22.亜人種


 護衛兵が声を荒げる。

「お、落ち着いてくださいヴォルフ様!」

 ヴォルフと呼ばれる人狼の抜刀により他の亜人種はさらなる混乱に見舞われていた。七英雄の白騎士と殺気立った狼に収拾がつかなくなっている。

 イツキと白騎士の眼前、荒ぶる狼がその殺気を刃に乗せた。人狼の手にする刀は二人を一太刀で両断する勢いで振り下ろされる。イツキは白騎士の服を掴み後方に引っ張り飛ばすと刃のない柄を取り出し構えた。その時、ヴォルフの斬撃がぴたっと止まる。両者の間には狐の面が立ち、人狼の一振りを人差し指と親指で掴み取っていた。

「巫女様、何故です! この者の愚行は万死に値します!」

 刀を止めた狐の面は終始無言。返事は御簾の向こう側から届いた。

『ええ、そうですわね。しかし、あなたのそれも愚問というものではなくて? 悠久の時を生きてきたわたくしでさえ、このような“ニンゲン”を見るのは初めてですわ。これほどまでの逸材、偶然と考える方が不自然ですわね』

 刀を握る手から徐々に力が抜ける。

「…………巫女様がお決めになられたのでしたら、私はそれに従うのみです」

 僅かな間だけを要し狼はその殺意を鞘に収めた。狐の面が御簾の前へ移動すると彼らの視線もそちらに向いた。段差の上、隔てていた仕切りが上がり声の主が姿を現す。

 特筆すべきはその大きくもこもこな五本の尻尾。銀色のロングヘアーの頭上からは獣の耳を生やし、着こなす和服は巫女服にも似ているがたわわな横乳があふれ出る。

「そう怯えず前へどうぞですわ。お初にお目にかかります、わたくしはルナトリア。以後お見知りおきを。さて、ここからはわたくしの責務。あなたたちは席を外しなさい」

 護衛兵一同が退室する中、ヴォルフは。

「しかし、それでは巫女様が」

「はぁ、しょうがないですわね。手出しは無用ですわよ」

 短く返事したヴォルフは狐の面の横に待機した。


 ルナトリアはゆっくりと階段を下りる。

「手荒な真似をして申し訳ありませんわね。わたくしたちにはイツキ様を見極める必要がございましたの。イツキ様の要求には出来る限り努めさせていただきますわ。ただ一つ、条件がございますの」

 と言いながらイツキの前で立ち止まった。段差による高低差さは彼を見下ろす。

「聞くだけ聞こうか」

 と言ったところで彼は疑問に思った。いつ名前を名乗っただろうか、と。それが彼を出遅れさせ致命的な隙を与えてしまう。その瞬間、顔面に感じるやわらかな圧力。仄かに暖かく眠気すら誘う居心地のよさ。香る優しい匂いに気が緩む。彼女は捕らえたイツキをその豊満な胸元に引き寄せていた。彼は抵抗する間もなく思考を停止させられる。人外とはいえ見た目は人類に近く、胸のビジュアル、感触、香り、状況といった膨大な情報量を処理しきれなくなっていた。

 彼の後方、白騎士は目を丸くした。

「な、な、なぁぁああ?! 何やってんだお前?!」

「あら、そんなこともわからないおバカさんですの? 彼を抱きしめているのですわ」

 即座に割り込む白騎士。手を出すなと命じられているヴォルフは落ち着きなく見守る。

「離ーれーろー」

「邪魔をしないでっ、くださる?! どき、なさい……ですわっ」

「ぐぬぬっ、こうなったら!」

 白騎士はルナトリアの口に両手を突っ込み左右に広げた。

「ふんぐっ!! ぬぁうぃをっ、ふうんでひゅのっ!!」(何を、するんですの!)

 負けずとルナトリアも白騎士のほっぺたを掴み引っ張る。床に転げる三者。イツキは尻餅を突いたその隙に後ずさりし離脱。二人の戦いはまだ終わらない。

「ふぉのぉ……ひゃふぉうっ」(この、野郎っ!)

