第7話 黒の天蓋

「っだぁーーーー!! 見つかんねーーーー!!」

 天示の叫びが、夜の街に轟いた。

 

 家を飛び出した灯朱を探し始めてから、かれこれ一時間以上は経ったろうか。

 『あの体では遠くまでは行けない筈』と、綾神家周辺を隈なく捜索していた天示だったが、その成果は芳しくなかった。

 ひょっとしたらもう家に帰ってるのかもしれないとまで考え始める。

(まぁ、それなら一安心……なんだけど)

 一度家に戻るべきか迷ったが、先程の灯朱の様子がどうしても頭から離れず、一瞬、まで考えてしまった天示は、家には戻らずに捜索範囲を広げようと決断する。

 小さく気合を入れ直し、『人通りの少ない方から当たって行こう』と、これまでとは別の道の方へと向かった。

 

 ――その道中、天示は想いを巡らせていた。

 

 やはり自分が、あの家にお世話になるのは間違ってたのではないだろうか。

 紅巴や灯朱は歓迎してくれたが、火凪には随分と嫌われてしまった。

 考えても見れば、〈感覚操作の式〉で嫌われるのと、嫌われるのって、何が違うんだろうか。

 我ながら嫌な部分に感づき、少々気落ちしてしまう。

 だが今はそんな場合ではない。まずは灯朱を見つけ出さねば。

 一刻も早く。

 一秒でも早く。

 

 しかし、早る気持ちを余所に、時間だけが刻々と過ぎていった。

 

 しばらく捜索を続けると、かなり大きめの公園に差し掛かった。

 ふと何かの気配を感じ取り、足を止める。

 注意深く周囲を伺う天示であったが、直後に、頬に生暖かい風を感じた。

 はたと気が付き、咄嗟に上を見上げると、ほんの一瞬、白い火花のようなものが走るのが見えた。

 天示はを認識した瞬間、ほぼ直感による横っ飛びで回避行動を取っていた。

 直後、動作の中でぐるりと流れる視界に、今さっきまで自分が立っていた地点に稲光が走るのが見えた。

 続いて、爆音。

 天示は跳躍の慣性のまま一度だけ地面を転がると、すぐに身を起こし、現状の確認を試みる。

 見ると、さっきまで自分が立っていた地面が、ブスブスと音を立て、真っ黒に焦げていた。

 こんがり焼ける自分を想像して、少々、肝を冷やす。

 僅かな間を置き、夜の公園に声が響いた。


「勘が良いね。やっぱりただのオークじゃないでしょ?」


 声の主は、火凪であった。

 天示が怒りを抑えながら、声の主を鋭く睨みつける。

「何を……やってるんですか」

「災真討伐。今ので消滅してくれたら楽だったんだけど」

 然も面倒臭そうに溜息を付く火凪であったが、その態度に天示は怒りを顕にする。

「そんな事を聞いてるんじゃない! 火凪さんが今やらなきゃいけないのは、俺なんかの相手じゃないだろ!!」

「……トアの事なら心配しなくていいよ。私が探すから」

「俺の事が嫌いなら、灯朱ちゃんを見つけた後に出ていきます。だから今は一緒に――」

「一緒に探そうとか言わないでよ? あんたは今ここで滅ぼす。あんたは、必ず私達の大きな災いをもたらす。……私達家族の障害になる」

 まるで確信のように通告する火凪。

 自分には未来が分かるとでも言いたげな瞳だった。

「ずっとおかしいと思ってた。お前みたいな低級災真が、私の術式を受けても消滅しなかった事。……この退魔刀・の刃に触れても、あの程度で済んでいた事」

 火凪が白い布を握る手に力を篭める。

「それにお前は、まだ……を隠している」

 その言葉の直後、火凪の放つ殺気の濃度が増した。その強さに天示が一瞬目眩を引き起こす。

 火凪は手に持っていた退魔刀――心火の包み布を剥がすと、それを地面へと落とした。

「まぁ、そんな訳で私は今とっても急いでるの。だから――」

 刀の鯉口が開かれ、『しゃん』と言う甲高い抜刀音と共に、その美麗な刀身が月栄えに煌く。

「これで、消えてね?」

 火凪は持っていた鞘も投げ捨てると、刀を前方へと掲げたのち、それを真横に構えた。

 ほどなく、必滅の口訣を唱える。


【黒白散華。殲真浄滅に我は詠う、仇成す魍魎に滅びを示せ。――霊刀の顕現、心火染雪】


 口訣の完了と同時に、火凪が摘んでいた鍔が刀身を走った。

 直後、白い光を纏った刃に莫大な霊力が集まり始め、周囲を鮮やかに照らし出す。

 それは以前、天示が見た刀の姿とは完全に異なる、明確な、災真を滅ぼす力の具現。

 

