第8話 煙る向こうへ


 昔から紡ぐのが得意だった。誰かと見知らぬ者の運命をつなぎ合わせ、時に関係を編みもし、橋渡しをしたりして繋げてゆくのも好きだった。

 宗谷が己でそうだと確信したのは、碎王と言う名の男に出会った時でもあったか。あれから幾日と幾月が流れ、縁だった先で宗谷は今。空っぽになった都心で一人、暗天より夜明けを迎えようとしている空を見上げている。

 何と奇縁に恵まれた人生であったかと、脳裏に巡る様々な思い出は楽しきものばかりだ。きらきらと舞っては散り消える光の粒が体に纏わりついているのは、その名残。煌めく願いはきっと届くはず。そうだと確信できるのも、あの人が頷いてくれたから――。

 ふわりと体を回して踊ってしまうのも、気持ちが軽いせいでもある。タンと弾むステップを踏んでしまうのも、これからの未来に明るき展望を期待できるからこそ。心に揺さぶられ続ける体は、自然に駆られて踊り出す。後悔なども微塵となく。あるのは、碎王という唯一無二の御仁に出会えた、それこそ奇跡の軌道を。手足のタクトを振って奏でては寄せる。

 伴奏は時を刻む秒針の。先まで使用していた球体の発射トリガーも、ビットマップ上に表示していた情報掲示ももはや不要の産物。仕込みをし終え、目指すところが一点のみなら、自動追尾ホーミングなども必要ないから。

 懐中時計の、逆針ぎゃくしんしていた時も四十秒ほど遡った時点で止まっている。あとは、託した希望の花が咲くまでほんの一瞬。


 アンディが操縦するピックスによって、宗谷以外のメンバーは安全圏へと脱していた。そこで知らされる最終手段に対して、雪夜が真っ先に抵抗を見せている。

「――嘘でしょ? なんで? だってまだそこにはママが!」

 碎王は、取り乱しながら跳躍をしかけた腕を掴んでその行動を制する。

「よせ。もう間に合わん」

 今更、飛んで行ったところでもはや何が出来ようものか。

「何で!? 何でママが……? ママ!」

 雪夜だけではない。夜鷹や遼臥たちもシーラの最終手段に納得がいかずに、無言の地団駄を踏んでいる。夜乃に続いて宗谷もまた、己を犠牲にして事なきを得ようとは。そんなもの、許せるはずがない。

 キンと大気を揺らして届く耳鳴りは、かすかにして空耳ではなく。確かにと近づいてくる光の点が、夜の帳を切り裂きながらやって来ている。

「パパにはあれが――」

 飛来してきているものは、一撃爆破の誘導ミサイル。

「希望だっていうの?」

 目標地点へ着弾すれば、半径一キロ四方は完全に破壊しつくされた窪みの荒野に成り果てよう。その着弾地点で自らを的とし、軌道観測衛星ファーボと言う名の建て前を持つ要より発射されたミサイルを誘導しているのは、統轄権限を担う宗谷その人だ。


 そんな宗谷が、碎王という男を知ったのは中学時代であった。

 いくら食べても肉付きのよくない病弱な体を何とか鍛えようと、運動系の部活に入ったものの。放課後の部活動だけでもついてゆくのがやっとの状態に陥り、試合に出るだなんてとんでもない。基礎体力は平均の半分程度。運動神経とてそれほど突出したものを持ち合わせていなかった宗谷は、一度もレギュラー選手になることはなかった。

 それでも部員として外されなかったのは、戦局を見極め、戦術を立てるのに長けていた能力を買われたアドバイザーならぬ、マネージャー的立場で三年間、辞めることなく続けた事だけが唯一の達成感であった総仕上げの日に。彼と出会った。

 高校受験を控えた、中学三年生としては最後の晴れ舞台の日。宗谷はやはり、ベンチからの応援要員でしかなかったけれど。同じ試合会場で見つけた、とある男に釘づけとなっていた。

 何故に彼が目に留まったのか、今でも理屈ではなかったと確信している。

 視線を奪われ、見入った彼は雄々しく、誇るキャプテンシーも堂々としていて。同じ中学生とは思えぬ、威風堂々ぶりは既に会社経営の頂点に立つべく成人の立ち振る舞い。二回り以上も歳が違うであろう監督すらも恐縮している凛々しき姿は――何と男らしいかったことか。そうと思った宗谷の眼差しは、通り過ぎるだけでもざわめく周囲をものともせずに、チームを率いる先頭の彼に定まり続けた。

 聞けば、その男の名は碎王と言い。小田のが原では有名人であると知った。早くも亡くした父にとって代わり、一国城代の城主であるとも。

 なるほど、威厳もあるはずだ――。彼は、確かに一国の王にして相応しい御仁だと思った宗谷はその時、大勢の中の一人として、人込みの中で城主の背中を見送っていた。

 宗谷自身には、決して目に見えるほどの強き力はない。碎王のように拳を振っても、圧倒的圧巻で相手を伸す力はなくとも。黒子として華々しき表舞台を支える役なら、誰よりも上手くやれるのにとして。

 いつか。碎王のような男の中の男の相棒として、隣に立っていられるような頼れる人でありたいと願った宗谷と。碎王もまた、幼き頃から大の大人たちに囲まれて過ごした経緯もあるのか。腹を割って話せては許せる同年代の友が欲しいと常日頃、腹の中に抱えて過ごしていた両者の。心を知ってか知らずかの間に、運命の糸は紡がれていた。


