第8話 約束の地

 それは、思ってもみなかった再会だった。

 

 御塚第2中学校屋上で対峙する、火凪とルキフェル。

 そしてそこに介入した少女――綾神灯朱。

 その姿を見た火凪は、愕然とする。

 つい先刻、自分が救出したのに。天示と一緒に逃がした筈なのに。

(どうして……トアがここに……) 

 火凪が思考を巡らせていると、ルキフェルが口を開いた。

「お帰りなさいませ。また一つ、贄が加わったようですな。完全なる〈黒の天蓋〉に、また一つ近づきましたぞ、姫よ」

 満足げに嗤うルキフェルを無視し、叫ぶ。

「トア! ここに居ちゃダメ! 早く逃げて!!」

 だが、灯朱はその言葉に何の反応も示さず、ただ虚ろな目を向けるだけだった。妹の異常を察した火凪が、狼狽しながら再度、言葉をかける。

「トア……? どう、したの……?」 

「無駄ですよ継承候補殿。姫はもう貴女の妹君でもなければ、人間でもない。我らの力の供給装置。〈黒き天蓋〉の母となるのです」  

 突如、話に割り込んだルキフェルを、強く睨み付けた。

「トアに……何をした……化け物!」

「大した事は何も。〈黒の天蓋〉の発現の為に、少々を加えたに過ぎません」

 言ってる事が汲み取れず、火凪は続く言葉を待った。

「器を満たすには少々時間が掛かりましたがね。心さえ壊してしまえば、残った肉体はただの傀儡です」

「貴様……っ!」

「ただ、姫も中々に抵抗してくれまして。どうしても最後の一手が足りなくて、困っていたのですよ。……なので」

 ルキフェルの翼が、大きく開かれた。


「貴女方にも協力して頂く事にしたのです」


 火凪が『ぞわり』と言う悪寒を感じた瞬間、ルキフェルの背後に佇んでいた灯朱が。そしてと思った次の瞬間には、既に火凪の手が直接触れられる距離まで迫っていた。

 直後、灯朱が振り下ろして来たを、咄嗟に心火で受け止める。しかし、全身を落雷を浴びたような衝撃に、思わず膝を折ってしまった。

 とても妹の、いや、人間のものとは思えない怪力に、歯を食い縛りながら耐えるも、ジリジリと押し込まれてゆく。

 そんな最中に、灯朱の握る物の正体をしかと見た。

 黒い直剣だ。

 そして、すぐにそれの材質が、先ほどルキフェルを覆っていた漆黒の繭と同質のものである事に感づく。

 火凪は渾身の力を持って直剣を弾き返し、一度灯朱と距離を取る為に、後方へと跳躍した。

 必死に、灯朱に訴える。

「トア!! 〈黒の天蓋〉に負けちゃダメ!!」

 説得の効果は半ば諦めていた、言うなればそれは、ただの悲痛な叫びに過ぎない。

 しかし、


「カナ姉ちゃん」


 意外にもその訴えに、灯朱が返事を返してきたのだ。

 ――だが、続いて出た言葉に、火凪の心が凍り付いた。


「わたし、奥乃さんを殺したの」


 悪びれもせず、あまりにも自然に出てきた言葉。あの優しかった妹から発された物だとは思えなかった。

 思いたく、なかった。

「奥乃さんの首を持ってね、この剣で頭を刺したの。すぐに死んじゃったんだよ? でも仕方無いよね、だってにしてくれなかったもの」

 くすくすと、嗤う。

「ルキフェルさんが教えてくれたの。わたしの知ってる人を全員殺せば、わたしの中の人間が死んで、全部が災真になれるんだって。災真の仲間になれるんだって」

「トア……それは……!」

 火凪の投げかけに、灯朱は耳を貸さない。

 もう、言葉さえ理解してるのかも、分からなかった。

「だからね、カナ姉ちゃん。カナ姉ちゃんもわたしに


 ――殺されてね?」


 かくして、再び灯朱の剛剣が襲いかかる。

 

 

 御塚第2中学校の敷地に入った瞬間、紅巴は背後に大きな力の発現を感じた。

 慌てて振り向くと、そこには天まで届かんばかりの、半透明の黒い壁がそびえ立っていた。 

(結界……? それも、この規模……!?)

