第5話 稲魂の弾丸を
またどこかで、誰もかれもが今日というこんな日も悪くはないと思っているのだろう。
妥協して、臭いものに蓋をしたヤツらを同時に一発ずつ殴ってやりたい。今はそんな気分だ。
大抵そうしたヤツらはヒルティ曰く。人生において最も絶えがたいことは悪天候が続くことではなく、雲一つ無い晴天が続くことである、とあるように。平穏であれ、退屈や平凡が続けば結局不平、不満を募らせるのだ。
――ならばこの細道を通してもらおう。
デカイ図体をした漆黒のものに宣誓されて、おいそれ、はいどうぞと譲れる俺など最初から存在しない。札変わりの引導ならば俺がこの手で渡してやろう。無論、片道切符という名の信号が、赤き反撃の予備軍たちへ進行良しなる青を知らせるその前に。
「遼ちゃ!」
相棒、
「遼ちゃ、これヤバくね? もう出現から五分経っちゃうよ!」
交差点の直上、空高くに舞い上がっていた夜鷹が小柄な体を縮めた先で。丸まり伸ばした大勢が、猫のようなしなやか柔軟さで決めた着地を斜めに横滑りさせたのは。この地の平行が傾き、歪んでしまっているからだ。
「わかってる」
「うっそーん。ホントにわかってる?」
本来なら、ざっと砂利を擦った音が上がろうものも。轟々と、ドードーと叩きつける滝のような豪雨の中では打ち消され。全身ズブ濡れ。髪から衣服から滴る雫も水滴ならずに糸を引き。つるりと転がるつぶらな小粒であれば、多少の可愛げもあろうけれど。こんな朝っぱらから一極集中降雨を受ければ誰だって嫌気も誘う。弱音は吐かない性質だけれど、本音の大部分は「帰りたい」でいっぱいだ。
大体何だ。この季節外れの集中豪雨は。低気圧から離れた云々で局地的に雨の予報とは聞いてはいたが、これほどの雨とは予想外。新品おろしたての上下、黒スーツも台無しだ。
「おい夜鷹」
須影団地と書かれてある看板が斜めに首をかしげた下で、俺は残りの弾薬を今一度に確認する。
「遼ちゃ。何回数えたってあと一発しかないってば」
交差点の内側は、こちらも一極集中の爆撃を受けたかの様相を呈した瓦礫と化している。そのど真ん中で黒き陽炎を燻らせ、再度の出座に待ったを掛けるにはどうしたものか。
「何であと一発しか残ってないのか、説明できるか?」
「遼ちゃがすでに十六発も撃ったから」
世間の一部で
「外してないのに、退治が完了しないのはどうしてだ?」
「ちゃんと射てるよ? 芯なる核を。遼ちゃの連鎖射角が甘いんじゃねーの?」
こげ茶色した頭髪の上で指手を組んだ、舐めた態度は今に始まったことではない。
「その遼ちゃと呼ぶの、やめろ」
「えー? 何でよ? いいじゃん別に? 遼ちゃが最初に何でもいいって言ったんじゃん。今さら何よ。俺、やめねーよ?」
崩れかかるアスファルトの上で膝を抱え。頬を膨らませたものをぷいと反らして拗ねたお前はいったい歳、幾つだ。
「俺には
「んじゃ、うがちゃん? がーちゃん? なんかそれって変じゃね? ふひひっ」
一人受けしてクスクス笑った、お気楽性分なお喋り口を開かせたのがそもそもの間違いだった。
その軽口は開きっぱなしの通信先にも向いている。
「ねぇちょっとママァ、今の聞いた? 遼ちゃん超ウケんよー」
『夜鷹、ちゃんとしないと怪我するからね? 磁場の読みにも気をつけて。それと、雪がこけないように見ててあげてね?』
全くだ。くるくると丸まるくせ毛が、雨に濡れてはいつもより余計にくるくる巻き毛になっている青年よ。開きっぱなしの無線に問いかける口を噤め。ここは最前線だぞ、戦いの。
――しかし、どうしてこうなった。
見上げた曇天より降りしきる大きな雨粒に顔を晒す。こうしている間にも無駄な一秒、二秒が過ぎてゆく。
「――あの。一緒に、お願い……できますか?」