 偶然にも、宗谷は碎王と同じ高校への入学が決まった。そこで初めて念願叶ったりの二人は顔を見合わせ、互いを認識し合った。

 知り合ってしまえば、これまで離れていたものなど無かったかのように。関係は相乗効果で良好を生み続け、あっという間に他人など介入できぬほどの間柄となって落ち着いてしまった。

 互いが息をするかのごく自然をもって、当たり前の存在となり。如いては、何も言わずとも理解し合えるまでに深くもなった仲が最高潮となった時に迎えた、高校生活最後の時に。碎王は、宗谷によって校舎の屋上へと呼び出されていた。

 そこで何を言われるのか、碎王には既に分かっていた。宗谷と過ごした三年間は、これまで生きてきたどの時よりも貴重にして大切な歳月となった。それが終わろうとしている。

 これより先は、互いに別々の大学へと進むことが決まっているからこそ。

「これ――」

 卒業生の証しである胸章をつけた宗谷が、碎王に差し出したのはビロード製の箱だった。

 碎王は何も言わずに一先ず受け取る。大振りな手の平にも馴染む、柔らかと触れる箱の蓋を開ければ。時を刻む懐中時計が中に入っていた。

「僕たちが。確かに出会った記念として、良かったら――」

 はにかんだ宗谷の顔が、照れたのかほんのりと色づき。碎王は、そんな宗谷もらしいと思い。「んん」と喉を鳴らして応じるのだった。

 これからも共に、たとえ離れ離れになったとしても同じ時の中にいることを忘れぬ為にと。

 勉学に励み、それなりにバカもした。遊んでは笑い、ふざけ合っては本気の喧嘩もした。汗と涙も流して切磋琢磨をしてきた、まさしく青春であった集大の絆を肌身離さぬ懐中時計に込めて。


「――何で!」

 繰り返される言葉に、退避地点で集った面々の顔も浮かない。最も厳しい表情を浮かべているのは、直に作戦を持ち掛けられて許可をした碎王、その人だ。

「何でこんな!」

 制する腕を振りほどいた雪夜は、碎王の逞しき胸倉を掴んで揺さぶった。宗谷は最前線に見置く駒ではなかったはずなのに。この期に及んでなど、あまりに理不尽ではないか。

「何で――っ!」

 誰かを犠牲にしての作戦などもあってはならないはず。それがこんな時に。こんな場面だからこそであっても。雪夜の中では消化できない怒りとなって、今は目の前にあるものにしか当たれない。

 碎王もまた、宗谷より贈られた懐中時計を大きな手の中で握っていた。いぶし銀色をした、カバー蓋のない透明なガラス面だけのそれはとてもシンプルなもの。

 運命は何度も悪戯をしてきたのに結局、最後はまた二人のコンビとなって今に続いてきたその縁をじっと見続け、思い出を重ねてきてくれていた時計の針は。碎王がぐっと強く握った圧力によって、刻み進むのを止めてしまっている。

 先にちら見した時には戻ったかに見えていたものも動きを止めて。ガラスの蓋に斜めの線を入れてひび割れたものも、重く拭えない責となって男の肩に、心に伸し掛かっていた。怪我を負った訳でもないのに胸が痛い。息が苦しい。いっそのこと、己の心臓も止めてしまいたい衝動にも駆られながら。

「雪夜」

 震えては俯く巻き毛のつむじを見下ろしながらで、碎王は言った。

「俺は……」

 けれど、その後は続かなかった。

 ――約束したのだ。あいつと。だから今は、耐えてくれ。


 光速の白き流星が、閃光を伴い暗き夜空を真っ二つに裂きながら着弾点を目指して飛んで来ている。

 白み始めた東の空と、暗くも煙る暗闇の間で。着弾しようとするミサイルの直下にいる人間は舞っている。のんびりと鼻歌でも口ずさんでいるのだろうか。迫る噴射音に耳を貸してタクトを振るう指揮者のように、旋律を詠んでは乗せる優雅な踊りを惜しみもなく披露して。その手に中に握るは、世に二つしかないあの日の時計。

 静かに、厳かにも時を刻む秒針は慎み深く。やがて、その時が来たかと満を持して、伏していた瞼がそっと開けば。直上に迫る弾頭を視界に捉えて「こっちへおいで」と微笑むのだった。


 もうすぐ夜明けだ。

 そうと思うだけでも希望が、どこからともなくやって来る感じがしていた。

 夜明けとは誠に不思議なものだ。

 毎日、当たり前にやってくるものなのに。毎朝、それは神聖にして新鮮に思えて、同じものは一つとなく。

 明るく晴れ渡る日も、雲に隠れて雨に沈む暗き日も。陽はへ込むことなく必ず昇る。

 それは地球が止まることなく、ずっと前に進み続けている限り。時を刻み続ける限りで回る尊き輪廻。

 夜も明ける。明けぬ夜などないはずなのに、捕らわれ。抜け出せずもがくものにも必ずや、明けては沈む鼓動は止まらない。

 それが嬉しくもあり、儚くもある間合いだからこそ。生あるものは神秘をも感じられるのであると――。だのに、いつだったか。目覚めた自分だけが回っているはずの世界から、ぽつんと取り残されていることに宗谷は気付いた。

