第7話おかしなことになる
「何か元気ないわね? ゲームのセーブデータでも消失した?」
「色々な意味で人生に悩みを抱えているだけです」
「『若きウェルテルの悩み』でも読んでみたら? 参考になるかもよ」
「自殺しろと?」
ソファに腰掛け重苦しいため息を漏らす僕を尻目に、ラムネさんはテレビの前で忙しなくコントローラーを動かしながら、胡坐をかき、その足の中には携帯ゲームが一時停止の状態で置かれている。ゲームをしながら携帯ゲームのレベル上げ作業も並行すると言う離れ業をやっている訳だが、確実に大人としての大切な要素を失っていると思うので、良い子の皆さんは真似をしないで貰いたい。
今日も一日ニート生活を満喫していたのか、その姿はタンクトップに膝丈のスパッツ姿で、長い黒髪はボサボサの状態。
そんな格好なので、豊満な胸はコントローラーを動かすたびに揺れている。
目に毒な環境なので、もう少し慎み深い生活環境に直してもらいたい所だが。
「身なりくらいはキチンとしましょうよ」
「えー。面倒くさいよー」
「年頃の男がいるんですから、一応、気を使ってください」
「なにー? 大和もこのお胸に興味があるのー?」
顔を赤らめて注意をすると、ニヤケ面をしたラムネさんは意図的に腕を組み、胸を強調して見せつけてくる。
「触ってみたいの?」
「や、べ、別に……。そんな……」
「あら残念。今日は機嫌がいいから、1パフぐらいならって思ったんだけど」
「1パフってなんだよ」
新たな単位の出現に思わずツッコミを入れていた。
部屋は相変わらずのままである。
「それより報告書は書き上げたんですか? 前の『工場の幽霊退治』の報告書は明日が提出期限でしたよね?」
「ぐ……、そういえば……」
先程までの余裕はどこへやら。
ラムネさんは、苦虫を組み潰したような表情を浮かべる。
「みぞれがやってくれるから……」
そんなみぞれちゃんは、このリビングにはいない。
かすかに台所から漏れてくる甘い匂い。
晩御飯はクリームシチューのようだ。
「残念。今日はみぞれちゃんが料理を作ってくれるので、事務処理は任せられませんよ」
「え、じゃあ誰が部屋の片付けとか、面倒な事務処理をしてくれるのよ」
「自分でやってくださいよ」
そもそもそれは【駄菓子屋亭】局長である、ラムネさんが行わなければいけない仕事である。
「僕は言いましたよね。最終日になって泣きを見ても、手伝いませんよって」
「夏休みの宿題をしない子供に怒るお母さんかよって、私はツッコんだ」
「ハイ正解。だから僕は手伝いません」
「あーうー(泣)」
「はい。とりあえずみぞれちゃんが晩御飯作り終えるよりも先に、部屋の片付けを終わらせましょうか。じゃないと、今度こそ晩御飯抜きですよ」
パンパンと手を叩いて、掃除を促す。
するとラムネさんは渋々といった表情で、ゲームの電源を落とした。
これじゃあどっちが大人か、分かったもんじゃない。
「はい。ゲーム機は片付ける。お菓子の袋はゴミ箱に……」
僕が淡々と支持を送ると、ラムネさんはのったりとした動きながら掃除を始めるようになった。その間に僕はテーブルの上の書類の選定を行う事にした。
先の事件の報告書など重要性の高いもの、仕事の依頼書などは別にしておく。
後に残ったのは、ダイレクトメールや不動産、ケータリングサービスのチラシ、または協会組織からの月報だが、これらはゴミなのでそのまま捨ててもいいだろう。ラムネさんが月報に目を通している姿なんて一度も見た事がない。
僕もあまり目を通した事がなかったのだが、ふと気になり、その一枚を手に取り読んでみる。そこには史上最高額の懸賞金がかけられた能力者の名前が書かれていた。
