4.現のセカイ
「──ッは!!」
イツキはベッドから飛び起きた。外は明るく小鳥の鳴き声が聞こえる。
辺りを見渡すイツキ。彼は自室のベッドの上にいた。
「はぁ……はぁ……俺、は……」
乱れた呼吸を落ち着かせ、目覚めたばかりのイツキはおぼつかない記憶を辿った。
少ししてあの恐ろしい出来事を思い出したイツキは布団をめくり上げ右腕に目を向けた。
彼の予感とは裏腹に腕には何の異常も見当たらない。
「夢、だった……のか? あれが……?」
ベッドから出たイツキはふらつく足取りで居間へ向かった。
居間では車椅子に乗る姉が健気に朝食の準備をしている。その光景を見てやっとあれは悪い夢だったんだと把握するイツキ。
「何してる。言ってくれればそれぐらい俺が」
「あら? よかった、元気そうね。うふふ」
「俺の心配より自分の心配をしてくれ」
「だ~め。病院から電話があったときは姉さんすごく心配したんだから。『ご家族の方が図書館で気を失っていたのが発見されて搬送した』って。隣町の図書館なんかに何しに行っていたの? ううん、そんなことはどうでもいいわね。倒れるほど無茶しちゃダメじゃない」
(図書館で……。俺は気を失ってしまったのか)
「あ、そうそう。病院の方がね、明日から訪問診療に来てくれるそうなの。あなたが倒れたのを知って、やっぱり兄弟二人には荷が重いだろうって」
「そう、なのか」
「だから午前中は看護師さんに任せて、あなたは自分の時間を過ごしたら?」
「ぁ、ああ……」
いままで迷惑をかけてきた姉への償いは自分の手で全うすることに意味を感じていた彼だったが、姉を心配させてしまったことに加え、明日からの訪問診療の話に反論することが出来なかった。
翌日、イツキが登校する頃には昨日の話通り女性看護師がインターホンを鳴らしていた。それを目の当たりにして彼はしぶしぶ登校することになる。実に数週間ぶりの登校だ。
放課後の体育館裏、イツキはいつもの不良グループに囲まれていた。少し離れた位置に立つレイカは腕を組み壁に寄りかかる。勝手にしろと言わんばかりに傍観者を決め込んでいる。
「急に学校こねーでどうしたんだよイツキくーん? てっきりもう来ないかと思って心配したんだぜー?」
「ちょ、ちょっと色々あって……」
「イツキくんが来ないせいで俺達サイフの中身がすっからかんなんだよ。な? わかるよな?」
「いや、それがさ……もうお金、用意できそうにないんだ」
「あ゛ぁ?」
腹に一発、重い拳が入った。膝を突きうずくまるイツキ。見下ろしながら男が言う。
「こんだけ焦らして何も無しが許されると思ってんのか?」
取り巻きの一人がリーダー格の男の耳元で囁いた。すると男は下品な笑みを漏らす。
「イツキ、そういえばてめーには姉貴がいたよな? 確かすげー美人だって噂だ。金はいいからよ、その代わりに一発やらせろよ?」
腹部の痛みに耐えていたイツキは地面を直視したまま動きを止めた。
「最っ低」
隅で傍観に徹していたレイカは呟いた。
「あ? なんだよ文句あんのか?」
「別に」
彼の中で静かに湧き出す怒りに気づく者はいない。自身の無力を呪ったその時、
『……創造セヨ。貴様ノ理想ヲ』
頭の中に響く声。
図書館で聞いたあの声だった。こんな状況でありながらとても心地良く聞こえるその声にイツキは身をゆだねた。時間の経過を遅く感じる。世界が止まって見える。全てが、
『……望ムママニ、愉悦ヲ吸イ尽クセ』
──小さく思える。
イツキはうずくまったまま言葉を漏らした。
「……とめない」
「あ? お前今なんつった?」
膝に手をつき立ち上がりながら言った。
「……認めない。……許したくない。俺は……」
リーダー格の男の目つきが変わった。鼻で笑うと右手を握り締め構えた。
「なーにボソボソ言ってんだ!!」
豪腕から放たれる男の渾身の一撃はイツキの顔面を捉える。
『現ヲ穿テ』
俺は──。
“パシっ”と軽い音を立てた。
「て、てめ?!」
男の一撃はイツキの右手で軽々と止められた。そのまま握力で男の右手を握りつぶすと悶絶し始める。間髪入れずにイツキは男の腹部を蹴り飛ばした。
人生で初めて人に暴力を行使したにも拘らずひどく落ち着いていた。目の前の出来事を冷静に見極める余裕すらあった。相手の息づかい、脈拍、力量、全てが手に取るようにわかる。
「く、くそがぁああ!!」
自分が負けるはずがないと自負していた男は逆上し左手を強く握り締め一直線に駆けた。左手からくりだされる打撃がイツキを襲う。瞬間、男は静かになった。イツキが右手を彼の腹部から離すと、静かに倒れ込む男。
居合わせた誰もが呆然と立ちすくむ。
イツキは辺りを見渡すとたまたま近くに居た取り巻きの一人を躊躇なく殴り飛ばす。この時、イツキの目に映るモノは人間ではなかった。
それをきっかけにもう一人の男子がイツキの死角から殴りかかる。が、それを視認されることもなくかわされ返り討ちに合う男子生徒。圧倒された残りの一人が逃げ出そうとした次の瞬間には襟を掴まれ逃げ場を失う。男子生徒の怯えた表情にも無慈悲な一撃が加えられ地面に沈んだ。
彼を囲んでいた男子は全員倒された。一連の流れを見ていたレイカは言葉を失っていた。彼女が知る彼とはかけ離れていたからだ。何より、いつもおどおどしていた少年が何の躊躇もなく、あたかも作業をこなすかのように打ちのめしていく光景に恐れを抱いていた。
イツキは彼女には構わず、すたすたとその場を離れた。
一人帰路を歩くイツキ。歩きながら考えていた。
先ほどのあの感覚。相手の動きが手に取るようにわかったし、彼らを倒すイメージがはっきりと浮かんできた。自分でも驚くほど冷静で……それにあの声。図書館での出来事は夢ではなかったのか?