筋違いなのは重々承知の上でと続いたあとの文言は、今となっては覚えていない。この時、俺自身もまだ呆然としていたからだ。
四方を窓なきコンクリートでがっちり固められた、息苦しさが充満している隔離の集中治療室の中は。じめっと薄暗い地下に設けられた霊安室のようだった。
そこでも最初に思ったのは「何で俺が」の苦渋であった。
あらぬものたちが交差点に出現するようになってから。政府は勿論、ありとあらゆる対策や対抗すべく武器や考察、予防の術が投入された。
けれど根本的な打開策は生まれず。今やそれらに抗う者の手腕と屋号だけが唯一の特効、有効策として認可はされた。
そこへ便乗した図太い輩――人をこんな形にしてしまうものを神格化させようと画策する誘(いざな)い屋たちの鉄面皮には狂気を覚えながら。
しかしながら現代の世は喜劇だ。人が生きるが故に産業や経済への影響を最小限に押さえ込むべく平静を保ち、平穏を演じる上っ面の水面下で繰り広げられている惨劇やらは、臭いものに蓋をするかの如くで置いてけぼりだ。
あらぬものたちの餌食となって、助かる者もいればそうでない者もいる。偶然にも俺が初陣で助け出した者は今、真っ白なベッドの上で息はしている。
周囲を物々しい機械に囲まれ、肉体らしき体には管が繋がれ。骨か皮膚かも分からない塊には、かつて人であった形跡を窺うにはあまりに踏みにじられすぎた痕だけが鮮明に残っている。
あらぬものたちの襲撃を受けた者は、苦してこうなる。形が残ればいいほうで、多くは呑みこまれたが最後、灰さえ回収できない。
とてもショックだった。現実に、こんな事が起きようとは朝を起きて普段通りに会社へ向かい。道があるなら必ず何かと交叉するべく、何の変哲もない交差点に差し掛かるまでは。
「優しい子でした……」
知らせを受けた知人が、放心状態である両親に代わって立ち会うらしい。現代の医学では、あらぬものによって変形してしまった人間を元に戻す術はない。
一触、即発。触れられた途端が最後、すぐに黒の浸食に犯されて腐敗が始まる。
大よそ人から発せられているとは思えない異臭を消すための、独特な薬品香料が漂う一室で。友人であったと述べた女が涙をこぼす頭を垂らせば、肩にかかっていた艶めく黒髪がさらさらと長い線を垂らした。
「ほんとに、何で。こんな事に……」
俺は人工呼吸器を外す書類に名を書き込んで、かすかな灯が消える重き最期を見届けた。
誰だって。きっと悪い夢なら覚めてくれと願うあれは苦い、苦い初戦だった。
何が穏便にだ。何が広く世間一般に公表すればパニックになって株価暴落だ。政府然り国の信頼の失墜だ。俺には関係のない話じゃないか。俺はPR会社の広報課で働くただのサラリーマンだったのに。
規格外な事態も、想定外な事案が起きても。俺は持ち前の機転と機動力を生かして乗り切ってきた。
ある日に突然降って沸いた、この平凡の世にあってはならないものたちの出現。
見せかけではない漆黒の誕生に、諮らずしも立ち会ってしまった俺に訪れたそれは数奇な運命。
「ねぇちょっと、アンタでいいから手ぇ貸して!」
何という上から目線。こんな投げやりな依頼で引き受ける者がいるというのならドラマの見過ぎだ。
「おい小僧」
「小僧って何だよ、失礼なー」
「いきなりアンタでいいとか言うお前のほうがよっぽど失礼だろうが」
「アンタじゃないですぅー。俺は夜鷹って言うんですぅー」
あぁそうかい。食い物を頬張ったハムスターのように、頬をぷうと膨らませた少年のような青年を呆れる目で見下ろしたお前こそ何だ。身長はチビだ。高校生か大学生か。万が一にも成人していると言うなれば、大人げない態度に一からどころか幼稚園から出直してこいと言い放ちたい。