 ――ホネスケを滅ぼした光だった。

 

 一瞬、首筋にぬるりと流れるものを感じた。『まさかもう切られたのか』と指を当てるが、それが自分の冷や汗である事が判り、胸を撫で下ろす。

 火凪はほんの少し腰を落とし、下段の構えを取った。

 本格的な窮地を察した天示は、思考を『説得』から『撤退』にシフトする。

 恐らく、この百戦錬磨の少女に、ハッタリは通じない。

 以前、綾神家の玄関前で一度だけ見ているあの瞬発力。

 あの速度が来ると事前に分かっていれば、初撃だけなら、なんとか躱せるかもしれないと思った。

 しかし、連続でそれをいなす程の身体能力は、今の自分は持ち合わせていない。

 加えて、眼前のを前に背中を見せる事は、即、死を意味する事も分かっていた。

 すなわち――

 自分が生きるか死ぬかは、この初撃の結果次第だ。

 腹を括った天示が構えを取り、火凪のを真っ向から迎え撃つ姿勢を取った。


 ――その時だった。


 地面が微かに鳴動を始めた。

 公園の木々はそれに呼応するように一斉にざわめき出し、ブランコの鎖がカチカチと音を立て始める。

 直後、天示は悍ましい感覚に吐き気を催し、思わず膝を屈しそうになった。


 ――


 それは、目の前の少女が放つ気高い力とは真逆にして異質。

 死に直結するモノ。

 否、正確に表現するのであれば、それは――


 の匂いだった。

 

 自分はを知っている。

 が呼ぶモノを知っている。

 がもたらす悲劇を、この目に焼き付けている。 


 そして、その出どころを感じ取った天示と火凪の二人が、ほとんど同時に西の空にへと振り向き、

 

 を、見た。

 

 巨大な、天空魔法陣。

   



 ――〈




「嘘……でしょ……」

 愕然とした表情で、それを見上げる火凪。

 取り落としこそしなかったものの、力なく降ろされた心火からは、白い光が徐々に明滅を始め、数秒の間を置き、それは霧散した。

 同じ方角を見ていた天示が、ぽつりと呟く。

「灯朱ちゃんが居る……」

「えっ……?」

 天示の言葉にハッとし、火凪が目を凝らす。しかし、視界に映るのは〈黒の天蓋〉が浮かぶ夜空だけだ。

「あっちは確か……トアの中学校が……あっ!」

 火凪が気がついた時には、天示はもう走り出していた。

 慌てて心火の鞘を回収し、火凪もその背中を追って、即座に少年の追跡を始めるのだった。



「……あれ?」

 御塚署での仕事を終えた紅巴が家に戻ると、玄関の扉が開いたままだった。

 不思議に思った紅巴は、すぐに家の中へと踏み入り、呼びかける。

「トア……? カナー? 天示君ーー!」 

 だが、返事は無い。

 すぐに『何かが起きたのだ』と察知した紅巴が、自身の携帯電話で火凪に連絡しようと取り出した時だった。

 玄関の下駄箱、その上に置かれていた写真立てがカタカタと振動を始めたのだ。

 

 ――地震、だろうか。

 

 不可解に感じながらも、火凪の応答を待った。しかし、帰ってきたものは、電波の届かない所に居る事を知らせるアナウンスのみ。

 そうこうしてる内にも振動は続き、その直後、

「あ、ぐッ……!!」

 紅巴は猛烈な頭痛に襲われた。

 思わず膝が折れ、こめかみに手をあてがう。

 日頃から時折、偏頭痛に悩まされていた紅巴であったが、ここまで痛烈な痛みは本当に久しぶりだった。

 

 

 

 紅巴はふと、これと同じ現象に覚えがあった事を、思い出した。

 

