第3話


「そういえば」

 佐古は南雲に話しかける。王野には話しかけようにも話しかけられないからだ。

 王野は逃げた。南雲の手から逃れるついでに、佐古の目からも姿をくらましたのだった。

 とりあえず佐古は盗撮盗聴覗き見に気を配るよう、部室の福森に携帯で連絡を入れ、南雲と一緒に王野を探しがてら遠回りで部室に帰っているところである。

「そういえばなんで南雲はこの部に入る気になったんだ?」

 南雲は不思議そうに佐古を見た。

「部長がいるからよ」

「そんなのは百も承知だ。でもそれってよくよく考えると順番が逆だろ? 南雲は部室に来て王野を気に入った。だから部に入る。でもそれ以前に南雲が部室を訪ねてきた理由はなんなんだよ」

 歩調を緩めながら、南雲は楽しげに笑みを浮かべる。そのどこかへ誘うような怪しげな笑みに、佐古は少し彼女から距離をおく。

「別になにもおかしいことはないわ。初めから、わたしは部長に惚れてたのよ」

 惚れてたのよ、という言葉に、思わず佐古は赤面しかける。人はこんなに臆面もなく誰かへの想いを口にできるものなのだろうか。

「佐古くんが知ってるかどうか知らないけど、あの人春先には結構真面目に部員の勧誘活動やってたの」

「へえ、そうなんだ」

 それはたしかに初耳だった。

「わたしはそのときに声をかけられた一人なの。ちょうど生活指導の井貫から部活に入れ入れって言われてて、こんなバカみたいに変な部活ばっかりなのに、そんなこと言われるのがムカついてきちゃって。それで、どうせなら入ってても入っててもなにも変わんないようなくだらない部に入ってやろうと思ったのよ」

「なるほど。で、今の話と、初めから王野のことが好きだったって話と、どう繋がりがあるわけ?」

「? 全部よ。運命がわたしたちを結びつけたんだわ」

 感じ入るように目を細める南雲を横目に見て、佐古は確信した。なるほど、南雲は悪いやつじゃない。悪いやつじゃないけど、まともに話が通じるやつでもない。

 なんだかんだしているうちに部室につき、中に入るとすでに王野は部屋に戻って来ていた。椅子の上で足を組む優雅な姿勢の王野の目には、しっかりと目隠しが巻かれている。

「遅かったな、君たち」

「お前が逃げなきゃもっと早く帰ってこれたよ」

 目隠しされても王野の不遜さは治らないらしい。

 ホワイトボードのアミダくじは王野から見えないよう壁向きにされている。

「じゃあ王野、とっとと言って。どこにするの?」

 佐古たちの帰りを待っていたのだろう、ペンを握って鈴木が急かすように言った。

「そうだな。こういうのは直感が大事だ。うん、一番右だ。そこが一番面白そうな感じがする」

 インチキ手品師のような口上を述べて、王野は自ら目隠しを外していく。鈴木はホワイトボードのねじを緩め、アミダくじが書かれている面を壁側から部屋の中心に向くようにする。そしてまたねじで止める。

 たかが遊び、と心の内で唱えながら、佐古は一番右の位置から始めたアミダくじをせっせと追っていく。左に折れて、下に降りて、左に折れて、右に折れて……。

 必要以上に線の引かれた長いアミダくじをたどったせいで、佐古はどっと疲れきっていた。でもたぶんその九割くらいの疲れは引き当てられたお題に原因があった。

 そう、平々凡々な人々の中に、たまに混じっているのだ。こうやって悪運強運を、発揮するべきときに発揮するやつが。まるで神に魅入られたように、その瞬間を手に入れるやつが。

「さあお題は決まった」

 考えるまでもなくこれはアンフェアな勝負だったのだ、と佐古は気づく。なぜなら〈そいつを好きだと思っているボードゲーム部員〉というお題では、南雲がいる限り王野は百パーセント安全なのだから。

 誰もが南雲の想い人が王野であることを知っている。だから王野がこのゲームで負けることはありえないし、みんなの答えと自分の答えの思いがけない食い違いに恥入るようなこともありえないのだ。

「それで、お互いのプレートには誰がお題のアンサーを書き入れるんですか?」

 福森が肩をすくめると、それを待っていたとばかりに王野が言った。

「全員が他の全員の分を書くのさ。それで各々四枚のうちからランダムに一枚を選んで、頭の上にこうやって貼りつける」

 王野は手のひらを縦に立てて額のところに持ってくる。

「ま、実際に貼りつけるなくてもいいが、ようは自分からは見えなくて相手から見えるようにすればいい」

「それって相手から見える意味あるのか?」

 佐古が尋ねると、今度は福森が答えた。

「そのあとの会話がこのゲームのミソですからね。相手のプレートを見ながら、相手にその内容を悟らせないようにしつつ、自分のプレートを予測するんです。……それより僕は答え方の方が気になってるんですが」