「お前の名など何でもいい。それより、この奇怪な交差点から早く逃げたほうがいいんじゃないか?」
「それじゃ誰が退治すんのよ?」
純粋煌めく瞳を瞬かせながらキョトンと俺を見上げるな。
「退治って……お前、あれを退治するってぇのか?」
渡ろうとしていた交差点のど真ん中を指差して。地中より黒いタール状が噴出しながら咆哮している異様な光景を再確認。さも、一体全体どうやって。
「うん、そう。何で? しないの?」
あっ、そう――。イカれてやがるのか、この夢見ばかりのクソガキが。
「まず警察を呼ぼうか。あとは消防、レスキュー。手に負えないなら自治体からの要請で自衛た――っ!」
言葉の途中で身体全体を弾ませた上で首を竦ませたのは、放出の筋が太き幹に倍増したからだ。
量も大量。あんなに小さかった子がこんなに大きく立派になって、と見上げた呆気ののちに。出現と共に噴き上がった瓦礫の岩が、俺の体と衣服もすれすれな。直近をゴンゴロリと転がった先の信号機をなぎ倒したさまを見届けた。
「い……」
過ぎたものは。下手をすれば、普通に死ぬ強度と速さではなかっただろうか。
「はいこれ」
「ん?」
手渡されたものに一瞬、ひんやりとした感覚を経て握ったものは。
「銃? 何だってお前はこんなものを?」
所持するには許可がいるこの国において。この非常時に、まさかのおもちゃではないだろうな。
「俺が撃つとこ合図するから。まぁっかせなさいってーの!」
ドンと胸を叩いた唐突な展開が目まぐるし過ぎて、空いている手を額に当てた。
「ちょい待て、そう焦るな。ちょっと待て」
「待てない待たない待たせない。余裕の内は信号一回分。退治の限度は十一分。それ以上かけると取り返しがつかなくなるんだから!」
「俺の知ったことか! 大体、何で俺が! あんな訳のわからんものと」
今日は大事な打ち合わせがある。大きなイベントのショーを成功させるに必要な映像、音楽、演出家、舞台監督などとの大事なブリーフィングがこれからって時に。
「魔の
「それは航空機の話だろ!」
「交差点にだってあるんですぅー!」
ふくれっ面を取られた後に、汚れなくキラキラと光る目は真っ直ぐに俺を見詰めた。ふざけているのかと思えばいきなり真面目か。何なんだ。
「今を逃げても。ずっと続くよ? 感情と妄想豊なアンタなら、一緒に戦ってくれると思ったのに」
手に手を重ねられたものは意外にも。しっくりと手に馴染んだグリップの。
「もういい返して。いいよ、俺ひとりでやるから。何だよもう、頼むんじゃなかった。あーもうがっかり超がっかり」
ぷいと背いた背は小さかった。頼りなく細い肩、薄い腰。こんな子供みたいな男の子が一人きりで、あの漆黒の大樹に立ち向かうだと? 冗談じゃあない。
「――貸せよ」
「あぁ?」
卑下するかの視線を上げた夜鷹との間にしばし沈黙が訪れた。
打ち上がりし怒りの猛りは、嘆きを劈く雄叫びも上げて。のちに轟いた雷鳴を号砲にした夜鷹は、悪戯に口元をニヤリと上げながら銃を差し出す。
「良かったぁ。背中見た時、アンタならって思ったんだよねぇー」
意味深にふにゃりとほほ笑んだこの世は、何もかもが生まれた連鎖で繋がってきた結果なのだからとして。
「こんな世界へようこそ」
不動にして号哭するならば抗おう。例え観衆の一端に過ぎないのであっても、当事の傍観者である事だけは俺の性質にそぐわない。道がなくて迷うのなら新たな道を作ればいい。壁が邪魔だとうろたえている暇があるなら壊せばいい。いつも最善を掴め。引き込み、引き寄せろ。それが失敗で終わり正解でなくとも、いつかは糧になる。
そうした持論で俺は今日まで俺という人間を成り立たせてきた。周囲から多少、変わり者の一匹狼だとして煙たがられても、友達が少なかろうとも恋人がいなくとも。これからも俺は俺を貫く。
