第5章
その出来事は、この日の内に、萩澤さんから全員にメールで知らされ、翌日、再度召集が掛かり、彼女が撮影した映像を見ることになりました。
「それにしても、よく咄嗟に録画することを思い付いたわよね」
「もう、必死だったよ! 藤田さんに倣ってみたけど、急だったから、最後のほうは、バッテリーが切れそうになるわ、おばあちゃんのお話は終わらないわ、焦ったのなんのって」
「でも、バッチリ撮れてるじゃない?」
「萩澤さん、偉い! よくやった!」
「私なんかより、凄いのは松武さんだよ。おばあちゃんが委員会について突っ込んで来たときは、ホラーだったもん」
「私こそ、萩澤さんのフォローで、本当に助かったよ」
やはり思った通り、録画映像の中に、彼女がおばあちゃん宅へ間違い電話を装って掛けているらしい音声がかすかに入っていました。
「こういう機転が利くところが、ふたりとも、流石だよね」
「私なら、聞き耳立ててるだけで精一杯だったと思う」
メンバーから賞賛を浴びて、照れくさそうな萩澤さんでしたが、今回の功労者は間違いなく彼女です。
もし藤田さんのご主人が、嘘を吹聴していたことにシラを切っても、この動画が動かぬ証拠となり、今後もし訴訟や調停に発展した場合、藤田さんに有利になるはずです。
この日は土曜日のため、穂高さんや葛岡さん(お嫁さん)他、平日はお仕事で参加出来ないメンバーも集まり、集まった人数は普段の二倍になっていました。
「それにしても、うちのばーさん、本当にみなさんにご迷惑をお掛けして…」
「そんなこと、気にしない」
「そうそう。今回ばかりは、おばあちゃん、グッジョブだから」
申し訳なさそうに言う葛岡さんに、皆がフォロー。
確かに、おばあちゃんには町内の誰もが、一度ならず振り回された経験があるほど、強烈なキャラクターではありますが、一番大変なのは、同居しているお嫁さんである葛岡さん自身だということを、誰もが重々理解していましたから。
それに、最初に藤田さんの様子がおかしいことに気づき、今回、おばあちゃんが藤田さんのご主人から引き出してくれた内容は、まさに値千金。
しかも、おばあちゃんが私に語った内容は、すべて萩澤さんによって収録されていましたので、これまでに被った被害など、相殺して余りあるほどの功績と言えました。
「それにしても、松武さんってホントに頼りになるよね。あのご主人の一枚も二枚も上手を行くんだもん」
「そうだよね。咄嗟に、萩澤さんやおばあちゃんを、ごく自然にその場から遠ざけれるなんて、凄いよ」
「元々、そういう才能があったの? 特訓すれば、松武さんみたいになれる?」
不意に、百合原さんと目が合い、返答に詰まった私。
この新興住宅地にマイホームを構え、コミュニティー内での人間関係を築いて来たとはいえ、その人によって関わり方に違いがあります。
とても親しくなって、プライベートな部分まで話すケースもありますが、それを許容できるボーダーラインは人それぞれです。
踏み込むつもりがなくても、成り行き上知ってしまうケースもあれば、葛岡さんのおばあちゃんのように、自ら積極的に相手のプライバシーに踏み込んで行かれる方もいらっしゃいます。
どこまでカミングアウトするか(出来るのか)は、その内容によっても異なりますので、踏み込む方も、踏み込まれる方も、難しいところ。
身内の恥から、犯罪絡みまで、最終的には本人の気持ちが左右するところですが、小学生でも複数の顔を使い分けるご時世、大人なら尚のことです。
「そういうことは、あんまり…」
「あ、ごめん。つい…」
私を気遣って、そう言ってくれた百合原さんに、
「いいよ、百合原さん。見方によっては、不安にさせてしまうかも知れないし、私としても、きちんとお話し出来る良い機会だと思うから」
そう言って、にっこり微笑んで見せました。
私自身、実の母親によるモラルハラスメントを受けて育ち、様々な出来事を経験して今に至りますが、同じコミュニティー内で親しくしているメンバーの中でも、そのことを知っているのは少数です。
なかなか理解してもらうのが難しいため、あまり他人様に話さなかったのも事実。相手の手の内を予測して、心理を操り、行動を誘導出来るようになったのも、幼少期からの母との関係に起因していました。
今回のように、藤田さんのご主人という『共通の敵』に対してなら共感しても、立場が変わり、もしそれが自分に向けられたらと考えた時、私に対して、嫌悪感や恐怖感を抱くことも否定出来ません。