 気が付いたように立ち上がった紅巴が、転倒しかねない勢いで外へと飛び出す。

 そして、西の空に浮かぶを視界に捉えた。


「……黒の……天蓋……」


 無意識に、言葉だけが漏れる。

 恐怖に震える体を無理やり押さえ込み、紅巴は自分の電子手帳を取り出し、それを口元に当てた。

「応援要請……。〈黒の天蓋〉の発現と思われる現象を確認。場所は西区の――」

 そこまで言った所で、〈黒の天蓋〉中心部の直下にあるのが、灯朱の中学校である事に気が付いた。

「……西区の御塚第二中学校付近。大至急お願いします」

 最後まで言い終えて、通信を切る。

 

 警察官としての推測に過ぎないが、恐らくこの件、皆がここに居ない事と関係していると直感した。

 

 一度だけ深呼吸し、覚悟を決めた紅巴は、自分の車へと乗り込んだ。



 ――獣のように、走り続けた。

 

 〈黒の天蓋〉中心部に近づくにつれ、天示は己の神経が徐々に研ぎ澄まされて行くのを感じていた。 

 その瞳には全くと言っていい程に恐怖の色は無く、むしろ、今は沸騰せんばかりの怒りだけが、体を前へと突き動かしていた。

 あの時、公園で感じ取った感覚。

 今にも消えてしまいそうな灯朱の鼓動。

 そして、その傍に佇む、大きな力を持った、の存在。

 走りながら天示は歯ぎしりをする。

 

 すぐに見つけてあげられなかった。 

 

 守ってあげられなかった。


 ――その事だけが、堪らなく悔しかった。


 程なく、御塚第二中学校の入口が見えると、天示はそのままの勢いで昇降口のガラスドアを蹴り破った。

 既に機能していないのか、警報ベルの類は沈黙しているようだ。

 一切スピードを緩める事なく廊下を疾走し、飛ぶように階段を駆け上がり、屋上への扉を開け放つ。

 

 そして、見た。

 

 〈黒の天蓋〉中心部直下。屋上の真ん中に佇む、紳士風の出で立ちをした長身細身の金髪の男の背中。

 続いて、見つけた。

 男の直上、上空約10m程の高さで両腕を光輪に固定され、ぐったりと、全身血塗れの状態で宙吊りにされている少女――


 綾神灯朱の姿を。

 

「! 灯朱ちゃんッ!!」

 激情に身を任せて天示が叫ぶも、灯朱は項垂れたままピクリとも動かない。

 少し遅れて到着した火凪が、眼前の凄惨な光景に目を見張った。

「ぇ……ト……ア……?」

 脳の理解が追いつかないのか、呆然と妹の名を呼ぶ。しかし応えは帰ってこない。


「おやおや、まだ宴の前だと言うのに、随分気の早いご登場ですね」


 男の声が、屋上に響いた。

 距離は離れているのに、耳を直接舌でなぞらえる様な、嫌な声だった。

 男は一度だけ首を左右にコキリと鳴らすと、ぐるりとこちらへ振り返り、にっこりと目を細め、恭しくお辞儀をした。

「開演には少々早いですが、歓迎しましょう。第七継承候補殿。それと……君はー……誰だろう?」

 男は糸のような目を片方だけ開き、天示を見た。

「……そんな事はどうでもいい。灯朱ちゃんを返して貰う」

 そう言って一歩踏み出した時、天示の目の前の空間が

 天示がそれをだと認識した瞬間、自身の体は冗談のような速度で真後ろに吹っ飛ばされていた。

 一瞬で後方のフェンスに激突し、ぶつかった衝撃で弾け飛んだフェンスごと、天示の体が宙へと投げ出される。

 咄嗟に裂けたフェンスを片手で掴み取り、どうにか墜落だけは免れたが、重力のままに空中で弧を描き、掴んだフェンスと一緒に校舎の外壁に背中を打ち付けられた。

「――ガハッ! ……くっ、……そ……」

 苦痛に歪む顔、口内では苦々しい鉄の味がした。


「おや? バラバラにするつもりでしたが、随分硬い少年ですね」


 天示は頭上から聞こえた男の言葉には耳を貸さず、全身のバネを活かして跳ね上がると、身を翻しながら屋上へ舞い戻った。

 だが、予想以上のダメージのせいか、足に力が入らず、立ち上がる事が出来ない。

 堪らず呻く。

「……くっ……ぅ」

「いやはや驚いた。君の様な丈夫な贄であれば、わざわざ粗末な供物を何体も用意する必要は無かったのに」

 男はくつくつと喉を鳴らすと、大げさな素振りで腕を組んだ。 

 そして、供物と言うワードに、天示は合点が行った。

「……お前が連続神隠し事件の首謀者か……」

「いかにも。まぁ、黒き母との再会の為の材料集めに過ぎない。謂わば前座ですな」

 事も無げに言った男に対し、天示は怒りの感情を瞳に宿し、ほとんど精神力のみで立ち上がった。

 ――

 決意を固めた天示が前へと歩み出した時、不意に肩に手を置かれた。その手に振り返ると、火凪が真っ直ぐに、宙吊りにされた灯朱を見つめていた。

 その表情に怯えの色は無い。

 