ただし、勇ましい本当の俺は脳内創造の中にいるだけで。本物の俺は脚が震えているからこそ動けないだけである。
何事も虚勢に豪語、すまし顔で回避できていたのは。ただただ運が良かっただけにすぎないこの俺に。銃を撃てだと? 不可思議なものを退治しろだと? ふざけるな。その働きによって幾ら稼げる? 俺は金にならない仕事はしない。
そうさ。クールな態度も格好いい言葉は幾らだって言える思える思いつく。だけれど行動、実行、達成するか否かは別問題だ。しかしながらいつだって、上手く回せてしまう俺は周囲からは冷たいだとか、気取っていると受け取られやすかった。気にせず我が道を突っ切れば単身、お一人世代万歳だ。どうせなら、最後に花を咲かせてやろうとやけっぱちになったあの日から――もう半年か。
日々が流れるのを早いと感じるのは、俺も歳二十代後半をゆうに越えたからであろうか。十代後半に少々反抗期があった若かりしの無茶もできなくなってきた。戻れるものなら――帰りたい。暖かいベッドの中でふかふかの毛布に包み、心置きなく果てない妄想の翼を広げたい。理想の俺はそこにいる。
空白の数秒の間に様々な思いを巡らせていた耳に装着しているイヤフォンより通信が流れる。
『遼臥、そっちに出るから援護してくれ』
声の主は直人だった。冗談じゃあない。こちとら残弾一発。貴重な一発を放てば俺は途端に最前線で丸腰、役立たずになり下がってしまうのに。
辺りを見渡し、恰幅の良い大男が出入り可能な水たまりを探して――あった、これか。
横断歩道の白線と黒いアスファルトの間に貯まって出来た水たまりに、微震動の輪が広がった途端に波紋を成せば。俺の迷いなど即座に却下だ。
水面より。にょきりと頭を出して、あっと言う間に飛び出て来たのは軍人風の人間だ。
新たな登場人物に驚き戦き、歓迎の触手で串刺しにしようとした枝分かれのヘドロへ向けて、仕方なしの咄嗟に射撃を見舞う。
「あぁクソ! 思わず撃っちまった!」
「何だと? 俺が食われてもいいってのか?」
「最後の一発だったんだぞ?」
最前線で入れ替わり、俺は直人という名の背を壁にした。筋肉質な肉付きも良い体格バランスも抜群な男だけれど、スラリと整った身長はやや俺のほうが高いか。
「弾くれ。カートリッジごと」
「俺も残り少ないんだが?」
「何だと? だったら何しに来たんだよ……」
「何だと? そっちこそ、そもそもこんなに時間かけちまって一体どうした?」
「複雑な事情が絡み合ってる」
あらぬものたちの強度や、交差点に根付く根の深さは、それまでに募った恨み辛みの妬みに比例する。
「……なるほど。痴情のもつれか」
最もやっかいな展開と知った直人は、関わりたくないとばかりの小首を振った。
近隣から駆けつけた数多くの警察車両や警察官たちもずぶ濡れになりながら、交差点の周囲を封鎖して迂回路の交通整理を始めた。主要な幹線道路と平行する国道は、物資の流通を担う大型トラックなどが頻繁に行き交う比較的交通量も多い道路の十字四叉路。混乱は、最小限度に抑えたい。
ここはひとつ、バックアップの手も借りよう。
「ママさん、弾薬頼む」
俺が補給を頼むと間髪いれずに無線が反応。
『――装てんパック、発射しました。着弾三十秒前』
流石はチームの要、仕事が早いと感嘆している俺に。顔の水気を拭った直人はあらぬものたちと睨み合ったままで問いかけた。
「そういや夜乃、見かけなかったか?」
「いいや。こっちには来てないが?」
「ずっこけ魔の姿もないようだが……」
「……本当にちゃんと飛んでたか?」
二人の間で悪い予感が過れば経験上、大抵は当たっている。
「おっ待たせー!」