何気なく右手を見てみるもやはり変わった様子はない。家に着くとドアから出てくる看護士。ちょうど帰る頃らしい。目が合うと笑顔で歩み寄ってきた。
「あ、おかえりイツキくん。あとはお姉さんのこと、頼みますよ」
「は、はい」
一言交わし別れ、家へ入ると姉は穏やかな表情で本を読んでいる。イツキに気づいた姉は嬉しそうに言った。
「あら、おかえりなさい。夕食ならもう出来ているからいつでも言って?」
「あ、いや、ちょっと今日は疲れたから部屋で休んでくる」
家に戻ったイツキは風邪でもひいたのだろうか、そう思ってしまうほどのだるさを感じていた。
自室に入ると着替えもせずに横になる。そしていつの間にか眠ってしまっていた。
彼が目覚める頃には翌日の朝になっていた。
右肩を下向きに重いまぶたを開くと視界に映りこむ眩しい黄色。朝日……ではない。目の前には金髪幼女の寝顔。年齢は十歳前後といったところか。彼のベッドに潜り込んでいる。イツキは再びゆっくりと目を閉じ、寝起きの頭をフル回転させた。
(今のは間違いなく金髪幼女だ。人形か? いや呼吸をしていた。そういえば昨日はいつ寝た? 帰ってからそのまま……そうだ。俺が寝るときは誰もいなかった。 よし、寝ぼけていただけだ。もう一度、起きよう)
イツキは再び目を開けた。目の前にはすやすやと眠る金髪幼女。だからイツキは判断した、多分これは夢だと。
念のため頬を左の人差し指で突っついてみた。幼女の方を。
「ふにゃぁ……」
心地よく眠る幼女の表情が少し歪んだ。その様子が少し面白いと思ってしまった彼は、どうせ夢なのだから程度の気持ちで幼女の両頬を人差し指と親指で挟むように潰してみた。口元がアヒルみたく不細工になった。
「にゅ、にぇ、な、何するじゃぁああ」
飛び起きた幼女は怒った犬のように八重歯をむき出しイツキの左手に噛み付いた。
「いっコイツっ!!」
少女を振り払いベッドの上で距離を取る両者。どちらも真剣な表情だ。
リアルな痛みにそれが現実だと理解しかけた。だとしたらどういうことか? 一人で就寝したはずのイツキの布団になぜ金髪幼女がいる。
当の幼女はガルルルと睨んでいる。彼は少し考えた。今、少女は日本語を叫んでいなかったか? と。思い切って話しかけてみた。
「誰だ。ここで何してる」
少女はムッとしながら答えた。
「何を言っておる。貴様が
それを聞いてイツキは内心小ばかにしていたが、
「封印って何だよ。何しに来た? 姉さんの知り合いか?」
「なんじゃーまだ寝ぼけておるのか。ちゃんと血の盟約も交わしたじゃろ。で、貴様の望みはなんじゃ? まさかあんな不良どもを蹴散らすためだけにその身を捧げたわけじゃなかろう?」
少女のその言葉にイツキの顔色が変わった。『血の盟約』……あの悪夢の中で彼が口にした言葉だ。加えて何故この少女は昨日の出来事を知っている。いつしかその少女の言葉を軽視できなくなっている自分に気づいた。
「お前は一体……」
「まったく、よいか──」
少女はやれやれと言わんばかりの態度で語り始めた。
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