛の狼は直前でフェイントを織り交ぜ、素早く脇を抜けようとする。

「それは予測していた!」

 脇を抜ける寸前、僕は『拒絶の壁』を横一面に展開させた。

 唐突な障害物の出現に、疾駆する赤毛の狼は急ブレーキをかけるものの、止まる様子はない。

 だが、赤毛の狼はそこからあえて加速し、『拒絶の壁』に向かって後ろ足で蹴り込みを入れると、体を捻り口を大きく開く。

 ソニックハウリングが至近距離で炸裂した。

「……どうして?」

 着地を決めたリャーナは驚きの声を漏らす。

 驚くのは当然だろう。防御不可能な音の一撃を間近で受けても、僕が立っているのだから。

「一度目は不意打ちだったから流石に喰らってしまったが、音の性質さえ理解していれば、難しい話じゃない」

 周りに展開された『拒絶の壁』は、ソニックハウリングが放たれる瞬間、形状をデコボコに変えていた。これで音の反響はバラバラになって打ち消し合い、ダメージが軽減されるのだ。

 だが、それでも威力は十分らしく、未だ頭の中がキーンとする。

 それにソニックハウリングだけが、彼女の必殺の武器ではない。

 最大の武器である機動力をどうにかしない限り、こちらに勝機はないのだ。

 衝撃でボロボロになった『拒絶の壁』の展開を解き、身構えてみせる。

「あたしの機動力に、肉弾戦で挑む気かよ」

「流石に『拒絶の壁』じゃ、分が悪いんでな」

「泣いても知らねぇぞ」

 言い終えるよりも早く、赤毛の狼はジグザグに動き始めた。

 攪乱から、一気に脇を抜けるつもりだろうか。

 一瞬、赤毛の狼が動きを止める。

 虚を突く停止。──だがそれは次点の予備動作の溜めに過ぎなかった。

 踏み込みから、斜め上に向けての跳躍。

 それは天井に突き刺さるほどの威力であり、事実赤毛の狼は天井を蹴り込むと、再び地面へと急降下する。そこから更に壁に向けて跳躍。壁を蹴り、再び天井を蹴り込む。

「立体攪乱だとっ!」

 ジグザグに動いただけでも、目で追う事が困難だったというのに。

 更に立体的に動かれては、対応すらできなくなる。

 その一瞬の隙を突き、赤毛の狼は天井を蹴り込み、僕の背後を取った。

「しまっ……」

 大砲の弾丸が撃ち込まれたような衝撃を感じ、僕の体は吹っ飛ばされる。

 スピードの乗った体当たりが炸裂したのだろう。

 アイアンメイデンを背中に乗せているというハンデがあって、あのスピードなのだとしたら、リャーナの全力のスピードは正に閃光の一撃と呼べるのかもしれない。

 ゲホゲホと咳き込みながら、起き上がる。

 痛みはあるが、幸い脊椎は折れてはいないようだ。

「やっぱ面倒だわ。その能力……」

「ま、防御には定評があるんでね」

 直撃の直前、背面に『拒絶の壁』を展開させた事が功を奏した。

 だが、こんな不意打ちは二度は通じないであろう。

 アイアンメイデンのピアスのカウントは刻々と進んでいる。

 猶予は無いという事だ。

「時間が無い。最後は一発勝負だ」

「あたしに言っても仕方ないだろ」

 リャーナもアイアンメイデンも誰かに操られている状態。

 ならば、その言葉は誰に呼び掛けたものなのだろうか。

 分からない。──なら、今は誰でもいい。

「いくぞ!」

 僕は一気に駆け、赤毛の狼との間合いを詰めた。

 今まで防戦一方だった僕が、急遽攻撃に転じた事で混乱が生じたのか、赤毛の狼の反撃が遅れる。これは僕にとっても幸運な誤算だった。

 近接間合い。『拒絶の壁』が展開される。

 ここまではセオリーどおり。赤毛の狼も後手の対応にようやく慣れたのか、一気に間合いを引き離そうと後方に飛び退る。──僕はその誤った判断を見逃さなかった。

 更にダッシュして間合いを詰める。距離を開ければ、赤毛の狼に溜めを作られ、あの立体攪乱を展開させられる。ならば距離を徹底的に詰める事で発動する時間を与えなければいい。

