コワネは音と声を愛する

「人が心に抱く、うれしいとか悲しいとか腹立たしいとかの感情やうまいもの食べたいとか面白いゲームで遊びたいとか人を殺したいという願望は、人の知らないうちに体から外に出ている。空気と同じように漂っているのさ。誰が最初に言ったか知らんがそれは『心の力』って呼ばれている。人間には触れることはおろか、感じることもできない。私らとバケモノどもはその『心の力』とやらによって生み出される。あんたらでいう魂みたいなもんかね? いやちがうな。魂は本当にあるかどうかわからん」

――あるゆがみの娘の語り


 音は人の心を豊かにするエッセンス。

 クラシックを聞いて癒される。ロックを聞いて盛り上がる。

 川のせせらぎの音を聞いて落ち着く。強い風の音を聞いて怖くなる。

 大好きな人の声を聞く。大好きな人の歩く音を聞く。大好きな人の息をする音を聞く。

 大好きな人の心臓の音を聞く。大好きな人が聞かれたくない音を聞く。

 音は人の心を豊かにするエッセンス。

 でも音にこだわり、音を愛しすぎるのはゆがんだ心のようである。



 今、ゆがみの娘のいる町がアツい!

 人々はこの日のために日々のストレスに耐えてきた!

 ついに始まる熱狂のライブ! 観客のテンションは最初からマックス。最後はリミットブレイクだ!

 ああ聞こえてきたぞあの演奏が、あの歌声が、みんなをおかしくさせちゃうあの音の持ち主は!?


 聞こえてるよ 聞かせてよ

 あなたの声 あなたの音

 すべて私の耳に入れさせて

 私の声 私の音

 あなたの耳を満たせてあげるから


 曲がはじまる。歌声が響く! 楽器の音が響き渡る! 観客が黄色い声援を送る!

 ステージに立つのは一人の少女! 異様な楽器を抱えた少女!

 ステージに立つのは一人だけ、なのに歌声もギターの音もベースの音もドラムもキーボードも、あらゆる音が会場中に響き渡る!

 エアバンド? いやそうじゃない!

 全て一人の少女が一つの声と、一つの楽器で全ての音を出している!

 なぜそんなことができる? この少女がゆがみの娘だから!


「♪コ・ワ・ネ 私はコワネ 音と声とみんなを愛する 心のミュージシャン♪」 


 コワネは音を愛しすぎる心から生まれたゆがみの娘。

 ジトッとした目は、ダウナーな感じ。

 鋭そうな髪の毛は、ピョコンと片方だけ角のように突き出た部分につい目がいく。

 まさか「耳が三つある!」と間違われることはあるまい。

 自慢の楽器はとっても異様。コワネにしか使えぬ特別な楽器。あらゆる楽器の音を出せる。

 エレキギターの音も、アコースティックギターの音も、エレキベースも、ウッドベースも、ドラムも太鼓も、キーボードもオルガンも、トライアングル、リコーダー、カスタネットにエトセトラエトセトラ。

 コワネの楽器はあらゆる楽器の音を出す。

 あらゆる楽器をごちゃまぜにして一つにまとめたような見た目の、異様を通り越した異形の楽器をコワネは操る。

 こんなもの普通に手で弾けるわけがない。だけど心配は無用。

 コワネが楽器に心をこめたその瞬間! 楽器はそれぞれバラバラにわかれて、コワネの周りでフワフワ宙に浮く。

 ギターもドラムもベースもラッパも勝手に動いて勝手に音を鳴らしだす! 

 心配無用、楽器が勝手に音を出すわけがない。全部コワネが演奏してる。

 コワネは手を使うことなく楽器を演奏できる。

 まわる楽器の中心に立ち、コワネは歌声を響かせる!

 マイクなんて必要ない。コワネの声は一日中ぶっ通しで歌ったって枯れはしない!

 ライブは大盛り上がりのクライマックス!

 観客とコワネのテンションはオーバードライブ!

 コワネの声、楽器の音、そして観客の大歓声が会場を震わせる!


 笑い声 泣き声 怒り声

 みんなみんな 聞いていたいんだ

 あなたの声 あなたの音

 みんなみんな 聞こえているよ

 キミノコエ キミノオト キミノココロ!