 そこは無音と無情が支配する時の狭間で。隙間より抜け出すには信じるしかなかった。必ずここから抜け出せると強く、誇り高くに信じる大きな力が必要だった。

 さすれば、己を信じてくれようとする者の大きさにも気付けた。強く、大らかで包み込まれる優しさも温かく。

 自分はずっとこの人について行こうと決めた。信じてくれた恩返しもある。何より、碎王という男の役に立っていたかった。

 それが己の道。己がこの世界に生をもって生まれ、成し遂げるべきの道すがらと終着点の全てが、その男に繋がっているのだと確信もして。


 無人など無縁であった首都、東京は新宿のど真ん中で。宗谷は一人、大気の息吹を撫でている。

 なぞるは風の鼓動と、かすかな耳鳴り。夜明けを待つ都心の空は、東が白み、西には深き闇で眠る境の間。それは見るも悲しげであっても、美しき瞬間でもあると宗谷は思っている。

 近くで、ぐるると唸ったのは正念場を迎えたビクトリアの嘶き。「お前は何だ?」とばかりに黒き流動タールの巨体を屈め、悪臭も漂う鼻息がかからんばかりに。小さきものが何をするつもりだ、と踊る宗谷へと顔を近づけてくる。――害はなさそうだ、この男。線も細い体はひょろひょろで、丸腰無防備とは食うにも足らぬかと、ビクトリアはほくそ笑み。宗谷は慄くことなく、きっぱりと告げたのだ。

「あの子を返して」

 何度倒しても朽ちぬバグジー、ビクトリアと宗谷は無人の都心で二人きり。

 この時、既に勝負はついていた。


 着弾点へと誘導されたミサイルが、その目的とした地で爆発的な花を開かせた。直視するに堪えない火の粉の発光が、閃光となって弾けるのが先で。ぽむ、と弾ける感覚も後から迸る。

 垂直上と水平上に噴出した半円の噴煙は、肉眼でも捉えられる透明ドームを形成しながら空に漂っていた雲すら波立たせ。遠く離れた退避地点にも遅れた衝撃破に続いて、鼓膜を劈く爆音が後から届く。振動、波動。そして一度は去りながら、押し戻されては再び風に流された大量の土煙たちが地を這い回る。

 ぼふん、と大きく噴煙を上げた黒煙の翼は、夜の帳を背景に巨大な両翼を広げ。あまつさえ、今に飛び立たんがばかりに珠を成した風圧が膨らんでは萎む。と同時に生まれる「まさか」と思う直感が無きにしも非ず。

 着弾地点には、爆炎の大元であった証しの大きなへ込みが円を成す。つまりはそれこそが爆心地点で、そこには宗谷がいた。しかしその姿は、何をも根こそぎで吹き飛ばした一瞬の爆撃によって跡形もなくなっている。

 世界に誇った首都の一部が、一発の弾道によって撃滅し、その姿は地図上からひっそりと消えていた。


 確かに始まってしまっていたものはもはや、止める術などどこにもなくて。雪夜の足がどれほど速かろうとも間に合わなかっただろう。

「嫌だよ……、こんなの!」

 雪夜の眼尻に涙が溜まり滲もうとも。防御態勢を取っていた碎王は、過ぎゆく風圧の壁をやり過ごしながらも、盲目的に一点だけを眺めている。

 爆裂の余韻冷めやらぬ光の粒が、キラキラと粉雪のように舞い散る眩しき夜明けを受け入れようと――空に染み入る光景をただじっと、見届けるかの目は細まっていても完全に閉じられることはない。

 祈ろう。あいつが信じて咲かせたその花が。やがてはしぼみ、種を落として次なる芽を出すその時を――とする碎王の決心は、信じていると繰り返し念じる、心の奥底で呟かれている。

 その片手に握っているのは、宗谷と揃いの懐中時計だ。手中にあるものへ、ちらりと視線を落とせば、爆破の衝撃を受けた所為か。先まで時を刻んでいた針が、ぴたりと動きを止めてしまっている。

「――宗」

 仲間内で使用していたイヤーマイクも、激しく乱れた磁場と磁器の損傷によりイカれて途切れ、使えないものへとなっていた。

 これでは外部への通信手段も絶たれた、孤立無縁状態だ。

 

 宗谷が実行した渾身の一撃によって、全ての決着もつくはずだった。だのに一通りの爆風と爆煙が収まり、後に残ったのは。新宿のシンボルやその周辺が大きくへ込んで崩れた更地と残骸。

 ひゅるりと鳴いた大気の摩擦が啼きやめば。遮るものすら失い、息を呑む森閑だけが訪れる。

 何もない。何をもが無くなってしまったその窪地には、大切な仲間の姿もなく。大きく聳えていたはずのビル群らの影すらもなく。地上を走っていた列車はもとより、地下に潜っていた地下鉄や道路の断面片がむき出しの穴をぽっかりと開けている。

 固い岩盤の隙間からドバドバと漏れ出ているのは地下水か生活用の排水路かの区別もつかず。歪んだパイプに、ぶち切れて垂れ下がる回線類の端では、漏電が始まっている光景を。最前線に立つ碎王たちはただただ口を噤んで見渡している。

