二章
第5話新たな事件、オロチ登場
平日の僕は何をしているかって──?
一応、身分は死神の弟子兼学生なもので、普段は学校に通っている。
残念ながら、みぞれちゃんとは別の高校だ。
成績は中の中。部活動や委員会には入っていない。
特別親しい友達はいないが、男女含めてそれなりに話す友人くらいならいる。
担任に聞けば、恐らく平々凡々な生徒と答えるだろう。
それが僕の目指した普通の生活である。
普段の僕の人生は、【駄菓子屋亭】絡みで常識から逸脱した事件に巻き込まれる事も多々あるので、こうした普段の生活を送るひと時こそが、僕の精神に安寧をもたらしているとも言えるのだ。
そんな僕の安らぎの日々は、まもなく終わりを告げようとしていた。
新たな嵐が吹き荒れようとしていたのだ。
蛇神オロチと──、
白墨を響かせ、黒板に達筆で書き記す美少年。
振り返り様にウインクをすると、クラスの女子が一斉に嬌声を発した。
HR開始早々、転校生登場というイベントが発生したのはいい。
それが美少女なら尚良いと思っていたが、その想いは脆くも崩れ去った。
脱色したような白い毛髪と金色の双眸。白磁のような肌を併せ持つ美少年。
これで実は男装の美少女でした……、なんてオチになれば最高な訳だが。
現実とは、かくも非情であり。
クラスの女子達の彼に向ける視線は、皆ハートマークに変わっている。
同様に男子共の嫉妬に満ちた視線も、今は別の意味で熱い訳で。
「蛇神オロチです。よろしくお願いします」
挨拶をすれば、嬌声が飛び交い。
ペコッと頭を下げれば、「キャー」と黄色い声援が飛ぶ。
まるでアイドルのような扱いだ。
男女の並々ならぬ温度差に辟易しながら、僕は傍観を決め込む事にした。
どちらにしても興味がない。
冷めていると言えばそれまでだが、僕とここにいるクラスメイトの付き合いなんてそんなものなのだ。転校生がキャーキャー言われようとも、僕には関係がないし、彼に注目が集まろうとも嫉妬の心が生まれるわけでもない。
平々凡々と学校生活を送れるのであれば、この平穏な世界はそれでいいと思っていた。今の今までは……。
転校生は挨拶を済ませた後、脇目も振らず僕の前に歩み寄ってきた。
「よろしく。神来大和くん」
まだ自己紹介を済ませた記憶はないのだが。
何故こいつは僕の名前を知っているのだろうか。
「ハジメマシテ」
警戒心が露骨に出たのか、言葉がカタコトになる。
「オレは蛇神オロチ。オロチと呼んでくれ」
オロチはそう言って手を差し出してくる。
僕は無言のまま、握手をかわした。
同時に教室内に黄色い矯正が鳴り響く。
「キャー。蛇神くんと握手してるー。羨ましいー」
「蛇神くーん。私とも握手してー」
声援に応えるようにオロチは笑顔で周りの女子と握手をかわしている。
爽やかな笑顔は一向に崩れることはなく。
キラキラとした魅力ある笑顔を振りまいて、そのまま後ろの席へと向かっていった。
また妙な奴がクラスメイトになったものだ。
ふと背後からの視線を感じて、振り返ってみると、転校生は僕に向かってウインクをしてみせた。
……アイツは僕に気でもあるのだろうか。
なんか怖かったので、無視する事にした。
いつもなら静かな休憩時間も、今日に限って言えば騒がしい事この上ない。
転校生の席はクラスの女子どころか、別のクラスの女子までもが集まり、今や二重、三重の輪を描いている。姦しいどころの騒ぎではない。
クラス内にいても、路傍の石の如く邪険にされるだけなので、僕は早々に席を立ち、図書室に向かう事にした。
基本、クラス内で雑談に花を咲かせる事が少ない僕にとって、図書室は時間を潰せる最大の憩いの場でもあった。
図書室の扉を開ける。誰もいない。
昨今の若者は、読書量が少ないとネットにあったが、そんな悲しい現実を突きつけられたような気がした。この図書室は漫画やラノベの類の書籍が置いていないので、仕方がないのかもしれないが。
ま、静かで落ち着ける場所になっているので、こちらとしてはありがたい。
とりあえず図書委員セレクトコーナーの棚を見てみる。
妙に気になるのは『性道具の歴史』と『世界偉人のトホホ伝』だが。
一体誰がそれをセレクトしたのか気にかかる所だが、今回はそれを止め、以前棚に置くように依頼しておいた『豆腐料理百選』を選ぶ事にした。
この『料理百選』シリーズは江戸時代から続く古い料理法を纏めた上に、味や当時の人気度、その歴史や風俗史に至るまで幅広い内容が記されたサブカル本なのだ。
最近ラムネさんの偏食が激しく、そろそろ豆腐料理を出そうと思っていたのでバリエーションを増やすという意味でも、中々面白そうである。
席に着き、ページをめくっていると、隣の椅子が引かれる音がした。
「やー。この学校の女生徒は元気だねぇ」
そう言いながら、転校生が隣に腰掛けてきた。
「トークショーはもういいのか?」
「流石にちょっと疲れたからね。逃げ出してきちゃったよ」
「そりゃご苦労なこった」
さも興味なさげに呟き、次のページを捲る。
「この豆腐田楽っていうのは、美味しそうだねぇ」
「そうだな」
何故こいつは自分の本は借りずに、僕の本を覗き込んでいるのだろうか。
「大和くんは、料理をする系かい?」
「あぁ、まぁ少し……」
実際の所は、ほぼ主夫状態と言っても過言ではないほどだが。
「じゃ、是非今度、これをオレに作ってくれよ」