交差点の信号機上に着地した雪夜は「いらっさー!」と手を振り返す夜鷹に手を振り返した途端にずっこけた。
「うわっとおおう!」
片足を滑らせ、あやうく信号機の下へ落ちかけるのを驚異的な反射神経を用いて姿勢を立て直す。
「ちょっとおー。気をつけてよー? 雪ってば戦闘で負う傷よりも、すっ転んで作る生傷のほうが多いんだからさ?」
「うへへ。失敗失敗」
即戦力を期待した相方の姿も未だ来らずで直人が嘆く。
「おい雪夜。お前こそ先に出たのに今になって登場とは遅刻が過ぎるぞ! 保護者はどうした?」
「まだピックス調整中なんだって」
「何だと? まだ彼女とデート中かよ。ふざけやがって」
信号機の上で折り曲げた膝を抱えた雪夜は続けた。
「それに僕、パパのほうも心配だったからちょっと寄ったの」
「新宿に寄り道してたのか? ったく余計なまねを」
「うん。邪魔って言われちゃった」
「当たり前だ」
「当然だ」
俺と直人の溜息が同時に漏れた。
「大将に助っ人が必要な事態なら、とっくに首都が沈没してる」
それに、満を持しての砦な彼にはこの上ない強力な相棒がついている。各地それぞれに散った仲間を気遣いながら、方々をフォローしている万能さは極大射程を得意とした長距離地点より見守るシューターゆえか。
「でも。
憂いた雪夜に、直人は言い切る。
「それでもだ。大将なら平気だ。気にしない」
そうだ。俺たちの背後には常に心強き最終アンカーが控えている。前衛と後衛が複雑に絡み合う俺たち八人で一チーム。それこそ奇遇と偶然が重なった成り行きの必然で結成された相性は、アンバランスに見えて案外絶妙でもある。
「うっ」
突然、直人が吐き気を催していた。
「おおい、おっさん」
ここにきてとは。勘弁してくれ。
「うるさいな。どうやっても
でかい図体が縮こまる。長距離をショートカット移動するのに、手近な水たまりを利用してジャンプして来たのだろうけれど。水面上は風や振動の影響を受けやすい。それは水面下とて同じこと。身を沈めるのは短い期間でもあっても、ぐにゃりと揺さぶられる歪む世界はいつまで経っても慣れるものではない。「それにお前とは歳、そんなに違わないだろ」
「そうだな。よそう」
見た目年齢の話はチーム内では厳禁だ。今は目の前の事態を収拾するべく事に集中あるのみ。
「鷹!」
灰色も濃い雲間から、大量の雨粒と一緒にいぶし銀色をした弾頭状の筒が落下してくる。
後方からの届け物が届く五秒前。交差点の直上で直角に降り来る物に対して夜鷹が飛び付き。一度、足蹴りで速度を殺してから蓋を開けては中身を取り出し、フル装てんされているカートリッジを俺と直人に投げ寄こす。
「ほいよ遼ちゃ! 直っち!」
「その直っちと呼ぶのはやめろ」
夜鷹と直人との間で交わされる話には耳を貸さずに。素早く、カートリッジごと取り替えて一弾目を発射する。
バスンと高鳴った空圧の硝煙は、主のあとで渦巻く雲の尾を引いて。空となった薬莢だけが、キンコロリと空しく地面に当たって転がってゆく。
空薬莢を外へと押し出した薬室には、弾倉から押し上げられた次弾を蹴り込んで。直人は早くも二発目を発砲していた。俺たちの存在を無視するなと言わんばかりの鉄拳が、右から左から嘆きを伴いながら放たれたものをチーム最年長者が撃ち払う。
オートマチックは連射性に優れ、俳莢と給弾の手間は省けるけれど。個性というべきオリジナリティーは殺されてしまう。だから抗い屋のグロックには発射速度にあえての圧を加える為に、撃針を叩く点火の雷管と撃鉄を重くしているのが特徴的だ。よって命中率は下がるけれども、そこは射手が腕の見せ所。そして引き金を引く指や手への反動も重くなって段々痺れてくるのもご愛敬。
「直人。前衛代わってくれ。鷹雪の見極めなら一発でしとめられるだろ?」