特に、お互いの人間関係が不安定になったとき、そうした負の感情が一気に噴き出すのはよくあること、そんなサイコパスのような人間に、自分の考えを見透かされ、行動が操られているかも知れないと思ったら、気持ち悪くて仕方ないでしょう。
今回は、ご主人からモラハラを受けていた藤田さんを助けるために始まったことで、加害者であるご主人も、幼少期に親から同様のことをされていた可能性が強く、私の子供時代を知らないメンバーにも、当時のことを話すことにしたのです。
**********
まず、私の母を一言でいえば『守銭奴』という言葉がぴったりの人間性でした。とにかくお金に対する執着心が強く、それが本当に必要な物でも、出し惜しみするほど。でも、自分が欲しい物には、糸目を付けないというダブルスタンダード。
善悪に関係なく、自分にとって耳触りの良いことを言う人には好感を持ち、その逆なら悪人という、何とも自己中心的な判断基準で、友人と呼べるような人はいなかったと思います。
自己評価が高く、賞賛されることが大好きですが、努力や我慢が大嫌いで、自分が悪者になったり、他者から責められることが、どうしても許せないという性格。
ですから、何か問題が起これば、誰かのせいにして、自分の中では丸く収まっているというのがベストらしく、専ら、その誰か=『スケープ・ゴート』が、私の役目。
特に学校関係に関して、ミスや遅延があると、すべて私のせいにしてやり過ごし、そのため、私自身が先生やお友達の親から誤解を受けることも多く、辛い思いをしたことも一度や二度ではありませんでした。
母にしてみれば、他人と絡んでトラブルになるより、自分の娘なら当たり障りが少ない上に、私自身、あまり反抗したり、告げ口をしない子供だったので、自分に都合良くコントロールしやすい点でも、適役だったのでしょう。
虫の居所が悪いと、ほんの小さなことに突然キレ始め、子供じみた容姿の悪口から、心が砕けるような人格否定に至るまで、酷い暴言を並べ立て、激しい言葉遣いで責め立てるのです。
そして、叫ぶように罵るうちに、どんどん感情が高ぶり、口だけでは飽き足りず、手で打つは、物で叩くわ、堪らず床に倒れ込む私を、何度も足で踏みつける母。
「酷い! 実の母親でしょ!?」
「うちも娘がいるから、想像するだけで、ちょっと無理…」
「そんなことされて、何で黙って耐えてたの? おかしいよ、可哀想過ぎるよ!」
「うちでは、よくあることだったから、私は慣れっこだった」
「他のご弟妹にも、同じだったの?」
「ううん、私だけだったよ。母の中では、上の子が下の子の面倒を看るのが当たり前っていうルールがあって、弟や妹がしたことも、必ず私が叱られてた。挙句に、それをやったのも私だったって、母の中にはインプットされるんだよね」
「何それ!? 意味分かんない!」
反抗しないからストレスの捌け口にされ、反抗しても制裁を加えられるのだとすれば、どっちに転んでも同じです。まして、それが母を増長させていただけなら、私が我慢することに、何の意味も価値もありません。
ですが、母の言うことは絶対で、母が怒るのは、私が駄目な子だから。母に嫌われてはいけないと思っていましたので、どんなに理不尽でも、私には我慢するしかありませんでした。
「虐待を受けてるとき、泣かなかった?」
「泣いたよ。泣くまでやめないし、泣けば泣いたで、また激高するんだけど、自分ではなるべく早く泣くようにしてた」
「どうして?」
「他人事に感じられるから、かな」
自分でも不思議なことに、泣きはじめると、母から暴行を受けているのが自分ではなく、傍で眺めているもう一人の自分になった感覚になりました。
その様子を客観的に見つめながら、傍観者である自分と、虐待を受けている自分は別人として認識することで、自我を保っていられたのだと思います。
自分の中の、自分ではない、もう一人の自分。
「それが、インナーチャイルド。松武さんのように、幼い子供が、堪えられないような境遇に置かれたとき、自分の心を守るために、身代わりになってくれる誰かを作りだす、っていう状況ね。酷いことをされているのは私じゃない、可愛そうなのはあの子、だから私は大丈夫…って」
「多重人格とは別物なの?」
「あまりにも辛いと、辛い部分の記憶だけが独立して、完全に別人格になるケースもあるらしいけど…」