「ドクターギア……、元能力者協会の特殊道具製作者って」
「二つ名は『歯車の創造主』、能力者の用いる武器や防具などの道具を制作していたデザイナーね」
ラムネさんは、床に散らばったお菓子の袋をゴミ箱に放り込みながらそう答えた。
どんな顔の奴なのかと紙面を見るが、顔写真は掲載されていないようだ。
「奴は能力者協会内のサーバーに侵入して、全世界の能力者データを盗んでいったのよ。協会組織のセキュリティは世界的に見てもトップクラスと言われていたんだけど、奴はそれを簡単に侵入して、さらに自分のデータをすべて改ざんして姿を消したの」
能力者は現在全世界で数百万人ほどと言われているが、明確な数字は公表されていない。
その理由は、能力者自体が国家の監視下に置かれている事にある。
能力という特殊性が、犯罪等に用いられる事への防止策と表向きでは言われているのだが、その実、裏ではスパイ活動等の人材として確保されているというまことしやかな噂も流れている。
──つまり、それほどまでに能力者の情報というものは重要なものなのだ。
「『工場の幽霊退治』の時に、『魔幻妖滅符』ってお札があったでしょ」
「幽霊を物理的に殴ったり、防壁に出来る奴ですよね」
「あれ作ったのもドクターギアよ」
「じゃあドクターギアは協会組織から抜けた後、あんな詐欺まがいの商売してって事ですか? ……でもそれってドクターギアの尻尾掴んだって事なんじゃ?」
月報に書かれた史上最高額の懸賞金という言葉が頭に躍る。
「期待してるとこ悪いけど、あいつは捕まえられないと思うわよ」
そんな僕の淡い期待を砕くように、ラムネさんはため息混じりに呟いた。
「どうしてですか?」
「あんたも対峙したら、分かるわよ」
床に落ちたお菓子の袋をゴミ箱に入れるという作業で、ラムネさん的には片付けが終了したらしく、手をひらひらとさせながら椅子に座り直し、携帯ゲームの電源を入れ直してゲームを再開し始めた。
まだ片付けは半分も終わっていないのだが。
「晩御飯が出来ましたよー」
その時、みぞれちゃんがミトンを嵌めたまま、リビングへと入って来た。
「わーい。シチューシチュー」
小躍りしながらリビングを出ようとする、ラムネさんの腕を掴む。
「まだお掃除、終わってないでしょ」
「あとでやるからー」
いい大人がジタバタと暴れる様を見て、こんな大人には決してなるまいと心に誓いつつ、月報をゴミ箱に放り込んだ。
「まぁ、確かにみぞれちゃんの料理が冷めるのは困りますしね」
自分の甘さにため息を漏らしつつ、それでもみぞれちゃんの手料理には抗えず僕はラムネさんと争うようにリビングを出ようとした。
「ぎ、ぎ、ぎー、がしゃん」
突如、ミトンを嵌めたまま、みぞれちゃんが変なことを口走る。
「みぞれ、どしたの?」
みぞれちゃんの反応は無い。瞳孔を開き切ったまま、小さく前へならえのポーズを取り、「ぎー、がしゃん。ぎー、がしゃん」と口で言いながら、ロボットのような動きで玄関に向かって歩いていくのだ。
「み、み、みぞれがこわれたー!」
「一体何が……?」
僕は慌てて玄関に向かい、扉を開けると、街の人が一斉に「ぎー、がしゃん」と謎の言葉を呟きながら、ロボットのように歩き回っている。
みぞれちゃんも僕を押しのけて外に出ると、その人達と同様に「ぎー、がしゃん」と言いながら、ロボットのように歩いてどこかに行こうとしていた。
「とりあえず追い掛けて!」
「はい!」
街中の人が、一斉にロボットのように歩いていく異質な光景。
僕はその現実を目の当たりにしながら、その人達の向かっているその方向へと歩き始めていた。
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