16.太古の森Ⅰ


 廃屋を出発し代わり映えのしない風景を進むこと数時間。視界の先に大きな無数の木が立ち並ぶ。

 近づくにつれその規格外の大きさにイツキは息を呑んだ。

 あらかじめ白騎士から“バカでかい樹海”と聞いてはいたが、彼が脳裏に思い浮かべたのは“広さ”であって、実際にはそれと異なっていたからだ。

 天にも届きそうな巨木が無数にそびえ立っている。巨木の直径は人が両腕を伸ばしても全く足りないほどあり、枝などは上部に集中しておりさながら天然の柱と天井を模していた。

 呆然と見上げるイツキの肩に硬い違和感。目をやると鞘に収められた短刀を乗せられている。それを握る手の先にはフィレス。

「ほれ。護身用じゃ」

 受け取った一振りの短刀は、見た目以上には軽い。西洋の剣というよりは東洋の脇差のような外見をしている。

「ん、必要になるのか?」

「無いよりはマシじゃろう」


 一同は巨木の間から森の中へ足を踏み入れた。巨大すぎるせいか木と木の間隔には人が10人並ぶ程度は軽くある。頭から膝辺りまでを簡素なローブで覆った白騎士は最後尾を歩く。

 想像を絶する規模を誇る森ではあったが歩行を妨げるような草木は少なく進行するに当たって不便はない。永延と立ち並ぶ巨木に加え、コケやキノコといった小規模な植物の存在が長い年月の経過を思わせる。

 道はある程度の明るさを保ち視界が利く。それをイツキは外光が届いているおかげだと思っていたがどうやら違うようだった。

 森へ入った当初の入り口はとうに見えず、木漏れ日が差し込むほど天井を形成する葉の密度は薄くない。しかし内部は仄暗い緑の光源に映し出されている。空間全体に拡散された翡翠色。暗闇に目が慣れたというだけでは片付けられなかった。

 何気なく後ろを歩く白騎士に尋ねた。このセカイの住民ならそれなりの知識はあるだろうと考えたからだ。

「この明るさはなんなんだ?」

「あ? あたしが知るわけねーだろが」

「……」

 彼女には関心すらなかった。

 前方を行くフィレスが答える。

「それは“ヒカリダケ”のおかげじゃろう」


「ヒカ……」「食えんのか?」


 愚問をかぶせられたイツキはうっとおしそうに白騎士を見下ろした。

「キノコの一種でそれ自体が発光する性質を持っておる。そしてそれらが出す目に見えぬほどの小さな胞子も光を放ち、互いに反射することにより内部を照らしているのじゃ」

「詳しいな」

「まあの」

 直後、イツキの顔色が変わる。昨晩、手渡された指輪がわずかに熱を帯びた。同時に彼の頭の中に直接とあるビジョンが映り込む。それはまるで地形を上空から、簡素化された立体地図で見ているかのような。その中を動く複数の影。対象までは数キロ。

「なにか捉えたようだ」

「大きさと数、状況から判断すれば森を縄張りテリトリーとする肉食獣じゃろ。脅威は小さいが今の主様は避けたほうが無難じゃな」

 肉食獣。少女はそう言った。細かな容姿こそ違えど彼が都市遺跡周辺で目撃した魚類といい、この異界には地球に類似した点が目立つ。


 指輪に組み込まれた探知魔法を駆使し外敵を避けるように進むこと数時間。時刻は昼過ぎを回った頃。

 彼らの周りを包むように出現する白いもや

「気ぃつけな。ヤな感じだぜ」


 瞬く間に濃度を増し互いを視認出来ないほどとなった。

 視界は0メートル。

 イツキは周囲に呼びかけた。が、返事はない。

 不安が彼を襲う間際、霧はあっけなく晴れていき安堵するイツキ。しかし異様に明るい。晴れていく先から漏れる光は白く先程のモノとは別物だった。




 そこは一室。よく見慣れた、彼がこれまで姉と暮らしてきた家だった。

 パジャマ姿のイツキはリビングへ向かい足を進める。窓の外は晴れ、西日が差し込む穏やかな日常の風景。

 だが彼が寸前まで居たのは樹海の内部。“ありえない”と思いつつも次の光景に心が揺らぐ。


「あら、ずいぶんとお寝坊さんね。お休みだからって怠けすぎは良くないわよ?」

「……?!」

 彼は目を見開いた。

 その女性は見紛いようもないイツキの姉だった。笑顔でそう言った姉は車椅子もなしに平然と立っている。いつものエプロン姿に、手にはオーブンミトン。また何かの料理をしているようだった。

