27.英雄は虚像を背負う


 ゆっくりと開いていく扉。

 中から現れる巨体はそのまま地面に倒れた。首から上がないその亡骸はオーク兵のもの。傷口にはまるで何か大きな生き物に食われたかのような痕跡。

 その奥からやってくる二人の人影。

 一人は綺麗な黒い長髪を蒼い蝶を模した髪飾りでポニーテールにした女性。純白の制服に金色の刺繍がとても栄え、肩の肩章は高い階級を示している。

 泰然とした足取りでコツ、コツと靴底を鳴らしながら歩いてくる彼女の傍を歩くのは、同じく白を基調とした制服に身を包む少女。髪は耳よりも上で束ねられた長めのビッグテール。レースとフリルに飾られた華美な制服が特徴的で、袖口の白いフリルが花弁のように広がりその手には二頭身のカラフルなぬいぐるみが抱かれている。


 白騎士ティアはポニーテールの女性に問いただした。

「隊長、これはどういうことだよ。あたしが……あれだけ頼んでもヘイムダール進攻は許可されなかったのに」

「ティア、相変わらずの悪運ですね。無論ヘイムダール進攻は凍結されたままですよ。しかし、不朽体を奪った容疑者が逃げ込んだとなれば、上層部が躍起になるのは当然のことでしょう」

 納得がいかないのか白騎士は口元を噛み締めた。ポニーテールの女性、彼女こそが七英雄を束ねる長、救世主ダリアだった。魔王の首を刎ねたことで同族からは救世主と崇められている。その力量は、巨大国家となった神聖ウェミディオ帝国でも序列四位に位置すると言われている。

 ダリアは敵へ提言した。

「妖狐ルナトリア、我々の任務は容疑者の抹殺と魔王の不朽体の回収。ヘイムダール制圧の任は受けていません。これ以上の血を望まないのなら、大人しくそれを引き渡していただけませんか」

 ヴォルフが口を挟む。

「巫女様、ヤツらはまたすぐに部隊を送り込んでくることでしょう。今こそ戦いの時、都に展開している全軍を召集し戦うのです」

「そう、ですわね」

 この世は戦乱。いずれは、いつかはと、覚悟していたルナトリアは感情を押し殺した。

 強敵を前にして、片足を痛めながらも前へ出ようとするギンをヴォルフは片手で遮った。何も言わずヴォルフを見上げるギン。

「ずいぶんと昇進したようだが、この地は落とさせんぞダリア」

「あなたは……。どれも似たような獣だらけで気づきませんでしたよ。戦死したと聞いておりましたが、なるほど。生存していただけにとどまらず反逆者に成り下がっていましたか」

 狼の古めかしい軍服は、魔王討伐以前に帝国で使用されていた旧軍服。ヴォルフもかつては帝国の軍人だったのだ。

「反逆者、か。傲慢なのは相も変らぬな。私が従うのは己の忠義のみ。独裁で有無を言わさぬ神聖種に、魂まで売った覚えはない」


 ぬいぐるみを手にした少女は言った。

「あの狼、うるさいわね。殺してもいい?」

「いえ、この者は私が処刑しますよ。それにあなたに任せると捕獲対象まで皆殺しにしかねないので」

「そう」

 可憐な容姿とは裏腹に過激な発言を表情一つ変えることなく言う彼女の名はフェリ。その特異さから帝国内部では人形師の名で知られるポーカーフェイスの少女。七英雄の一人としてその実力も秀でている。


 ダリアは再び提言する。

「せめてもの手向けです、後腐れなく一騎打ちといきませんか。将軍である私が倒れれば、作戦は失敗とみなされ撤退する段取りになっています。ですが、あなたが敗れた場合は無条件でこちらの指示に従っていただきましょう」

「ふん、冗談も言えるようになったようだが、それでは嘲笑ちょうしょうしか誘えんぞ」

「警戒せずとも、他の者には手出しさせませんよ。この剣に……誓いましょう」

 ダリアは鞘から抜いた細身の刀身を額にかざした。


「……いいだろう」

 ヴォルフは刀を鞘へ収める。軍帽を脱ぎ捨て、腰を落とし柄へ手を添えた。最も得意とする抜刀術の構えである。互いに動かぬまま僅かな時間が経過した。

「どうした、何故構えぬ」

「おかしなことを言うのですね。ずっと待ち構えているではありませんか」

「抜かせ、無防備の相手を斬るなど我が士道に反する」

「安心してください。あなたの士道は永劫誇らしいものになるでしょう。この場、この時、私によって幕が下ろされるのですから」


「面白い。虚勢が遺言になっても構わぬのだな? 戦場では、例え赤子であっても手を抜かぬ。加減はせんぞ、全力で推して参る」

 ヴォルフは洞察を続けた。彼女の構えは依然として変わる気配がない。

(隙だらけではないか。よほど腕をあげたか? 例えどのような剣豪であれ、私の間合いに入ればそれを防ぐ手立てなどない。あと数歩……数歩前へ出れば、私の間合いだ)