顔に滴る雨粒の筋を大雑把に一度拭った直人は吠えた。
「なぁに甘いこと言ってんだ。お前らダブルアタッカーだろ!」
俺たちのチームは二人一組のコンビで束を成している。大抵は夜乃のような先行ランカーがいて後方援護のアンカーが控えている。
雪夜ペアも例外なく雪夜がランカーで、未だ姿を見せないアンディがバックアンカーだ。そのチーム内において唯一、双方ともにランカーにて双璧のアタッカーなのは俺たちだけだ。
「ランカーらしく突っ込んでこい!」
予備のカートリッジを腰に収めた直人は信号機の上に鎮座している雪夜にも告げた。
「雪! 遼と鷹が引きつけてる間に引き寄せろ!」
幸運を。まぐれな運気を。思いがけずに起きる果報を寝て待つほどの余裕はない。俺たちは抗い屋だ。読んで字のごとく、何かにつけて抗うのを生業にしている。
「まかせて! 成敗成仏!」
その身に打ち濡れる雨しぶきを気にも留めず。雪夜は指と指を組んだ手と腕を天へと伸ばし、うんと背伸びをした信号機の上で屈伸運動をして見せる。
「よっし。ついといで!」
信号機を踏み台にして、雪夜は垂直上に飛びあがった。
ランカーの中で最もすばしっこく逃げ足も速いのは俺の相方、夜鷹であろう。耳よく音なき察知に優れた敏感さと俊敏さに優れているのは直人の相棒、夜乃が群を抜いて秀でている。そして、ここぞ一番の勝負時にて最も多幸に恵まれ、引き寄せる事に長けているのは雪の夜に生まれた子――。その姿は低い雨雲にまで到達しかかっていて点になりかけている。
そうして上へと上り詰めながら、右から左から殴りかからんとするものをひらり、ひらりとかわしてしまう。否、当たらないのだ。幸運に長けているから。その分、普段の注意力は散漫でよくこけるけれど。
「夜鷹、見える?」
雪夜は交差点の遥か直上で。翼あるもののような身軽さをもって上へ上への上昇中だ。何もない宙に身体が浮いて見えるのは、二つの基点を錨として繋げた透明状のワイヤーを急ごしらえの足場にしているからだ。彼らはそうして透明の踏み線を自在に作り、自由に空を駆けてしまう。なかなか粋な技ではないか。
交差点内のあらぬものは、より動くものへ反応するため。最も運動量の多い雪夜に釣られ、アスファルトの下、より深くの地中に根を張らせたものから首を伸ばし手を伸ばし。それでも掴めぬ苛立ちに怒号を迸らせた。
「んー。もうちょい引っ張り上げて――って」
見切る瞳を大きく見開いた夜鷹が気づく。
「あ。読めたかも」
痴情のもつれだか何だか知らないが。とにかく拗れ、泥沼と化した人情の屈曲地点を見極めた夜鷹からのグリーンオーダーが発せられ。
「遼ちゃ! 今度も誤差三ミリ以内ね!」
呼ばれる前に俺はトリガーを引いていた。一直線に向かった弾は命中したのに。後から奥から沸き出る漆黒は、底知れぬ闇の中から再度芽を出しては発芽する。
それを悟ってのグリーンオーダーも負けずに点灯。二発、三発目を立て続けに発射して、どれも補正内にて目標を射ぬいているのに。あらぬものたちの上昇と進軍は止まらなかった。
「こいつは根深い」
交差点内の最後方で呟かれた本意に俺とて同意の舌を打つ。
「だろ? 先手一発、残り三の五連でも埒が明かなくてな」
次こそはと奮闘するうちに残弾尽きた。今に思えば余計な無駄弾を使ってしまった反省はする。
「それでも時間、掛け過ぎだ。次で決めろ!」
「おうよ」
早くも交差点の外へ急ぎ、駆け出している直人に言われなくとも充分承知だ。出現より十一分を過ぎたあらぬものたちは、交差点という囲いの中から外へ出る。
それまでは交叉の分岐に囚われていた形なきものが、明確な姿を得て自由に出回るというのだから。触れた者が、捕らわれた者がどうなってしまうのかを知る者にとってもおぞましい話だ。唯一の弱点、芯の根もどこにあるのか分からなくなれば排除の手立ても失ってしまう。