 それは彼が身命を賭してまで望んだ風景。頭でどんなに否定しても、理想という誘惑に心は抗えなかった。


「もぉどうしたの? まだ寝ぼけているのかしら? 姉さん今日はスコーンを作ってみたの。クロテッドクリームもあるのよ。こっちへいらっしゃい」

 言われるがままに座席につくと、確かに香る焼きたての匂い。テーブルには瓶詰めされたジャムと器に盛られたクリームが肩を並べる。

 スコーンにクリームを塗り、ジャムを乗せ、一口。さくっとしたあとに、ブルーベリーのほどよい酸味とクリームの甘みが口に広がり、その後に口を潤す。

「うふふ、どうかしら?」

 口を潤すそれはジャムでもクリームでもない。目の奥がじんわりと熱くなっていた。それは幻想。礼儀を尽くす必要などあるわけもない。だけど。

「……ごめん、姉さん。俺はまだ……歩みを止めるわけにはいかないんだ。決めて来たんだ。すべてが終わるまで、この道を歩み続けるって。だからここに長居は出来ない」

「そう。もう、行くのね?」

「行ってくる」

 微笑んだ姉の口元が何かを呟く。しかしそれを聞く前に意識が遠退くのがわかった。薄れゆく景色の中、頭に響く声に少しばかりの懐かしさを感じながら。




「……ツキ。イツキ。起きんか戯け」

 仰向けに倒れるイツキを必死に揺する金髪の幼女がそこにはいた。彼を心配する様子はない。むすっとしている。

「フィ、レス」

「やれやれ、この程度の幻術にかかるとは相も変わらず脆弱な生き物じゃな」

「幻……だったのか?」

 少女の言葉に“やはり”と思いながらも腑に落ちないところがあった。第三者が見せた幻にしてはあまりにも彼の心が反映されたものだったからだ。彼が見た光景の中には確かに、姉の魂が復元されていた。

「ああ。だがコイツはやっかいじゃ。相手の記憶に干渉してそやつが最も望むセカイへいざなう。犠牲者はそれが魂の牢獄とも知らずに夢の中で死を迎えるのじゃろうな。そこのバカ犬もさっさと起こしてやれ」

 横に目をやるとよだれを垂らしながらニヤニヤする白騎士が大の字で倒れていた。先程『気ぃつけな』とキメていたのは一体誰だっただろうか。

 イツキは彼女の肩に手を当て揺する。

「おい起きろ」

「にゃぁ……あたしむぁだそれ食べてなぁ~ぃ……」

 呆れた様子のイツキをよそに白騎士の足元を蠢く何か。ゆっくりとヘビのような動きで彼女の足に絡まるのは植物のツタのような何かだ。

「ちとまずいの。早くその駄犬を起こせイツキ」

 イツキは白騎士のほっぺたを手加減なく引っ叩いた。

「いでぃっ……痛いから夢じゃなぁぃ……」

「こいつ。起きないぞ」

「ええい貸せ」

 フィレスは彼女の首輪を掴み上体を起こすと、左右のほっぺたを全身全霊を注いで連続で叩いた。

「こうじゃ! こうじゃ! 反撃する隙を与えんことじゃ!」

 パシパシと張りのある音が鳴り響く。

 真っ赤になった頬で彼女は目をこすりながらむくりと起き上がった。

「……な、なんだよぅ……」

「全く、世話のかかる駄犬じゃな。足のそれをさっさと振り払わんとどうなっても知らぬぞ」

「にぁ……? 駄犬ってあたしのことかよ? ってなんだよコイツ!!」

 元々身体能力が高かった彼女は強靭な脚力でそれを振りちぎった。

 彼らは数歩下がり様子を窺う。

 視界はせいぜい2~3メートル。周囲に発生した霧はまだ消えてはいない。その蔦のようなモノは霧の奥から現れており、ずるずるとその中に戻りつつある。

 フィレスは少し早口で言った。

「その蔦を追うのじゃ。見失えば手立てがなくなるぞ」

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