 そう言って、ちらりと王野を見る。

「自分のプレートに書かれた名前がわかった時点で答えるんですか? それならこの人数だとすぐに参加人数がいなくなっちゃいますよ」

「どういうこと? 人数がいなくなるって」

 鈴木が尋ねる。

「つまりその方法だと、自分の答えがわかった人は答えて、当たってたら一抜けするわけです。それにくわえて、答えをあてずっぽうに何回も答えられても困るから、答えを外した人も退場になる。この人数でこのお題だと、すぐに二人くらいになっちゃいます」

 これだけ大仰に準備しておいてそれもどうなのだろう、と佐古は思った。さっさと終わてくれるならそれに越したことはないにしても。

「時間を決めて話し合って、最後に全員が一斉に答えを言えばいいんじゃない?」

「おれもそう思う」

 王野が賛同の意を表すと、きゃっと言って南雲がにじりより、王野は椅子ごと後退してそれを避けた。鈴木が横でチッと舌打ちするのが聞こえたが、佐古と福森はなにも聞こえなかったことにする。

「まあ、僕もその方法でいいと思います」

 佐古はうなずき、鈴木も黙って首肯する。

 福森の手で一人に四枚ずつ小さなお札のような何も書かれていないプレートが配られる。これに全員分の答えを書かなきゃならない。それも誰がそいつのことを好きかだって? 佐古の気は重くなるばかりだった。

「それじゃ五分後にゲームを始めますよ」

 佐古は四枚のプレートを前にしてとりあえずペンを取った。

 まず一枚目、これは簡単で、王野のものだ〈南雲〉と書き入れる。

 二枚目、南雲の分。犬猿の仲である鈴木の名前を書くわけにはいかない。それなら男子の中から一人選ばなきゃいけないわけだが、福森の名前を書こうと自分の名前を書こうと、南雲の情緒が不安定になること請け合いだ。それなら期待も含めて一人しかいない。佐古はプレートに〈王野〉と書き入れる。

 さて、次は福森の分か。

 なんだかんだと文句をつけながら、佐古はゲームに集中し始めていた。


 ○


 放課後、西校舎三階に呼び出された佐古は、これが女の子の呼び出しだったらもっと足取りも軽いのに、とため息をついた。もちろん呼び出しの主は王野勝秋をのぞいて他にいない。

「うーっす」

 気の抜けた声で部室もとい部室になる予定の空き部屋のドアを開けると、佐古はその場で立ち止まって固まってしまう。

「……ちは」

 椅子に座り、遠慮がちに頭を下げる鈴木桃花がそこにいたからだ。

 とりあえず呼吸を整えながら鈴木のむかい側のテーブルに鞄をおろし、椅子に座る。

「……王野は?」

「さあ、さっき出てったきりだけど」

 重い沈黙。

 あまりのいたたまれなさに、佐古は額の汗を拭った。なぜよりによって王野はこうも厄介なメンツを集めてくるのだろう。

 渇いたのどをごまかすように、佐古は咳払いをした。

「もしかして、ここにいるのって部活の勧誘で……」

「あんたに関係ある?」

 よけいに重い沈黙。

 佐古が悔い改めて黙っていると、ドアが開く。

 王野か? このときばかりは救いの神を待つ気分で振り返ったが、そこに現れたのは予想の範囲にない人物だった。

「……高村、まなみ……?」

 学園のアイドル、高村まなみ嬢がそこにいた。彼女は鈴木を見て、それから佐古を見やり、眉を下げて申し訳なさそうにうーんと首をひねった。

「えっと……どちらさまだったかな?」

 名前を呼ばれて知り合いだと思ったのかもしれない。しかし佐古は高村とまったく面識がなかった。佐古の方から遠目に一方的に眺めていることがあったくらいで。

「ああ……おれは三組の」

 きらきらと、この世のものとは思えないような宝石めいた綺麗な目でのぞかれ、思わず佐古は息を呑んだ。

「佐古郷平……です……」

「ですう?」

 なぜか敬語になってしまった佐古を非難するように、思いっきり憎たらしい口調で鈴木は言った。

「あ、モモちゃんのお友達だった?」

「ちょっとまなみ、その呼び方はやめて」

 高村は佐古の横を通り過ぎて鈴木に歩み寄る。どうやた二人は知り合いらしい。佐古はじゃれあう二人を眺めながら、なんだかさっきとは別のいたたまれなさを感じる。あまりにも自分がこの場に場違いなような気になってくる。