「なんで?」
「残念ながら、オレは料理出来ない系だからね」
「女の子に頼めばいいんじゃないか? みんなこぞって手作り料理を持ち寄ってくるから、満漢全席みたいになるぞ」
「それはそれで楽しそうだけど、今のオレはキミの興味があるんだよね」
そう言って転校生はパチッとウインクしてみせる。
こいつは僕を攻略対象にしているのだろうか。
「オロチ……。残念ながら、僕はお前の攻略対象キャラじゃないぞ」
その言葉を聞いたオロチは当初面食らった顔をしていたのだが、次第に肩が揺れ腹を抱えて笑い始めた。
「悪い悪い。別にキミを口説きに来たつもりはなかったんだよ」
「よかった。これで僕のお尻の貞操は守られたわけだな」
さも興味なさげに呟く。
そんな僕を見て、オロチは小さく肩を竦めて見せた。
「キミは人との距離を保つタイプのようだね」
「拒絶が僕の専売特許だからな」
それこそが『拒絶の壁』に関係するのだが。
他人を拒絶する。
心を閉ざし、拒絶する事で、物理的障壁は発生する。
つまり──、『拒絶の壁』は僕の心理的状況に強く起因するという事になる。
「どうすれば、キミとの距離を縮められるかな?」
「さぁな。縮める必要があるのか?」
「オレはキミとトモダチになりたいんだよね」
「トモダチ……」
オロチの言葉をオウム返しにして、続く言葉に詰まった。
「大和くんはトモダチっているの?」
「多分な」
「ホモダチは?」
「それはいない」
前者の返答は悩んだが、後者は速攻で答えた。
僕を友人だと口にする人は、果たしているのだろうか。
僕のモノを口にするホモダチだけは、いないと信じたいが。
ラムネさんや、みぞれちゃんはどうなのだろう。
僕との関係性って、一体なんなのだろうか。
そう考えていると、少し怖くなってきた。
「──じゃあ少し話は変わるけどさ」
僕は思いつめた表情をしていたのだろうか。
オロチは小さく肩を竦めながら、話題を切り替えた。
「その人は、キミの知り合いかい?」
オロチはそう言ってテーブルの向かい側を指し示す。
向かい側には、いつの間にか何者かが座って分厚い書物を読んでいた。
や、それだけなら、割と普通の事なのだが。
問題はここからだ。
僕はゴクリと息を呑む。
「知り……、知り合いではないな……」
一度噛んでしまった。
動揺したのだ。
それほどまでに、彼の存在はインパクトが絶大であった。
「じゃあ、尻合いかい?」
「オロチ、お前は僕を是が非でもホモに結びつけたいのか?」
少しイラッとしたので、強めの口調で語る。
それを見たオロチは、先ほどよりも嬉しそうな表情で笑ってみせた。
「やっと本来の姿をオレに見せてくれたよね」
「ツッコまざるをえない状況じゃねーかよ!」
僕本来の姿といえば、きっとこれもそうなのだろう。
「あー、チミ達チミ達、図書室ではお静かに願えるかな」
そんな僕等のやり取りが行われている中、向かいの男がそう言って注意を促し、シーッと人差し指を口元に当ててきた。
「あの……。その格好に何か意味があるのですか……?」
「意味、とは……ねぇ。 中々に面白い質問だ。では逆に聞くが、この格好に何か深い意味があると思うのかね?」
男が口にする格好というのは……、下は黒いビニ短パンに網タイツ。ティアドロップ型のサングラスにパールホワイトの口紅を塗り、上半身は裸。黒い両乳首にはザリガニがハサミで乳首を挟んだまま蠢いていた。
「ぜ、前衛芸術的な?」
「否! これは周りの女性が悲鳴を上げるからだ!」
「変態じゃねーか!」
たまらずツッコミをいれていた。
つか、なんで変質者が高校の図書室にいるんだよ。
「あれがトモダチかい?」
「んなわきゃねーだろ!」
オロチの問いに苛立ち気味に応える。
「チミ達、少し落ち着き給え。図書室で大声を出すのはマナー違反だ」
「お前にマナー云々を語って欲しくないんだが」
歩く公然わいせつ罪みたいな存在が何を言うか。
「HAHAHA! それもそうだったな。おっと自己紹介が遅れた。私の名前は
「自称のマッドサイエンティストって、一番ヤバイ奴じゃねーか!」
「この図書室は色々な人が利用するんだね」
「オロチ、これは例外だ」
勿論利用できないし、ある意味、こいつを人として扱っていいものかすら悩むべき案件だと思う。
キーンコーンカーンコーン。
そんなド変態の闖入者を前にした緊迫のやりとりも、休憩時間の終わりを告げるチャイムの音と共に終演となった。
「ククク……、誠に有意義な時間であった。では諸君。また会おう」
フゥーハッハッハッハッ……と、高笑いを決めた空繰拷問は席を立つと、図書室を去っていった。外から女生徒の悲鳴が断続的に聞こえてくるので、どうやら僕とオロチの見た幻ではないようだ。
妙な疲弊感を感じ、重苦しいため息を漏らす。
今日は一体どうなっているのだろうか。
「随分とユニークな学校のようだね」
「アレを、ユニークという一言で処理出来るお前が正直羨ましいよ」
「どうやらオレも、キミの『壁』を破壊する事が出来たようだね」
オロチはそう告げて、輝くような王子様スマイルを向けてきた。
悔しさと気恥かしさが入り混ざり。
オロチの顔を見る事が出来ず、プイッとそっぽを向く事しか出来なかった。
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