 誰もこんな終わりなど望んでいなかったはずだ。もっと他に手はなかったのかの後悔、先に立たず。

「……ママ」

 雪夜の足が、よろけながら碎王の一歩前へと歩み出れば。押さえつけておく必要性はなくなったとして、その腕を掴んでいた碎王の手も放れた。

「雪」

 対飛来外来種の仕事をしていると時に、哀れむという言葉の意味を吟味したくなる事がある。いずれにせよ明確な答えなど出やしないのに、生あるもの同士が互いに食い潰し合う姿は滑稽で、虚しさのあまりに、もっと上手く巡れないものかと苛まれるのも碎王の本音だった。

 そうと思わせる現況が今まさにの目の前で、三度の復活を遂げれば猶更のこと。だからなのか、しぶといと述べる言葉も今度は簡単に呟けもしない。背中越しの三者三様で「そんな、まさか。まだ倒れぬか」と思う気持ちだけが空回りと共に一致して。

「嘘、でしょ?」

 街一帯を、一発の弾道ミサイルで窪地の広野にした宗谷の一撃が。ビクトリアを倒すに不十分であったと知らしめる黒き影が、今一度の狼煙を上げていた。


 光と爆破をもたらした地の中心地点より、ゆらりと揺らめきながら目覚めたものは。最初は一本の細い糸だった。

「あいつ――」

 地の底より沸き上がってくるものが根本より束を成し、帯となり幹を形成しては、高く聳える大木の姿と成りながら巨木へと変貌してゆく。

 伸びきった黒のタールが、根本の途中より何度も何度もぶちぶちと千切れようとも、生き延びようとする懇願の再生輪廻が上回る。

 足先だけであったものが大腿部を露わにしては、下腹部を作り上げて胴体を象った最後に。高く、のろくもゆっくりと肩越しより持ち上がる頸椎からの首や頭部。そして、高見より下界をみくびるかに見下ろされるのは、淀みきったタールの瞳。

 黒く濁った光のない目が、ぎょろりと碎王たちを見下ろせば。

「雪!」

 碎王が雪夜の背後より腕を巻き付けて抑えつけようものも、激しく悶えられて振り回された。そこで振り切れていたものは緊張の糸でもない、怒りのベクトルでもない、何か得体の知れない感情の尾。

「雪っ!」

「お前を――」

 碎王の腕を振り解いた雪夜が指さす先は。巨木の中にもぽっかりと、穴を空けた空洞よりのし上がりながら咆哮するもの。まるで、人間のする事など些細なものだと嘲笑い、せせら笑うかの如く。

「ぶっとばす!」

「雪夜!」

 許さない――。こんなにまでして倒したいのに、朽ちぬものを知らない。閉じ込めたいのに黙らないもの。耐え難き犠牲を払ってまでもして守りたい大切なものを奪い、踏みにじったものを。取り上げるものなど。

「絶対に!」

 イライラするもどかしさ。渾身を込めたものを薙ぎ払うものは尚のこと。何度も何度も指を突き立てながら。

「許さない! お前を! 僕が! ぶっとばしてやるから!」

「雪……、っ!」

 頼むから――そこにいろと睨み、蔑んだ雪夜の形相は我を忘れた鬼のよう。眉間は荒立ち、鼻に筋を立てて威嚇に燃えるその姿に纏うは奮闘を誓う蜃気楼。

 膨れ上がる憤慨は更なる怒気を呼び。方々から集まりくる電磁の伝染が、街灯や街頭のテレビモニターなどへノイズとなって映り込み。弾ける小さき摩擦は摩擦を呼び寄せ、時に激しくスパークをも募らせて。

「お前を! 許さない!」

 募る怒り、憎しみ。激しい衝動。見開かれた雪夜の瞳から、ぽつりとこぼれ落ちたのは一粒の。頬を伝った一筋の涙腺は、顎をなぞった先で地に落ちる。

「ぶっとばす!」

 だから連れて行って。僕を、あの人のところへ――と望む気持ちが、何をもを振り切ってしまう。

 それが合図ともなったか。先制のビクトリアは白む東の空に気付き、背を向けては巨体の根をぶち切って空へと舞い上がった。

「何!?」

「飛んで逃げる気だ!」

「雪夜、待――っ」

 飛び出しを予感した碎王が伸ばした腕も宙を切り。懐中時計を握っていた手がチクリと痛んで目をやれば。割れたガラスの破片が肉に刺さって流血していた。

 止まってしまった時計の針は、その矢をもってして碎王をその場に縫い留めたかのように動かない。


 大学こそ違ったけれど碎王と宗谷は、週末の度に顔を合わせては友情を育み。それを全て見届け、いつだって見守っていたのは揃いの懐中時計だった。

 やがて大学を卒業した二人は同じ方向を見定め、結局は一つの場所で集った。やはり俺たちは二人で一つのようだと碎王は語り。宗谷も面と向かって告げた。

「この懐中時計にも誓います。僕にある、残された全ての時間を碎王、あなたに捧げると」

 最初こそは「何を大げさな」と碎王は苦笑いを浮かべるだけだった。なれど共に過ごす時間が過ぎれば多くなるほどに。宗谷が告げた意味を、碎王とて深く理解できるようになっていた。