「やあ」

 肩を叩かれて佐古が飛び上がると、すぐ背後には王野の姿があった。

「悪いな、待たせて」

「いや別に」

「遅い。どこ行ってたの、あんた」

 鈴木が文句を言う。

「なに、ちょっと部活の顧問と話をつけてきたところさ」

「顧問? 誰に頼んだんだ?」

 佐古の質問に王野はもったいぶって笑みをつくる。

「後藤健二日本史教諭」

「ゴトケン? 担任じゃねーか」

 二年三組の担任、ゴトケンこと後藤健二。無気力教師として名高い彼は、親しみやすさと馴れ馴れしさをこめてあだ名で呼ばれているとかいないとか。

「よくこんな部活の顧問をする気になったな。たしかめんどくさいの一言で部活の顧問やってないとか言ってたが」

 ガラクタの山のように部活だらけの 高。おそらく顧問をしていないのは校長をのぞけばゴトケンしかいないだろう。

「まあね。彼以外の教師全員に頼んで断られたから職員室で彼に頼んだんだ」

「……他の教師にも聞こえるような声で?」

「まあ、わりかし大きな声だったと言えなくもないだろうな」

 そんな状況でゴトケンは断るに断れなかったに違いない。佐古の思った以上に王野のやり方は周到だった。

 くすくすと、笑い声が聞こえて佐古が振り返ると、なんと高村嬢が笑っている。

「あーおかし。ゴトケン先生もずっと顧問から逃げてるからバチが当たっちゃったのかもね」

 なんて素直な感想を言う可愛らしい高村嬢。その隣りで鬼もかくやという目つきの悪さの鈴木から佐古は目をそらす。なにも悪いことをしていないのに、とんでもない悪さをしてしまったような気にさせられる。

「ま、というわけでボードゲーム部は無事発足が決定したわけだ」

「ちょっと待てよ」

 驚いて佐古は抗議のように小さく胸の前に手を挙げた。

「福森、南雲、お前。で顧問のゴトケンと部室。他は揃ってるけど、部員の五人にはあと一人足りないだろ?」

「いや、今さっき決まったところだよ。四人目は彼女だ」

 そう言って胸を張った王野があごで示したのは佐古の背後、椅子に座る鈴木と彼女にもたれかかるように立つ高村だった。

 どっちが四人目だって? 二重の意味で佐古は冷や汗を流す。

「言っとくけど」

 冷徹な声で鈴木が椅子から立ち上がり、王野を強い目力でとらえた。

「まなみはあんたの変な部活には入らないから」

「モモちゃん、変な部活って、わたし別にそんな」

「いいんだよ、これくらい。大体王野、あんたしつこいって。男なら、一度断られたら引き下がるくらいの潔さを持ったらどうよ?」

「ちょっとモモちゃん、もっと落ち着いて話そうって。ね?」

「まなみの話なのにまなみがはっきり言ってやらないからわたしが代わりに言ってやってるだけだよ。第一、まなみは普段から優しすぎるんだから。告白がうざいなら、そうやってはっきり言ってやればいいのに。そうすれば告白してくるアホな男子の数もちょっとは減るでしょ」

「あーもー、だからあたしのことはいいんだってば」

 困ったような高村嬢を見るのはしのびなく、佐古はなだめるように鈴木の肩に手を置いた。

「まあとりあえず落ち着けよ」

「わたしは落ち着いてる」

 あっさりと右手は払い落とされて行き場を失う。

「ねえ、どうなの、王野。もうまなみを誘わない? この子はあんたと違ってヒマじゃないのよ」

 黙って様子を窺っていた王野は、そのときになって初めて動きを見せた。というのも、口元に手を当てて不敵に笑みを浮かべたのである。

「桃花がなにを勘違いしてるのかしらないが、おれに高村さんを誘う気はもうないよ。二日前に断られてるんだからね」

 桃花、と名前で呼んだことに佐古は驚いた。この二人はもしかして知り合いなのだろうか? 今まで話しているところなんて見たことがなかったけど。

「それならなんでまたわたしの声をかけてきたわけ? 将を射るならまず馬からってやつでしょ。あんたのお好きな兵法だと」

 皮肉たっぷりの鈴木にも王野は動揺を見せない。

「それが勘違いだって言ってるんだよ、桃花。おれがお前に声をかけたのはまなみさんを勧誘するためじゃない。お前を誘おうと思ったからさ」

「なんだって?」

 信じられないとでも言うように、鈴木は眉根を寄せる。

 佐古は高村と目を見合わせた。すべて鈴木の勘違い、そう、高村さんの代わりにしつこい王野の誘いを断ろうとしてここまでやって来た鈴木、それを止めにきた高村さん、それが全部勘違いだとしたら。

