第一章 異界編
8.楽園
気を失うイツキの耳に小鳥の鳴き声のようなものが届いた。それは少し離れた場所から響いているようだ。ひんやりとした石畳を肌に感じながら彼は静かに目を覚ました。
薄暗い屋内。
ぼやけた視界にまず映ったのはドーム状の高い天井。精巧な作りではあるが古びており所々がひび割れ朽ちている。上半身を起こすと、屋内でありながら植物が無造作に生い茂っていることに気づく。その様子からそれは人工的に植えられたものではないとわかる。
光源は数メートル先にある扉もない出入り口から差し込む外光だけだった。彼はそれが日の光りであると無意識に理解する。
多少の状況を把握し生まれた余裕から、彼は思った。
(俺は……確か……フィレスの後を追って……)
「……?!」
ふとフィレスの存在を思い出すと座ったまま辺りを見渡した。振り返ると両足を抱え込んだ状態で座っている金髪の幼女。据わった目をじっと彼に向けていた。
「いつまで寝ておる」
代わり映えのしないそっけない態度は逆に彼を落ち着かせた。
「フィレス……ここは?」
「どうやら都市遺跡の中心部に出たようじゃな。……どうしたのじゃ? あちらのセカイと大差のない空気に拍子抜けでもしたか?」
「……ここが、そうなのか」
「異世界へようこそじゃ、少年。真に不条理を呪うならば、その怨嗟を糧に生き抜いてみせよ」
「わかってる。そのためにここへ来た」
事前の話によれば元居たセカイとはいえ彼女が去ってからどれほどの月日が流れているのかすらわからないらしい。
その場に留まっていても
一歩外へ出たその場は都市遺跡の高台だったようで遠くまで見渡せる。石造りの古い西洋風の町並みが見渡す限り続いている。しかし遺跡というだけあって崩落した建築物も多く、そうでなくともほとんどが植物に侵食されている。それでも足の踏み場がないというほどではなく徒歩でも市内を難無く移動可能だった。
歩き始めて少し経った頃、徐々に街の異様な光景に気づくイツキ。
その街の外観からここの文明と技術はせいぜい中世ヨーロッパ程度と認識していた彼だったが、街のあちこちに散乱する人工物がその認識を惑わし始める。
最初に目に入ったのは金属製の歯車だった。それだけなら不自然に思わなかっただろう。しかしその歯車はとてつもなく大きいものだった。彼の身長をはるかに超える、家一軒が軽く隠れるほど大きな歯車だ。先ほどの高台から眺めたときには気づかなかった。遠くからでは正確に目測できなかったからだ。
それから時を待たずして、二人の前方には異様な残骸が横たわっていた。
「なん、なんだ」
機械仕掛けと思われる人型の巨体。
レンガ造りの民家を押しつぶすように倒れた巨体は、損傷が激しく上半身しか残していなかったが優に5メートルは超えている。頭部は口元以外を丈夫そうな金属が覆い、目の様な大きなレンズは中央に一つ。剥き出しの歯。生身のような全身を骨格のような金属が覆う。ちぎれた下半身の付け根からは電線などが生々しく露出する。さび付いた金属を見る限り、とても長い時の経過を感じる。
見上げたまま立ち尽くす彼に少女は言った。
「
少女の話に耳を傾けながら、イツキはしばしソレを眺めていた。
その二人の背後で、わずかな物音。彼は即座に振り返る。フィレスは振り返りもせずに言い放った。
「身の程をわきまえよ人間。そのような鉄くずで何を成せるというのじゃ」
(人、間……?)
付近に粗雑な金属音が響く。音は投げ捨てられた鉄パイプから発せられたもの。と同時に情けない悲鳴が耳に届く。
「ひっひぃぃいい!! お、お許しを! 命だけは……どうか命だけは……」
地べたに這いつくばりながら命乞いするのは中年男性。薄汚れたボロ雑巾のような簡素な衣服に真新しい首輪をした、人間だ。
その背後の物陰には複数の人影。怯えた様子で顔を覗かせている。
イツキは数歩進んで男性を見下ろしながら言った。
「顔を上げろ。俺もお前たちと同じ人間だ」
男は恐る恐る顔を上げ、
「た、確かにそのようですが……ま、まさか……? し、しかしそのお姿……。ということはここが?! やはり噂は本当だったんですか!」
「噂? なんの話だ」
二人は警戒の解けた彼らをその場に集めた。彼らは皆、似たような格好をした老若男女。20人以上はいる。
彼らの話によれば、帝国都市で奴隷として酷使される日々から逃れるために脱走してきたのだとか。ビクビクと怯えながら挙動不審なのもそのせいだ。追っ手に見つかる恐怖と戦いながらこの都市遺跡まで逃げ込んできたのだ。
集団の代表者と思われる先ほどの男性は目を輝かせながら言った。
「そのお姿、やはり人類の楽園は実在したのですね! ここが、この地がそうなのですか?! 他の同志はどこにおられるのです?」
戸惑うイツキにフィレスが口を挿む。男性とは対照的に泰然たる態度。
「世迷言を。人類の楽園などありはせん」
男の話を正面から否定するその言葉。それは思いやりというよりは哀れんでいたという方が近い。
聞く耳持たずといった様子で男は興奮気味に言う。
「し、信じられません。それではその立派なお召し物はどうなされたのです? ……な、なるほど! 楽園の収容人数に限界があるのですね? それならせめて、子供たちだけでも! お願いしますよ!」
その頃、イツキたちの遥か後方に複数の白い人影。その集団を仕切る男の口から神力を付与した言霊が呟かれた。
『……捕縛せよ、
突如、脱走してきた人々の上半身に光りの輪が現れ両腕を拘束するように締め付けた。その対象にはイツキとフィレスも含まれていた。二人も彼らと同様に自由を奪われ、それを目の当たりにした人間の一人が取り乱しながら言った。
「て、帝国の刺客だ……お、おれたちを追ってきたんだ……も、もうおしまいだぁ……!」
それを発端にざわめき出す人々。光りを放つ拘束具は強固なようで、イツキたちを含む全員は外せずにいた。
「まだ恨みを買った覚えはないんだがな」
「言ったであろう、奴らはこの地の支配者。どこにいようと避けては通れぬ定めじゃ」
そんな彼らの前方から悠々と近づいてくる5人の白い集団。すたすたと、堂々とした足取り。白を基調とした衣服を身にまとう神々しい一群がイツキたちの前に立ちはだかった。
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