「私の場合は、それも含めて自分だっていう認識だったよ。だから、泣いてる自分の代わりに、どうすれば母を怒らせなくてすむのか、どうしたらこの状況を良く出来るのか、一生懸命考えてたの」
やがてそれは、母が激高しているときだけではなく、いつまた怒りだすか知れない恐怖から、常に頭から離れなくなり、母の顔色ばかりを伺うようになりました。
無意識のうちに、常に最悪のシナリオを想定しながら、何歩も先のことを予測して先回りする癖がつき、いつしかその感覚は、相手が何を考えているのかも見透かすほど、研ぎ澄まされて行きました。
その時の『喜・怒・哀・楽』から、自分に対する感情、どこに怒りのスイッチがあり、どんな言葉を掛ければ喜ぶのかまで察知し、さらには、どのタイミングでどんな言葉を繰り出し、どの感情のスイッチを入れるかで、相手の行動を誘導するまでの術を身に付けたものの、
「残念ながら、母にだけは、全くそれが通用しなかった」
「嘘でしょ…」
「何でそんな、一番肝心なところが…」
自分が何歩先を読んでも、母はさらにその先にいて、どんなに感覚を研ぎ澄まし、努力や注意をしたところで、理不尽な目に遭うかどうかは、その時の母の気分次第。
せっかく身に付けた感覚同様、そんな母に正論など通用するはずもなく、一度怒りに火がつけば、抗っても従っても状況は変わらず、ただただ、嵐が過ぎ去るのを堪えるしかありません。
結局、自分は母の掌の中にあり、いつまたその怒りが向けられるのかという恐怖と緊張から、何をしても無駄なのだという絶望感に支配されて行きました。
「それが、インナーペアレント。現実の世界同様、心の中までも、私は母に支配されてた」
「心の中で支配されるって、具体的にどんな感じなの…?」
「たとえばね」
誰かに対して、怒りや嫌悪を抱き、相手を傷めつけてやりたい衝動に駆られても、易々とそうしないのは、自分の中の『タブー』によって、行動を支配されているからです。
それは常識や良心含め、相手に対する尊敬や尊厳からくるもので、健全で対等な社会生活を営む上で、必要不可欠な秩序でもあります。
ですが、まだ一人では生きられない幼い子供に対し、圧倒的な立場の違いを楯に、親からの暴力や暴言、捨てられるかも知れない恐怖によって支配することは、独裁者による恐怖政治と同様、人権を踏み躙る束縛なのです。
勿論、躾や教育は必要ですが、それはお互いの信頼や愛情があってこそ成り立つもの。少なくとも、私が母から得たものは、母の一方的な感情ばかりで、そういう類のものではなかったことだけは確かです。
そうして潜在意識に植え付けられた恐怖は、私から抵抗や反撃といった一切を封印し、一方的な精神的・肉体的暴力を甘受せよという理不尽な強要をし続ける母の虚像、『インナーペアレント』として、常に私を支配するようになりました。
「おそらく、藤田さんのご主人も、私と同じなんだと思う。他人に付け入るのが上手いのも、相手の感情を敏感に感じ取れるから」
「でも、松武さんと藤田さんの旦那さんとでは、全然違って感じるんだけど?」
「それはね、藤田さんのご主人は、未だインナーペアレントの配下にあって、松武さんはそれを打破してる、という違いね」
そういった百合原さんと、私の顔を交互に見詰めるメンバーたち。
「どうやって、松武さんはそれが出来たの?」
「私の場合は、自分の成長で、母に綻びが生じたのがきっかけだったんだけど、そこから打破するのにも、まだ数年掛かったし、正直、今でも完全には解放されていないんだと思う」
子供にとって、母親は絶対的な存在です。でも、その関係性は、永久ではありません。
幼く、知識も身体能力も未熟だった子供も、その成長とともに親のレベルに近づき、圧倒的な差異も、徐々に解消されて行きます。
それまでは、容易に力で捻じ伏せていられたのが、体格が拮抗するにつれ、ある日を境に、その力関係が逆転し、腕力では敵わなくなっていることを知るときが訪れるのです。
その日母は、いつものように激高して殴る蹴るをしていたのですが、何とか攻撃を回避しようとして、私が床から立ち上がったときのこと。偶然目が合った私の目線が、自分より見上げる位置にあることに気づき、急に動きを止めました。
攻撃が止んだと思った私は、床に散乱した物を片付けようと動いた次の瞬間、母は私に対し、咄嗟に防御の姿勢を取ったのです。