 ちょっと待て? アイドルの高村さんはともかく、なんで王野は鈴木をボードゲーム部なんかに誘ってるんだ? 佐古は事態を急速に呑みこみ始めた。同時に、それがあまり好ましくない事態であるということも。

「わたしはあんたのお遊びサークルなんかに入らないわよ。ストバスだってあるし」

「従弟のよっちゃんのところかい? お前、出禁になってるんだってな」

 鈴木は唇を噛んだ。佐古にはよくわからなかったが、どうやらそれは鈴木にとって痛恨の一撃だったらしい。

「ストバス? 賭けバスケの間違いだろう。女だってことを利用して金を吹っかける」

 佐古はあの高架下のストリートバスケのコートを思い出す。そのあとの帰り道、ささやかな意気投合と、はてしない決裂のこと。あれは賭けバスケをやっていたのか。

「賭けバスケ?」

 話に一番最初に食いついたのは意外にも高村だった。

「まだやってるの? もう危ないことしないって」

「別に危なくないよ。負けなけりゃいいんだし」

「モモ!」

 したたかな呼び声。鈴木は顔を背けている。そんな高村の声を、佐古は、それにきっと王野も、初めて聞いたのだった。

「関係ないだろ、ほっといてくれ」

 そう言う鈴木の背中はどこかさびしい。高村は黙り込み、バトンタッチのように王野がおもむろに口を開く。

「桃花、ところがどっこい、関係はある。おれは人の弱みにはつけこませてもらうからね。もしボードゲーム部に入らないなら賭けバスケのことは教師にバラす」

 どくんと佐古の心臓が脈打った。脅迫だから賭けは無効だ、と王野に声をかけるべきか? 鈴木たちの事情をほとんどわかっていないにしたって、そんなタイミングでないことはわかっている。それにしたって、こんなやり方で鈴木を追い込むのが正しいと言えるのだろうか。

「バラせばいいだろ」

「親にも当然連絡はいくだろうなあ」

「……」

 王野はブレザーの内ポケットから、部活設立の申請書を取り出し、それを広げた。部員の欄の名前には、王野勝秋の下に福森慶太郎と南雲勇美が付け加えられている。

「さあ、名前を書くんだ」

 鈴木は顔を上げ、キッと王野をにらんだ。怒りや憎しみやそういった負の感情をごちゃまぜにした目つき。でもそれはなんだか痛々しくて、さっきまでの無鉄砲な力強さをもっていないように、佐古には感じられた。

「……勝手にしたら」

 それだけ言い残して早足で部屋を出ていく鈴木。

「モモ!」

 心配そうな顔を浮かべていた高村は、その後を追いかけて廊下に出たけど、すぐに部屋のなかに戻ってくる。

「ごめんね、二人とも。ちょっと感情的になってるの。その、いつもバスケットボールのコートを借りてるお店があるんだけど、そこの店長がモモの従弟で、でもケンカして使わせてもらえなくって。ここらへんでね、外でバスケできる場所ってそこくらいしかないんだって」

 話の半分は佐古に向けられたものだった。

 話を聞きながら、佐古は高村の「外」という言葉に引っかかりを覚えていた。「外」でバスケできる場所。それはたぶん学校の「外」で、という意味だ。この高校に女子バスケ部がないことを佐古は知っている。

 鈴木はバスケがしたいのだろうか。それならなぜ女子バスケ部がない高校をわざわざ選んだのだろう。それとも、なにかこの学校に通わなければならない理由でもあるのだろうか?

 高村が辛そうな顔で話を終えると、王野は申請書をしまいながら言った。

「高村さんが謝る必要はないよ。これは桃花自身の問題だし、それに公正に見ればどう考えても悪者はおれだろうさ」

 ブレザーの襟を正す王野の口調は、いつものように冗談めいて、それでいて悲しげだった。高村はそんな王野の気を紛らすように微笑みかける。

「ううん、そんなことない。たぶんモモには、ああいうやり方も必要なんだと思う。でもわたしにはそれは出来ないから、王野君が部活に勧誘してくれて良かったと思うよ」

「ふふん、そうかい」

 もう王野はいつもの王野だった。

「それなら君も入るといい。我がボードゲーム部へ」

「遠慮しておこうかな」

「それは残念」

 朗らかに笑う高村まなみを見ながら、佐古は彼女のそんななんでもない仕草に、彼女の芯の強さを見たような気がした。アイドルだマドンナだと囃したてられているけど、きっと彼女はただのお姫さまなんかじゃない。そんな高村のことを、いい人だ、と掛け値なしに佐古は思う。

