12.堕ちた天使


 多重詠唱された圧殺グラビトンは白騎士の頭上で何段にも重なる魔方陣を形成している。

 威力は先ほどの兵士に使用したモノを遥かに凌ぐ。

 一帯は重力の奔流。その重さは指先に民家一軒を乗せるようなもので光さえも抜け出せない時空の領域と化す。

 残存していた影の化身は溶けるように形を崩し消えていく。それは形を維持させるだけの魔力を確保できなくなっていることを意味する。

 イツキの体を憑代とすることでフィレスの英知を発揮することが可能となったが、魔力に関しては無尽蔵ではなく大気中に存在する魔力を取り込みながらの戦闘を余儀なくされる。

 即ち彼らの弱点は長期戦でありこれ以上の長居は都合が悪かった。絶命する白騎士を見届けることなく二人は立ち去ろうと背を向ける。

 数歩進んだその背後数十メートル。白髪少女イツキの背筋に悪寒が走った。

 魔物フィレスは呟く。

「……ソコニ在ッタカ」

 足を止めた白髪イツキは振り返る。

 重力場の中、白騎士は静かに立ち上がっていた。絶え間ない圧は今この時も加わっている。しかしその様子は明らかに先ほどとは違う。

 うつむいたまま左腕を頭上へ上げると左手を中軸に幾何学模様が宙を伝う。それはセカイを構築する設計図なのか、彼は人知の及ばぬ光景を垣間見たのか。

 空間を侵食するように境界を砕き空に裂け目が出来る。やがて宙の裂け目から滲み溢れる真っ赤な液体。それを浴びた左腕を包む布は消失し中から表れた腕は剥き出しの骨格。上腕部に腕輪がはめめられそこを境に白骨化している。手には一つの指輪。

 液体内部からは這い出るように何かが垂れ下がってくる。


 イツキは目を見開いた。

(何も感じない。魔力も、何も……なんなんだあれは)


 ──異質。

 それは事象が形を成した姿。鎌を模しているものの無機物な質感とはかけ離れた生物的なフォルム。刃は爪の如く四つの股を有し、柄は身の丈を越え翠色の幻影が全体を抱擁する。

 彼女の白骨化した腕がそれを手にした。瞬間、空気を一変させる。

 イツキの片目が疼く。

 霞む視界。自身と対象との間に感じる圧倒的隔たり。まるでテレビ画面越しに見ているかのような感覚。その未知が眼前に存在する事実に一歩足を引く。

 万象、セカイの構造そのものをこわし兼ねない不確定な存在なにかを直感した。


「顕現しろ、万象遮る不敗の盾アイギス

 イツキは咄嗟に前方に防御魔法最高硬度の魔術障壁を展開。

 魔物フィレスは彼の頭の中で囁いた。

『無駄じゃ。あれは防げん、見極めてかわせ』


 白騎士は血の涙を流しながら顔を上げ、頭上に掲げた大鎌を振り下ろす。

 瞬間。

 音もなく彼女を取り囲んでいた重力場の陣は砕け散り、空が────割れた。

 縦に一直線。空に浮かぶ雲は真っ二つに吹き飛ぶ。同時に轟音が響く。地上は大きく揺れ、その延長線上にある建築物は数キロ先まで倒壊し、亀裂が地上を走り割っていく。


 イツキは眉をひそめた。

 何かが“びちゃっ”と足元を小さく鳴らす。

「…………はぁ、はぁ」

 流れる鮮血。

 防御障壁は割断かつだんされ砕け、線上に位置したイツキの右腕諸共、魔物フィレスの右半分も斬り落とす。

 フィレスはイツキの脳内に語りかけた。

『面白いことになったのう。あれは空間はおろか概念すらを切断するぞ? あらゆる抵抗、障害を無に帰す最強の鉾じゃ。まさかこんなにも早くに見つかるとは運が良いの』

 切断されたフィレスの半身は見る見るうちに元の形状に戻りつつある。

「お前の、遺品ってやつか……で、そんなもん相手にどうするつもりだ。辺りの魔力はほとんど使い切ったぞ」

 イツキもそう話しながら傷口を魔術で止血した。応急処置程度の魔力しか確保出来なかったからだ。

『主は黙って見てるがよい。奴が儂らにアレを使用したのは愚策じゃったな。勝敗は既に決しておる』


 土煙の奥。不機嫌そうな面持ちで片手を頭に当てながら白騎士は言う。

「……ったく、あたしにコイツを使わせんなよな。まーた後で叱られるじゃねーか、自然の摂理が壊れるだのなんだのって……。まあいいや、じっとしてな。動き回れるとここら一帯が地獄になっちまうからよ」