 だからこその碎王も、宗谷に宣誓を返していた。

「俺も。お前のすることの全てを信じるよ」

 宗谷が諦めぬのなら、自分とて諦めない。宗谷がやれると信じるのならば、誰よりも信じることを貫くと。

 宗谷はそれだけの男だった。碎王にとって、心から信頼に値すると惚れた酔狂にも似た信頼感は、積み重ねてきた分だけぶ厚くも深く。多少のことでは揺るがないものへともなっていたはずだ――。

「碎王」

 名を呼ばれ、振り返ったそこには。ビクトリアの毒気でやられた直人の姿があった。

 ピックスの中で治療を受けている体は、横にしていなければ辛いはずなのに。

「どうした? お前は休んで――」

「俺も、ぶっとばしたい」

「あ?」 

 アンディに肩を担がれながらも、直人は自身の足で大地を踏みしめ歩いている。

「アンタは、勝算のないいくさはしねぇはずだ」

 弱った体力が短時間で回復するはずもない。だけれど今は非常事態。一人の戦力だって失うのは惜しい。

「ったく、あの野郎。人を勝手に巻き込んでおいて、一番大事な時には用はねぇってか? ふざけやがって」

 心中を一気に吐露した直人は一呼吸を置いてから、アンディに「もう大丈夫だ」と手で合図を送りながら鼻を鳴らした。「てて」と片腹に手を当てて顔を顰めたのは、毒気を中和する薬の副作用によるもの。それも時間の問題で、今に消える。

「これで終われるかよ。こんな結末、俺だって認めねぇ」

 片耳に装着していたイヤーマイクを手に取った直人は「くそったれ」を添えると、壊れた装置を投げ捨てていた。


「俺もだ」

 追従したのは遼臥と。俺もだと、アンディとて同意の無言で頷いている。

「お前ら……」

 何故にそこまでと碎王は一人、一人と一同を見渡す。そして。

「そうだよ。そういうとこ、時々パパってずりぃや」

 夜鷹がこの重大な局面において、にぱっと破顔していた。

「夜明けに賭けてんでしょーよ?」

 ずばりの本懐を突かれた碎王は、一瞬戸惑いを見せてから緊張の糸を緩ませる。

「そうさな」

 チームの柱が今一度、その役割を果たそうと芯を構え直す。

「あの飛来外来種バグジーにとって、夜は独壇場だ。そこでどうこう足掻いたところで、俺たち側には成す術がない」

 だからその境を狙うしかないと、碎王は既に睨んでいた。

「パパさぁ?」

「ん?」

「ビクトリアが巨大化し始めたのって、陽が沈んでからなんでしょ?」

「その通りだ。それまでは交差点から出ることも出来なかった」

 だのに決定打には欠けた。

「だったらやっぱ。この飛来外来種バクジーは、夜の中でしか生きられないんだ」

 さすれば夜明けを待てば勝機あり。されど、その夜明けと共に逃げられもするということ。

「夜は、その事に気付いたんだ」

 己を人身御供かのようにして。必死に縫い留めるアンカーを打ち込むうちに、それも食いちぎられ。夜乃はビクトリアに取り込まれてしまった。

「雪も。それに気付いてる」

 夜鷹に、アンカーの打ち込みを教えてくれたのは夜乃だった。明けぬ夜などないと教えてくれたのも――。


 誠、人とは勝手だ。

 人類初の宇宙旅行でも行程は片道切符であるものを買い求め、帰れぬ旅路についておきながら。もう一度、地球に帰りたいと後悔の念に溺れた者たちによって、片道の燃料しかなかったシャトルの中で醜い争いが起きていた。

 そしてシャトルは、偶然にも人間が生きていけるだけの環境が最低限ほど整った星に辿り着いた。そこで醜き欲望に駆られた人たちによって、己らこそが未踏の地の、星の支配者であるかに。弱肉強食の小さき王朝を敷いた。

 強き者たちによって弱者いじめが始まり。強きものだけが生き残り、弱きものたちは実験台ならぬ奴隷扱いとなった先に希望などあるはずもなく。

 そもそも、宇宙の果てで命尽き果てれば本望だとして出発した母星に再び、今度は絶対的力を手に入れた王者として舞い戻ろうと目論む大人たちの、一番の犠牲になったのは連れ立った子供たちだった。

 親は選べぬ、諦めろと同船者の誰かに言われた。

 人類初の片道切符に乗船できただけで幸運にて。栄光と光栄に思えと囃し立てられ。訳も分からぬうちに旅立ちの日を迎えたあの日。

 打ち上がったスペースシャトルの分厚い窓越しから見えた地球は、確かに光を浴びて浮かび上がっている面は青かった。そして、夜を迎える黒の反面より神々しく射す、力強き夜明けの光も眩しくて。

 肩越しに「もうここには戻らないのよ」と囁いたのが、母親だったのかの記憶もない雪夜にとって。あとに残るは永遠に思えて退屈だけがやたらと長い、真っ暗なトンネルしかなかった。