 歌詞はさておき、コワネは間違いなく町一番のミュージシャン。

 電気を使った楽器の音を聞かせてくれるのは、今やこの町のコワネだけ。

 最後の曲を歌い終わったとき、観客は拍手大喝采。

 「♪アリガトウ!」と締めのフレーズをコワネはバッチリ決める。

 観客の歓声、観客の拍手、観客の泣き声、観客の息づかい。

 コワネの耳に入り、コワネの体中に響き渡り、コワネの心を満たさせる。

 ギターやピアノの音よりも、観客の声こそコワネにとって最高の音。

 ゆがみの娘は嫌われているはず? みんながみんなそうではない。


「♪私はみんなの音が好き みんなの音をもっと聞きたい みんなに音を出してほしい だから私歌うのさ~」


 コワネは音を奏でるよりも、音を聞くほうが大好き。

 でもただで音を聞こうとするほどコワネは受け身ではない。

 笑い声が聞きたいときは、お腹がよじれるようなコミックソングを奏でてみせる。

 泣き声が聞きたいときは、心に染み入るようなバラードを奏でてみせる。

 怒った声が聞きたいときは、耳をふさぎたくなる様な下手くそな歌を奏でてみせる。

 子守唄もコワネにとってはお手のもの。その優しい歌声と音に、最後まで聞くことなく人はついついぐっすり眠ってしまう。

 演奏の途中で眠らせてしまってコワネになんの得がある?

 ゆっくり聞くことができるじゃないか、グーグーという寝息を。


「♪飾り気のないみんなの声 さりげないみんなの音 それこそ本当の音楽 それを聴きたいからって~ 4分33秒だまったりはしないのさ~」


 と歌ったりするけれど、時には自分の歌によるものじゃない、本当の自然なみんなの音を聞きたいときもコワネにはある。

 夕飯時のある民家。

 母親の料理を父親も子供たちも、いつものように食べる。

 食事のときに音を出すのは行儀が悪いというけれど、いついかなるときでも行儀のよさが求められているわけじゃない。

 家族は食事しながらさまざまな音を出す。


 スプーンが皿に当たってカツン

 コップにジュースをトクトクトク

 嫌いなもの残した子供にお母さんのコラ!

 家族は気づく、ヘンな歌が聞こえてくる。この部屋から聞こえる。

 自分たちの下のほうから聞こえてくる。

 父親が勇気を出してテーブルの下をのぞくとウワッ! とびっくりして声を出す。

 そこで見たのは、体育座りしているコワネの姿!

 一家団らんの音に耳を澄ますうち、つい即興で歌ってしまった!


「♪ときには耳をすますだけ 観客に徹しようとしても ついつい歌が飛び出ちゃう ミュージシャンのサガ~」


 なんて歌ってごまかしたって、家族はその日以来食事時には必ずテーブルの下を確認するのが日課になるほど恐怖でビクビクしてしまう。

 そのビクビクする音もコワネは大好き。


 コワネは音を聞くのが大好き。

 コワネの好きな音は、気分によってコロコロ変わる。

 今のコワネのトレンドは?

 テクテク スタスタ トコトコ ドタドタ

 そう、足音!

 地面に体をペッタリへばりつかせて、コワネは全身でよーく音を聞く。

 全身をめぐる大好きな音にコワネはとっても幸せ気分。

 でも当然の話、外に出ている人みんな歩いているわけじゃない。ゆがみの娘のいる町にも乗り物はある。自転車とか列車とか。

 その音も悪くはないけれど、でもコワネはもっと足音が聞きたい。もっと人に自分の足で歩いて欲しい。

そうだミュージシャンなら人が歩きたくなるような歌を作ればいいじゃない。

だからできた、コワネの新曲。タイトルは「キミノアシオト」


 一歩一歩にこめられた

 みんなの力 みんなの勇気

 この大地に波紋を描く

 みんなの温かさ みんなの心

 全部全部 聞こえているよ

 さあ 歩こう みんなの足で

 心こめた一歩を刻もう


 コワネのファンには効果テキメン! 発表からしばらくの間、どこへ行くにも乗り物を一切使わず自分の足だけで歩く人たちが急増! 

