ヒガンは血も涙もない人斬り

「ゆがみの魔物とゆがみの娘、姿かたちは違えど全く同じ存在だ。心の力より生まれた人間ではないなにか、精霊だの亡霊だのといったようなものだ。やつらと出会うまでは、そういったものはファンタジーやメルヘンの産物に過ぎないと思っていたのだがな。

ゆがみの娘はなぜ美しい少女の姿をしているか? 狐が美女に化けて人をだます話や、理想の美女の姿に化けて男から生命力を吸い取る悪魔の話を知れば疑問は晴れるだろう」

――ある人間の語り


 人が人を殺すことは、最大の悪事とされている。

 人を殺そうとしている人を殺すことは、仕方のないこととされている。

 人を殺した人を殺すことは、悪事とされることもあれば正義のための行動ともされる。

 どんな理由があっても、人が人を殺そうとしていても、人を殺してはいけないと考えるものもいる。

 人が人を殺すことは、正義なのか悪なのか、それはそのときの人の考えによってころころ変わる。

 人殺しは良いか悪いか? そんなこと、人を殺すことになんのためらいも持たないものには全くどうでもいいことだ。



 青い空のまぶしく、太陽がさんさんと輝くさわやかな日。

 噴水のある公園は今日も子供から老人まで、たくさんの人たちが憩いのときを過ごしている。

 その中にまぎれてそいつはいた。

 そいつは子供を殺そうとしていた。子供なら誰でも良かった。

 理由は今となってはわからない。きっとわかる必要はない。

 無邪気に遊ぶ子供の後ろから、そいつは子供の首を自らの手で絞め殺そうと歩み寄る。

 距離をつめ、子供が気づいていないのを見計らい、子供の首根っこをつかもうとした。

 ヒュンっと音がした。一瞬のことだった。

 そいつが気づくのに少しだけ間があった。自分の身体からみるみるうちに血が失われていく。

 何があったとそいつが振り向く。

 そこにいたのは、痛みを忘れさせてしまうほどに美しい少女。もちろんただの美しい少女ではない。

 長くて切れ味鋭い刀が少女の手にあった。血で濡れた刀が。

 そいつが痛みを思い出すと、なんとしてでも生き延びようと、わめいて助けを求めようとした。


「もらう」


 そいつが声を出す前に、少女の声が耳に届いた。血が凍るほど冷たい声だとそいつには聞こえた。

 少女がそいつにとどめを刺した。その刀でそいつの体に、穴を開けた。

 剣の達人にしかできないであろう早業だ。

 少女が刀をそいつから抜き、ひゅんと一振りすると刃についていた血が一滴残らず消え去り、刀そのものも消え去った。

 少女は人間ではないもの。心のゆがみ、人を殺すことをためらわぬ心が生み出したゆがみの娘。

 事実を述べれば、この娘は子供を殺そうとした人間を殺して止めた。子供の命を救った。

 しかしそこにいたほかの人間たちには、ゆがみの娘がなんの罪もない人間をいきなり殺したようしか見えない。


 少女に自己紹介を求めれば、こう答える。

 

「ヒガンと申します。この町とこの町に生きる人たちのためにこの剣をふるいます」


 ヒガンは人殺しをためらわぬ心から生まれたゆがみの娘。

 ゆがみの娘の例にたがわず、美しい容姿をもつ。

 純白のさらっとした長い髪は、後ろ姿を覆うほど。

 髪とおなじぐらい白い着物には、自分の名前と同じ花を鮮やかな赤色で描く。決して、返り血が染み付いているのではない。

 着物を着て刀を振る姿から、サムライという言葉を思い出すこと請け合いだ。

 サムライをよく知っている人には「なんだあのカン違いしたようなかっこうは」と思われるかも。

 ゆがみの魔物とゆがみの娘の存在を知っている人でも、ヒガンを一目見て人間でないものと気づくのはとても難しいことかもしれない。

 ヒガンはとても優しい目をしている。慈愛にあふれているといっても言い過ぎではない。

 ヒガンの優しさは見た目だけでなく、行動にも現れる。

 不幸のどん底にいる人でも、ああ世の中捨てたものじゃないと思わせてしまいそうな笑顔を見せることをためらわない。

 ヒガンは子供とよく遊ぶ。話すときは膝をつき子供と同じ目線に立つよう心がける。浮かない顔して一人ふさぎこむ子供を見かけたら、迷うことなく声をかける。

 ヒガンは年寄りをよくいたわる。年寄りの会合に顔を出し、料理や出し物の手伝いをすることを苦としない。具合を悪くした年寄りを、担いで医者のもとまで連れて行くことなど苦にならない。