 再び間合いが潰され、リャーナの舌打ちする音が漏れ聞こえた。

 場所は廊下から、だだっ広いカジノ場へと移った。

 これで立体攪乱を潰す事に成功する。だがソニックハウリングはまだ十分有効だろう。

 そしてそれは恐らく互いが十分理解している状況だ。

 ここからの攻防は、必殺の武器であるソニックハウリングをどのタイミングで発動するか、どのタイミングで潰すかにかかっている。

 場所がある程度開けたラウンジに変わった事で、赤毛の狼の動きにも変化が生じ始めた。

 ラウンジには高級そうな革のソファがある。その隣にはガラス製のテーブル。バカラやルーレット台もある。遮蔽物が多く、段差もあるので高低差に満ちた場所に移った事に、僕は苦笑を顔に浮かべた。

「……ぶっちゃけ、こういう場所は戦いづらいんだよな」

 能力にも得手不得手というものはある。

 防御に転ずれば、背中を遮蔽物で守り、前方に『拒絶の壁』を展開すれば、完全防御が完成するわけだが、攻撃に転ずるとなれば周りの遮蔽物が逆に弊害となるだろう。

 相手が機動力重視の赤毛の狼だとすれば、尚更である。

 それを直感で理解したのか、赤毛の狼は後方宙返りで器用に革のソファの上に飛び乗ると、そこからルーレット台の上に飛び移り、そこに積まれていたチップの山を尻尾でなぎ払った。

 ルーレットチップの目くらましに思わず足が止まり、防御に転じてしまう。

 その隙を見逃さず、赤毛の狼は跳躍すると、口を開きソニックハウリングを炸裂させた。

「……隙を突いたつもりか!」

 前方に展開中の『拒絶の壁』を解除し、空中に跳躍中の赤毛の狼の周りを囲むように『拒絶の壁』を展開させる。

 部屋の中の空気がビリビリと振動で震える。

 ソニックハウリングを発動した赤毛の狼は、寸前に発動された『拒絶の壁』によりソニックハウリングの反射をまともに受け、大きく吹っ飛ばされた。

「やばい!」

 衝撃波の一撃で意識が飛んだのか、変身の戻ったリャーナとアイアンメイデンは動く気配すらない。このまま叩きつけられれば、下手すれば死んでしまうかもしれない。

 考えるよりも先に体が動いていた。

 落下する二人の体を庇うように手を伸ばす。後から考えれば、衝撃を緩和するように『拒絶の壁』を展開すれば良かっただけの話なのだが、その時の僕は完全にパニくっていて、まさか二人が頭上から降ってくるとは予想もしなかった。

「ぐっ……。重い」

「失礼な」

 元の頑丈さが功を奏したのか、全身が痺れるものの、異常はないようだ。

 上に覆い被さっていたアイアンメイデンは、衝撃波のダメージが低かったのか着地と同時に目を覚ましていた。

「大丈夫?」

「なんとかな。そっちは?」

「命に別状は……。この人も」

 アイアンメイデンもダメージを負った事で拘束が解かれたらしく、未だ目を回しているリャーナの首筋に手を当てて脈を調べている。

「なんとか『オーラマリオネット』の拘束は解かれたようだな」

「さっきのは……?」

「なんてことない音の性質の応用だ。ソニックハウリングが放たれる前に出した『拒絶の壁』は、赤毛の狼を囲むように凹面展開させただけだよ」

 音は放射状に直線で展開される。

 先程は『拒絶の壁』をデコボコに変形させ、音の衝撃波を様々な場所で反射させる事で打ち消し軽減する事に成功した。

 その成功で、僕は一つの仮説が思い浮かんだのだ。

「『拒絶の壁』を凹面展開する事で、その衝撃波は反射増幅されて自分に返ってくる。あれを間近で受ければ、赤毛の狼といえども避ける事は不可能だ」

 とりあえずアイアンメイデンの暴走を止める事には成功した。

 だが……。問題は何一つ解決はしていない。

「あとどれくらいなの?」

「僕が死神を連れて戻る事が不可能なくらいだな」

「そう……」

 とん、と。彼女は僕を突き飛ばす。

「早く、あの人を連れてここから逃げて」

 彼女は涙を浮かべながら、そう言った。

「もう間に合わない。なら、私はここで死ぬ。地下施設なら、被害も最小限に抑えられるでしょ」

「いや。僕はお前を助けるって言ったはずだ」

 未だ目を覚まさないリャーナを囲むように『拒絶の壁』を展開させる。

 更に僕とアイアンメイデンを閉じ込めるように『拒絶の壁』を展開させた。

 銃弾すら防ぐ『拒絶の壁』だが、小型高性能爆弾の威力をどこまで防げるのかは分からない。そこは獣人種の生命力の高さに期待する事にしておこう。

「……どうして?」

「どうしてなんだろうな。自分でも分からなくなってきた」

 少なくとも昔の自分なら、無視して逃げる道を選択していただろう。

 だが、いつの間にか僕も誰かの為に異能の力を扱うようになっていた。

 多分、それは……。

 グータラで半分ニートな死神の影響なんだろうけど。

 これ以上の策は思いつかず。死を覚悟した瞬間──、重厚な金属の扉からガンガンとけたたましくける音が響いたかと思われた直後、パイルバンカーのような衝撃音が炸裂し、重厚な扉がバタンと倒れ込んできた。