「お手を拝借」
「了解遼ちゃ。ドカンと派手にやっちゃってー!」
俺の屋号は人手を要する。借りるのは援護ではなく、交差点外へも及ぶ衝撃に備えての避難、誘導、周知の徹底だ。
「夜鷹。僕、このまま引っ張っとくから」
「おっけー、爆炎気をつけてー。遼ちゃ四連、弾いくよ?」
一挙集中の爆発連鎖を起こす屋号では、そもそもの誤差や補正は必要としないために念頭より取っ払う。
「被害範囲、五十メートルに絞っとけよ!」
遠くへ離れ行く捨て台詞を耳にしながら、俺はグリップの握りを再確認する。その間、俺の左わき腹に突き刺さりかけた漆黒の矢を、後方から撃ち払ってくれたのは残弾を気にかけてくれた直人でもある。礼など後だ。生きてさえいれば、後で幾らでも語り合える。
「こんなに根付くとはご苦労なこった」
「だが、どれほど太き幹とていつかは朽ちる」
行きつく先が、天国か地獄かを選ぶ権利は誰にも何にも等しくあろう。だけれどこの連鎖の囲いで生まれた縁に対して、どちらへ行くべきかは俺が決める。
「屋号――」
頭上に気を取られているあらぬものたちを真正面にして。まずは一発二発、三発四発を立て続けに発射する。息つく間もなく、素早く角度を変えて。縦にも横にも五、六、七、八の連射を行う頃には一弾目が命中している。
そうして多角度からの着弾を要求している十六点に応じるべく、四連射掛ける四連射の計十六弾を全て撃ち払い。これでカートリッジの中身はあっという間に空となる。空となった薬きょうが足元で甲高く跳ね踊り。この身に纏うは漂う硝煙。
「
雨しぶきにも煙る交差点で、かすんで消えゆく白煙の中。
ただ一人、じっと己が撃った点鐘に酔いしれる不動の俺――ちょっと格好いいみたいな? おっといかん。集中しなければ。より高みへの妄想がしぼんでしまう。
しかしながら何時だって。妄想は常に前向きであらねばならない。煩悩はより高みに置かねば意味がない。他人に妄想できるものでは生ぬるい。口には出来ぬ煩悩こそ誰よりも優れていなければ個性がすたる。想像力は、いつかきっと役に立つ。多分。
着弾のちに貫通してゆく弾の威力は、粘り気の強いあらぬものの流動体に吸収された途端に速度を殺されるけれど。次弾、更なる押し出しという名の玉突き、衝突、摩擦によって衝撃具合は倍の倍に膨れ上がる。さすれば接触した摩擦同士は擦れ合い、拮抗し合った挙句に熱を帯びて、やがては自ら火を起こす。
幸いな事に、あらぬものたちは食い付きやすく、燃えやすい。この地で嘆き怨念を貯め込んだ者は、さぞかし復讐や報復の節に没頭してはのめり込んだに違いない。だけれど散るのだ。曇天に覆い被され、今はその輝きも見えぬ星々たちがやがては尽きるように。
着弾と着弾の中心点で、「ぽむ」と泡でも弾けるような音がした。
そうして連鎖と連鎖を呼んだ十六連弾が一挙の閃光と化した時。プラズマスパークを纏った爆発と共に広がる爆炎と爆風が弾け飛ぶ。
交差点の内から外へと派生した衝撃のドームに一瞬、この目を瞑った耳に遅れて届くは重低音の波動と轟音。自ら引いた引き金だけれど、せき込む粉じんをやり過ごしたのちの、薄ら開いた視界を見入る目に煙が染みる。
時はまだ午前の九時過ぎだというのに。飛来した弾頭が吐いたオレンジ色も鮮明な光が明るく、眩しく美し過ぎた点も加算され。寸分狂いもなく目標へ着弾したものは、自ら舞い上げ、白と灰の煙幕の裾野を爆発的に広げた後は、辺り一面を黒の幕で覆い隠してより一層、交差点の周囲をどんより暗くした。