 じりじりと、靴底を地面を擦りながら距離を縮めるヴォルフ。ダリアは動く気配が無い。そして、ヴォルフの間合いが彼女を捉えた。

「もらッ!!」

 間合いを一瞬で詰める突進からの連係。

 刹那、神速の抜刀術はダリアを割断かつだん。勝負は瞬く間には終わり、背を向け合う両者。狼は確かな手ごたえを感じていた。

 胸の傷は肺にまで到達し、利き腕をも斬り落とした。吐血する、

 ──ヴォルフ。

 ぐらついた足元が地面を数回こすった。

「ぶはっ……何、故……ッ……」

 狼を悠然と眺めるダリア。その身には傷一つない。彼女はゆっくりと剣を鞘に収めた。

「私はもう、あなたの知る私ではない。静かに余生を過ごすといい。その腕では、士道はおろか剣を扱うことさえ叶わないでしょう」

 反論もせず狼はそのまま倒れた。同時に、ゼノスを取り囲んでいた式神は翡翠色の炎と共に消え、封じ込めていた五芒星も消滅した。激しい動揺は術の精度を左右するからだ。

 不服なのはルナトリアだけではない。敬愛する同胞を斬られたオーク兵の眼前にはそのかたき。相手の力量を理解しながらも、オークは仇討ちに決起した。

「ヴォルフ様ッ! おのれよくも……!!」

 怒りに身を任せダリアへ猛進するオーク。

 ダリアは気にとめず、地面に伏した狼を見下ろし佇んでいた。彼女とオークの間に悠々と割って入る華奢な少女フェリ。

「邪魔だ小娘ッ!!」

 彼は巨大な棍棒を振り上げる。瞬間、少女の手にしたぬいぐるみの頭部が風船のように巨大化。巨漢のオーク兵を大きな口でパクり。まるで豆腐かプリンのように食いちぎられ、残った下半身がびちゃっと倒れた。


「ごめんなさい、うるさいから殺したわ」

「はい? ああ、その者なら問題ありませんよ。帝国が欲しているのは妖狐の力。彼女が扱う神導通は最強の防御結界。帝国ですらそれほどの結界を扱える者はいないでしょう。上層部が欲しがるのも頷けます。さてと」

 ダリアは血塗られた石畳をコツ、コツと進んだ。立ちふさがる最後のオーク兵。

「話を聞いていなかったのですか? 戦争は終わりました、あなた方の敗北です。そこを退いてもらいましょうか」

「貴様らに服従するぐらいなら死する方が報われるというもの、我らは最期までその誇りを捨てぬ!」

 オークの首は刎ねられた。

「そうでしたか。ならば、よかったですね。本望で逝けたのですから」

 巨体は倒れた。

 彼女はそのまま前へ進み、魔王の不朽体を御すルナトリアの元へ辿り着いた。

「お疲れ様です妖狐ルナトリア。回収は骨が折れると覚悟していたのですが、あなたのおかげで容易に済みそうです」

「……かわいそうな人、ですわ」

「何の話です」

「身の程を弁えながら救世主と持てはやされるあなたのことですわ」

「何を言い出すかと思えば。軍に身を置いたときから、美談など捨てましたよ」

 ダリアは掌をルナトリアの額へ向けた。一種の催眠術によりルナトリアは意識を失い、大鎌を縛り付けていた無数の鎖はブチブチを断ち切られていく。

「ゼノス、フェリ、すぐに中和チューニングを始めます」

「…………ああ」「わかったわ」

 祭壇後方十メートル、左右に立った二人は宙に浮かぶ魔王の不朽体に手を向けた。ダリアの横で白キツネのイスカンダルを抱いたまま突っ立ってる白騎士に彼女は、

「ティア、あなたは妖狐ルナトリアを連れて離脱しなさい。上空でイカロスが停泊していますので」

「ぉ、おう」

 イカロスとは帝国が所持する稼動可能な超古代技術ロストテクノロジー、“飛行宮イカロス”のことである。幅約250メートル高さ約50メートルの空中要塞で、要塞下部に装備された砲身長15m砲口径80cmのカノン砲三門は空から地上を砲撃するためのもの。現在、稼動可能な飛行宮はこれ一機のみである。

 ダリアは倒れたルナトリアの横を通り過ぎ祭壇へ上がった。横たわるフィレスとイツキの亡骸の傍には式神ギンが寄り添っていた。

「あなたが戦う理由はもうないはずです。我々の任務は容疑者の抹殺と不朽体の回収、その少女も生かしておくわけにはいきません。退いてもらえますか」

「ボクら式神の存在意義は主に仕えることなんです。我が主のお仲間ともなれば家族も同様。ここで果てるというのなら、その運命を共にするのは当然の義務です」

「なるほど、それは失礼しました」

 無慈悲な一振りはギンのお面を二つに割った。落下する面は地面に触れた瞬間に粉々になり風化した。

「望み通り、身命を賭して消えなさい」

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