5.現の理


 不良たちをものともしなかったあの感覚。少女いわくそれは盟約の恩恵で彼女の契約者となったイツキの筋力、動体視力、反射神経などの基礎能力は既に常人を凌ぐものになっているのだとか。

 加えて少女は自身を魔王と名乗った。

 千年の時を生き、世の秘術すべてを網羅した最強の大魔王で強大すぎる力を恐れられ討伐隊に封印されてしまったのだと。そこまで聞いたイツキは疑問に思った。そんなにすごい存在なら秘術とやらで封印を解除すればいいじゃないかと。その問いに少女はこう答えた。

「よいか、噛み砕いて説明するとな、魔術に必要なのは知識と魔力、そして媒体となる身体じゃ。だが今の儂にはその肉体が存在せん。秘術に護られた儂を殺すことはほぼ不可能と判断した帝国は肉体を分割し封印することで無力化を図ったわけじゃ」

 少女の口ぶりでは肉体を持たない自分では魔術を使用することが出来ないと言っているようだった。

 帝国? 肉体を分割? それよりもイツキには気になることがあった。

「でもお前……それならその姿はなんだ。どうみても生身だろ」と言いながら少女のほっぺたをつねった。

「むぁ、やぇめんかいっ」

 目尻に涙を見せながらイツキの手を振り払い言った。

「全く、貴様は本当に全く失礼な奴じゃな。これは貴様と契約した恩恵でかろうじて使用可能となった魔術の一種。ただの幻影、仮初の肉体じゃ」とつままれたほっぺに手を当てながら少女は言う。

「本題に戻すぞ。儂は貴様の肉体を欲しておる」

「どういう意味だよ」

 少女の目つきが変わる。幼女の容姿に不相応な色気に満ちた瞳。イツキの頬に手を当て舐めるように見上げた。

「深い意味などない。今の儂に必要なのは媒体となる肉体。貴様の身体を魂の器として仕上げればそれも可能となろう」

「魂の器……? 要はお前の人格をしまっておく入れ物にするってわけか。大体なんで俺なんだ。地球の人口は70億だぞ。他にだって当てはあるだろ」

「それが当てはないのじゃよ少年。この数百年、封印された状態で接触コンタクトに応じた人間は貴様ただ一人。そんな好機を逃すわけにはいかぬじゃろ」

 イツキは図書館での出来事を追憶した。

「案ずるな、今ならまだ血の盟約は破棄可能じゃ。だがそうなれば貴様の姉を救う手段も失われることになるぞ」

「どういうことだ?」

「歓喜するがよい。貴様の願いは叶えられたぞ」と少女は無い胸を張り片手を当て言った。

「この儂、魔の王によってな。その代価に貴様の肉体を頂く。不治の病を完治させてやると言っておるのじゃ、悪い話ではなかろう?」

 イツキはしばらく考え込んだ。にわかには信じ難い話に半信半疑だ。

「全く、煮えきらぬ男じゃのぅ。ならばこうするのはどうじゃ? 儂が疑う余地も残さぬほどの力を証明しようではないか。かつて魔王と呼ばれた儂が貴様のような矮小な存在にそこまですると言っておるのじゃ、断りなどすれば目も当てられぬ愚行として末代まで蔑まれること間違いなしじゃ」

 くだらないという思いと同じほど、彼には揺らぐ思いがあった。治療法を模索していた蝋化病。しかし現状では姉の末路は絶望的に違いなかったからだ。

 力の証明とやらを見てから少女を追い返しても遅くはないという結論に至った。

「いいだろう。だけど小細工だと判断したらすぐに迷子として警察に連れて行くからな」

「クク。貴様の驚く顔が目に浮かぶのぅ」

 話し合いの結果、今夜にも魔術を証明することとなった。少女にも色々と都合があるようで場所はあの図書館。時間は深夜0時となった。

 イツキには些細な心配事もあった。

「まだ姉さんを頼むと決まったわけじゃない、夜まではこの部屋から出るなよ」

「心配性じゃのぉ。例え見つかっても記憶改ざん魔法で解決なのじゃ」

「絶対にやめろ」とイツキの即答。

 少女はむすーっとしながら布団に包まった。



 その夜。二人は図書館を覆う高さ2メートルの柵を見上げていた。既に閉館していることもあり辺りは真っ暗だ。

 少女はイツキの手を掴んだ。

「なんだ暗いのが怖いのか」

「ア、アホーが! 貴様とは生きた年数が違う、いい加減子供扱いするのはやめんか!」

 少女は柵に空いた手を当てると呪文を詠唱した。

『遮るもの、拒むもの、妨げるもの、我ら干渉せぬものを看過せよ』そう唱えると柵に当てていた少女の手が鉄格子を通り抜けた。と思うと既に身体も通り抜けイツキへ振り返る。