「さて、これで話はついたね、郷平」

 くるりとターンして王野は佐古に顔を向けた。

「桃花はボードゲーム部に入部する。これで五人中四人が決まった。他の準備も完全に整っている。賭けはおれの勝ちで文句ないだろう?」

「ああ……」

 佐古は力なくうなずく。にっこりと、勝利の笑顔で王野は手を打った。

「それじゃおれはこの申請書を職員室に出しに行くよ。この部屋の鍵を返しがてらね。もちろん、郷平と桃花の名前も書いておくから安心してくれたまえ」

 誰が安心するか、と心のなかで毒づきながら、佐古は部屋を出て上機嫌に遠ざかる王野の背中を見送る。

「ねえ、佐古君、だっけ? ちょっと話さない?」

 残された高村嬢に声をかけられ、賭けに負けたことも忘れて浮かれ気分になりながら、そんな色っぽい話になりそうにないことを佐古はわかっていた。

「ちょうどよかった。おれも話したいと思ってたところだったから」

 二人はとりあえず中庭のベンチに向けて校舎の階段を降りていく。

「佐古君はモモの知り合いなんだよね?」

「まあ一応。ちゃんと話したのは一度きりだけど」

「でも、気にしてくれてるんでしょ?」

 気にしているのだろうか、と佐古は自問する。そう、おれは気にしているのだ。バスケがしたいのかしたくないのか。やりたいこととできないこと。どこかに自分の影を重ねている。それだけがすべてかはわからないにしても、確かにそんな共鳴に似た気持ちを佐古は抱いていた。

「それに王野くんとも仲良しなんだ?」

「仲良しというのとは違うけど、まああいつにまとわりつかれてはいるかな」

「わたしは王野くんみたいなものなの」

 えっと小さな期待に佐古は胸をふくらませた。それはおれにまとわりつきたいっていうことですか? なんて口にすることもなく、というのもそんなわけじゃないことはわかっているから。

「わたしはモモにべったりまとわりついているの。モモのなんでもはっきり言っちゃうところが好きだし、尊敬してる」

 高村は階段を滑るように駆け降り、一階のフロアにぴょんと飛び下りた。

「……まあ、生意気で口が悪いとは思う」

 そんな佐古の軽口を高村はふふふと笑って受け流す。

「モモと王野君は幼馴染でね、家が近所なんだって。だから、モモは……いろいろあって、そのことを王野君は知ってるのよ」

 ふうんと相槌を打ちながら、心のどこかで佐古は安堵する。そんな佐古を、夕日に染まる渡り廊下の少し先を行く高村はふりかえり、含みを持った笑みで横に並ぶのを待っている。

「なに?」

「ううん。ホッとしてるかなあ、と思って」

「おれが? なんでホッとするんだ?」

「さて、なんででしょう」

 惑わすように高村は笑う。よく笑う、思った以上にお茶目なやつだな。歩きながら、佐古も彼女につられるように小さく笑った。

「なんだか質問攻めになっちゃうけど、モモとは一度だけ話したって?」

「ああ。偶然『Born To Ball』って店で見かけて」

「あ、じゃあもしかしてよっちゃんとも会った?」

「いや。店には入ってないんだ。ケンカしてコートから飛び出して来たところで鈴木と会って、そのあとちょっと河原で話したってだけで」

「モモ、佐古君にどんなことを話した?」

 それは興味本位というより、本気で鈴木のことを心配しているようだった。本当に仲がいいことで、高村たちに比べたらおれと王野なんて疎遠もいいところだ、と佐古は思う。

 佐古はあのときのことを思い出す。もしかしたらもっと上手くやることができたかもしれないあの日。でも間違えてしまったあの日。

 まだあのときの鈴木は、名前で読んでも威嚇するように視線を投げつけてくることもなかった。学校の廊下ですれ違うたびに、腹の底から嫌っているという感触をぶつけてくることも。

 校舎の廊下をゆっくり歩きながら、そんなさまざまな思いと一緒に引き出した記憶を、佐古は高村にむけて話し始めた。


 ○


「それじゃ始めましょう」

 福森の号令でゲームが始まる。

 備品棚から福森が持ってきた、あまりに用意が良すぎるヘアバンドで、それぞれが自分のプレートを額の位置にセットする。それぞれのプレートには、誰かに〈そいつを好きだと思っているボードゲーム部員〉の名前が書かれている。