 そこにあったのはただ一つ。

 妹の為に戦おうとする、一人の姉の姿であった。


「……私が救い出す。あんたはトアを連れて逃げて」

 天示が驚きの声を上げそうになる。

「これだけの規模なら、姉さんがすぐに応援を呼んでくれる。その時間も稼ぐ」

 淡々と、告げる。

 その力強い横顔を見て、煮え滾っていた天示の頭の熱が少しだけ、冷めた。

 『俺も一緒に』と言いたかったが、現在の状況を踏まえると、火凪の提案が最適解である事は、すぐに分かった。

 何より、救出した灯朱を一刻も早く病院に連れて行かなくてはならないのだ。

 その責任は、きっと何よりも重大だ。

「……分かり、ました」

「お願い。……トアに『ごめん』って言っといて」

 火凪の言葉に、胸が締め付けられるようだった。

 肩に置かれていた手が離れ、火凪が天示の前へと進み始める。

 そして一度だけ足を止め、こちらへと振り向いた。


「あんた、そんなに悪い災真じゃないのかもね」


 そう言って、苦笑した。

 すぐに表情を引き締めた火凪は、再び正面の男に向き直る。

 男が口角を釣り上げ、嗤った。

「もう宜しいので? こちらの準備がまだなので、もうしばらく談笑して頂いても――」

「……天使。いや、堕天使か」

 男の事は完全に無視した火凪の言葉だったが、男の方は感心したように手を叩く。

「いやぁ流石は継承候補殿だ! 一目でわたくしの契約災真を見抜きましたか! ……アランと申します。以後お見知りおきを」

「興味無い」

 火凪が吐き捨てながら、即座に心火を抜刀。口訣の構えに入った。


【黒白散華。冥葬呪戒めいそうじゅかいに我は詠う、囁く審判者を地に墜とせ。――魔刀の顕現、心火淵月こころびえんげつ


 口訣を唱えた火凪が鍔を走らせると、それに呼応た刀身がを覆う。

 アランが感嘆するように声を上げる。

「ほほぉ、面白い術を使いなさる。それもですかな?」

 火凪はその問いにで応えた。

 踏み砕かんばかりに地面を蹴り、火凪は一瞬にしてトップスピードに到達する。

 爆発的な推進力で敵の喉元に突進すると、心火を横薙ぎに払う。が、すんでの所でその刃はアランの首には届かず、斬閃が空を切った。

「ははっ! やはり噂に違わず鋭い剣捌きですな! ですが――」

 高笑いでもしようとしていたのか、仰け反ったアランの口が大きく開かれた。

 しかし、その次の言葉が紡がれる前に、印を結んだ火凪が再度、口訣を唱える。


【十五雷正法、一尖――


 術式の発現を感じとったルキフェルが、反射的に真上を見た。

 アランがその目に捉えたのは、空中に拘束されている灯朱の目の前をくるくると舞う、小さな金属片――心火の鍔であった。

 

 ――禁】 

 

