第9話 翠光

 目の前で行われた凶行に、紅巴は言葉を失った。

 最愛の灯朱が、最愛の火凪を殺める瞬間を、この目で見てしまった。

 まるで自身の胸までも刺し貫かれてしまったかのようだった。心臓が痛い程に跳ね、尋常ならざる現実を脳が受け入れられず、拒絶感から吐き気すら催す。


「これはこれは、ようこそいらっしゃいました」


 茫然自失の紅巴を見たルキフェルが、静かに一礼する。

「貴女がこの宴の最後のお客様です。歓迎致しましょう、綾神紅巴殿」

 ルキフェルの言葉のすぐ後に、紅巴の持つ電子手帳の機械音声が危険を告げた。


【emergency information 災真反応値を確認。驚異レベル5を発令し、対象を災真と認定。本部とのリンクを開始します】


 紅巴は無意識に手帳を取り出し、レーダーに目を向けた。そこには対象の反応地点を示すマーカーが存在しなかった。

 そしてすぐに、目の前の男が神隠し事件の犯人なのだと確信した。

 微かに残っていた気力を振り絞った紅巴は、ルキフェルを睨みつけ、対真銃レトリビュートを取り出し、照準を合わせた。

 距離にして約10m。

「お前が神隠し事件の犯人か。……妹に何をしたッ!!」

 紅巴の怒りの叫泣に、ルキフェルが肩を竦めた。

「いかにも。しかし何度も同じ話をする趣味は御座いません。ましてや貴女相手ではその価値もない。……姫よ」

 と呼ばれた灯朱が、ルキフェルの前へと立ちはだかる。

「それが最後の贄です。殺しなさい」

「はい、ルキフェルさん」

 迷わず返事をした灯朱が、正面に立つ紅巴の元へと歩き始めた。

「トア! 何をやってるの!? そこを退いて!!」

 緩慢な動作で歩きながら、手の平から先ほど火凪を殺めた直剣を精製する。

「トア……? ……どう、して……」

 力なく下ろされた紅巴の手が、対真銃レトリビュートを取り落とす。

 心は既に、限界を越えていた。

 それを見た灯朱が、可笑しそうに嗤う。

「ごめんね、クー姉ちゃん。カナ姉ちゃんならわたしを殺せるかと思ったんだけど、まだダメみたい」

「……え?」

「まだわたしに人間が残ってるからダメだったと思うの。わたしはわたしなんか大嫌いなのに、酷いよね」

 灯朱が何を言っているのか、紅巴には理解出来なかった。

 

 ただ、そう言った灯朱の瞳を見た瞬間。


 その時に何故か。

 

 本当に、何故だろうか。


「だから、クー姉ちゃんもわたしに殺されてね」

 

 灯朱の事を、改めて、心の底から愛おしいと思った。


 灯朱が突き出した直剣は音も無く、紅巴の胸の中心に、まるで吸い込まれるように突き刺さった。

 

 その直後、灯朱は懐かしい香りを感じた。

 それは在りし日の、母の匂いだった。

 同時に、自分の体を、暖かくて柔らかいものが包んでいる事に気が付く。

 そしてその正体が、自身を抱きしめている姉の体であると知るのに、数秒の時間を要した。

 

 灯朱の体は、貫いた直剣ごと、紅巴の両腕に優しく抱かれていた。

 すぐ耳元で、姉の、か細い声が聞こえる。


「……トア……ごめんね。……ずっと、困ってたんだね……」


「でも、お姉ちゃん、鈍感だから、気づかなかった……なぁ……」


「もっと……トアと、お話すれば……良かった、ね……」


「こんなに、傷だらけに、なって……女の子……なのに……ね」


「……はや、く……病院……に、連れて……行かな……き……」


 

 紅巴の腕が灯朱の背中から力無く離れ、その体が地面へと崩れ落ちた。

 

 ルキフェルの高笑いが夜の空に轟く。

「素晴らしい姉妹愛だ! やはり最初から本命である貴女を贄にするべきでしたなぁ! さぁ姫よ、間も無く天蓋から黒き涙が墜ちます! いよいよ我々の世界の創造ですぞ!!」

「はい、ルキフェルさん」


 微笑む灯朱の頬を、一筋の涙が伝った。

 だがその涙に気が付いた者は、灯朱を含め、誰も居なかった。 



【side:奥乃天示】


 摩天楼に到着した俺は、延々と続く階段をひたすらに上り続けていた。

 ここの階段を駆け上がる度に『エレベーター位用意しとけよ』と思うのだが、当然の様に、この世界には電気などと言う気の利いた物は存在しない。

 実に不便な世界だ。やる事だけやってとっとと帰ろう。

 

 仄暗い階段をずーっと上がり続け、『あれ? 無限ループしてね?』と、不安になり始めた頃、屋上階への扉が見えてきた。

 目的の場所に辿り着いた俺は、ひと呼吸おいた後、両開きの鉄製の扉をグッと力を篭めて押し開いた。

 

 そこには――


 の花弁を満開に咲かせた、一本の巨大な桜の樹がそびえ立っていた。

 月明かりだけが照らす世界。摩天楼の屋上階に堂々と佇むそれは、夜空すらもすっぽり覆い隠してしまう程に枝を伸ばしている。

 その姿は雄々しく、そして、心奪われる程に美しかった。

 この世界で俺が唯一、好きだと思える場所だ。

 

 しばらくの間、桜に見入っていると、目の前を真っ赤な花びらが、ほろほろと落ちて来た。釣られて見上げるとそこには、良く見知った少女が、桜の枝に腰掛けながら俺の事を見下ろしていた。