「ひふふぉいでふわふぇ!」(しつこいですわね!)

 はたから見ているイツキは何一つ計画通りに進まない展開に憔悴しつつある。

 繰り広げられるキャットファイトはますますヒートアップ。激しい攻防の最中、意図せず掴んだ和服が大きくはだけた。脱がされた彼女は咄嗟に自身の胸を抱きかかえる。

「ちょ、ちょっと何してくれやがりますの?!」

 白騎士は追い討ちをかけた。

「見せつけてんのかっ!」と着物を引っ張る白騎士。

「あなたいい加減にっ! やーめーなーさーいー!!」

「わっ」

 見かねたヴォルフは白騎士を吊り上げた。捕まった彼女はUFOキャッチャーのクレーン状態だ。白騎士を掲げたまま語り始める。

「貴様らが現れることは、一年も前から既に予知されていた。巫女様の神託によってな」

「予知……だと……」

 身なりを整えながら言う。

「そういうことですわ。それにしても、神託の聖なる騎士がこのような野蛮人だとは思いもしませんでしたわ」

「あんだと!」と吊られた状態でジタバタ。

 かまわず平然と話を続けるヴォルフ。

「数百年の時を生きてきた巫女様は妖力を纏い神導通を自在に操る。この都が他国の侵入を退け、300年もの安寧を築いてこられたのも神導通による護封結界のおかげだろう。その巫女様が一年前、ある神託を受けたのだ」

「神託? お前たちがさっきから言っている神託とはなんのことだ」

 ルナトリアが答えた。

「か弱き民、聖なる騎士を従えこの地に降り立つべし。その者、天災の如く力を有す。一族の繁栄を望まば、その者に助力するべしと。つまりっ、神聖種を連れた人類種を娶れば我が国が繁栄するということを意味しているに決まっているのですわ!」

「そう、なのか……?」

「さあご決断なさい? もっとも、あなた方に選択肢がないことぐらいお見通しですのよ? あの少女、察するに自身の存在を飲み込むほどの魔王の遺品によって存在が不安定になっているようですわね。ですがわたくしの神導通をもってすればあの少女から魔王の遺品を引き抜くことなど造作もありませんわ。大人しくわたくしの旦那様になりなさいですわ」

(こいつ……どうしてフィレスが魔王の遺品を所持してると……。確かに取引条件に提示したがそれだけで見抜いたのか? だとすれば神導通とやらもハッタリではなさそうだ。こいつらの後ろ盾を得られれば心強い……だけどどうする)

「……わかった。条件は飲む。だけど制限を加えさせてほしい」

「制限、ですの?」

「俺には何よりも優先すべき目的がある。それを疎かにするわけにはいかない。だけど、俺の目的が達成されたあとでいいならこの体を好きにすればいい」

 それが合理的な答えだった。

(フィレスには悪いが背に腹は変えられない。目的を果たした後、それは俺の体の所有権がフィレスに移っていることと同義。どうなろうと俺には関係のない話だ)

「ふふ、よいでしょう。取引成立ですわね。さすがのわたくしも魔王の遺品に触れるのは初めて。準備に時間を要しますの。それまではこの城を我が家だと思っておくつろぎくださいですわ。それではヴォルフ、あなたは儀式の準備を進めてくださる?」

「御意」


 腰に違和感を感じたイツキが目を向けると狐の面が服を引っ張っている。

「ボクが客室へ案内いたします」

「その子はわたくしの式神。しばらくの間イツキ様に与えますわ。愛でるも良し奴隷のように扱うも良し、お好きにお使いくださいですわ。ちなみにメスですの」

 と笑みを漏らす。


 去り際、ヴォルフは彼の背中に話しかけた。

「……おい。ニンゲン」

 振り返った彼は言う。

「まだ何かあるのか。取引は成立したはずだ」

「ずいぶんと警戒されてしまったものだな。一つ忠告だ。そいつを飼うのなら首輪だけでなく縄も用意することだ」

「……参考にさせてもらう」

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