28.神が与えた烙印


 声が、聞こえた。


『壊してしまいなさい』


「誰、なんだ……?」


『それは烙印。世界を保つために神様が与えた、偽りの敗者。善も、悪も。分け隔てなく、あなたが望むなら神様さえも』


 聞き覚えのないその声に、不思議と従うことに抵抗はなかった。



 ***



 面は式神を現世にとどめておく楔のようなもの。

 楔を失った式神のギンはふらふらとよろけるように体制を崩した。倒れる彼女の視界がぐるっと神楽殿の天井を見上げた時、身体が浮くような感覚に身を預けた。

 突然の小さな突風にダリアは目を背けた。空気とは違う、魔力を含んだ風だった。再び前方に目を向けた彼女の顔から余裕が消えた。

「何者ですか、あなたは」

 祭壇のはるか後方、

 意識を失った妖狐ルナトリアを連行するために、彼女をかついでいた白騎士ティアは目を見開いた。フェリとゼノスも同様、舞台上での出来事は彼らの注目を集めた。


 ギンの視界に入り込む横顔。ぼやけるピントを意識させながら顔を見上げた。

「イツキ、様……?」

 彼女の背を受け止めていたのは即死したはずのイツキだった。胸には風穴がぽっかりと開いたままだ。髪は白く染まり、瞳は金色に輝く。しかし彼の容姿は残したままで、以前のように女体化はしていない。

「どうして逃げなかった」

 と、彼はとても落ち着いた口調で一言。

「ボク、は……あなた、の……式神、ですから」

 潤ったその瞳が一瞬、宝石のように輝いて見えた。ギンを中心に弱々しい翡翠色の光がいくつも浮かび上がり、その光景、その儚さは蛍を思わせる。途切れ途切れに言い切ると笑って見せ、楔を失った霊体は彼の胸の中で消滅した。どうして笑顔を見せたのか、イツキにはわからなかった。


 ダリアは目の前にいる不確定要素に考えをめぐらせた。

(再生……いや、再生とは全くプロセスが異なる。まさか蘇生したとでもいうのですか)

「正直驚きました。ですが残念でしたね、遅すぎですよ。今頃あなたが出てきたところでこの状況は何も変わりません。もしもこの茶番が物語りだとしたら、あなたは主人公失格ですよ。もう守るものは何もないというのにどうするんですか? 仲間を失った怒りが力に変わるんですか? 無駄ですよ、我々七英雄は一己で兵士1000人に匹敵する戦力。ここで刃向かうということはあなた一人で4000人の兵を相手にするようなもの」

 短い間でも、自分に忠実だった協力者の死。それでも彼は顔色一つ変えなかった。なぜなら彼の目的は最初からただ一つ。それ以外は眼中になく、仲間などという考えすら持ち合わせていない。フィレスさえも、手段という駒でしかなかったからだ。

「言いたいことはそれだけか」


 ──?!


 その動きに彼女は対応できなかった。

「ッくはっ……!!」

 ダリアの腹部に強烈な一撃。彼女はそのまま数十メートル吹き飛ばされ、城の壁面にぶち当たると壁を損壊させ木材などの破片が飛び散った。

 フェリは思わずその一連の流れを目で追った。少女にとってもそれは予想外の出来事だったからだ。

「何?」

「…………」

 ゼノスは何も言わずに祭壇を凝視していた。そんな中、イツキはおもむろに宙に固定された大鎌に手を伸ばす。ゼノスは直感で動いた。根拠はない。大鎌の制御を放棄し白銀の長銃を構えた。

 直ちに放たれる弾丸がイツキに命中────するよりも彼が大鎌に触れる方がわずかに早かった。


 彼がその柄を握った、瞬間。

 天まで伸びる螺旋の闇。渦を巻く闇が彼を包み込み、ゼノスが放った銃弾はその闇に喰われた。

渦巻く闇が晴れると、頭上に伸ばした彼の右腕は禍々しく変貌していた。指先には鎌のような大きな爪を有し、肘までを覆う異様な質感。その境目は生きた細胞を連想させるように曖昧で、異様なオーラが絶え間なく滲み出ている。

 吹き荒れる黒い風、その中心に立つ白髪のイツキ。

 彼は言った。

「──その真名を、魔王の右腕クイーンネイル



 瓦礫を掻き分け、遠くからその一部始終を見届けたダリアは驚きを隠せなかった。

「そんな。同調した……? ティアでも所持するだけでやっとだった魔王の不朽体を、人間スレイブごときが?」


 魔王の不朽体はイツキの身体に溶け込み彼の右腕と完全なる一体化を成し得ていた。ゼノスには理解、いや納得が出来なかった。

「…………魔王の再誕か。フン、笑えん冗談だ」

 フェリはぬいぐるみを抱いていた手を離す。熊に近いそのぬいぐるみは二本足でぴたっと自立した。

「ジェラルミン、あいつ殺して」

「…………ッ止せ、お前の人形ドールでは」

 ジェラルミンと呼称されるその人形。

 少女の手から離れたジェラルミンはぶくぶくと膨れ上がっていく。先ほどのような頭部だけの巨大化ではなく胴体も比例し5メートル近くになった。鋭い歯が剥き出しになった醜悪な外形は狂気に満ち、姿に不釣合いなカラフルな色彩がより不気味さを際立てている。

 のしのしとイツキが立つ祭壇に歩み寄り彼を見下ろすと、すかさずその豪腕から鋭いパンチが放たれた。激しい一発の炸裂音は命中時のものではない。ジェラルミンの眼前には平然と立ち続けるイツキの姿。

『なんで?』と言わんばかりに自分の右腕を見ると、ジェラルミンの右腕は跡形もなく消滅していた。

『よくもやったな』と言わんばかりにその巨大な大顎でイツキを一口。丸呑みにした、直後。

 ジェラルミンの頭部は木っ端微塵に吹き飛び、中からは無傷のイツキが姿を見せた。

 残された胴体はゆっくりと倒れ、見た目よりは小さな風を起こし土煙を巻き上げた。まもなくして蒸気のように気化して消えた。

「ジェラルミンが死んだ。びっくりね」

 フェリは無表情のままそう言うが、これでもとても驚いている。

「…………予備の人形ドールがないのなら去れ。この罪人への執行はオレが請け負った仕事だ」

「珍しく感情的ね」


 ゼノスは銃口を前へ向けた。

「…………罪人に神の慈悲を。咎人の執行に祝福を。安らかな断罪を祈れ。……光神化セレスティアルフォーゼ

 一発の銃声音を引き金に周囲の神力が騒ぎ出し、活性化したそれらは眩い光りを放つ。引き金を引いた左手には、下膊かはくを覆う1メートルほどの黄金の鉄塊。先端に銃口が存在する奇妙な銃器。

 さらに無数の銃器がゼノスの周囲に浮いている。形状は様々で、長銃、拳銃、大砲、弩。射出武器を網羅しているといっても過言ではない。多種多彩のそれらはどれも美しい装飾が施されている。すべての銃口には幾何学模様が刻印された半透明の光の輪が永続的に回っている。

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