 辺りを見渡すと、その結界が中学校の周囲をぐるりと、円形に取り囲んでいる事が判った。

 急いで結界を破る為、気を練る。

 しかし、練った気を送り込もうと結界に触れた瞬間、まるで全身の骨を引き抜かれたような脱力感に襲われ、あわや失神しかけた。

 とても紅巴の力でどうこう出来る代物ではない。これを解除するには強力な退魔師、継承候補者級の力が必要だろう。

 つまり、今現状に置いては、

(閉じ込められた……。それに、これじゃ警察の応援が来てもすぐには……)

 紅巴が状況の打開策を考え始めた時、校舎の屋上に白い雷光が走るのが見えた。

 それは、紅巴がよく知っている、綾神式退魔術の波動であった。

(あれは……カナの術? あの子が、あそこに居るの……!?)

 はっきりとした理由は分からない。だが恐らく、〈黒の天蓋〉に関する何かをする為に、あの場に居るのだろうと考えた。

 であるならば、姉である自分がいつまでもここで突っ立っている訳にはいかない。

 考えがまとまった紅巴は即座に、中学校の入口へと向かった。


 昇降口に到着すると、扉のガラス部分が粉々に砕けていた。そのスペースをくぐり抜けた際に頬を切ったが、その事には全く気が付かなかった。

 窓から差す僅かな明かりを頼りに、無人の廊下をひた走る。

 ほどなく、2階への階段に差し掛かろうかと言う時、ふと視界の隅にが飛び込み、

 

 ――見てしまった。


「……ぇ……?」

 声ともつかない声が漏れる。

 を見てしまったから。

「……ぁ……」 

 脳が認識を終え、すぐにする。

 それが、自分のよく知る少年である事を。


 紅巴が見た少年は、眉間を黒い直剣に貫かれた状態で、廊下の壁に縫い付けられていた。

 首の肉は、獰猛な肉食獣にでも襲われたのかと言わんばかりに引き千切られており、その瞳が閉じられている事だけが唯一の、せめてもの慰めか。

 

 夜の校舎の明度のせいか、全てを失った少年の姿は、やけに淡く、儚く見えた。


 少年を見た紅巴が、放心したようにその名を呼ぶ。

「……てん、じ……君……?」

 悲しいと思うよりも先に、大きく開かれた瞳から涙が溢れた。一瞬で頭の中が真っ白に塗り潰され、床にへたり込んでしまう。

 届く筈もない距離から無心で両手を伸ばすが、その体に触れられる筈はなかった。

 

 その亡骸に触れて、正気を保てる自信も、無かった。


 直後、大きな地響きが校舎を襲った。呆然とする紅巴の周りにパラパラとコンクリートの破片が舞い散り、塵埃が立ち込める。

 だが皮肉にも、その切迫した状況が、紅巴に気力を取り戻させた。

「……行か……なきゃ……」 

 上では火凪が戦っている。そしてそこには灯朱が居る可能性も高い。だったら、ここで自分が立ち止まっている訳にはいかない。

 紅巴はゆっくりと体を起こすと、一言、天示に詫びた。

「……天示君、ごめんね。……後で必ず……迎えに、来るから……」

 そう言って、一度だけ涙を拭うと、屋上への階段を駆け上がり始めた。


 

 御塚第二中学校屋上。

 満足げな顔で空中に佇むルキフェルの眼下で、姉妹の攻防は繰り広げられていた。


【黒白散華! 地脈に流るる泉に願い賜う! 荒霊縛る枷となれッ!!】

 

 正面に心火の鍔を掲げた火凪が、口訣を迸らせる。

 すると瞬くよりも早い速度で、鍔から純白の帯が放たれ、灯朱の体に巻き付いた。

 綾神式退魔術の基本拘束術の一つ、〈枷喰かせばみ〉である。

 しかし――

「邪魔だなぁ」

 つまらなそうに呟いた灯朱が、それを膂力のみで引き裂く。

 拘束から逃れると、即座に火凪へと飛びかかって来た。

 苦渋の表情を見せた火凪が印を結び、再び口訣で迎え撃つ。


滸言縛封こごんばくふうに綾神火凪が命ず!! 蒼茫そうぼうの門よ!! 開けッ!!】


 口訣の完了と同時に、灯朱を挟むように二つの青い結界壁が生成された。危険を感じた灯朱が動きを止め、反転して逃れようとする。

 だが、遅い。

 