 そのたくさんの足音を聞いてコワネがもっと幸せになれたのは言うまでもなし。

 仕事に遅刻したり、待ち合わせに遅れたりする人が増えたのもまた言うまでもなし。



  それはコワネが一人、人気のない道で歌の練習をしていたときのこと。

 ライブのときと同じく、コワネは自分を中心に楽器たちを空中に並べる。


「♪いつでもわたしはそばにいるよ 聞き耳たててずっとそばにいるよ ずっと聞いてるよ 君が聞かせる気のない音も」


 アドリブで歌い、曲もつける。

 コワネの声と、楽器たちの音が響く。

 ふうっとコワネはため息をつく。曲の出来はいまひとつ。

 そこにパンパンパンと音が聞こえる。

 拍手の音だ。


「さっすが~♪ すっばらしいわ~♪ いい歌だわ~♪ 耳が三つあるだけのことはあるわ~」


 調子に乗ってそうな声がコワネの耳に届く。

 何かカン違いしてるし、ほめ言葉のつもりでも明らかにおかしい。

 声の主は、やたらきらびやかでハデな服をまとい、偉そうに王冠を頭にかぶる少女。


「答えのわかりきった質問をしてしまうけど、あなたは私のことを知ってるわよね?」


「♪知らない 見たこともない 聞いたこともない」


 不機嫌になる偉そうな少女。

 不機嫌なのはコワネも同じ。自分が気に入らない曲を、やたらとほめられるのはけなされるよりも不愉快なこと。


「まあいいわ・・・知らないなら知らせてやるまでよ。私はエーコ、この町で一番の座につくものよ」


 どういうつもりか、エーコは青いボールを自分のまわりでフワフワと浮かせている。

 手を使わずに。

 そんなことができるのは、エーコが人ではないゆがみの娘であるからこそ。

 どんなときでも自分が一番、自分が一番偉い、自分が一番美しい、全てにおいて自分が一番としたがる心から生まれたもの。

 とってもたちが悪い、はた迷惑極まりない存在である。


「一言多いわ」


 唐突なエーコの言葉に、コワネは首をかしげる。

 こいつ今、自分ではない誰かに話さなかったかと言いたげに。

 人と話してる最中に独り言を吐くなんて、エーコはいろんな意味で危険らしい。


「・・・・・・まあいいわ。ここで言い争ったって意味がないし、そもそも私にしか聞こえてない声だし・・・本題に入るわよ!」


 エーコは不機嫌な顔を止めて、コワネに満面の笑みを見せる。


「あなたってとってもステキな歌声ね~楽器の演奏も上手いし、私だったらこうするってところはあるけど、歌詞が露骨すぎたりするけど、まあその辺は今は問題ないわ。今日はあなたの腕を見込んで、あなたのやるべきことを教えに来たの」


 そう言いながら、エーコはコワネに一枚のメモを渡す。

 それに書かれていることに、コワネは顔をしかめる。


 エーコはいちばん エーコこそいちばん

 みんなエーコのことばをきこう

 みんなエーコをおうえんしよう

 そうすればみんなでくらせる へいわなせかい

 エーコのどりょくがへいわをつくる

 エーコはいちばん エーコはまさしくいちばん・・・


 コワネは途中で読むのをやめた。


「私はこの町で一番というのは感情論ではない客観的な事実なんだけど、どうもこの町の住民はいまひとつわかってなくてねぇ。どうにかするためにも、私自身でプロモーションをしようと思ってるのよね。プロモーションと言ったら、やっぱりテーマソングを作るのが一番じゃない? そこであなたが活躍できる機会を私は用意してやれるってわけよ」


 コワネはエーコの言うことを、聞かないようにしている。

 ただでさえジトッとしているコワネの目が、どんよりしてしまっている。


「本来こういうのは私一人の力でやるべきなんだけど、あなたってまあ音楽に関しては実力のあるほうだし、町の住民の人気も高い。それなら、人気シンガーソングライターであるあなたに、このすばらしい詩にふさわしい曲を作って、あなたが歌ってくれれば、私の人気はうなぎ登り」


 耳をふさぎたがるコワネの気持ちは露知らず、エーコは話を続ける。


「ついでにあなたの人気もさらに上がるわ。私の歌を歌わせてもらったミュージシャンとしてね。私は得するあなたも得する。ウィンウィンの関係ってこういうことを言うのよ。理解できた?」


「♪理解したくない できてもしたくない」


「なんでいちいち歌にするのよ・・・なによ不服だって言うの?」


「♪みんなに愛されたければ 愛されるほどの力を みんなに見せるべき」


「見せようとしても、見てくれなきゃ意味がないのよ。あといいかげん歌うのやめなさい」


「♪単純な話 この詩には共感できない 一かけらもできない いい歌に必要なのは みんなの共感 キミはまるでわかってなーい」


「歌うなつってんの! ああ要するに、まずあんたが私のことをこの町で一番だと思えるように証明しろってこと?」


 ピンポーン

 コワネは音で返事する。


「そういう音も出せるのね・・・わかったわよ、そうねまずは・・・」


 まずは自分の偉大さをスピーチで示そうと、エーコが頭の中で台本を書こうとしたときだ。

 とってもうるさい音だ。

 やかましくて耳に痛すぎる音だ。

 文字で表現するには難しすぎる、嫌な音だ。

 

「ちょっとなによこれ!?」

 

