第9話 約束の地平線 01
飛来外来種は遙かなる距離と時を経て、地球と名付けられた星へ辿りついた。星々の一生と比べては遥かに短く、儚い人間の寿命を基準にしたとしても、それはそれは長い旅路だったに違いない。その名こそ、人の基準で勝手に名付けた番号順のビクトリア以外にも持っていたのかも知れない。けれど持ち合わせた大義と体と、言語の違いはもとより、生態系そのものが最初から相容れなかったもの同士。互いを深く理解し合えないのは仕方もなしか。
もしもビクトリアに孤高相応しき本当の名があったとして、今さら人類側が知り得たところで何になろうか。和解か、共存か。どちらにせよ成し得ぬだろう。強者が弱者を、その微塵の欠片まで喰いつぶし、繁栄を認めないというのだから。
何の縁があって遠路遥々地球を目指し、森羅万象銀河の果てより飛来したのかの知勇は問わずとも。人類を敵とするならば、刻一打で打ち破るしかないではないか――。
雪夜は、まもなく夜明けを迎えようと白ける空を背にして飛んでいた。
肩を並べ、軒を連ねる高層ビルの最上階よりも高い打点より、また一段と高い継ぎなる地点へ高く、早くと勢いに更なる加速をつけて駆け行けば。風圧で頬がぶるぶると波立ち、先行く目標を睨み据えた眼は充血している。時に肩でも息継ぐ呼吸も荒々しく、酸欠状態に陥らぬよう猛々しく脈打つ息苦しい心臓が飛び出そうな喉も詰まりそうで。ワイヤーを操る手元も口も、今にカラカラに乾いて干からびそうだ。
――夜!
求めるものがあるからこそ、今ここで退く事など出来ようはずもなく。息も続く限りで深く潜り続ける様は長距離潜水のよう。そしてまた飛ぶ。次の一歩、また一歩と弾んで飛んで駆けてもビクトリアとの距離は縮まらない。そも、体格からして巨大と豆粒ほどに差があるのだから。たかがの人間の一歩など及ぶに足りず、その差は歴然。
飛んでも飛んでもビクトリアとの距離が離されるもどかしさで、何度となく瞬く雪夜の目の端には涙が浮かび。大気との摩擦で擦れ溢れ出た雫は掬われることもなくぽろり、ぽろぽろと端からこぼれ落ちる。
「っ、夜!」
雪夜にとって、どれほど駆けても追いつけないこと事態が初めての体験であった。悔しくて心細くもあり。何と逃げ足の早いやつかと、怒りのボルテージが跳ね上がれば上がるほどに。黒き巨体との間隔は離されてしまう。
その胸中にまん延しているのは、「どうしてなの!」の一点張りだ。
「夜ーっ!」
逃げ仰せる気で満ちるビクトリアの中には、夜乃が取り残されている。
一言、言ってくれれば良かったのに。相談してくれれば良かったのに。誰に、ではなく。秘密を抱えた己たちだからこその絆を以てしても、黙ってゆくなんて許さない。
宗谷もそうだ。さよならをすることさえ叶わなかった別れだなんて、あんまりすぎる。もっと話したい事が沢山あったのに。宗谷が手掛ける料理をもっと沢山食べたかったのに。もっと、家族のようになった仲間と、ずっと長く一緒に楽しくやれると思っていたのに何故――。
「夜ーっ!」
白む夜明けと間逆側の。暗き暗黒で沈む西の空にビクトリアが同化しかけたその時に。ビクトリアの蠢く躯体に変化が窺えた。
上空高くを柔軟に泳ぐその体は、流動の表面状をぶるぶると震わせ波立つもので余計に一度、振動させて。進行方向のみを直視していた流れる頭髪の先端部分が、ぐにゃりと後ろを振り返る格好で雪夜を顧みたのだ。そこで当事者たちの目と目がかち合う。睨み据え合うどちらの眼にも、まだ余裕が窺えるからか。普段は優しき目元も、今は鋭き眼光をも滲ませる雪夜が冷たく辛辣に言い放つ。
「夜を返せよ」
雪夜にしてみれば、その他のことなどどうでもよかった。夜乃たちと共にあれるというのなら、生も死も関係しない。大事なのは共にあること。それがたった一つの望みであり、希望のいう名の糧であったのだから。