まるで、獰猛な獣を前に、恐れおののいたような母の表情と動作、それは、母が私にしてきたことを、そのまま遣り返されると思ったからに他なりません。気づけば、自分の身長を超えていた娘、信頼や愛情で築かれた関係であれば、そんな感情は芽生えなかったはずです。
その後も、相変わらず、頻繁に暴言を吐いていましたが、力では敵わないほど成長した私からの反撃を恐れてか、それ以降、暴力を振るうことは、ぴたりと止みました。
「その時に、お母さんの虚像から、解放されたの?」
「ううん、まだまだ全然。でも、この事がきっかけで、自分の気持ちが変わったのは確かだと思う。結局、母もただの人間なんだな、って」
そのことに気づいたとき、自分の中の何かが吹っ切れたようで、ずっと自分を支配し、押さえ付けていたものから、少しだけ解放された気がしました。
そして、それまで母に対して、自分の中で押し殺していた気持ちを、少しずつ出すようになりました。嫌なことは嫌、違うことは違う、悪いことは悪い、と。
「でもね、そのことに気が付かないまま、死ぬまで支配し続けられる人もいるし、力関係の逆転で、今度は自分が加害者側になる人もいるのよね」
「それって、まさに、藤田さんの旦那じゃん!」
「いわゆる『虐待の連鎖』ってやつだよね」
「でもね、私も、危うく加害者側に行きそうになったんだよ」
その後も、母の気分次第で私に対する執拗な暴言は続き、社会人になって間もなく、私は実家を出て一人暮らしを始めました。
ですが、自宅でのストレスの捌け口を失くした母は、毎晩のように私に電話を掛けてきては、ブツブツ愚痴愚痴と、何時間でも拘束するようになったのです。
私としては、母から解放されたいがための独立だったというのに、うんざりして一方的に電話を切っても、すぐに激怒して掛け直して来る執拗さ。放置しても、出るまで延々とコールし続け、あまりの鬱陶しさにコードを抜いて放置すれば、翌日会社にまで掛けてくる始末。
ちょうどその頃は仕事が忙しく、肉体的にも精神的にも一杯一杯だったこともあり、その日も同じように電話してきて、グチグチと言っていた母に、
「もういい加減にしてくれないかな? こっちも仕事で疲れてて、いつまでも付き合ってられるほど、暇じゃないから」
そう言って、電話を切りました。当然、激高して電話を掛けてきた母。しばらく、鳴り続けているベルを放置したまま、他のことをしてましたが、いつまでも鳴り止まないベルの音に、それまでにない好戦的な感情が湧きあがって来るのを感じた私。
当初は、そのまま無視するつもりでいたのに、受話器を取りたい衝動に駆られ、大きく深呼吸した後、ゆっくりあげた受話器からは、母の怒号が響き渡り、その瞬間、全身が鳥肌に覆われました。
「あんた、なにやってんのよ!!! 一方的に電話を切って、誰に向かって、あんな偉そうな言い方してるの!!! だいたいあんたなんか…」
永遠に続くかのような、途切れることのない母の怒りの声を聞きながら、自分の中に芽生えた、無性に心地良いとさえ思えるその感覚は、戦いに臨む直前の士気が高まって行くときのモチベーションにも似ていました。
散々暴言を吐き続け、私がまったく反応しないことに痺れを切らし、
「ちょっと、聞いてるの!? 返事くらいしたらどう!!」
そういった母に対し、自分の意思とは無関係に、私の口から出た言葉は、
「うるせえ、クソババア」
おそらくそれは、生まれて初めての、母に対する反抗、そして初めて面と向かって放った暴言でした。
予想もしなかった私の反撃に、一瞬たじろいだものの、すぐに反撃に転じ、さっきの何倍ものパワーで攻撃してくる母を凌ぐ勢いで、次々と私の口から迎撃する言葉が溢れ出して来たのです。
「誰に向かって、クソババアなんて言ってるの!? それが、自分を育ててくれたお母さんに向かって言う言葉!?」
「誰が育ててくれたって? 散々自分の気分次第で怒鳴り散らして、おまえは馬鹿だ、性格がひねくれてるだ、不細工だ、嫌われ者だって暴言吐いて、挙句に殴ったり蹴ったり、それがまともな母親のすること?」
「全部、あんたのことを思ってしたことじゃない! 叩いてる私の手だって、痛いんだからね!」