視界は霞み、一寸先を奪われながら。にょきにょきと湧き立つ入道雲のような爆円の中で、点いては消える強弱の閃光が踊り狂い。礫の中でトクトクと脈を打つかの心の臓は、稲穂の中で魂を孕む雷に似て。やがては弾け、方々に各自飛散してゆく火の粉たちは。それぞれ扇の尾を引きながら儚く淡く燃え尽きる。
「……逝ったか?」
俺と距離を置いていた直人の声は、無線のイヤフォンを通じて受け取った。
「あぁ」
ぶるると震えた悪寒を誤魔化すための、肩の凝りを解すべく。腕を回した俺は交差点に背を向けた。――帰りたい。ずぶ濡れで風邪を引きそうだ。もやで煙る足元は土砂や悲惨したあらぬものたちの残骸まみれでねっとり汚れ、爆炎の煤、灰で汚れたシャツに元の白さは窺えず。直人は低い雲にぼやいていた。
「ったくあいつら、結局来なかったじゃないか……。どこ行ったよ」
雨にも打たれ、舞い上がった粉じんはバラバラと撃ち落とされるかのように低く幕を引き始めて視界も開け始める。
交差点を挟んだ向こう側に接地した雪夜が、着地と同時にすっ転んだものを見て慌てて助けに入った夜鷹もつられて転ぶ、というやり取りは見なかったことにする。それはいつもの光景なのだから。
『――遼臥さん』
そうして俺の名を呼んだ最終のアンカーは、長距離を得意とする射手でもある。軍用のライフル銃でも、命中可能な最大飛距離はせいぜい三・五キロと言われている。それも気象条件や海抜によっても大きく変わるこの世界において。
『油断は禁物ですよ』
はっとする間もなく、俺の頬すれすれを通り過ぎた一発の弾頭が。最期のあがきでのし上がりかけていた小さき御旗をへし折っていた。
始まりは一つのものであったと聞く。それが次の一つを取り込んで、また次の恨みに憎しみ、悪意に邪心を餌に取り込んだ。次々と犠牲を出せば、餌食は糧を求めて次を誘う悪循環も生み出した。そうして、あらぬものたちの出現区域は、電線を利用して爆発的に広がっているのが現状だ。
そんな連鎖を止められるのは、今のところ抗い屋だけだと言われているけれど。最近は、神出鬼没なあらぬものたちを神格化させ、あえて出現させているという
ザーザーと、ドードーと滝のように降っていた雨脚は弱まり、今は小雨になりつつある。まもなく雲間からは天使の梯子も降りてこよう。俺の天使は相変わらず脳内で引き籠ったままで、この現実世界に出てくることは叶わないけれど。だからと言って、諦めたらそれこそ果てなき妄想も水の泡。何か一つでいい。卒業アルバムではなく、何か別の形で俺がこの世界に生きた証を残したい。と、一度は声に出して言ってみたい。
ポタポタと、バタバタと雫を垂らして束の間の雨間を惜しむ滴たちの合唱の声が大きくなる場で。俺は、今度こそぱったりと倒れ伏したまま路肩に流されるがままに崩壊したあらぬものたちと交差点を再び眺めた。
斜めの態勢で空を見上げてしまった信号機は色を失っている――のも当然か。あれだけの衝撃を受ければ電源ごと吹き飛んで事切れるしか他にない。アナログ万歳。
「なぁママさん。これ、請求されないよな?」
『――交差点を含めた半径五十メートル内なら政府保証です』
今日は長い一日になりそうだ。まずは超長距離シューターに片手を上げて礼をしよう。
規制線の外側で。事の一部始終を見届けていた刑事らしき男の一人が、最後の射撃がどこからのものであったかを探っているのが目についた。が、無駄だろう。アンタの目では捉えられない。
一直線上のヤードで言えば十一万と五千五百。マイル換算なら六十五も先。その両眼に押しつけて、飛距離を測れるスコープを幾ら覗き直してみても。機械的な音声は、淡々とこう告げたはずだ。
『――発射地点ハ、百キロ先デス』
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