さすればビクトリアも「追ってくるな」とばかりの声鳴なる咆哮を上げて、雪夜を威嚇するのだった。その猛りを人の言葉に翻訳するならば「いい加減しつこい!」だろうか。
「っ!」
互いに地上から八百メートルほどの空中を飛び回りながらの攻防戦が始まった。
まずは先制の黒き流動パンチが、鋭く雪夜の顔面すれすれも横頬をかする寸前。巧みなワイヤー術でこれを難なく回避しつつ。追う者と迎撃しようと飛翔の速度を緩めたビクトリアとの間合いを詰める良いタイミングだとして。雪夜は器用にも柔軟な体でCの字の逆を全身で描き、大きな跳躍へとも変えて距離を縮めようとした。
なれどビクトリアとて、雪夜の行動など百も承知していたらしく。延びきった果てにちぎれた己の切っ先を巧みに呼び寄せ、粘る漆黒の流動体は無数の矢となり再び、雪夜の背後から今度こそ貫かんと射り迫る。
しかしそれすら雪夜には知れたこと。視線は目前にしたビクトリアにこそ一点集中しているかに見えて、背後にも目がついているかの如く。雪夜は、背後からの攻撃もひらりと側転回転を見舞うだけで難なくかわす。
「そんなのじゃ、僕は捕まらないよ!」
この世で最も強運の持ち主だとされる男は、にやりと口の端を上げた。さすればこの年、二十二番目に飛来したバグジーとて流れる流動口元で「ほほう、そうかい」とほくそ笑む。双方とも生易しい譲り合い精神などで妥協もしない。フェルディナンド一世も述べたではないか。たとえ世界が滅べども、正義は遂げよ――と。
「――このままじゃ日本の領空域、出て行っちゃうんじゃねぇの?」
一人と一つの姿が点になりすぎて、暗む夜の端ではその視界に捉える事すら困難になりつつある地上で鷹斗はぼやいていた。その口を尖らせ、むすくれる姿は幼子のよう。
「まさかのフォックスに応援頼む事になるとか、絶ってぇやだかんね俺」
その脳裏にフォーリーの双子で名高い男たちの顔が浮かんでいる。そして全身で身震いをしてから思念を振り払う。願わくば出来る限りで関わりたくないヨーロッパの守護神に、手助けをして貰うくらいなら死ぬ気で何とかするほうがよほどにましだ。
「至極面倒臭いんだもん、あの二人」
とは言え鷹斗の頭に過るのは、有史上初めてバグジーアタックを受けたロシア極西の巨大痕だ。あの黒点が地球の地表と地中深くへ刻まれた事変により、人類は飛来外来種の脅威に驚き戦き、本腰を入れて対策に力を入れ始めた。そして本来、出会うべきものではないものたちと交叉もして。未だに癒えない傷を深くに受けてからようやく、の後手の中でもがき至ったのは双子たちも然り。己たちとて同じだけれど、やってやれないことなどない。
鷹斗は、高き天より己の手元へと視線を移した。力を入れてぐっと握った拳が震える。
「ったく……」
そうして自らに呆れた溜息と一緒に漏らした減らず口も得意だ。
「ああもう! 面倒くせぇなあ!」
口悪く呟く半面、宗谷仕込みの調理の腕も上がる一方であった日々は何ものにも代えがたい。アドレナリンが全開になる戦いとて愉快爽快で好きだ。しかし、根本の体力が人並みでしかない鷹斗にとって長期戦は命取りになる。安請け合いも程々に、とは思えど。家族のような仲間がピンチで踏ん張っているのなら。奇跡を導く星の持ち主らしく。屋号の
どれほどその根が深かろうとも、己らはぶち破ってきた。これまでも――恐らく、これからも。
それらは全て一発勝負。だからこそ面白く、何より愛おしい。例え、ここでとっておきの奥の手を使い、残る体力の九割を使い果たしても。
「おいで――」
僕らの星よ。希望の星よ。僕らは今、ここにいる。
鷹斗は握りこぶしを優しく解きながら、天を見上げた。優しき眼と穏やかな口調でにこやかに囁き、その目にしか見えないものを手の中に導くかにして誘い込む。
その結果がどうであれ、後悔はしない。その結末は必ず、全て己に返ってくるのだから。
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