 四枚の裏返されたプレートのなかから選んだ一枚を自分の頭にセットして、佐古は顔を上げた。まるで古めかしい幽霊のように額に札を立てた部員たちが、机を囲んで座っている。

 なるほどね、と佐古は内心でうんうんとうなずいた。それぞれのプレートに書かれた名前はどれも納得のいくものばかりだった。

「でも会話って言ってもなにを話せばいいのかしら」

 南雲が首を傾げる。

「別になんでもいいんですけど、普通ならお題に近い話題で話すのが妥当ですね」

「そうは言ってもな」

 佐古は目線でちらちらと周りの様子を窺う。全員のプレートもそうだし、全員の視線にも目がいってしまう。こちらの額が凝視されているのだとしたら、それはその分だけそこに書かれている名前が意外なものであることを意味している。妙に疲れるな、と佐古はつばを飲みこむ。

「それなら私に話したいことがあるのだけれど、いいかしら」

 南雲がハイと手を挙げる。

「普通に喋って構わないさ。雑談みたいな気軽さでね」

「じゃあ、ダーリンの好きな人は誰?」

 佐古は思わず吹き出しそうになるのを踏みとどまった。この爆弾女はいきなりなにを言い出すのだ?

「おれは世界中の人々を愛している。分け隔てなく、平等に」

「そうじゃなくて、好きな女の子の話よ」

 南雲相手ではちょっとやそっとのごまかしは通用しない。王野は腕を組んで考えるふりをする。

「そうだな。勇美は一般的に言っていい線いってると思うよ」

「わたしはダーリンの意見が聞きたいの」

「いい線いってるって言えば」

 鈴木が妙なところから話に割り込む。

「福森はわりとカワイらしい顔してるよね」

「中性的って感じだな」

 佐古まで乗っかるので照れくさそうに福森は両手を振る。

「そんなことないですよ。僕、全然モテないんですもん」

「そんなの理由は明白じゃないか慶太郎。お前がゲームばかりしてるからだろう」

「そ、そうですよね……」

 いきなりトドメをさされて撃沈する福森。

「王野、お前もうちょっと遠慮ってものをだな」

「おれは遠慮なぞしない。一生涯で一度たりとな」

 それは宣言だった。佐古に対する宣戦布告。目尻が上がって王野のあの切り札をくりだすような嫌な目つきが佐古に突き刺さる。

「一般的な観点といえば、あきらかに問題があるのはお前だな、佐古」

「問題?」

 笑い飛ばそうとしてもうまくいかない。佐古の頬はひきつる。

「ああ、問題大ありだ。どう思う桃花?」

 鈴木は机にひじをついて、興味なさそうに眉を上げた。

「さあ?」

「南雲は?」

 話を振られたのがそんなに嬉しいのか、尻尾を振る犬のような華やかさで南雲は満面の笑みを浮かべ、高らかに答える。

「まあ、一般的に言って問題ありでしょうね。それだけ顔のつくりが整っていれば」

「だとさ、郷平。お前はどう思う?」

 意地悪く頬なめずりする王野の姿を幻視して、馬鹿らしいと佐古はかぶりを振った。

「自分の顔のつくりに対して何を言えって言うんだ?」

「まあそうだな。では参考までにおれの話をしよう。ちょうど部員も全員そろっていい機会だしね」

 そう言って王野は思わせぶりに人差し指を立てた。

「おれがボードゲーム部をつくったのは恋愛することが目的だったからだ」

「いきなり願いが叶ったわね、ダーリン。わたしという恋人ができて」

 横から投げられた南雲の声は聞こえなかったとばかりに、王野はじっと前を見て話し続ける。

「そのために必要なものはなにか? もちろん部員だ。だが、ただ五人部員を集めればいいかといえばそうじゃない。男女混合が望ましいからだ。とはいってもそう簡単に目ぼしい男女が数人集まるとも思えない」

 佐古は黙って王野の話に耳を傾ける。その話の行きつく先がわかっていても、話を遮る方がよけいに自意識過剰なように思えた。

「そこでおれは考えた。長期的に男女が集まるような方法を取ろう、とね。そのためにはなにが必要か。もしそれが単純な交渉なら相手の弱みを握ればいいだけの話だが、これはそういうわけにもいかない。もっと繊細微妙な恋愛の話だからさ。では恋愛に最適なエサはなんだ? 言うまでもない。外見の美しさだ」

