26.終わりの始まり


 イツキの口からは血が流れた。自身の胸に軽く手を添えた。

「……なん、だよ。こ、れ…………」

 胸にぽっかりと開いた大穴。心臓は血肉と共に体外に吹き飛ばされていた。寒気と共に全身の力が抜けていく。朦朧とする意識の中、彼は自分を討った者を見定めようとゆっくりと振り返る。が、それも叶わず背を下にしてフィレスの上に倒れこんだ。


「イツキ!?」

 咄嗟に出たその言葉は、彼を名で呼んだ最初で最後の言葉。

 辺りを見渡すも唖然とする一同。破裂音のした方向には誰もいなかったからだ。

「ギン!」

 ルナトリアの一言でギンはイツキへ駆け寄った。ひどく損傷した肉体から察するに生死は誰が見ても明らか。それでも脈を確認すると、ルナトリアと面を合わせ首を横へ振った。


 一方、白騎士は首元に違和感を感じていた。首輪はかぼそい光を灯している。脈打つかのように光の強弱を繰り返すと、やがて四散するガラスのように砕け散った。

「首輪が……消え……た?」

 彼女を縛り付けていた絶対服従の強制解除、それは術者の死を意味するに他ならない。


『…………断罪執行。永久とわに眠れ、孤独を抱きながら』


 どこからか聞こえてくる謎の声。その方角の風景が不自然に揺れた。何もなかった空間から不規則な発光と共に姿を現す人影。その白い制服はデザインに若干の違いはあれど白騎士のものによく似ている。コートに近い形状が特徴的で大きな襟は顔半分を覆い隠し、手にした白銀の長銃からは小さな煙が立ち上る。

 狼は目の色を変えた。

「巫女様を守れ! 命に代えてもだ!」

 オーク兵はその巨漢でルナトリアと長銃の神聖種を遮った。さらにその前を駆けつけたヴォルフが立ちふさがり、彼女に提言した。

「巫女様、敵を鎮圧するまではここからお離れください」

「なりませんわ。不朽体はとても不安定な状態。ここで投げ出せば無尽蔵に暴発する力に都が飲み込まれかねませんわ」

 ヴォルフは覚悟し、しぶしぶ前方に目を向けた。


 白騎士は長銃の神聖種を見ながら小さく呟く。

「ゼノス、なんでテメェが」

「…………ティア、無事だったのか」

 神聖種の制服を身に纏い、互いに名で呼び合う同等の存在。それが意味するものを狼は知っている。

 ヴォルフは腰に帯刀する刀に手を伸ばした。

「姿を消し罪人を裁く、その陰湿なやり口。七英雄の中には暗殺を生業とする者がいると聞いたが、貴様が噂の執行者か」

 その者もまた七英雄の一人、名をゼノス。罪人を確実に処刑する様から、いつしか“執行者”の異名を持つようになっていた。雄々しい殺気を放つ狼を前にしても、その冷静な口調は変わらない。

「…………獣と愚論を交わすつもりはない。時は満ちた、世を乱す不穏分子は淘汰されなければならない」

 ヴォルフは鼻にしわを寄せ牙を剥き出した。

「驕りもそこまでいくと愚かなものだな。単身で乗り込み無事で帰れると思っているのか」


 突然の爆発音と揺れ。轟音と地響き。イスカンダルはとても怯えた様子で、潜れるところはないが白騎士の懐に潜り込む。彼女も咄嗟に白キツネを抱きかかえた。

 ヴォルフは辺りを見渡す。

「なんだッ?!」

 それはこの場ではない、都のどこかで起こっていた。


 誰もが異変に動揺する中、先手を打ったのは式神の少女ギンだった。

 初速から最高速でゼノスに接近。互いの距離を瞬く間に埋め、そこから連係した強烈な蹴りがゼノスを捉える。命中と同時に発生した風圧に居合わせたオーク兵は目を細め、威力の強さを物語る。それを片腕で防いだゼノスの靴底は地面を削りながら数メートル押しやられる。間髪入れずにギンは妖力を掌に集めた。

