第10話 約束の地平線 03


「夜ーっ!」

 夜乃は、自身を呼ぶ声で意識を紡いでいた。

 ここはとても冷たくて寒い。真っ暗闇の中で、前も後ろも分からない。

 少しずつ自分が無くなっていく感覚に侵され、いっそのこと全てを手放せば楽になるかと思えるほどに体はだるく、気持ちも沈んでいた。

「夜ーっ!」

 あの声は――雪夜だ。駄目だ、雪夜。来てはいけない。もうすぐ僕が――。


「夜。今行くよ!」

 雪夜は朝焼けの空を背に、夜との境で跳んでいる。

「夜が――。明けない夜はないって、教えてくれたのは夜じゃないか!」

 荒ぶる触手の攻撃を避けながら、雪夜は前へ前への前進をやめない。

「こんなの認めないよ、夜! 僕は諦めない!」

 何度だって手を伸ばそう。君に。生きる事を諦めてはいけない。

「そう教えてくれたのは夜じゃないか!」

 傍にいられる幸せを、教えてくれたのも夜乃だった。

「夜! どうしてそんな簡単に答えを出してしまったの?」

 何をもにも代えがたき存在となり、大切な家族となった。

「護りたいって思えた、初めての――はうっ!」

 雪夜は流動体による、しなる鞭攻撃を受けて体勢を崩した。


 碎王の耳に、フィーガからの連絡が届く。

『――シーラワン。ビクトリアの芯の根は、現在も都庁前の交差点です』

「やはりそうか……」

 ――奴め、逃げる振りをして、芯の身はそこに眠らせておき。再びの夜に復活しようと目論んでいるようだなと碎王は睨んだ。こうなれば、本体と分岐した分身を同時に倒すしかない。

 運命とは誠に因果だ――。碎王は、手の中にある宗谷とペアの懐中時計に視線を落とした。二度と時を刻むことをやめ、壊れ果てたもの。だけれど約束だけは果たさねば。――あいつも俺も、敗北が大嫌いなんだ。

「俺も、こんな結末は認めない」

 お前だってそうだろう。なぁ――、宗谷。お前が望んだ未来の答えは、こんな展開ではなかったはずだ。

 視線を上げた碎王は、誰となく呟いた。

「この世は、生きと死せるもののものだ。生きようとするべき者の意志を、優先させてもらう」

 ぐっと握った拳に力を込めた。そして告げる。

「全員、全力で繋げ」

 通信を、の意味ではない。

「直人、遼臥。眠れる芯の根を狙え。全弾使い果たしても構わん。連鎖を止めるな。アンディ、上空組のバックアップを頼んだぞ」

『――了解、シーラワン』


 高い高度で滞空のバランスを崩した夕夜は、地上めがけて真っ逆さまに落下していた。その視界の端に、逃げるビクトリアの背だけが映る。

「雪ーっ!」

 落下してゆく雪夜を目掛けて地上より、こちらも飛光硬糸フライトワイヤーを駆使した夜鷹も昇って来ていた。

「夜鷹!」

 雪夜の表情に希望が宿った。必ずや夜鷹が導いてくれる――。その星が輝いて見えた。

 夜鷹は雪夜に手を伸ばし、手に手を取った。そうして夜鷹は、絡み合って縺れた回転を利用した反動をバネに、雪夜を再びの追走軌道に乗せてやる。

「行っけぇえええっ!」

 ――そうだ。間違っていない。僕らの星で、今度は夜乃を助ける番だ!

 夜鷹の星は、神聖なる夜明けを導いてもいた。

「夜! 俺の絶対の星、そこからでも見えるはずだよ!」

 ――夜明けよ、来い。

 