 感謝する人たちにヒガンは決まってこう言う。


「当然のことをしたまでです」


 なぜそこまで人のために行動できるのかと聞かれれば、ヒガンは必ずこう言う。


「私はこの町を、この町に生きる人々みんなを愛している」


 青い空のまぶしく、太陽がさんさんと輝くさわやかな日だ。

 噴水のある公園で、ヒガンは子供たちとたわむれる。

 いつものように笑顔で子供たちと接し、子供たちもヒガンと遊んで笑顔になった。

 突然、ヒガンの顔から笑顔が消えた。子供たちも笑顔を止めた。

 ヒガンは人間ではなくゆがみの娘だ。ゆがみの娘は、人間には感じないものを感じとれる。

 人の心の動き、人が心に抱く思いをゆがみの娘は敏感に感じとれる。

 どんな心を感じるかはゆがみの娘それぞれ。

 ヒガンは人を殺そうという思いに鋭い。

 ひとたびヒガンが殺気を感じたら、子供を絞め殺そうとする人間をその目で見たら、ヒガンから笑顔は消える。

 風になったかのような身のこなしで、周りの人たちをのけぞらせながら、ヒガンは人殺しになろうとしている人間の後ろに立ち、ヒュンと腕を一振りするといつの間にか手に刀を握る。