 

 年の頃は15歳程の、やや赤みがかった、長い黒髪の少女。

 真紅の燐光を纏い、劫火の翼をパタパタと動かしながら、紅玉ルビーみたいな色の瞳で、俺を見つめて微笑んでいる。


 先程の天の声の主である少女に話し掛けようとしたが、先に口を開いたのは少女の方だった。

『おぉ、天示よ。死んでしまうとはなっさけなーい』

 両手を広げて首を振る少女。『ガッカリだぜ』とでも言わんばかりの態度に軽くイラッとする。

「まだギリギリ生きてるっつーの。力を貰いに来ただけだから、さっさと寄越せ」

 、と聞いた少女が目を細めた。


『――汝、我が力を望むならその証を――』


「それはもういらん」

 しつこい。

 ボケをピシャリと遮られ、怪訝な顔で口を尖らせた少女が、腰掛けていた枝から、ひらりと舞い降りた。

 身に着ている黒いワンピースのお尻部分を軽く手ではたき、満面の笑みを見せる。

『一度は受け取りを拒否した力を取りに来たって事は、人間をやめる決心が付いたって事かね? 前も言ったけど、一度受け取ったら返品は出来ないよ?』

「分かってる。……まぁ、やむを得ずってトコかな。出来れば、もうここには来たくなかったよ」

 だけど、今の俺には戦う為の力が必要なんだ。

 自分で確認しておきながら、少女はあまり関心はないのか、事も無げに言う。

『ふーん。で、どっちにする? 天示の〈オーク〉? あたしの〈フェネクス〉?』

「そりゃ勿論、オー……」

 一瞬〈オーク〉と言いそうになったが、憮然とした顔の火凪さんが、脳裏を過ぎった。

「……〈フェネクス〉で」

『? いいよー。こちらで? お持ち帰り?』

「お持ち帰りで頼む」 

 ファーストフードか。

 思わず普通に返したが、『こちらで』と言ったらどうする気だったんだコイツ。

『……んぅーん』

 唐突に、少女が猫みたいな声を出し、難しい顔で腕をこまねき出した。

「? どうした?」

『んぅー、力をあげるのは良いんだけどさ。ルキフェルと戦うんでしょ? やめた方が良いよ?』

 聞き覚えの無い名前が出てくる。

 一瞬、知ってる奴の名前と聞き間違えたが、そいつとは別人のようだった。

「ルキフェル? 誰それ」

『さっき天示がボコボコにされたアランって契約者。なんか堕天使と合体したとかで、今はルキフェルって名乗ってるっぽい』

 なんだそれ。ちょっと気絶してる間に、中学校の屋上凄い事になってるなオイ。 

『お助けキャラとしては、向こうに帰ったらソッコーで逃げる事を勧めます』

「ちょっと待て。何だよ、お助けキャラって」

 いつからそんな有り難いモンになったんだ。

 少女はなおも、キラキラした目で喋り続ける。

『ずっとやって見たかったんだよねー、お助けキャラ。……あ! 次ここに来る時は、どら焼きとかドーナツ持って来てよ!』

「お前すっげー辛党じゃん。明太子とか、こよなく愛してる子じゃん」 

『あっ! いいねそれ! ご飯も欲しい!』

 嬉しそうにぴょんぴょん跳ねて白米を要求する少女。

 ……あれ? 何の話だっけこれ。

 話が脱線しまくってるので、強引に仕切り直す。

「……で、やめた方がいいってのは、どう言う事だ?」


『負けて死ぬから』

 

 表情も変えずに言い放った。……随分しれっと言ってくれるなぁ。  

『正確に言うと、戦わずに逃げた場合、あの三姉妹の内、二人は助けられると思う』

 三姉妹……って、紅巴さんもあの場所にいるのか?

 まぁ、事件の規模を考えたら、警察が動くのは当然なんだけど。

「……具体的には?」

『長女と次女は助けられる。でも末っ子は死ぬ。ちなみに〈黒の天蓋〉もどうにもならないから、戻ったら二人を担いで即逃げる事が前提のプランね』

「それじゃ駄目だ。全員を助ける方法は無いのか?」

『無いなー』

 このお助けキャラは、お助けする気があるのだろうか。

「……お前の〈フェネクス〉で時間を稼いで、応援が来るまで粘るってのは?」

『無理無理。中学校の周りにでっけー結界張られてるし。応援が来るより先に〈黒の天蓋〉が完成して、例の黒い泥が街に降ってお祭り騒ぎになるね』

「……じゃあ、火凪さんに手伝って貰って、先に〈黒の天蓋〉を――」

『無理無理。もたもたしてたら皆死んでバッドエンド』

「……なら、そのルキフェルってのを先に――」

『無理無理。天示が負けて死んでおしまい』

「なぁ、ここ国語辞典無いか? 『お助け』が載ってるページでお前をブン殴りたいんだけど」

『殴られるのは嫌だけど、国語辞典ならあるよ?』

 すると少女は、ワンピースのポケットからいそいそと『コンパクト国語辞典』なる物を取り出したいや待て何故常備している。

 少女が俺に『ん』と言って差し出す。

 ……まぁ、渡されたからには俺も調べざるを得まい。

 紙媒体の辞典なんか久しぶりに見たな。えーと、お……お……お助、け……は無いのか。た……たーす……け。

 



たす・ける【助ける ▲救ける】

(動力下一他)(文)たす・く(カ下二)