 時が来るまで、ただのひたすら旅をするだけと言われても。それが何であるのか、何を意味するのかも理解できずに。

 繰り返される実験も怖くて。嫌だと泣いて喚いても、大人たちは自由の一つすら許さなかった。

 ついに雪夜は墜落した一粒の種の中から逃げ出した。

 どこをどう彷徨ったのか、辿ったのかもどうでもいい。

 欲望渦巻くシャトルの中から逃げ出せれば、それでよかった。


 裸足で這い出たそこは、零下の惑星だった。どこまで行っても暗雲から降る雪と降雪によって支配されている灰色の世界だ。

 追ってくる声が聞こえなくなるまで走った後で、足先も指先の感覚もなくなっている事に気づき。ついには倒れた先で動けなくなった。

 燦々と、しとしとと。粛々と降り積もる雪に自身も埋もれながら。――あぁ、ここでようやく眠れるのかと思った時に。雪夜の脳裏には尊き命の星、地球の青さが浮かんだ。

 もう一度だけ、あの光景を見たかった。

 もう一度あの、目が眩む夜明けを浴びたいと思った。

 さぞやそれは暖かいだろう。――ここは、あまりに寒すぎて。

 あの日以来。長い間ずっと暗い夜は明けぬまま。――このまま、暗い夜に包まれて死ぬのは嫌だ。

 帰りたい。温かな懐に抱かれるぬくもりを感じたい。でも、願う体はもう動かない。

 どうして、こんなところで彷徨う自分は一人でいるのかと思う心も凍りつき。雪夜は考えていた思考も手放した。まどろむままに眠ったら、或いは夜明けが迎えに来てくれるのではないかと――夢にも見れず。

 

 しかし、雪夜は一人ではなかった。

 シャトルに乗り合わせていた孤児みなしごたちは合わせて五人いた。一人は緊急着陸の際に命を落とし、一人は実験台の果てに力尽きた。そして残った三人の内の一人が――。

「一緒に行こう」

 大丈夫。きっと帰れるから――と、雪野の中から雪夜を救い出し。自身の手足にも軽い凍傷を負いながら、残る一人が待つ脱出艇にまで連れ帰った。

 不時着した母船シャトルに、たったの一つだけ取り付けてあったそれも、どこへ行こうにも片道切符だけれども。大人一人が入れるだけの、水や食料なども一切ない箱舟に、三人の子供たちは自らの意志で乗り込んだ。

 そこにも希望や展望はないけれど。この極寒の星で終わるのなら、まだ違う空間のほうがましであるとする本能に従った小さなどんぐりは、夜が支配する氷と雪の暗雲星を飛び出した。

 その後、その星は静かに終わりの時を迎えるも、子供たちは知る由もなく。三人の小さき子たちは、狭い艇内で肌を寄せ合うだけで幸せだった。

 小さな小さな冒険も、やがては空腹の時を迎え。そんなささやかなる時間も静かに止まりかけた時に。それこそ偶然、漆黒の中を流れる虹色の列車に拾われた。


 夜明けが来た。

 夜を切り開こうとした、夜乃の諦めない強い意志と。

 研ぎ澄まされた五感によって、諦めない希望を感じられるようになった夜鷹の志と。

 諦めずにいれば、必ず夜は明けるのだとして。奇跡を手繰り寄せられるようになった雪夜と。

 救える者があらば救いたいと願った先で、帰れぬ隙間に落ちてもなお、腹を括れぬままでいた男が。暗黒の遍路で交叉した。

 全ては、もう一度取り戻したいものがあると願った、切なき果ての。


 だから、余計に。

「――夜が。最後まで諦めないのを、雪も。俺も知ってる」

 碎王は陽が顔を出す直前の、青やピンク、オレンジ色がコラボを成す朝焼けが見事な東の果てを見据えている。

 こんな空を見せつけられるからこそ、なる口は噤みながらで夜鷹の言葉を聞いている。

「ま。そんな事、口でどうこう言っても。信じて貰えねぇかも知んねぇけど?」

「――いいや。信じてるさ」

 まもなく射し込むであろう陽の光が、新たなる始まりであるとも信じたい。

 ビクトリアが夜の中でしか生きられないというのなら。理屈などではなく、今はただ。なるほど――と頷くだけの糧になる。あの後光に感動を覚えぬ生命など、あってはならない。生きているからこそ、眠りしまた目覚め、生命の尊きを感じるもの。それより背を向け、漆黒の中だけで小癪に生きようものとはやはり相容れられぬ。

 故に告げる。たったの一言で、ここに集った家族にして尊き仲間には通じるだろう。

「取り戻そう」

 その目が捉えるものは、決して負けはしないと滾る核心たる決意。

「無駄にはしない。――アンディ」

 自慢のピックスを背後に控えさせている男の名を、碎王は呼ぶ。

「雪夜を頼む」

 怒りで我を忘れ気味の相棒に加勢をとした碎王の意図を、寡黙な男は視線だけで快諾をし、呑み込んでいた。アンディとて時の流れの狭間で苦労してきた背景を糧に今に至る。今更、これしきの事で動揺などするものか。