「叩く? 殴るの間違いでしょ? 何気に柔らかい表現で誤魔化すな。殴る手より、殴られたほうが、顔も心も、百倍も痛いわ。で? 私のためにしてくれた殴る蹴るの暴行のおかげで、私がどんな素晴らしい人間になったって? 私のために吐いてくれた暴言で、私の人間性はどれだけ向上した? 頭が悪い、性格が悪い、容姿が醜いって、散々蔑んでも、50%はあんたの遺伝子で出来てるんだよ? そういうのも、暴言や暴力で良くなるわけ?」
「だから、私は、あんたのために心を鬼にして…!」
「心を鬼? へえ~。ねえ、前から一度聞きたかったんだけど、自分の子供殴るって、どんな気分? どういう根拠があれば、あんたのためって思えるの? 殴られたら痛いんだってこと、想像できない? それよりも、自分の手が痛くなる方が大変? 一度、自分が殴られてみないと、分かんない?」
「あんた、お母さんを殴る気!? まるで、鬼みたいだね、あんたは! こんな娘を産んで、私は不幸だ!!」
「まだ分からない? 実際に殴ってたのはあんたで、殴られてたのは私。本物の鬼は、自分自身だって、いい加減気が付けよ。私が娘で不幸だって言うなら、あんたみたいな自己中が母親で、私はその百万倍不幸だわ。ああそうか、自己中だから自分が誰かを不幸にしてるなんて、考えたこともないよね。それとも、馬鹿だから、そこまで考えられないんだ、可哀想に」
「何で!? 何でそんな酷いことが、次から次に言えるわけ!?」
「これ? 全部、昔私があんたに言われたことだよ。あんたのため思って、言って上げてるんだよ。どう? おかげで少しはまともな人間になった? 幸せになれた? 答えてよ? あんたのために、心を鬼にして言って上げてるんだから」
呆れるほど流暢に、次から次へと流れ出す母への暴言に、自分でも驚きつつ、同時に、そうしていることに、言い知れない心地良さに浸る自分がいました。
私でストレスを発散するはずだったのに、思いもしない形で私に叩きのめされ、とうとうシクシクと泣き出した母。受話器の向こうから聞こえるその声に、躊躇するどころか、さらなる攻撃の衝動に駆られたのです。
そこでようやく我に返った私。頭が命令するより先に、口をついて出そうなる母への暴言を、寸でのところで食い止めました。
そして、自覚したのです。私自身、母と同じ『モラルハラスメント』の素質が、十分備わっていることに。
「結局、そのまま電話を切ったんだけど、自分の中で、母を追い詰めたい衝動が止まらなくて、最も嫌っていたはずの人間になってる自分に、もの凄く葛藤したの」
「その後、お母さんから連絡は?」
「敵もさるもので、今度は『弱々しい、可哀想な母親』的なスタンスで、忘れた頃に連絡してくるようになってね。ただ、一度力関係が崩れた後だったから、前みたいに翻弄されることはなくなったけど、今度は自分自身とも戦うことになっちゃって」
普段は、それまでと何ら変わらない生活をしているのですが、何かのはずみでスイッチが入ると、母にしたような衝動に駆られ、自分の中に宿る悪魔を制御するために、相当なエネルギーを注がなければならくなりました。
現実の母を叩きのめしたことで、今度はその喜びを知ってしまい、結局はインナーペアレントから解放されないまま、形を変えて支配され続けているのです。
唯一の救いは、母を反面教師とし、決して自分は同じにはならないと、強く心に誓っていること。それをされた人がどれほど辛いかを、自分自身が一番よく分かっていますから。
「正直言うとね、藤田さんのご主人と向かい合ったとき、スイッチが入ってしまって、今も入ったままなんだ。もし、私が暴走しそうになったら、そのときは…」
「大丈夫! ちゃんと止めてあげるから」
「うん。みんなで力を合わせて、ね」
「でも、忘れないで。そのおかげで、救われる人もいるんだってこと。私も救われた一人だから。今でも、松武さんには心から感謝してる」
そういったのは、百合原さんでした。
かつて、彼女に降り懸かったその出来事は、当時、この街に住んでいた人なら、誰もが知っていることでした。ですが、その詳細については、私を含め、そこにいた数名だけしか知りません。
それ以上は、誰も、何も言葉を発せないまま、静かに視線を交わすだけ。
「じゃあ、今日のところは、これで」
「そうだね。それじゃ、皆さん、お疲れ様でした」
葛岡さんの掛け声で、ひとまず、この日の集まりは解散となったのですが、どこか宙ぶらりんな空気を残し、それぞれが帰宅の途に就きました。
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