【――閉じろッ!!】


 続け様に唱えられた口訣。

 紡がれた青い結界壁がまるで合掌のように閉じ、灯朱の体を押さえ込んだ。術が放つ凄まじい衝撃の余波で、校舎全体が大きく揺れる。

 綾神式退魔術。封印式の四――〈蒼掌克そうしょうこくの門〉

 渾身の術式でその場に縛り付けられた灯朱だったが、その表情には不敵な笑みを浮かべている。

「あははっ、これなら力比べ出来るね!」

 灯朱はまたも強引に拘束を破ろうとして、全身に力を篭めて足掻く。

 火凪はそれを押さえ込む為に、更に術を練ろうとした。

 だが、

「……くっ……解!」

 火凪は、結界術を自分の力で解いてしまった。

 突然の手心に拍子抜けした灯朱が、抗議の声を上げる。

「何でやめちゃうの? つまんない」

 不服そうに言った灯朱の足元には、おびただしい血溜りが出来ていた。

 

 これこそが、火凪が攻めあぐねる原因であった。

 

 拘束が弱すぎると即座に破られ、逆に強過ぎると、今度は灯朱の肉体の方を傷付けてしまうのだ。

 灯朱の開いた傷口から溢れる出血を見て、もう悠長にしている時間は無いと判断した火凪が、勝負に出る。

 ゆっくりと腰を落とし、心火の鍔を地面へと押し当てる。

 そして、唱える。


【十五雷正法、十一閃……禁!!】

 

 瞬間、屋上に眩い光が炸裂した。太陽と見紛う極光は立ち所に広がり、灯朱の視界を奪う。目晦ましの術式である。

 火凪は間を置かずに地面を強く蹴り、上空へ飛び上がる。

 同時に、


【風に踊るは大気の欠片! 我が命に従い、その力を示せ! シルフ!】


 空で傍観を続けていたルキフェル目掛け、召喚術を用いた簡易飛翔で突進する。

(トアを救うには、先にこの男と〈黒の天蓋〉をどうにかするしかない……!)

 火凪の接近を見たルキフェルが、音を立てながら黒翼を翻す。

「逃がすかッ!!」

 咆吼し、追撃の為の口訣を唱えた。

 

【黒白散華! 創生天命の理を……ッ!?」


 だが、口訣完了の間際、突如として火凪の体がに絡め取られた。

 立ち所に飛翔術が解けて浮力を失い、空中で拘束されてしまう。

 辛うじて動く首を動かして鎖の先を辿ると、それは屋上に立つ灯朱の手から伸びていた。


「やーっと……捕まえたぁ」


 口角を引いて哂った灯朱が全力で鎖を引くと、凧のような状態で捕縛されていた火凪が、猛烈な勢いで地表へと叩きつけられた。

「――がふッ!!」 

 墜落の衝撃で、握っていた心火が手元から離れる。甲高い音を立てながら転がってゆく愛刀を、ルキフェルが踏み付けて止めた。

「目の付け所は良いのですが、姫の力を見誤りましたね。……ふむ、も没収しておきましょうか」

 心火を拾い上げたルキフェルの言葉が、やけに遠く聞こえる。

 すぐに身を奮い立たせ、起き上がろうと試みる。

 しかし――それは出来なかった。


(…………だめ、だ……) 


 火凪の体は既に致命傷を負っていた。

 受身も取れないまま地表に激突したせいで、全身の骨は砕かれ、脳と内蔵にも大きな損傷を受けてしまっていた。

 もう這う事はおろか、口を開く事もままならない。

 ぼんやりとする頭に、ルキフェルの声だけが耳に届く。


「おや、もう終了ですか? もっと見ていたかったのですが。やはりヒトは脆いですね。……そうそう、この男に見覚えがあるでしょう?」


 ルキフェルがそう言いながら両手を広げると、中空に大きな黒い繭が現れた。

 繭はゆっくりと降り立ち、火凪の目の前でパキパキと割れ始める。そしてその中から、一人の男の死体が落ちてきた。

 それは昨日の夜、路地裏で見た、骸の巨人に殺された男性だった。

 討伐の事後処理が完了した後、依頼人に『報告にあった被害者の男性は居ない』と言われ、火凪が探していた人物である。

 ルキフェルが淡々と告げる。

「この男は元々、災害孤児を扱った人身売買業者でしてね。わたくしの仕事を手伝う代わりに、贄となる事を免除してくれと懇願されたのですよ。……彼は良く働いてくれました。挙げ句の果てには、頼んでもいない贄まで集めて、勝手に自分の商売道具にまでする始末でね」