「遼臥、直人」

「言わねぇでもわかってんよ、大将」

 遼臥が口の端をにやりと上げながら告げた。

「アンタの一撃に、俺らは賭けた」

 愛銃をも掲げれば、新たなる忠誠を捧げるかのようで。

「何秒稼げばいい?」

「きっちり四十秒」

「何それ」

 茶髪の上で手を組んだ夜鷹は「楽勝すぎて、つまんないの」と口を尖らせ。「でも俺。パパのそういうとこ、すげぇ好き!」

 喜怒哀楽を如実によく表す表情は、コロコロと人懐っこく破顔して。碎王にも余裕の風格が戻ってきていた。これぞがシーラだ。

「始まりの合図は知らせずとも、お前らになら必ず解る」

 仲間同士を繋ぐ大切な通信手段でもあったイヤーマイクが壊れてしまった今、分散してしまった後での確認事項は全て自己判断となる。

「オーケー。まかせろ」

「俺らに構わず、ぶちかましてくれ」

 直人は、夜が続く西の空へと飛び逃げたビクトリアを追って行っている雪夜にも向けて叫ぶ。

「ホントに甘ぇんだよ! その根性、俺が叩き直してやるやら雪夜! 何が何でも夜乃のヤツを連れて帰れ! 一発ぶっとばしてやらねぇと腹の虫がおさまらねえ!」

 碎王は仲間たちの背や顔を見ながら、頼もしさを思う。――そうさ。妄想するにも命を削っている。友に。家族となった仲間に恥じぬ一撃を。一瞬を。この手の拳に込めよう。

 眼に宿るは気高き鬼神の。握る拳は唸りを上げて。暗くも深くにまん延した絶望の稜線上は今。紛うことなき一打と、一心の決意のみで一致の団結を図ろうとしていた。


 そこへ滑り込んで来たのは、SFGAと描かれているロゴが入った一台のトランスポーターだった。

「お待たせしました!」

 到着するなり助手席側より飛び降りて来たのは、いつぞやの。

「アンタは……」

 その顔ぶれを見るなり、直人が絶句する。

「詳しい話は後で」

 そうと告げて、トランスポーターの中から降り立った男たちへ向けて次々と指示を飛ばしているのは。

「萩野!」

「ありがとうございます」

 彼女に手持ちのトランクケースを渡したのも、確か――。

「親野辺、急げ」

「今行く」

 嶋野木に呼ばれ、降りてきた後方のトランスポーター出入り口へと戻って行く親野辺の背を見送りながら、萩野はケースの中から小指より小さな機具を取り出した。

「新しいインターカムをお持ちしました」

 全てを予期していたかの状況が、寸前のところで転がり込んでいた。

「何でアンタが?」

 驚愕の面を浮かべている直人に、萩野は言った。

「シーラトゥーから事前に要請がありました」

「宗谷から?」

「はい。これまでより強力な、新たなインターカムが必要になると」

 萩野は二人分を残した装置を、集った面々へ次々に手渡して行く。

「着替えもお持ちしましたが――」

 流石に女性は細かいところにまで気が回る、と碎王は心の中で感心しつつ。「いや。もう充分だ」と短く告げて終わらせる。

 羽生組はずぶ濡れのままで長時間を過ごしていたものも。熱戦の間で生じた不快感は、より別のものへと変わってしまっている。

 それよりも。

「そのユニフォーム……」

 遼臥が指差した先には、揃いのユニットブルゾンに入った見知れたマーク。

「えぇっと――」萩野は照れながらも、まずは先を急ごうとトランスポーターの側面壁を手のひらで二度ほど叩いた。「本当にお話しすると長いんですけど。私たち、皆さんシーラのお手伝いをする事になりました」

「はぁ?」

 頭部で組んでいた指を解いた夜鷹も、素っ頓狂な声を上げている。

「何それ?」

「実は――」


 碎王たちと別れ、自称抗い屋と誘い屋を連れて安全圏へと脱していた際に。萩野たちは偶然にも、SFGAのロゴを大きく入れた大型のトランスポーターとブルゾンを纏う公的機関の連中と鉢合わせた。

「エスエフ、ジーエイ?」

「フィーガです。対、飛来外来種専門の。最前線チームをバックアップしているアンダーユニット――って、言わなくてもわかってるでしょう?」

 揃いのロゴ章も胸に付けている黒服の者たちは。碎王から指示された通りの言葉を伝え、やっかいな連中たちを引き渡してきた萩野らをフィーガの一角を担う、碎王率いるシーラの一員であるとすっかり誤解していた。

「シーラ隊の方ならそうと、初めからおっしゃってくだされば――。前線ではこれを着てください。そんな恰好では一般人と間違われてしまいますから」

 いいや、自分たちは――の振り手も有無も言わさず。三着分のブルゾンがそれぞれに支給されてしまう。

 何がどうしてこうなった、と本人たちすら戸惑う流れを切れぬままに。萩野は、ブルゾンの袖に腕を通しながらで訊ねる。

「どうしてSFGAで、フィーガなんですか?」

「Sが発音されてない、ですよね?」

 黒服の隊員は、次なるアタッシュケースに手を伸ばしながら答えた。

「今でこそ公認のシーラ自体は元々――いえ、事実上は今も、ですけど。母体は有志個人の私設ですからね。後から発足したフォックスとゴッズ、アロウズは、それぞれの政府が急遽とは言え、それなりの面子でこさえた専属軍隊ですから」

「それで、Sは無いもの扱い、ですか?」

「まさか!」

 隊員は誇らしく笑みを溢した。

「我らのシーラこそが対飛来外来種、フィーガの真髄です。だからこそ我々も、命がけで戦う彼らのバックアップ隊として誇り高く、ここに居られるんです」

 あなた方もそうなのではと、逆に視線を投げかけられては。猶更一層、否定など今更言い出せやしない。

「そのシーラトゥーからの連絡で。現在使ってるイヤーマイクがこの後、磁場の変動で使えなくなりそうとの事でしたので。開発中だった最新のインターカムを急ぎ取り寄せました」