 エーコも思わず手で耳をふさぐ。

 とてつもなく嫌な音が、とても大きなボリュームで聞こえてくる。町中に響き渡っている。


「♪出たな 悪しき音を 発するやつが」


 この上なく嫌な音が響く中でも、コワネは耳をふさごうとしない。

 音が聞こえてない? いいや、バッチリ聞こえている。

 楽器を一つの形にまとめて、コワネは走り出す。


「ちょっと! 置いてくんじゃないわよ!」


 耳をふさぎながら、エーコはコワネの後を追う。


 二人がたどり着いた場所に、コワネが歌う「悪しき音を発するやつ」がいる。

 そいつはひたすら嫌な音を出し続ける。

 町の人たちが、耳をふさいで苦しんでいてもおかまいなし。

 自分の音を聞かせることしか心にない。

 ありとあらゆる音を出すものを、無理矢理一つにまとめたような、醜い体を持つそいつは、

 心のゆがみが生んだバケモノ、ゆがみの魔物だ。

 嫌な音の中に、大きな音が混じる。

 魔物は音のしたほうを振り向く。

 コワネの周りにたくさんの楽器が浮かんでいる。


「♪お前の好きにはさせない」


 ずらっと楽器を一列に並べ、コワネは魔物に宣戦布告する。

 そこに水をさすやつがいる。


「はいはい! あんたはちょっと引っ込んでなさい! 町の平和を守るのが私の役目。平和を乱すやつを排除するのが私の役目。町で一番の私のね!」


 エーコがコワネの前にしゃしゃり出る。

 大きな耳あてで音をふさいでいる。いつのまにか自分で作ったらしい。エーコのサインが入っている。


「魔物相手に楽器なんか並べてるやつの出る幕じゃないわ。見てなさい! すぐに終わらせてやるから、まばたきするんじゃないわよ!」

 

 エーコは青いボールを手のひらに乗せる。

 冷静に構えて魔物に狙いを定める。

 ありったけの心をこめて、エーコはボールを魔物に投げる。

 思いっきり振りかぶったおかげか、ボールはすさまじい速さで魔物に一直線に向かう。


「ハッハー! もう私の勝ちは確定よ! 後はあいつが消し飛ぶ、ドカンって音が聞こえて終わりよ!」


 勝利を確信するエーコ。ドカンという音を待つ。

 聞こえてこない。


「ああ私としたことが、これつけてたらそりゃ聞こえないわ」


 エーコは耳あてを外す。

 聞くにたえない嫌な音が、エーコの耳をつんざく!

 魔物はまだ生きている。

 ドカンの音なんて聞こえてこない!


「ちょっとどうなってんの!?」


 あわてて耳をふさぐ。

 その瞬間、エーコは見た。

 自分が投げた青いボールが自分のもとに戻ってくるのを。

 魔物のそばでドカンと爆発するはずのボールをエーコはキャッチした。


「なんで?」


 戻ってきたボールはエーコの手の上でドカンと爆発。

 いったいどうしてそうなった? 

 飛んできたボールを、魔物は何とか自分に当たるまいとした。

 試しに、ボールに向けてありったけの音を発してみた。魔物の企みは成功した。

 ボールは魔物のそばで反射され、そのままエーコまで返送されてきたのである。

 どういう原理でそんなことに?