1 面白そうならやらせてみる、時に諦めさせる。「天示を―・ける」

2 困っている天示などにアドバイスを与えてお助けする。可能な限りする。「あたしが―・ける」

3 無理なら無理と言う、物事がうまく運ぶようにお助けする。助力する。出来たらする。「天示のしたい事を―・ける」

4 より面白い状態になるようにする。促す。「面白くならなさそうなら―・けない」

5 天示が泣いたらそっと支えて優しい姉アピール。「困っている弟を―・けるあたし」

6 お助けに失敗したら全力で誤魔化す。「その時は―・けてね?」 




「ほりゃっ!」

 全力で投擲したコンパクト国語辞典は、流石コンパクトと言わんばかりの軽さで、摩天楼の空を流れ星のように軽快に飛んで行き、眼下に広がる闇の世界へと消えていった。

『あぁぁぁあ捨てたーーーー!! 貸しただけなのにーーーっ!!』

 半泣きで屋上の端へと走る少女。

 際から身を乗り出し、必死の形相で落下したコンパクト国語辞典を探すが、この高さだ。見つかるはずもない。

「ごめん、びっくりして」

『びっくりして捨てんなよぉっ!! 天示あたしにだけすっごい冷たい!!』

 憤慨の顔をこちらに向けて抗議しているが、なら無い方がマシだろう。何かの間違いで小さな子供とかが読んだら、目の毒だし。

 まぁあんな尻を拭く紙にもならん物体の話より。

 俺は両手の人差し指を立てて、聞いてみた。

「なぁ、俺の〈オーク〉とお前の〈フェネクス〉を、ダブルで使ったらどうなる?」

 しばらく不貞腐れた顔でこちらを睨んでいた少女だったが、やがてしぶしぶと立ち上がり、こちらへと歩いてきた。

『……三姉妹は全員助けられるし、〈黒の天蓋〉も多分消せると思う』

「おお、それなら――」


『だけど天示が死ぬ』


 あぁ、今度はそうなるのか。

「……それ、確率で言うと何パー位?」

『ひゃくぱー』

 身も蓋もない数字だった。

 目を見る限り、冗談で言ってるようには見えないし。

『どうする? 〈オーク〉も持ってく?』

 少女の言葉に数秒の間、考え込んだ。

「……死ぬのは困るから、取り敢えず〈フェネクス〉だけでいい。どうにかそれで完全勝利のルートを探してみるよ」

無理だと思うけどね。まぁ奇跡でも起きたらハッピーエンドになるんじゃないかな。一応念の為、〈オーク〉の発動キーも、いつでも使えるようにはしておくね』

 100でないなら、やってみる価値はあるだろう。

 覚悟を決めた俺は、真紅の桜の方へと歩き……だそうとして、少女の方を向いた。

「ところでお前に聞きたいんだけど――」

『それ』

 突然、指を差されて話を切られた。表情も不機嫌そのものである。

 一体なんだってんだ?


『さっきからその「お前」って言うのやめてよ。あたしにはちゃんとって名前があるんだから!』


 少女の訴えに、すぅっと、頭の熱が冷える。

「……違うだろう」

『違わないよ! あたしはフィクスだってずっと言ってるのに天示は――』

「……そうじゃないだろう。お前は」

 だって、お前は。


「お前は、じゃないか」


 3年前の〈黒の天蓋〉の後。

 フィクスの死を受け入れられなかった俺は、ほとんど無意識の内にを創っていた。ベースとなったのは俺が知るフィクスの記憶と、フィクスの力、〈フェネクス〉の残滓だ。

 言うなれば、目の前のは半分がで、もう半分はなのだ。

 大切な人の偽物を勝手に創ったと言う自己嫌悪から、すぐにこいつを消してしまおうと思った。

 ……でも、それは出来なかった。

 いつしかこいつは、この場所――俺の深層意識の世界に番人気取りで住み着くようになっていた。

 こいつには何度も『自分から居なくなってはくれないか』と頼んではいるのだけど、どうにも聞き入れては貰えず、今に至る。

 