 ……“鬼火”。

 両手から生まれる青白い炎。

 鬼火を纏いながら再び距離を詰め追い討ちをかけるギン。その間際、ゼノスの長銃は発光と共にその形を変え二挺拳銃を成した。急接近するギンに向けられる銃口。放たれる弾丸、よりもギンの速度が僅かに上回る。銃弾が頬をかすりながらも、青く燃えるギンの手刀が拳銃を切断、暴発した拳銃が小さく炸裂。鬼火はその切れ味と引き換えに消費式。片手からは青白い炎は消えたが、暴発の僅かな隙をギンの青く燃える手刀が狙う。ゼノスは冷静にギンの手首を掴み攻撃を阻止、同時にもう一方の拳銃を向け発砲するがギンは銃口をはたき上げ紙一重でその弾道を逸らす。その後も続く互いの攻防戦。その末、ゼノスの銃弾がギンのふとももを貫通し、足元が崩れたギンの頭部に向けられる銃口。ゼノスは引き金に指をかけた。

 発砲の寸前で大振りな一太刀が割って入った。距離を取るゼノスの前には刀を抜いたヴォルフが立っていた。

 再び轟く爆発音と揺れ。朱色く輝く空に目を向けたヴォルフは自身の目を疑った。

 彼らの居る庭から、


 ────空が落ちるのが見えた。


 千年もの間、都に朝と夜を見せてきた人工の空の一部が崩れ落下している。

「て、天蓋が……崩れて、く。貴様、何をしたッ」

「…………二度は言わん。既にヘイムダールは我々神聖種の手中にある。不毛な抵抗はやめ投降しろ」

「戯言をッ!!」

 ゼノスの眼前に翡翠色の炎が上がった。右にも一つ、左からも一つ、五方に浮かび上がる緑の炎はヒトガタに姿を変えた。ゼノスはそのうちの一人を撃ち抜いた。しかし、命中した箇所は翡翠の炎となりゆらゆらと揺れるのみ。すぐに人の型に戻った。その状況に危険を察知したゼノスは再び姿を消そうと試みた。不規則に反射する光が全身を伝い、その身を空へと溶かす。しかし、ゼノスは透過能力を行使できなかった。

「…………クソ、妖狐の神導通か」

 五方を囲む式神は両手を組み、紡ぐ言霊の五重奏。


縛久羅仙おんばくらせん縛久羅仙おんばくらせん久羅仙くらせん且主結願菩提羅且那しゃしゅけちがんぼだいらしゃな呪符退魔じゅふたいま南無成就なむじょうじゅ須弥功徳神変王如来しゅみくどくしんぺんおうにょらい


 ゼノスの足元を走る光の線。瞬く間に五芒星を刻んだ。その刻印が意味するのは神導通の基本概念となる、木、火、土、金、水の5つの元素の働きの相克を表したもの。五つの角から光の柱が伸び、柱と柱を結ぶ光の壁がゼノスの動きを封じる。

「…………不朽体の制御に配していた式神をこちらに裂くとは、正気とは思えんな」

 ゼノスの言うように祭壇で瞑想していた式神はその人数を減らしている。

 魔王の不朽体は規格外の存在。神導通を操るルナトリアとはいえ、一介の亜人種でしかない彼女の負担は計り知れない。それを把握していたゼノスは彼女への警戒は皆無だった。


「巫女様ッ」

「わたくしなら大丈夫ですわ。ヴォルフ、あなたはすぐに前線へ向かうのですわ」

 平然を装うも、彼女の目は充血し額の血管は浮き上がっている。

「ぎ、御意に」


『その必要はありませんよ。ここが最前線なのですから』

 扉の向こう側。声は城内から聞こえてきた。

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