 何が起こったかはもう伝えたとおり。

 なぜためらいなく人を殺せるのかと聞かれれば、ヒガンは必ずこう答える。


「私はこの町を、この町に生きる人々みんなを愛している。だからみんなの命をうばう奴は、迷うことなく殺してみせる」


 ヒガンは誰よりもこの町の人々を愛するものである。

 ヒガンは誰よりも血も涙もない人斬りである。

 雲で覆われた夜空の下、一人の人間が汗だくだくで息を激しく切らせながら走り回っていた。 

 その人間は運が悪かった。

 疲れ果て道ばたに座り込んだところを狙われた。

 その人間は命の危機を感じ、とっさに自分に向かってきたものを寸でのところでかわした。

 助かったと思う間などない。

 その人間が見たのは、物騒な刃物を握りしめた、人とは似ても似つかぬもの。

 人を殺したい心から生まれたゆがみの魔物。

 落ちていた石を拾って魔物に投げつけても、石は魔物をすり抜けていく。ゆがみの魔物は人間には殺せない。

 怯えすくむ人間、焦ることなく刃物を再び振ろうとする魔物。ゆがみの魔物に焦りはない。

 だが結局、ゆがみの魔物は人間を殺せなかった。

 人間を真っ二つにする前に、自分が真っ二つにされた。

 二つに別れて散り散りとなって、消え去る魔物。現れたのはゆがみの娘のヒガン。

 助かったと思う間などなかった。

 魔物を切り裂いたその刀を、すかさずもう一振りして、ヒガンは人間を切り裂いた。

 痛みを感じる間などなかった。

 その人間は運が悪かった。

 別れ話のもつれで自分の恋人を殺さなければ、

 ヒガンが夜の町の見回りを日課にしていなければ、

 死の間際に恋人が自分を介抱しようとしたヒガンに、自分をこんな目にあわせた人間の逃げた先を教えなければ、

 ヒガンが人を殺したものは殺されて当然という考えを持っていなければ、

 その人間はもう少し長生きできたはず。

 どうしてこんなことができるのかと聞かれれば、ヒガンは迷わずこう答える。


「人を殺したものは殺されることで罪をつぐなう、人を殺そうとしている人は殺してでも止める。それが当たり前」


 ヒガンはこの町の、警察官で裁判官で死刑執行人であろうというつもりはない。

 ただただ人を守りたいと思っているだけ。

 家の窓から外を見つめるだけの子供がいた。

 たまたま目が合ったヒガンは、他の子供にもするようにほほえみかけた。

 子供はひっこみ、家の中に閉じこもるだけ。

 ヒガンはこの家から何かを感じとった。

 その子供の母親は、自分の子供に愛情を一かけらも抱いていなかった。

 ろくにおもちゃも与えず、ろくに勉強も教えてやらず、そまつな食事ばかり食べさせ、気に入らないことがあればためらうことなく殴りつけた。

 夜中にさびしがる子供と一緒に寝るどころか、男をあさりに夜の町へ出かけていった。

 そのときもまた、母親は何か気に入らなかったらしく子供を怒鳴り散らし殴りだした。

 子供にとっては慣れたことだ。慣れるしかなかった。

 殴られて部屋に放り込まれて次の日を待つ。それがいつものことだった。

 そのときはいつもとちがった。

 玄関を蹴破られた。何事かと思う間もなく、抗うひまもなかった。

 ヒガンは家に押し入り、母親を一太刀で斬り殺した。

 ヒガンは感じていた。この母親の心は殺気で満ちている。いつかは子供を殺す気でいる。

 だから先手を打った。子供が殺されてからでは遅い。

 子供の命は助かった。

 しかし子供は、動かなくなった母親に寄りそい、雷のような大きな声で泣き出し、たくさんの涙を流した。

 子供には希望があった。いつかは他の子供の母親のような優しい母親になってくれると。そのために母親にとっていい子になろうと努力もしていた。

 その希望をこの人斬りが踏みにじった。

 子供は一生、ヒガンを恨んで生きる。

 ヒガンは泣いている子供を、何の感情も抱かぬ顔で見つめるだけだった。

 自分のやったことが間違っていたのか、ヒガンはいまだにわかっていない。

 もしも、どうしてこんなことをしたと聞かれればヒガンは表情を変えることなくこう答える。


「当然のことをしたまで」


 ゆがみの娘は少女の姿をした人ではないもの。

 その身に赤い血が流れることはない。


 ヒガンはこの町の人を守る。

 ヒガンはこの町の人を斬る。

 自分の作った刃物の切れ味を道行く人を刺し殺して試した男。

 きれいなアクセサリー欲しさに裕福な人間をだましたあげくに殺した女。

 自分の子供を神へのいけにえに奉げようとした夫婦。

 ヒガンがみんな斬り捨てた。

 みんな死んで当然と思われるような人かもしれない。

 ヒガンは正義の味方と町の人たちに、たたえられているか?

 とんでもない!

 ヒガンが人斬りだと知った人間たちは、ヒガンのほほ笑みに裏があるとしか見れなくなる。

 ヒガンが殺すのは人を殺したか殺そうとしている人だけ? 

 問題はそこじゃない、人殺しを好きになれるわけがない!

 ゆがみの娘には逆らえない。だが忌み嫌うことはできる。

 自ら近づくこともせず、子供たちをヒガンに近づけぬようにもした。

 ヒガンのことを知らない子供が、ヒガンの前でつまずき転んだ。

 ヒガンはいつものように子供に手を差し伸べる。ヒガンの手をつかもうとする子供。

 その光景を見た人間が、子供を人斬りから守ろうと拾った石を投げつけた。

 ヒガンは振り向き、自分に向かってくる石を見つめた。

 その石がヒガンの顔をすりぬけていく。

 石を投げた人間も子供も誰かが言っていたことを思い出す。

 ゆがみの魔物とゆがみの娘、見た目は違うが全く同じ存在だ。

 子供は自ら立ち上がり走り去る。石を投げた人間は、あわてて逃げる。

 ヒガンは差し伸べた手を戻し、何の感情も抱かぬ顔でただ空を仰ぐだけ。

 青い空のまぶしい、太陽がさんさんと輝く日だ。



「人を殺すことが楽しい? 本当は人を殺すことなんていや? そんなこと思っていない。当然のことをしていると思っているだけ」


 ヒガンは人を愛す。

 ヒガンは人を守る。

 ヒガンは人を斬る。

 ヒガンは人に忌み嫌われる。

 しかしヒガンには血も涙もない。

 たとえこの町の人間全員がヒガンを憎んでも、ヒガンは悲しみも恨みもしない。

 ヒガンは人を愛し続け、ヒガンは人を斬り続ける。

 人斬りが人斬りをやめるわけがない。

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