「モロいわね。建て付けが悪いんじゃない?」

「ラムネさん!」

 煙の出る拳をふっと払いながら、地下施設にふらーっと入室したラムネさんは僕を見るなり、小さく手を出した。

「よっ。なんか面倒事に巻き込まれたから、助けて欲しいって連れてこられたんだけど……。また随分と懐かしい場所ね」

 ラムネさんが散らばったコインを拾いながら、のほほんとした表情で周囲を見回っている。その後ろにはチャムさんの姿があった。あの騒ぎの中、地下施設を抜け出してラムネさんを連れてきたのだろうか。

 だが時間の猶予が無い。

「ラムネさん。この子のピアスを破壊してください!」

「これを使え」

 バーカウンターからペットボトルの水が投げ込まれる。

 そこにはオロチがいた。拘束から脱出した後も逃げ出さなかったのだろう。

 オロチからペットボトルを受け取ったラムネさんは、蓋を開け、水を床にこぼして指先ですくい上げる。そしてそこから水鎌を生成させた。

「説明は半分くらいしか聞いてないんだけどさ、それが【ドクターギア】の作った小型高性能爆弾って奴なの?」

「殺せますか?」

「死神にそれ聞いちゃう?」

 水鎌を担ぎ、体を大きく捻らせる。

 緊迫した一瞬の間──。ラムネさんは振り下ろしの一閃を放った。

 水の刃が『拒絶の壁』を貫通し、僕達の隙間を通り抜けていく。

 息をする事を忘れていた。

 僕とアイアンメイデンは互いに無言のまま、視線を見合わせる。

「生きてる……」

 呆然とした表情で、そう言葉を漏らすアイアンメイデン。

 その両耳に付けられたピアスの飾り玉が床上に転がっていた。

 亀裂が入り、ホログラムで浮かんでいたカウントも消失している。

 正確にはよく分からなかったのだが、水鎌から発せられた空気の刃はアイアンメイデンのピアスだけを殺したのだろう。

 死神はどんなものでも殺す事が出来る。

 逆に言うと、殺す事の選択が可能な存在なのだ。

「はーい。お仕事しゅーりょーね」

 クルクルと水鎌を回し、ビシッとポーズを決めたラムネさんは鼻息荒くドヤ顔で僕を見てくる。

「あ、ありがとうございます」

「この借りは、晩御飯で返すように!」

 ビシッと人差し指を差し向けてくるので、僕は苦笑いを向けるしかなかった。

 仕方がない。今日は鯖の味噌煮のつもりだったが、豚の生姜焼きにでも変更しておこう。

「……で、この子が【ドクターギア】の娘なの?」

 ラムネさんは、興味津々といった顔でアイアンメイデンに近づいていくが、アイアンメイデンの方は先ほどの一撃で恐怖が根付いてしまったのか、ビクビク身を震わせながら、僕の背後に隠れてしまう。

「ラムネさん。あの……」

 アイアンメイデンの正体を知った今、ラムネさんはその処遇をどうするつもりなのだろうか。

「うん。可愛い子ね。蛇神くん、この子貰うわよ」

 予想の付かなかった一言に僕は固まる。

「え、ちょ、あの……」

「今回の助け賃だと思えば、安いもんでしょ」

 オロチの方は既に諦めがついているのか、肩を竦めて見せる。

「あんた名前は?」

「アイアンメイデン」

「じゃ、アイね」

 それだけ言うとラムネさんは踵を返し、ぶっ壊した扉から帰ろうとしている。

「大和、アイ、帰るわよー」

 僕の言葉など全く耳にも入れずに。

 死神は、全ての問題をさっさと片付けてしまった。

 美味しい所を全てかっさらわれてしまった訳だが。

 そんな死神だからこそ、僕はその後ろを歩きたいと思うのかもしれない。



「そういえば……、オロチから貰ったお菓子、僕の分はちゃんと残しておいてくれてますよね?」

 帰り際、気になっていた事を尋ねる。

 死神は答えてはくれなかった。

 視線を背け、吹けない口笛をふひゅ〜ふひゅ〜と吹いていたのが、何よりの答えなのだろう。

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