 そして、フィクスと瓜二つのこいつは、一つ、彼女とは決定的に違う部分がある。


「……名前で呼んで欲しいならニセモンでいいだろ。宜しくな、ニセモン」

『あ、今のムカついた。……いいもん。フィクスがダメなら、もっとちゃんとした名前で呼ばないと〈フェネクス〉もあげないから!』

 そう言ってぷいっとそっぽを向く。……本当に面倒な奴。

「ったく、分かったよ、仕方ないなぁ。えーっと、……にー……にー……」

『……ねぇその、やたらを強調するのって、ニセモンのだからじゃないよね?』

 不安そうな顔を向けるニセモン(仮)は無視して、思案する。

 腕を組みながら何となく空を見上げ、桜の枝の隙間から僅かに星が見えた時、一つの名前を思いついた。

「……ニュクス」

『ニュクス?』

「うん、どうよ」

 ニセモン(仮)は、噛み締めるように何度か小さく『ニュクス』と呟くと、やがて満足そうに微笑み、親指を立てた。

『うん、合格! 次からはちゃんと呼んでよね! ……それで?』

 それでって何だよ。……って、俺が言いかけた話か。

「あー、ニュクスって、俺の体を通して向こうの世界の事を見てるんだろ? 紅巴さん、俺があの場所で死にかけてる事に気が付いてた?」

 一般的に見たら死んでるとしか思えない状態だった筈。

 見られてたのなら、今の内に言い訳を考えておかないと。

『ん? クレハって……? あー…………あ゙ー』

 何か、二回目の『あー』が凄い忌々しげに聞こえた気がするんだが。

『うーん、気が付いたみたいだよ。でもチラ見で素通りだった』

「ちらみ!? すどっ……ちょ……マジで!?」

 おいおいマジか! 気がついたなら多少は心配してくれても……。

『マジマジ。走り去りながら「おー死んでる死んでるー」とか言ってたよ』

「そ……そんな……」

 愕然とする俺。なんかもう、戦う前から心が折れそう。

『あれは多分、下校中にアリの巣見つけた小学生の方が食い付き良かったね、間違いなく』

 結構打ち解けてるつもりだったんだけど、俺って実は紅巴さんに嫌われてたのかもしれない。

 ……あ、やばい……涙が。

『ねぇ、あたしも一個、天示に聞きたいんだけどさ』

「……ぐすっ……ん? 何だよぉ」


『どうして知り合って間もないのに、あの姉妹の為に頑張るの?』


 急に改まったと思ったら、なんだ、そんな事か。

「紅巴さんは、俺の目を見て話をしてくれた」

『ほう』

「灯朱ちゃんは、俺の料理を食べて『おいしい』って言ってくれた」

『ほほー』

「火凪さんには、何回か殺されかけたな」

『ほっほー。……って良いの? それ』

 訝しげに目を細めるニュクス。

「でも、灯朱ちゃんの事を、『お願い』って頼まれた」

『ふーん。……クレハって奴には、殴る蹴るの暴行も受けてたっぽいけど?』

「蹴られてはいないし、とか言うな。それは〈感覚操作の式〉ってのが原因だろ? ホント、俺を創った連中は、どうしてそんな厄介なオプション付けたかね」

『それは天示が勝手に繁殖したら困るからって、前に――』

「あーあーあー! 言わなくていい言わなくていい!」

 以前ニュクス……ではなく、フィクスと同じ話をして、口論になった事を思い出した。フィクスは理由を教えてくれただけで、何も悪くなかったのに、当時の俺は感情のままに、つい当たってしまったのだ。

 ……本当に、あの頃の俺は、何も知らないだけの子供だった。

『んで? 理由はそんだけ?』

「そんだけ」

『うわ、チョロ』

「うっせ」

 ニュクスに毒を吐き、俺は再び桜の元へと歩いた。

 

 ほどなくして、桜の根元に突き刺さっている、一本の黒い枝の前で立ち止まる。

 ちなみに枝と言っても、この桜の物ではない。

 この黒い枝こそが、フィクスの力の源。

 【広域浄界心装リイヴァテイン】なのである。

 俺はリイヴァテインの先端を、小指から順に、しっかりと握り締めた。

 

 そして、渾身の力を以て――引き抜いた。

 

 その瞬間、真紅だった桜の花弁が、一斉に白緑びゃくろく色に変化した。

 限りなく白に近い翠色の花弁が、祝福するように舞い降りてくる。

 直後、桜の色の変化に呼応するように、手に取ったリイヴァテインまでもが、その姿を徐々に変えていった。

 

 変形、収縮を繰り返し、成り代わった形は大型のタクティカルナイフ。

 

 色は枝の状態の時と同じく、夜空を直接切り取ったような黒。

 エッジの先端からナックルガード、柄の先までが一枚のブレードになっており、バック部分の一部はソードブレイカー状の、凸凹の鋸刃になっている。

 刃渡りは約40cm、柄側の刀身まで入れると60cm以上はあるだろうか。

 もしかしたらこれは、フィクスが俺の最も扱いやすい形に誂えてくれたのかもしれないと思うと、少しだけ嬉しかった。

 

 僅かな時間を置いた後、辺りに白い光が溢れだした。……目覚めの予兆だ。

 何となく、遠くに立っているニュクスの方に目を向けると、笑顔で手を振ってくれていた。徐々に白んでゆく世界に同調して、その体が段々とぼやけていく。

 どうせしばらく会う事もないのだと思った俺は、気まぐれで聞いてみた。

「なーニュクスー! もしさー!」

『んー? なーにー?』

「もし俺が死んだら、どう思うー?」

『んぅ? ……うーん、びっくりするかなぁ。……あ、でも多分』

「多分ー?」

『そうなったら、ここでずっと一緒に居られるようになるし、嬉しいと思うよー!』





 


 
















                  























『んー? 何か言ったー?』

「……いや、別にー! ありがとなー!」

 霞んでいく景色の中、首を傾げるニュクスの姿が、少しだけ悲しかった。

 

 準備は整った。……さぁ、行こう。

 

 ――反撃だ。


【side end】



 指先だけが、わずかに動かせた。

 灯朱に心臓を貫かれた火凪であったが、その命は、まだ辛うじて保たれていた。

 刺される直前、姉の紅巴の声を聞いた気がするが、一体どうなったのだろうか。

 確認しようにも、出血によって熱を奪われた体はまるで氷のようで、指先以外は全く動かせない。

 痛みはもう無いが、代わりに酷い眠気を感じる。

 眠ってはいけないと強く思うのに、それはとても抗えるようなものでは無かった。


(何も……出来なかった……)


 何が退魔師綾神火凪か。

 何が第七継承候補か。

 父に誓ったのに。母に誓ったのに。自分は妹の為に、何もしてあげられなかった。

 あの少年も、巻き込んでしまった。最初こそ本気で滅ぼそうとしていたけれど、今になって考えると、そこまで悪い災真じゃなかったのかもしれない。

 