 イツキはすぐ傍に何かの気配を感じた。

 先程の一撃は空間すらを切り裂き一時的な次元の裂け目を生んでいた。宙に浮かぶ一筋の暗闇、その奥を蠢く何か。

 白騎士の動きが止まる。

 その裂け目から現れた紅く巨大な両手の指先。鋭い爪が小さな亀裂を抉じ開けるように引き広げ、這い出るように姿を現した。


 下半身は依然として亀裂の中だが、それでもその巨体は10メートルを超える。

 四本の腕を持ち、真っ赤な半透明の体液に包まれた体は内部の骨格が透けて見える。頭部だけが外骨格のように露出し、目は無く鋭利な歯は剥き出している。

 イツキとフィレスを包むように陣取る異形の化け物。

 彼女の顔色が変わった。

「なん……だよ、こいつ……?!」

 一度は躊躇しながらも再び強気な瞳を向けた。

「チッ、化けもんがァァ!!」

 大きく横に薙ぎ払われる大鎌は一線を描く。見えない斬撃を巨人は掴み、握り潰した。

 白騎士は目を見開いた。

「あ、ありえねぇ。コイツはこの世に存在するものならなんだって切り裂く! 受け止めれるわけが……っ」

 話しながら彼女は気づいた。それ以外に辻褄の合う理由がなかったとも言える。眼前に立ちはだかるのは現の存在ではないことに。さらに上の存在、それは理を凌駕した観測者側の存在でしかない。

 加えて、並行世界の境界を切り裂いたとしてもそのような神性の高い存在が現れる理由にはならない。だとすれば、彼女には腑に落ちないことが一つだけ残る。取り乱しながら声を荒げた。

「クソが! なんなんだよそいつァ! なんでそいつはテメェに従う?!」

 低く轟く声が魔物の頭蓋より発せられる。

「知レタ事ヲ」


 巨大な手は無慈悲に白騎士を掴み上げた。

「くはっ!!」

 握り潰された剣の翼が無残に落下し儚い音を立てる。一緒に握られた大鎌は怪物の手の中では無力化し翡翠色の光となって消えた。

 彼女の体よりも大きな顔が近づく。鋭利な口から瘴気しょうきが煙のように吹き漏れる。

 巨人の手の中、白騎士は全くの身動きが取れない。

「……あり、えない。魔種が神格を持ってる、なんて……それも理を超越するほどの神性、だと……」

 眼前の化け物を服従させるほどの存在。化け物はたまたま現れたのではない、より高い神性に引き寄せられたのだ。

 先程までの強気な姿勢は見られなくなった。圧倒的な力の差を理解した彼女の心は完全に折れていたからだ。

 抗う無意味を理解した彼女は言葉には出さずに思う。

(このまま、死ぬのかな……あたしも最期はあっけなかったな……)


 イツキは片手を白騎士に向けた。彼女の首元に出現する闇の輪。その手を握ると縮まり金属のような首輪に変化し、同時に彼女の神力は全て消えた。

 魔物フィレスが巨人に軽く触れると巨体は透き通るように姿を消していく。彼女を掴んでいた大きな手も消え白騎士が落下した。

 尻餅を突き、アヒル座りで見上げる先には悪魔を背負った白髪の少女。力を失った白騎士は両手で自分の体を抱えて上目遣いで言う。

「……な、なに?」

 強調される胸部。その両腕からは二つの膨らみが溢れる。しかし、それ以上に白骨化した左腕が痛々しい。あの鎌の副作用だということはイツキにも容易に推測出来た。

「今からお前は捕虜だ。従わないなら殺す」

 彼女の首に現れた呪縛は神力を内側と外側の両面から封じる永続魔法。それを理解していた彼女は目元に涙を浮かべ、頬を紅潮させた表情は女の子のそれと変わりない。

「……わ、わかった。ま、負けたからな……しかたねーよ、な……」

 とおもむろに脱ぎ始めた。はだけた上半身を押さえながら言う。

「これで、いいんだろ……?」

「なんのつもりだ。俺たちは魔王の遺品を探してる。その一つを持っていたお前には色々と聞きたい事がある」

「さ、先に言えよな! あたしの初めて返せよ!!」

「……場所を変える、ついて来い」

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