 暗がりに落ち込んでいくような絶望を感じつつ、佐古は王野のにやにや顔を見つめた。憎らしくもあったが、諦めの気持ちも混ざっていた。こんな話は茶番にすぎない。

「そうしておれは同級生随一の美男美女に声をかけた。残念ながら美女の方は捕まらなかったが、美男の方はなんとかなった。わかるか? 福森」

「えっと、つまり、それが佐古先輩なわけですね?」

「ザッツライト!」

 ふざけた陽気さで王野はパチンと指を鳴らした。

「どんな気分だ郷平。ここまでいい男だと褒められて、さすがに悪い気はしないだろう?」

「そういうのを褒め殺しっつーんだよ。第一そんなふうにコケにされていい気分がすると思うか?」

「もしお前ほどのイケメンになれるなら、おれはそれくらい喜んで我慢するがね」

 佐古は心底気分悪くため息をはいた。

 確かに顔がいいと言われることは多いし、自分でそう思ったことがないと言えばウソになる。でもそんなの他人から見ればただの偶像みたいなもので、テレビのむこうのアイドルと変わらないのだ。それだけの幸運にどんな意味がある?

 不満があるわけじゃない。でも満足しないのは傲慢だって、人に言われ続けているようなこのプレッシャーが心地いいだなんて思うことはどうしてもできない。

 顔のつくりに限ったことじゃなく、頭の出来、運動神経、体格や体質、どんなときでも不安や不満がつきあとうような経験は誰だって身に覚えがあるんじゃないだろうか。それともそうじゃないのだろうか。やっぱりおれだけが一人きり、ぜいたくにも子供っぽく文句を並べ立てているんだろうか。

 佐古はため息をつく。

「でも王野、結局お前の思い通りにはならなかったな。おれが入部したところで事態はなにひとつ好転していない」

「そんなこともないさ」

 どこからくるのかその自信は、腕を組んだ王野の顔を見て、佐古はほんの少し宿敵のことがうらやましくなった。

「お前は知らないかもしれないが、舞台裏ではお前の影響力は確かに生きている。実はこの部室がやすやすと我々の手に落ちたのはお前のおかげだからね」

「どういうことだ?」

「各部の部室の割り当てを統治しているのは生徒会だ。生徒会にお前のファンがいるなら複雑な話はもっと簡単になると思わないか?」

「まあ姑息! 脅迫したのね、ダーリン」

 どこが素敵なんだか。佐古は頭が痛くなってくる。

「そんなことはどうでもいいだろ。それよりもっと核心の話をしようぜ」

 佐古は言いながら居住まいを正す。そうだ、鈴木が言ったように適当にゲームをするつもりはないけど、というのもそれはなんだか王野に負けたような気がするからで、でも本気でゲームに集中する分には文句ないだろう?

 今重要なのは、誰の顔がどうのとか、それに利用価値があるとかそんなことじゃない。ただおれは自分のプレートに書かれた名前を当てることだけを考えればいい。その名前が書かれた意味もどうでもいいのだ。ただ名前を四分の一で当てるだけの、たったそれだけのことで。

「なあ福森」

「はい?」

「おれのプレートにはなんて書いてある?」

 福森はちらっと佐古のプレートに目をやってから、罰が悪そうに目を逸らす。

「エート、いや、まあ、それは言えないですね」

「歯切れ悪いな。そんな気まずい名前が書かれてるのか?」

「まあ、気まずいっていうか、ハハ」

 福森は目を伏せるだけで、誰か他の部員に目をやったりはしない。このあたりはさすがに頭の回転がきいている。

「ねえ、それって脅迫っぽくない?」

 と、思わぬ横槍を入れられて佐古が振り返ると、鈴木はついと目を背けながらバカバカしいというふうにため息をついた。

「そんな必死になって聞いちゃって、バカじゃないの」

「そういうルールだろ? この部活は。本気で遊ぶっていう」

 視界の端で王野がうんうんと頷いている。

「あんたがなに考えてるか知らないけど、たぶん違うから」

「え?」

「あんたのプレートの名前。今あんたが想像してる名前じゃないから」

 佐古は眉をしかめて鈴木の言葉の意味を考えた。どういうことだ? ただの心理戦か? でもゲームなんて本気でする気がないと言っておいて、なんでいきなり急にそんなことを言い出すんだ?