 次第に、視野までも狭まってきた。

 これが終わりなのだと告げられるように、火凪の世界が閉じられていく。

 最期に残った意識の中で、妹に詫びた。


(ごめん、ね……トア)


 そうして、火凪の瞼はゆっくりと閉じていった。

 

 ――――――


 ――――


 ―― 


 だが、いつまで経ってもが訪れる事は無かった。

 不思議に思った火凪が再び目を開けると、倒れている自分の手の指の間、コンクリートの割れ目から、青々とした植物の芽が生えている事に気が付いた。

 その瞬間、強大な力を持ったが、この屋上に近づいている気配を感じ取った。

 それは、横たわる火凪の視線の先。屋上扉の方から、強く伝わってくる。

 

 


 だが、これ以上何が起きると言うのか。

 そして仮に何かが起きたとして、自分に何が出来ると―― 


 トクン――


 トクン、トクン――


 不意に、機能していない筈の火凪の心臓が、細動を始めた。その直後に体に熱が戻り始め、同時に、全身を激しい痛みが襲った。

「! ぁぐっ! ……グぅっ……! くっ……うぁ、あ……っ!」

 一瞬にして、意識が引き裂かれんばかりの激痛。

 息を荒げ、汗水を流しながら、身を焼かれるような痛みに堪える為、必死で自分の体を抱きしめて、藻掻く。

 だが視線だけは屋上扉から外さず、穴でも空けんばかりの眼光で、その一点を睨みつけていた。

 まもなく、屋上扉が開かれ、中から一人の少年が姿を現した。


「……あのぉ……すみませーん……?」


 何やら申し訳なさそうに、腰を曲げながら現れた少年――奥乃天示。

 二言目には『トイレ何処ですか?』とでも言いかねないとさえ思える弱々しさだ。

 だが、天示が生きている事を知った火凪の目が、一瞬、安堵の色を宿す。

 しかし、すぐにそれが緊迫を告げるものへと変わる。

「……っい……! にっ……げ……!」

 『早く逃げろ』と言いたかった。しかし、喉が張り付き、上手く言葉が紡げない。

 火凪の声と、闖入者の存在に気が付いたルキフェルが、こちらに目を向けた。

「……おや姫よ、仕損じたのですか? 折角のフィナーレにこのような蛇足を――」

「っあぁーーーーー!! タイムタイム!! ちょっとターイム!!」

 ルキフェルの話を、天示の絶叫が遮った。しっかりと手を『T』の形にしている。

 慌てた様子の天示が、転びそうな勢いで火凪の元へと駆け寄る。

「だっ……大丈夫ですか、火凪さん! って、どう見ても大丈夫じゃなさそうだけど……」

 おろおろと視線を泳がして、火凪の容態を見る天示。

 声を出せない火凪が、精一杯『逃げろ』と口を動かす。しかし、その意図は全く伝わらない。

「何か、金魚みたいに口パクパクしてるし。傷もすげぇ痛そうじゃないですか。……よし、ちょっとだけ我慢して下さいね」

 そう言うと天示は、おもむろに屈み込み、右手を開くと、

 

 ――その直後、その手のひらの上に翠色の炎が現れた。

 

 ゆらゆらと燃える翠炎に、火凪が目を見張った。

「熱くはないんで。……行きますよ」

 言いながら、手に持った翠炎を火凪の体へと押し当てた。

 すると、火凪の全身が翠色の光に包まれ、負っていた傷の全てが、動画の逆再生のように、みるみる内に治癒していった。

 治療の完了と同時に発光現象が収まり、驚いて大きく息を吸い込んでしまった火凪が、思わず咳き込む。

「! けほっ! けほっ! ……な、何これ、体が……?」

 ペタペタと自分の体を触るが、あれだけあった傷は全てが塞がり、数秒前まで苦しめられていた激痛も、今は全く感じなかった。

「これで、もう大丈夫です。でもすぐには動けないと思うんで、ここで少し待って……って、ああーーーーっ! 向こうで紅巴さんも死にかけてるーーー!!」

 弾かれたように立ち上がった天示が、今度は紅巴の元へと駆け寄る。

 そして火凪の時と同じように翠炎による治療を施すと、その体を抱き上げ、火凪の元へと小走りで戻った。

「気絶してるみたいです。ここに寝かせておくんで、傍に居てあげて下さい」

 茫然としている火凪の隣に、天示が紅巴をゆっくりと降ろす。

「あんた……一体何者なの……?」

 火凪はまばたきもせず、座ったまま、呆けた様に天示を見上げている。

 だが、天示はその問いかけには答えなかった。

 代わりに、少しだけ寂しげな顔で、苦笑を返した。


「治療能力とは驚いた。妙に頑丈だと思ったら、君は災真干渉者だったのですね」


 背後から聞こえたルキフェルの声に、天示が振り向く。

「お前がルキフェルか。……あのさ、一つ聞いていいかな?」

「ふむ、何でしょう?」


「お前、ルフェルとは全然無関係なんだよな?」


 天示の質問の意味を理解出来ないルキフェルが、嗤い飛ばす。

「何が言いたいのか、理解出来ませんな」

「いや、それならいいんだ。……だったら、思いっきりやれるから」

 言い終えた天示が腰を落とし、戦闘態勢に入った。

 しかし、

「残念ですが、わたくしはこれより降臨の為の最後の儀式に入らねばなりません。君の遊び相手は姫にして頂きましょう」

 ルキフェルが顎でしゃくると、先ほどまで傍観者だった灯朱が、天示の正面へと立つ。

 濁った目を向ける灯朱は、もはや屍人のようであった。

「さっき殺したと思ったのに。やっぱり奥乃さんって化け物なんですね」

「灯朱ちゃん……」

「折角お姉ちゃん達も殺したのになぁ、また殺さなきゃ」  

 面倒くさそうに吐き捨てた灯朱が、直剣を生成して、掴み取る。

「それでは姫よ、後でお迎えにあがります。……完全なる〈黒の天蓋〉の下で、再びお会いしましょう」

 そう言い残したルキフェルは一度だけ頭を垂れると、一瞬にして空高くへと飛び立っていった。

 