 嫌な音を聞かされたことに、ボールが不愉快になったのか、自分をこんな目にあわせやがってとボールがエーコに反抗したのだろうか。

 一つ確かなのは、エーコにこの魔物を倒すことはできないということ。


「認めないわよ」


 そう言ったところで黒コゲになったエーコには、どうすることも出来ない。

 ゆがみの娘はとっても丈夫なので、しばらくすれば元どおり。

 魔物はいまだにうるさい音で町の人を苦しめ続ける。

 なんとかできるのは、今ここにいるコワネだけ。

 コワネは魔物をどうやって倒す。


 「♪悪しき音を許してはいけない 音には音で立ち向かう」


 コワネのやることは一つ。

 音を奏でる。

 コワネの楽器が音を出す。

 コワネの歌声が町に響く。

 言葉はない。ただ音と声だけをコワネは出す。

 きれいな音と声だ。

 とても大きい音と声だけど、うるさいとは思えない。魔物の出す音とは正反対。

 耳をふさいでいた町の人たちも、コワネの出す音と声を聞きたがる。

 魔物が嫌な音のボリュームを上げた。町の人たち再び耳をふさぎだす。

 コワネもボリュームを上げた。町の人たち再び耳をすましだす。

 コワネの音と声を聞いて、苦しんでるのは魔物だけ。

 魔物は負けじと自分の音を出し続けるも、いよいよコワネの音に勝てなくなる。

 コワネは音と声を自由に操る力を持つ。

 コワネにかかれば、どんな音でも出すことが出来る。

 人を楽しい気分にさせる音も。

 どんな場所に行くときでも、歩いて行きたくなる音も。

 人間にはきれいに聞こえても、魔物には聞くだけでこの世から消えたくなるような音も。

 コワネはどんな音でも出せる。

 魔物は必死で抵抗した。でもコワネのほうが強かった。

 コワネの音に魔物は耐えられない。コワネの思い通り、この世から消えてしまいたくなる。

 もうだめだと思ったのだろうか、ついに魔物は音を立てることなく消え去った。

 嫌な音はなくなった。

 町中に響くのは、コワネが奏でるきれいな音と声。

 その音につられ、家に閉じこもっていた人たちも外に出だす。

 この音はいったいなんなんだ。よくわからないけど心地よい。

 ゆがみの娘とゆがみの魔物は同じもののはずなのに、なぜコワネの出す音はこんなにきれいなのだろう。

 苦しみから解放された人たちは、様々な音を出す。

 パンパンと拍手をする。

 窓やドアをガラッと開く。

 タタタッと子供が外をかける。

 ワイワイガヤガヤと、とにかくさわぐ。

 人たちの心は明るくなり、大好きな音を聞くことができて、コワネの心はもっと明るくなる。

 だがこの中に、一人だけ心がどんよりしているやつがいる。

 そいつはなぜかメモ帳を開いて、ひたすら何かを書き続ける。


 エーコはいちばんエーコはいちばんエーコはいちばん

 エーコはいちばんエーコはいちばんエーコはいちばん

 エーコはいちばんエーコはいちばんエーコはいちばん


「歌なんかいらないわ・・・私を一番とわからせるのには・・・・・・」


 落ち込んで自信がなくなりかけたとき、エーコはひたすらペンを走らせる。

 目が虚ろだ。

 見かねたコワネ。エーコのそばに歩み寄り、歌を送る。


「♪キミは一番でないと キミだけが思っているから 少しだけ考えるのをやめて ゆっくり休んでみよう 一番でなくてもいい ずっと休んでてもいい」


 この歌がエーコの共感を得ることはなかった。


 コワネの声は常に歌声だ。

 「どうも」のようなさりげないひと言でも「♪どうも」と歌声にするのを欠かさない。

 いったいどうしてそこまでする?

 コワネが歩いていると突然野良猫がギニャーと、荒っぽい鳴き声を出しながら横切った。

 おどろくコワネが思わず口走った。


「うわっ」


 という声。

 その瞬間、コワネは頭を抱えて自分のふがいなさを嘆きだす。

 ほんのわずかでもこんな醜い音を出してしまうなんて!

 コワネが何より嫌いな音。

 それは歌声ではない自分の声。

 どうしてそこまで思うのか、コワネの価値観としか言いようがない。

 普段の自分の声が一番嫌いというこの悩み。

 落ち込んでしゃがみこんでるときに、


「あんたなにやってんの?」


 とエーコに後ろから声を掛けられたりしたら、コワネはもっとびっくりして


「うひぃ!」


 と声を出して、もっと落ち込む。

 コワネの気持ちがわからないエーコにはなにがなんだか。

 ミュージシャンならこの気持ちを表現してみるべきではないかと、コワネは曲を作り出す。


 聞かせたくない音がある

 聞かなくてもいい音がある

 だから私は歌うんだ

 聞かせたくない音は 決してださない

 1デシベルでも出すことは


 コワネは歌を作る手を止めた。

 このまま書いても、愚痴をそのまま歌にしただけになってしまいそう。

 自分の嫌いなものを語り、ただ不満を吐き出しただけの歌。

 そんなもの自分が客なら聞きたくない。

 コワネは書きかけの楽譜をくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に投げ捨てた。

 コワネにとっての最高の音はみんなの声。人が口を閉ざしてしまうような暗い曲なんて歌わない。

 大好きなみんなの声、みんなの音をその耳に入れるためにもコワネは音を奏で続ける。

 人の家の壁にペタッと虫のように張りついて、人が歩いたりものを食べたり遊んだりしている、音楽でもなんでもない音を聞くとき、それがコワネの一番幸せなとき。

 ワイワイ ドタドタ バタバタ ガチャガチャ

 ハイハイ ワーワー ペチャクチャ ギャーギャー

 ハーハー ドキドキ ゼエゼエ ドクンドクン

 この音に負けない音楽を作る気は、ない。


 

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