 佐古が混乱をきたして何も言えないでいると、南雲がずいとテーブルに体を乗り出した。その目は一直線に鈴木に向けられている。

「あなたのプレートに誰の名前が書かれてるか教えてあげようかしら」

「余計なことしないでいいから」

「遠慮することないわ。聞きたいでしょ? 負けず嫌いなあなたのことだもの」

 明後日の方向を向いていた鈴木がゆっくりと南雲と目を合わせると、部室の空気がぴんと張りつめる。南雲はかまわず続けた。

「それともここでその名前を言われちゃうと不都合かしら?」

 綺麗な笑みなのに、南雲の表情によくわからない恐ろしさを感じて佐古は鳥肌を立てた。

 鈴木は淡々と言いかえす。

「どうでもいいよ。どうせそれは誰かの勝手な想像じゃん。言いたいなら勝手にすればいい。わたしとは無関係なんだから」

 鈴木の言うことには一理あると佐古は思う。けどそれで佐古は納得しても、南雲は納得しない。頭の線が一本切れている彼女を相手にしては、小さな正論に意味はない。

「ねえ、そんなふうにして窮屈じゃないの? 見栄とかプライドでやりたいこともやれない、口にしたいことも口にできない。わたしはそんな生き方はしないわ。自分に素直に生きるの」

 それにしたってお前は素直に生き過ぎだ、と佐古は心の声でツっこむ。

「……誰に何の話を聞いたかは知らないけど」

 鈴木の静かな声は怒りに満ちていた。

「わたしのことをわたしが決めてなにが悪い?」

「バカね。悪いに決まってるわ。あなたが勝手をやると部長に迷惑がかかるでしょ? それってつまりわたしに迷惑がかかるってことだから」

 佐古が、そうなのか? と王野に目をやると、王野は遠くを見るような目で、縦なのか横なのかわからないくらい曖昧に首を揺らした。

「それなら私はいつだって除名にしてもらってもかまわないんだぜ、部長サン」

 皮肉がこめられた鈴木の言いぶりに、王野はさて、と居住まいを正す。

「おれにお前を除名にする気はないね」

「あんたの目当ては私じゃなくてまなみだろ?」

 瞬間、場が凍りついたような気がした。佐古がおそるおそる南雲を見ると、表情が完全に固まっていた。

「あーおほん。それはなにを根拠に言ってるんだい?」

「根拠? あんたの心に聞いてみたら?」

 すると王野はふざけたことに自分の胸に手を当てて耳を澄まし、ぼそぼそと声を出した。

「……ゲームしたい」

「は?」

「……とツイスターゲームしたい」

 わけもわからずうんざりと肩をすくめる鈴木。次の瞬間、王野はカッと目を見開いて宣言した。

「高村まなみとツイスターゲームしたい!」

 それは心の叫びだった。

 さっきとは別の意味で沈黙があたりを支配する。

 なんなんだこの気まずさは。佐古はさっきからもうなにがなにやら戦々恐々としていると、ガタッと椅子から立ち上がる音がする。

 南雲だった。南雲は立ち上がり、その肩をわななかせている。もしやこれは、と佐古が椅子を後ろに引くが、南雲は泣きだしも怒り出しもせず、うつむきがちに立ち上がったまま。スカートの横で強く握りしめられたこぶしは、王野に振り落とされることもなく、ただ失望の痛みに耐え抜こうとしているようだった。

 そしてさっと顔を上げて鈴木を見下ろした彼女の顔は、意外にもいやにすっきりとしていた。

「これがお望み?」

 チッと舌打ちした鈴木は、足元のカバンを拾って立ち上がると、乱暴に頭のプレートを外し、裏向きのままそれをテーブルに叩きつけた。それから外したヘアバンドをその上に放り投げ、そのままドアへと歩いていく。ドアノブを握った彼女に、南雲が声をかける。

「待ちなさいよ。ゲームはまだ途中なのに、逃げる気?」

 ドアの手前でぴたりと足を止めた鈴木はその格好のまま、振り返らずに言った。

「南雲」

 その呼びかけに、南雲も、他の三人も、反応できなかった。それくらい無機質な声でその名を読んだから。いや、それはそもそも呼びかけじゃなかったのだ。

「南雲勇美」

 そう言って彼女はドアノブを回す。振り返り、自分の額をトントンと指で叩く。

「答えは南雲勇美、だ。これで満足だろ」

 バタンとドアは閉められ、鈴木は去っていく。

 南雲は気が抜けたように脱力して椅子に腰を落とし、福森はテーブル越しに手を伸ばし、鈴木が残していったプレートを表向ける。

〈南雲勇美〉

 たしかにそこには南雲勇美の四文字がしっかりと書かれていた。

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部活動Ⅹの複雑な事情、あるいは恋愛事情 @bananamen877

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