25.巫狐は能を舞う
祭壇に向かうルナトリアの、ピンと立ったキツネ耳がぴくっと動きイツキたちの方へ振り返る。
「あら、イツキ様? まだお休みしていただいてても結構でしたのに」
そう言いながら祈りを放棄し彼らに歩み寄ってくる。
「平気、なのか? 大事な儀式の最中だったんじゃないのか」
「ええ。これはいわば下準備、本番はこれからですわ。ご覧の通り肉体の復元は造作もありませんが、問題は彼女の存在をこの世に定着させるところにありますわ。そして本番にはイツキ様、あなたにも役割がありましてよ」
「急に言われても儀式とかわからないぞ」
「ふふ、心配しなくても大丈夫ですわ。特別な知識は必要ありませんし、ちゃんとこのわたくしが手と足取りご教授してさしあげますの……」
「なんかエロい」とジト目で白騎士。
「お黙りなさい」と笑顔でルナトリア。
「ですが、儀式は午後からですわ。まだ少々の時間もありますし何かお食べになるのはどうですわ?」
イツキは内心気が進まない。現状では心が休まらず、食欲が不安に飲み込まれていたからだ。亜人種の全面協力とはいえ鵜呑みには出来ない。それに騒々しい城内からは嫌な緊張感が漂っており、大船に乗った気にはなれなかった。
と、
そんな事を思いながら振り返ると両頬をハムスターのように膨らませた白騎士がなにやらモゴモゴとしている。その手にはイツキの世界から持ち込んだ食われかけの魚肉ソーセージ。
彼は白騎士の手からそれを取り上げた。
「あー何すんだよー返せよーテメェがあたしにくれたもんだろうがよー返せよ返せーあーたーしーのーだー早く返せー」
「……こいつ」
うるさい白騎士。彼の手には封を切られ保存食としての価値を失った魚肉ソーセージ。ため息と共に握り締めていた拳は緩み力なく下げられた。白騎士は警戒しながらも魚肉ソーセージを彼の手から静かに抜き取った。さながら観光客から食料を盗み取る猿のごとく。
「腹が減ってはなんとやら、ですわ。大事なときだからこそ体調には気を使わなければいけません。ギン、イツキ様にお食事を。
「かしこまりました」
ギンに連れられ向かったのは城に設けられた大食堂。200畳ほどはあるだろうか。そんな広い部屋の一角にイツキたちだけが座る。狭い部屋で育った生粋の日本人であるイツキはとても落ち着かなかった。
お膳に乗せられ運ばれてきた料理は紛うこともなく和食。刺身に、椀物、白米、天ぷら、煮物に、一人前の小さな鍋が人数分。見入っているイツキの横で白騎士はさっそく箸をつける。イスカンダルにも別の食事が用意された。味付けは基本的に薄味で、特別食べられないような料理はなくイツキも抵抗なく食事を終えた。
人工の日が落ちかけた夕方。
イツキたちは再び祭壇へやってきた。石畳の庭には昼間はなかった
舞台中央にフィレスが安置され、舞台から離れた隅にヴォルフとその部下である巨漢のオーク二名が待機している。ギンに案内されたイツキたちはヴォルフと向かい合うように立つ。
舞台の前で祈祷するルナに歩み寄ったギンは片膝を突き頭を下げた。
「イツキ様を連れ戻りました」
「ご苦労ですわ。ヴォルフ、準備の方はよろしくて?」
「滞りなく。指定された箇所への兵の配置、完了しております。念のため、都全土には外出を控えるよう伝えております」
「では、これより魔王の不朽体の再封印を執り行いますわ」
ルナトリアは両手で印を結び言霊を紡いでいく。舞台両端に座した式神たちも手を合わせ祈祷し、ギンは静かにイツキたちの傍に待機した。
「
最後の一節を唱え終わると祭壇後方、笛を手にした者は楽器に息を吹き込んだ。力強く響く笛の音の後に続き、
ルナトリアは扇子を取り出した。楽器と掛け声に合わせゆっくりとした独特な動きで能を舞う。扇子を手にした腕を伸ばし、360°を見渡すように空間を大きく使った彼女の舞。楽器と掛け声に操られるかのように、その場で不思議な足踏みを行う。
進行するにつれ周囲の空気が変わっていく。
緑の炎と共に宙に出現する一枚の護符。それはまた一枚、また一枚と連鎖するように増え、やがて祭壇を囲む数千枚の護符が円錐型の結界を成した。
フィレスの体内からはあの大鎌が再び姿を現す。しかし以前のような空間の歪みは起こらない。ルナトリアによって抑制されているということなのだろうか?
能を舞い続けると、ついには大鎌はその全貌を宙に現した。
それを確認したルナトリアは立てた左手を口元に当て、さらなる詠唱。
「祓いたまえ、清めたまえ、
無数の光の鎖がフィレスの周囲から伸び、大鎌に巻きついた。さらに両手で印を結び、鎖による呪縛を強化。
大きく息を吐き出したルナは落ち着いた様子で言う。
「……ふう。どうやら上手くいったみたいですわね。あとはイツキ様、祭壇に眠る彼女の口に血を一滴。それで彼女の存在をこの世に再び固定化できますわ」
横にいたギンは彼に短刀を差し出した。
「わかった」
短刀を受け取った彼はゆっくりと祭壇の方へ向かい、階段を上がっていく。ルナは両手で結んだ印を解こうとはしない。鎖で呪縛し続けるには彼女が妖力を送り続ける必要があるからだ。
フィレスの元に辿り着いたイツキ。眠る少女の表情からは、いつもの生意気な態度など想像できないほど美しい。加えて半透明な姿が、神々しさすら感じさせた。彼は自身の左手を胸元まで上げ、再び血の盟約を決心した。
その時、彼らの背後から響いた破裂音。イツキは何かに背中を押されたと思った。ふとフィレスを見ると真っ赤な鮮血が飛び散っている。それが彼自身のモノだと気づくには、少々の時を要した。
自身の胸元に大きな風穴が開いていたなんて、想像も出来なかったのだから。
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