 まるでペットの粗相の話でもするかのようだった。

「そろそろ飽きたので供物にしようと思った矢先でしたね、死んだのは。……貴女がを始末してくれたので、回収も楽に済ませられました。本当に感謝しております」

 恭しく頭を下げるルキフェル。

 その話に一切反論が出来ない火凪の背中を、灯朱が足で踏みつけた。

「ルキフェルさん、もういい?」

「おぉ姫よ、つい話に夢中になってしまいました。お許し下さい。……どうぞ、御心のままに」

 ルキフェルが礼をすると、灯朱が直剣を頭上へと振りかぶった。

 

 その直後、屋上の扉が開け放たれ、その中から紅巴が飛び出して来た。

 すぐに辺りを見渡し、その目で捉えた光景に息を呑む。

 状況こそ把握出来なかったが、だけは、すぐに理解出来た。 

 紅巴の絶叫が、屋上の空に響く。


「ト、ア……!? ダメぇぇぇぇえええええッッ!!」


 直後に振り下ろされた漆黒の直剣が、火凪の体を貫いた。



【side:奥乃天示】


 目を開くと、そこはあの中学校ではなかった。

 すぐに跳ね起き、きょろきょろと辺りを伺う。

 

 ――人の気配を感じさせない、夜の瓦礫の街。

 

 周りは朽ちかけた高層ビルに囲まれ、頭上では妙にバカでかい月が輝き、崩壊してしまった世界を照らしている。

 至る所が冠水していて、瓦礫の破片が道の所々で水面から頭を出している。水がやけに綺麗なのも、あの頃のままだった。

 

 またここに来てしまったかと、改めて認識する。

 先程の学校での事を思い出し、自分の首に触れてみたが、特に異常はなさそうだ。

 いつもの俺の首だ。ちゃんと繋がっている。


『――汝、我が力を望むか』


 不意に少女の声がした。が、姿が見えないので無視。

 この場所に降りたった以上、やる事は一つだけだ。面倒な事はしない。


『――汝、我が力を求むなら、その証を示せ』


 遥か前方にそびえる、ひときわ巨大な摩天楼の天辺。

 俺はその場所に行かなくてはならないのだ。

 うしっと気合を入れ、軽い準備運動を始める。


『――汝……なん……あの……ちょっ……おーい、汝ー? ……うぉーい』


 目を凝らすと、摩天楼の屋上階がぼんやりと光ってる事に気が付いた。

 うん、大丈夫だ。まだあそこにあるっぽいぞ。

『……無視すんなよー、寂しいだろー。お話しよーよー、天示ってばー……』 

 準備運動を終えた俺は、水没している瓦礫を飛び石のようにぴょんぴょんと跳ねながら、移動を開始する。

『……うっ……ぐ、ふっ……くぅ……う……っ』

 現実ではないと言っても、あまり濡れたくはないしな。

 そもそもここで濡れたら、向こうの世界に戻った時、どうなってるんだろう。

 お寝しょオチみたいになってたら嫌だなぁ。ははは。

『うっ……うぇっふ……ふ、ぐ……ひぐぅっ……えうっ……ぐしゅっ……』

 ここでの体感時間と、向こうの時間の誤差を計った事はないけど、まぁ、早く戻るに越した事はないだろう。

 それにしても本当にここは――

『えっく……っ! ひぅっ……うっ……うぇぇぇえええええええん!!』

「あのーすんませーん、音汚いんでボリューム下げて貰っていいですかー?」

『泣いてんだよ!! 乙女の涙を汚いとか言うなっ!! ばかぁっ!!』

 ……怒られた。

 そしてそれっきり天の声(?)は聞こえなくなってしまった。

 まぁ、俺としてはそっちの方が都合は良いんだけど。

 特に気にもとめなかった俺は、さっさと目的地へと急ぐ事にした。 


【side end】 

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