「インターカム?」

 萩野たちは、矢継ぎ早に繰り出される説明と、目の前に差し出される銀色のケースに釘づけとなる。

「これはこれまでにない頑丈なヤツで、磁場の影響もほとんど受けないとか。噂では月の裏側とでも交信できるとかないとかの優れモノです」

「はぁ……」

 ケースの中身を見せられては素早く閉じられた先で。

「シーラワンに届けていただけますか?」

「え。俺ら――が?」

 何故にと、親野辺と嶋野木も度肝を抜かれる。

「えぇ。最後に彼らと接触したのなら、今。大体どの辺りに居るのかの予測がつくでしょう?」

「予測って、そっちでも捉えてるんじゃ?」

「ほら。バグジーと交戦すると磁場が大きく乱れるでしょう? 流石の我々とて、正確な場所は現地まで行かない限り、把握は難しいので」

 それに、と隊員は続ける。

「我々はまだ、退避区画の整理が残っていますので。お願いできます?」

 出会えて丁度良かった。アタッシュケースとトランスポーターを託したいとする視線も交叉した。


「――とまぁ。ざっとそんな感じの流れで、私たち。皆さんのお手伝いをすることになりました」

 最初こそは戸惑ったものの、今やその陰は窺えない萩野の。凛とした表情は興奮で赤らんでも見える。

 こんなチャンスは二度とないはずだ。その手に握った無線シーバは一員を受け入れた証し。

「先の一撃で乱れた、軌道観測衛星ファーボとのラインはグリーンです」

 ファーボの存在を知ったのなら、確かにフィーガの一員であるとして、碎王は。彼女らが関わってしまったその後の経緯を詳しく尋ねることを即座にやめた。今は、一秒とも無駄には出来ない。

 トランスポーターの中に消えていた親野辺が、ひょっこりと頭だけを出して顔を覗かせる。

「萩野。オールシステム、アゴーだ」

「了解」

 親野辺に続いて、嶋野木も眼鏡のブリッジを上げ直しながら姿を見せた。

「バックアップラインもリフトアップオーケーだ」

 それを聞いて大きく頷いた萩野は、力強く碎王に述べた。

「こちらのことは万事、お任せください」

 碎王もまた、こくりと頷く無言で「頼んだ」の同意を送ると同時に、仲間を顧みる。

「ようし。決着をつけよう」


 そうして新たなインターカムを装着したシーラの面々は碎王を一人、爆心のくぼみに残し。闇に沈む大空へと逃げ行くビクトリアの後を追い始めた。

 アンディを操縦者としたピックスに同乗しているのは直人と遼臥、それに夜鷹だ。

 飛び立つ列車を間近で見送った親野辺は「悪くないな」と呟く。だってそうだろう。虹色の光粉を撒き散らしながら、宙へと垂直上昇してゆく列車などそうは見られない代物だ。紛いものではない、本物を目前にできるこんな今日があるだなんて、昨日までは想像もしていなかった。

 巻き込まれた面倒は御免だけれども。命を懸けて意志を貫く男たちの最前線で、その一員としていられるのは夢のような空間でもあり。何より不思議と生きている心地がしている。こんな勘当は、妄想では決して得られない快感だ。

 ここへ来る途中の、トランスポーターの中で萩野も嶋野木たちに本心を晒していた。

「私……」

 非常時だったとは言え、そのノリと勢いと間違われた勘違いで辿り着けたもの。

「やっと自分らしくいられる場所、見つけた気がします」

 これまでの人生を偽っていたとは言わない。けれど果たして、自分らしかったと胸を張って言えるだろうか。

 怖い思いをすることに変わりはないのに。おかしいですよね――と、はにかんだ苦笑を。嶋野木は真面目な面持ちで受け止めていた。

「いや。わかるよ」

 眼鏡のガラスについた埃を、ふっと息を吹きかけて飛ばしてからかけ直す。

「俺も。本当の自分に戻るよ」

 そうだ。自分はもっと積極的であったはずだ。いつから保守的になったのか。アドレナリンが全開になる感覚をいつ、なくしてしまったのだろうか――。

「昨日と同じ今日など。くそくらえだ」

「おっと。言うねぇ、嶋野木さん?」

「煩い。嶋野木でいい」

「んじゃ俺も。親野辺でいいっす」

「では私も。萩野で」

 ただの外野であったはずの三人は。出会ったばかりの縁が、遥か昔より繋がっていたかの感覚に陥りながら。誰からともなく手を出し合い、重ねていた。

「やろう。今、俺たちに出来ることを」

「あぁ。悪くない」

「やりましょう!」

 今に来る夜明けは、きっとこれまでにない。昨日までのものとは違うものになるだろう。

 それに賭けてみようとした手と手が、一打を穿った。


 やがて、その視界の全てが黄金色に染まり。神々しき明るさを反射して、浮かび上がる人影も呑み込むかに包まれる夜明けと夜の稜線上で。光と影がぶつかり合い、フレアのカーテンを遠くにまで靡かせる光景を見届けることとなる。

「夜ーっ!」

 煙る向こうへと延長された、夜明けの決戦。


 カーライルも言った。全ての気高い行いの最初は、不可能から始まるのであると。

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