 雪夜は大気圏ぎりぎりの上空へ舞い上がった勢いを活かし、今度は夜の淵へと一気に下降していく。

 ――これで一気にビクトリアへ追いつける。

「大好きな人たちに明日があるなら。僕にある全ての幸運は全て使いきる!」

 その行為が命を使い果たすことになろうとも。護りたいものがあるのならば惜しみはしない。

「夜ーっ!」

 人身の弾丸となった雪夜は、牙を剥いて大口を開けたビクトリアの咆哮も唸った喉奥へと突入していた。


「……雪?」

 夜乃は、薄れゆく意識の中で手を伸ばしていた。既にその手の感覚もないに等しいのに。もう少し雪夜たちと生きたいと望んでしまった。

「雪、夜?」

 絶望が糧であるあらぬものたちの中で、儚い希望が生まれていた。

 ――そうか、もうすぐ朝が来るのか。

 それは夜乃にとっても望む夜明けに違いなかった。

 ――今度は、雪夜が見つけてくれたんだね。

 手を伸ばし、真っ暗闇の中で一粒に光る眩い星を掴もうともがき、腕を伸ばした。

 もう少し生きたい。もっと一緒に皆ともいたい。そう願っても良いのだろか――。

 そう思った夜乃の中で、ぽつっと熱い燈り火が灯っていた。

 

 ――そうだ。今こそ屋号の瞑糾めいきゅうを使うべきだ。

 この漆黒の闇の中なら、より一層。嘆きも悲しみも吹き飛ぶくらいの希望と、愛と。眩き光の天国を一つの束にされて叫ばれたのなら。新たなる明星は絶対的黎明を導き、奇跡を起こしてくれるはずだ。

「夜!」

 黒々しいタールの中で、伸ばされた手と手が互いをしっかりと握った。

「雪!」

 ビクトリアは喉元を掻きむしって仰け反った。異物が入り込んだ苦しみで、滞空中であるのにのたうち回ったあげく。内から輝き出した、破裂的光を抑え込むことも出来ずに悶えたのちに。ぐぐもらせた喘ぎの四肢を痙攣させながら、内側より爆発していた。


 直人と遼臥は、東の空に眩き太陽の顔が覗く都庁前の交差点付近に達していた。

 爆心地となった縁より陥没の穴底にある、ビクトリアの芯の根に照準を合わせた。お互いの相棒は上空にいても、これまでの経験で射るべき場所は解っている。

 土の下で強かに眠っている振りをしている悔恨へ向けて。同時にトリガーを引き、弾丸を発射させた。

 一発目が命中したそこへ、二発目の追い打ちが続き。三発目は一発目と二発目を更に押し込む手助けとなり、四発目以降も命中する鉛の連鎖が紡がれる。

 全弾を打ち込めとも言った碎王の言葉通りに、二人は夢中で芯の根を射る引き金を引き続けた。

「あぁくそ! しぶとい!」

 ――早く息の根を止めちまえ!


 昇る太陽によって、都心の空も明るく照らされるその下で。地中深くよりピキピキと蠢くものが這い上がってきていた。

「あぁ、まずい!」

「こんだけ射っても絶えないのか!?」

 指示通り、全弾を打ち込んだ直人と遼臥の愛銃弾倉は既に空となっていた。

「碎王!」

 二人の逼迫を受けた碎王は、じっと芯の根を睨んだまま微動だにしなかった。

「碎王?」

「心配ねーよ」

 口の端をにやりと上げた碎王は、「そうさ。明日は生き得るもののものだ」とも呟いた。


 朝が来たというのに、ひと晩を待たずして怒りの進撃をやめられなかったビクトリアの咆哮が、爆心地より高くに叫ばれる。人間如きが、眠り際を叩き起こすとは許すまじ――。

 地下深くより噴出した黒きタールの汚泥が、ぬめるオイル状となって湧き上がる。

「かぁー! またかよ!」

「もうすぐ陽が当たるってーのに、まだ動けるのか!?」

「これを待ってた」

「は?」

「きっちり四十秒で、返させてもらうよ」

「あ?」

 碎王は心の中で告げていた。

 ――夜乃。夜鷹。雪夜。宗谷。お前たちの魂に宿った燈り火も、ちゃんと俺にも響いたよ。


「リバース」

 どこからともなく宗谷の声がして、直人と遼臥は辺りを見渡した。

「……宗谷?」

 彼の姿はとこにも見当たらないのに、目の前で起きていた事態が、まるでビデオの逆再生を見せられているかのように。時間と事態が逆へと戻ってゆく。

「な、んだ、これ……?」

「どうなってるんだ?」

 碎王は一人、ほくそ笑んだ。

「来るぞ」

 それは、諦めない連鎖の終わりを告げる、約束の花が息吹く時だった。

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