「儂の手を離すでないぞ。途中で離せば鉄格子が貴様の肉体を分断することになるからの」

 目の前の光景に彼は素直に従うしかなかった。その後、壁も突き抜け内部に侵入すると警備員が目の前を歩く。手に持つ懐中電灯が二人を照らすがこちらには全く気づかない。それどころか二人を通り抜けるように横切っていく。少女によれば透過魔法で自分達は存在しない存在となっているらしい。

 あっという間に目的地である屋上へ辿り着いた。大きな図書館だけあって屋上はとても広い。光源が少ないせいか満月がとても眩しく思える。

 月を眺めながらイツキは言った。

「……お前、名前はないのか」

「急にどうしたのじゃ?」

「呼称が『お前』だけじゃ不便だと思っただけだ」

「名か。そうじゃな……フィレスってのはどうじゃ?」

「どうじゃって。まあいいや」


 深夜0時まではまだ有余がある。少女はチョークのようなもので屋上の地面に何かを書き込み始めた。それは徐々に姿を現す。巨大な幾何学模様、魔方陣のようだ。

「魔法ってのに必要なのか? さっき壁を抜けたときにはそんなことしなかったろ」

「まー貴様に言っても理解できんじゃろうが色々と規則ルールがあってな。肉体さえ取り戻せばこんな工程、体内で済ますのじゃがこの仮初の体では致し方ない」

 そう言いながら黙々と作業を続ける少女なのだが、イツキの目には子供がお絵かきしているようにしか見えない。慈愛に満ちた眼差しを向けていると、何かを察知したかのように少女と目が合った。

「……貴様、また失礼なことを考えていなかったか?」

 刹那、彼は目を逸らした。静寂の後、彼の額を流れる汗。

「全く、貴様は本当に全く。出来たぞ。時間も頃合いじゃの。手を出せ、どちらでもよい」

 片手を差し出すと、

「いてっ、何すんだよ」

 少女は小さなナイフで数センチ斬り刃先に血痕を残した。

「貴様は離れたところから空を見上げておれ。それと陣の中には絶対に入るでないぞ? 代価と一緒に消失してしまうからの」

「代価? そもそも何をするつもりなんだ」

「クックック、まもなく歴史が変わる。光栄に思うがいい、貴様は奇跡の観測者となるのだ。さあ刮目して待て。今宵、うつつことわりを超越する」


 0時まであと数分、少女が血のついたナイフを地面に突き刺すと魔方陣は怪しい光を放ちだす。彼は陣から離れ円の中央にいる少女の背中を見ている。

 金髪の少女フィレスは呪文を詠唱し始めた。


『その刹那は世界を三度巡る』

 少女の右腕を包み込むように強固なガントレットが出現する。


『その閃光は万物問わず無に帰す』

 ガントレットに覆われた掌を中心に眩い光を放つ巨大な白い槍が現れ、槍投げのような体勢を取った。


『その意は貫くもの』

 矛先は夜空に向けられ、槍の前後に無数の光の輪が現れ軌道を確保する。光の輪には象形文字にも似た刻印が現れ槍を軸にゆっくりと回る。


『穿て、神をも屠る我が一撃』

 少女の詠唱のたびに姿を変えていた光の槍がさらに強く発光し前後へ伸びた。地面の魔方陣が真っ赤に輝く。


「──万象貫く光の腕ルー・ラヴァーダ!!」

 その言葉と共に放たれた光の槍は音速を超え周囲の空気を圧縮し、漏れ出した空気が輪になった層を生じさせながら音もなく飛んでいく。一瞬にして大気圏を突破したそれは辺りの雲を吹き飛ばす。その一閃は契約によって常人を凌ぐ動体視力を得ていたイツキにも早すぎるものだった。

 間もなくして夜空が一瞬光り、少し遅れて激しい爆音と轟音が空を鳴らした。

 空、いや、宇宙が明るくなり日中に近い光が町を照らす。

 再び夜の帳が下りる頃、爆音に驚いた人々が外へ出てくる。


 少女のガントレットからは煙が立ち上っていた。地面の光りも消え、何事もなかったかのようにイツキへ歩み寄る。

「お、お前……今のはなんだ」

「さてと、帰るぞ」

「はぁ!?」

「ここに長居しても面倒事が増えるだけじゃ」

 いずれすぐにわかると言いくるめられその日は就寝するしかないイツキだった。


 その夜、44億年続いた歴然たる現実は打ち壊されていた。

 彼がそれを知ったのは夜が明けた朝のニュースだった。その衝撃的な見出しによって。


『隕石か、爆発か。月の7割が消失』

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