 向き合う天示と灯朱。火凪は口を結び、二人を見つめる。

 

 数秒の沈黙の後、灯朱の全身を注視した天示が、悔しそうに顔を歪めた。

(……か。ニュクスの奴、これじゃ最初から詰んでるんじゃないか)

 頭の中でお助けキャラを一発殴っておく。

「? どうしたんですか? 来ないんですか?」

 灯朱は首をことりと傾け、不思議そうにこちらを伺う。その仕草だけを見れば、天示のよく知る少女のものである。

 天示は丸腰のまま、小さく息を吐き、両手をだらりと下げた。 

「来るも何も。俺は灯朱ちゃんと戦う気はこれっぽっちもないよ」

 灯朱の顔に苛立ちの色が浮かぶ。

「……わたしと遊んでくれないんですか? やっと災真になれるのに、また仲間に入れてくれないんですか?」

「そんな事でなれる仲間なんかいらないよ」

 呆れたように天示が言った、その瞬間。灯朱が猛然と飛びかかってきた。

 間髪入れずに全力で撃ち込まれた刺突を、天示は体を傾けて回避――しながら、繰り出された直剣を素手で掴み取って、灯朱の動きを止める。

 一驚した灯朱が剣を引き抜こうとするが、ピクリとも動かない。

「灯朱ちゃん。俺に言ってご覧?」

「……っ……うるさい!」

 灯朱は握っていた直剣を手放すと、体を半回転させ、動作の中で新たな直剣を生成させた。

 続け様に放たれた二擊目の刺突が天示の眉間を捉える。しかし、これも首を倒すだけの動作で難なく回避。空を切った直剣を即座に指で摘み取ると、それを粉々に砕いた。

 飛散する直剣の黒い破片を目で追いながら、小さく歯噛みした灯朱は、すぐにその場から飛び退き、天示と大きく距離を取る。

「……奥乃さん、ずるいですよ。そんな力を隠してたなら、もっと早く見せてくれれば良かったのに」

「一度使っちゃうと面倒な事になるんだ。それより、灯朱ちゃんは俺にのかな?」

「さっさと殺されて下さい」

 灯朱はそう吐き捨てると、両手を真上に掲げた。するとその手から、これまでの直剣とは比べ物にならない大きさの、漆黒の柱が生成され始めた。

 直径にして約3m。

 無骨な柱は、留まる事を知らぬとばかりに上へ上へと伸び続け、50m程の長さに達した所で、ようやく止まった。

 巨大な柱の生成で力を消耗し過ぎたのか、灯朱が肩で息をつく。

「避けたら……学校ごと……クー姉ちゃん達も、潰れますよ? どう、します?」

「どうしたいかを聞いてるのは俺だよ。さっきの『殺されてくれ』ってのは、灯朱ちゃんの本当の想いじゃないから、ナシね」

「! ……だったら……皆潰れろっ!!」

 灯朱は悲鳴のような咆哮を上げると、真っ直ぐに柱を振り下ろした。

 眼前に迫る殺意の塊に対し、火凪が咄嗟に心火の鍔を向けて、防御を試みる。 

 しかし、それが激突するよりも早く、天示の足元に翠色の粒子が収束した。

 そして、まるで傘でも差すような仕草で、振り下ろされた巨大な柱を片手で軽々と受け止めたのだ。

 その光景を間近で見た火凪は、一瞬、魂でも抜かれたかのように放心状態になった。

 思わず取り落としてしまった鍔の落下音で、はたと我に返る。

 柱を掴んでいる天示の指が、握力によって徐々にめり込んでゆく。

「何度でも聞くよ。灯朱ちゃんは、?」

「……っ……だったら……だったらぁっ!!」

 灯朱は絶叫しながら柱から手を離すと、即座に2本の双剣を生成。それを両手で掴み取り、鬼気迫る勢いで突っ込んで来た。

 天示はぶっきらぼうに、柱を校庭の方へと投げ捨てると、再び両腕を下げる。

 その直後、灯朱の全身全霊を篭めた双剣の刃が振り下ろされ、


 天示の両肩に――届いた。

 

 だが、その刃は、天示の着ているパーカーを切るのみに留まり、肉体には傷一つ付ける事が出来なかった。

 双剣で切り込んだ前屈姿勢のまま、俯いてた灯朱が、ゆっくりと顔を起こす。


「……だったら、その力で今すぐわたしを殺して下さい」


 その言葉を聞いた火凪が息を呑み、絶句する。

「……もう、灯朱ちゃんの力じゃ〈黒の天蓋〉の力を抑えられないんだよね?」

「はい。今は力が空っぽなので、わたしはもう動けません。……でも」

 灯朱がわずかに目を伏せる。

「黒の涙が落ちて、天蓋の力の供給が始まれば、わたしはまた沢山の人を傷付けます。……だから、その前に奥乃さんの力で、わたしを殺して下さい」

「それが、灯朱ちゃんの本当の願いでいいんだね?」

 後ろでそのやり取りを聞いていた火凪が、慌てて立ち上がろうとするが、脚に力が入らず転倒する。

「はい……お願いします」

「分かった。……少しだけ痛いと思うから、我慢してね?」

 その言葉に安心した様に、灯朱は瞳を閉じた。

 直後に双剣は霧散し、微かに震えている灯朱の体を、天示が強く抱きしめる。

 火凪はすぐに起き上がろうとするが、足がもつれ、どうしても立ち上がる事が出来ない。

 地面を這いながら、必死の形相で叫ぶ。

「おい化け物! トアに手を出してみろ! 絶対に……絶対に許さないからっ!!」

 そんな火凪を一瞥した天示だったが、すぐに灯朱へと向き直り、その首筋に顔を近づけた。

「やめろ!! トアから離れろっ!! トア逃げて!! 駄目……っ! 駄目……だよぉ……!」

 そして、天示が大きく口を開き、

「やだっ……やだぁ……トアっ……トアぁ……!」

 灯朱の首筋に、

「やめてっ!! やめてよぉ!! お願い、だからっ!……やめっ――」

 ――喰らい付いた。

「………………ぁ……」

 天示がそのまま灯朱の首を喰い千切ると、生物が持つ反射運動か、灯朱の体が数回、大きくびくびくと痙攣した。

 程なく、すぐに全身を弛緩させると、そのままピクリとも動かなくなる。

 天示がぐったりしている灯朱を抱いたまま、火凪の元へと歩み寄り、声を掛けた。

「ごめんなさい火凪さん。もう、こうするしか無かったんです」

 天示が灯朱の体を差し出す。だが、火凪の瞳からは既に光が失われており、ほとんど無心で妹を受け取ると、縋るように、その体を抱きしめた。

 心が壊れたのか、瞬きもせず、虚空の一点を見つめたまま、何かを呟いている。

 その姿を見かねた天示が、声を掛けようとした時――


「……カナ姉、ちゃん?」


 火凪の腕の中から、小さな声がした。

 その声に反応した火凪が、密着していた体を離して灯朱と向き合い、その衝撃に瞠目した。

 

 ――灯朱が負っていた傷、その全てが完治していたのだ。

 

 それだけではなく『〈刻印〉の影響で治らない』と言われていた、痛々しかった傷跡も、その一切が、一つ残らず消え去っていた。

 肌は健康的な赤みが差し、瞳の色は淡い空色を宿し、色こそ雪のような白さのままだが、短かった髪の毛も、首元まで伸びていた。

 驚きで言葉を失った火凪に、辺りをきょろきょろと伺った灯朱が問いかける。

「ここ……どこ? わたし、カナ姉ちゃんと喧嘩しちゃって、家を飛び出して……それで……わぷっ!」

 言い終える前に、強く強く抱きしめた。掻き毟るように縋り付いて、その存在と温もりを感じていたかった。

 灯朱は、始めは苦しそうに身を捩っていた。

 しかし、徐々にこれまでの記憶が鮮明になっていき、すぐに自責の念にかられてしまう。

「……あ……ぁ……」

 妹の異常を察した火凪が、その肩を掴む。

「トア……? どうしたの……?」

「わ、たし……奥乃さんと、カナ姉ちゃん、クー姉ちゃんに、酷い……酷い事……っ!」

「! トア! それはもういいの! もう大丈夫だから!」 

 だが灯朱は、そんな火凪を両手で突き放し、尻餅を付いて、恐怖に震えながら後ずさる。

「駄目、だよ……何でわたし……あんな、怖い、事……なんで……? やだ……やぁ……」

 自身が行った行為に青褪め、わなわなと頭を抱え始めた。

 その時、


「質問いいですか!」


 いかにも能天気な声色の天示が、怯える灯朱のすぐ目の前に、腰を下ろした。

 その表情は、曇天を切り開く太陽のような笑顔だった。

「灯朱ちゃんに、質問があります!」

「……ぁ……っえ……?」

 灯朱は目を白黒させて、天示を見る。

「灯朱ちゃんは、ですか?」

「ど……どうって……」

「余計な事は考えなくて良いよ。だけ聞かせて」

 灯朱は考える。

 微笑む天示と、その肩越しに見える、心配そうな顔の火凪を交互に見ながら。

 そして――

「……あ、謝りたい、です」

 自然と浮かんだその想いを、吐露する。

「なるほど、それは凄く勇気の要る事だね」 

「……でも、許してくれない、かも……」

「ふむ、の次はか。少しハードルが上がったなぁ……。よし、ならそれは俺が手伝おう」 

「な、何で奥乃さんが……?」

 『奥乃さんは謝られる方です』と言いかけるが、天示が言葉を被せる。

「灯朱ちゃんが困ってると、俺も辛いんだ。許して貰えるまで二人で謝りまくろうな!」

 そう言って、灯朱の肩をポンポンと叩く天示。

 灯朱の方はその勢いに完全に呑まれている。

「で、許して貰ったら?」

「つ……ぎ……? 次、は……」

 灯朱は両手で自分の体を抱くと、怯えていたその声色が、涙声のものに変わった。

「……家に……帰りたい、です」

「そうだね、皆で帰ろう」 

「……帰っ、たら、奥乃さんのご飯、食べたい、です……」

「よし、任せてくれ。次はボンゴレかパエリア作ろうと思ってるから、感想も聞かせてね」 

「それから、それ、から……」

 灯朱は大きく息を吸い込むと、一筋の涙を零した。


「………………………………学校、が……嫌い、です」

 

 今にも消えてしまいそうな声で、独り言のように打ち明けた。

 そしてそれを、天示は聞き逃さない。 

「んじゃ、学校辞めよっか」

「で、でも。辞めたらクー姉ちゃんが困って……」

「泣いてまで行くような所じゃないよ。本当に辛いなら全力で逃げたら良い。それから自分に合った場所を探せば良いんだ。お姉さん達とも相談しなきゃね」

 そう言って、灯朱の頭を撫でる天示。

 言葉が出てこないのか、灯朱は口元に手を当て、泣きながら頷いた。

「他には、まだあるかな?」

 天示の問いに、灯朱は首を横に振る。

 その姿に安堵して立ち上がると、横に退き、道を開けた。

 必然的に向かい合う、灯朱と火凪。

 火凪は未だ自由に動かない体で、這いながら妹の元へ進む。

 ややあって、灯朱の体をその腕に抱き留めた。

「カナ姉ちゃん……ごめん、なさい……」

「いいよ。怒ってない……怒ってないから。……私も気付かなくて、ごめんね。……トア」

 顔を擦り合うようにして抱き合う姉妹を、ほんの少し、羨ましく思った。


「何をした、小僧」


 天示の背後で大きな羽音と着地音が聞こえた。振り返るとそこには、羅刹の如き形相でこちらを睨む、ルキフェルが立っていた。

 先程までの飄々とした態度は何処へやら、すっかり豹変してしまっている。

 天示が軽口を飛ばす。

「随分のんびりした登場だな。キリも良いし、腹減ったから晩飯作りに帰ろうかと思ってたんだけど」

「何をしたと聞いている!! 何故〈黒の天蓋〉が突然停止した!!」

 すっかり頭に血が上ってるのか、こちらの話は全く聞き入れちゃいない。

 溜息をついた天示が、しれっと言い放つ。

「食った」

「……食っ、た……?」

「〈オーク〉の力を使って、灯朱ちゃんの中にあった〈黒の天蓋〉の〈刻印〉とか、傷跡とか、怪我とか色々。とにかく悪いモン全部纏めて食った。そんだけ」

 天示の話を傍らで聞いていた灯朱が、そこで初めて気がついたのか、自分の体を見渡し、興奮で喉を詰まらせながら驚喜の声を上げた。

「カナ姉ちゃん……! わたしの傷跡、〈刻印〉も全部無くなってる! 痛いのも、もう全然無いの! 髪も……髪も……伸び、て……っ」

 自分の髪に触れ、喜び泣きする妹の姿に、火凪も声を震わせて応えた。

「うん、良かったね……。本当に、本当に……よかった……」

 抱擁しあう姉妹に、天示が言葉をかける。

「火凪さん、灯朱ちゃんと紅巴さんの3人で固まってて下さい。なので、決して離れないで下さいね」

「え……? ……あっ」

 火凪が聞き返そうとした時には、既に天示はルキフェルの方へと歩き出していた。

 

 ほどなく、相対する天示とルキフェル。

「よーし、お仕置きタイムだ。覚悟はいいか? ルキフェル」

「この融合災真アナムライザールキフェルの邪魔立てのみならず……愚弄するか……!」

「? ……いや、違うだろ」 

 突如としてきょとんとした顔を見せた天示を、ルキフェルが嘲笑する。

「ふん、威勢は良いが往生際が悪いな。……だが、楽には殺してやらんぞ」

「いや、そうじゃなくて。アナムライザーはお前じゃなくて、」 

 愉悦を見せていたルキフェルの表情が、凍り付く。

「何、を……言っている……?」

 腑に落ちない様子の天示だったが、やがて「ああ」と納得したように手を叩いた。

「そう言えば自己紹介してなかったな、俺の名前は――」

 堂々と、告げる。


自律思考型対災真調律装置アナムライザー七番器。type・〈オーク〉。翠鬼すいきのセヴンだ」 

 

 ルキフェルは数秒沈黙したのち、怒りに牙を剥き出す。

「出まかせを言うな!! アナムライザー計画はまだ実用段階にすら入って――」

「知ってるよ。アナムライザーは、ようやく一番器の起動実験が完了した所なんだろ?」

「何を……さっきから何を言ってるんだ、貴様は……?」

 顔色も変えず、淡々と応える。

「俺は今から60年後の未来で創られて、生まれてすぐにやっぱりいらねーだとかで、亜空間だかなんだかに廃棄されたんだと。んで、たまたまこの時代に流れ着いたんだってさ」

 突然として天示の口から飛び出した突拍子のない話に、脳の処理が追いつかないルキフェル。

「笑っちゃうよな、『未来を変えるんだー』系の目的とか一切ナシで、普通に捨てられただけだってんだから」 

 「まぁ全部聞いた話だけど」と補足したが、唖然としているルキフェルの耳には聞こえてなかった。

「……まぁでも、今の俺はそんな仰々しいもんじゃなくてさ――」

 虚空からリイヴァテインを取り出し、その切っ先をルキフェルへと突きつけた。


「今の俺は、綾神さん。――奥乃天示だ」

 

 口上の直後、リイヴァテインのブレード部分が翠色に光り始めた。ボディ全体にも、同じ色をした幾何学的な模様のラインが浮かび上がる。

 それを見てたじろぎ、明らかな動揺を見せるルキフェルに、宣告した。


「行くぞルキフェル。……悪いが、ここからは消化仕合だ」


 リイヴァテインが放つ翠光が、天示に応える様に、その輝きを一層増した。

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