 その直後、空中の鍔から白い閃光が放たれ、灯朱の腕を拘束していた光輪を引き裂いた。

 戒めから開放され、灯朱の体がゆっくりと自由落下を始める。

 瞬間、火凪が叫ぶ。

「今ッ!!」

 それに応じた天示が全力で前方に飛び、空中で灯朱を抱き抱え、負担が掛からないように気を配りながら着地した。

 腕の中で気絶している灯朱の凄惨な姿を見て、天示の表情が歪む。

 しかし、すぐに立ち上がり、屋上扉の方へと駆け出した。

 そして、すれ違いざま火凪に小さく、

「必ず助けます。『ごめん』は自分で言って下さい」

 そう言い残し、天示は階段を駆け下りていった。


「いやぁ鮮やかなお手並みだ、そのも外法の導具ですかな?」 

 パンパンと手を叩きながら、アランが嗤う。

 火凪は問いには応えず、役目を終えて落下してきた鍔を手に取った。

「災真を滅ぼす為だけに、禁術を用いて世界中のありとあらゆる退魔術を会得してるらしいですね? さっき使ったのは陰陽術……いや、符術でしょうか?」 

 火凪はアランを無視し、心火を正眼に構える。

「そのせいで、綾神一族の中で貴女だけが外法師と蔑まれている。一族で最も優れた資質を持っていると言うのに、皮肉なものですね」 

「……さっきからペラペラと、本当に良く喋る」

「継承候補殿は、の天敵ですからね、下調べは入念にしておりますよ」

 火凪が思わず聞き返した。

「我々……?」

「左様、継承候補殿はと言うものをご存知ですかな?」 

 火凪はその言葉に記憶はない。

 沈黙を否と受け取ったアランが、くつくつと嗤いながら言葉を継ぐ。

「アナムライザーとは、です」

「融合……だと?」

 突拍子もない話に耳を疑った。

 人と災真の融合、それは謂わば生物の理から外れた禁忌である。

「目的は至ってシンプルです。災真に人の心を与えるのですよ」

「……何の為に」 

「心とは曖昧な物ですが、とある実験で、それが災真の強靭な肉体に宿った時にのみ、超常的な力が発現する事が判明しましてね。それを人工的に作り上げ、災真の脅威に対抗しようと言う計画です」 

 火凪の頬に冷や汗が流れる。

 そんな人体実験紛いの計画が行われている事など、知りもしなかった。

「まぁ、本来のアナムライザーは融合で生み出す物らしいのですが、これがどうにも上手くいかないようでしてねぇ。……なので我々はその計画と、人の肉体と心を吸収する大型呪法〈黒の天蓋〉を応用して、を創り上げたのです」

 アランの口元が、三日月のように吊り上がる。


「人と災真の融合、我々のアナムライザーを……ね」


 アランが空に両腕を掲げると、周囲の大気が大きな渦を巻いた。と同時に、天空の〈黒の天蓋〉から瘴気の風が降り立ち、アランの体を取り巻く。

 収束した瘴気はやがて漆黒の繭となり、その全身を覆った。

「開演にはまだ早いが、お見せしましょう。……これが〈黒の天蓋〉の化身。心を持つ災厄、


 ――融合災真アナムライザーでございます」


 直後、アランを覆っていた繭の頂点から光が漏れ出し、花弁のように開きだした。

 頭から徐々にその姿を顕にするアラン――ルキフェルに、これまでとは比較にならない強大な力を感じた火凪が、身構える。

 そして、再び全貌を現したルキフェルは、その身に漆黒の修道服を羽織っており、背中からは大きな黒い翼が生えていた。

 堕天使の降臨を目にした火凪は、心火を握る手に力を篭め直す。

「……〈黒の天蓋〉の力を利用して、心を持つ人間という器に、災真の力を取り込んだって訳か」

 ルキフェルは、ほぅ、と感心の息を吐き、それに応えた。

「本当に察しが良いお方だ、その通りです。……は邪魔が入ったせいで失敗に終わってしまいましたがね」

 

 その言葉に反応した火凪が、瞠目する。

「まさか……3年前の〈黒の天蓋〉は……」

「ご想像の通り、それも我々が立てた計画です。貴女の――」


 ……使、ね」


 刹那、ルキフェルに肉薄した火凪が、上段から力任せに心火を振り下ろした。ルキフェルは身を翻し、それを躱す。

 とん、とん、とステップで火凪から距離を取ったルキフェルが、がっくりと肩を落とした。

「邪魔に入った父君を始末した所までは良かったのですけどね。……その後に入った妨害で水の泡ですよ」

 心底残念そうに頭を振るルシフェルに、火凪が吼える。

「3年前はお母さんを媒介にして……ッ! 今回はトアを利用して〈黒の天蓋これ〉を起こしたのか!! 化け物ぉッ!!」

 再接近して追撃を試みる。しかし、打ち込んだ袈裟斬りがルキフェルの首に到達する間際、ルキフェルの姿が忽然と消えた。

(! 瞬間移動テレポート……!?)

 少し遅れて、遥か後方から声が届く。

「あわや計画も頓挫かと思ったのですがね。幸いにも妹君の体に〈黒の天蓋〉の種子――〈刻印〉が残ってくれた。……まぁ、育ちきるまでに3年も掛かってしまいましたがね」

 声の方向、ルキフェルへと向き直り、心火を構え直した。

「……その割には随分と余裕ぶるじゃない。待望だったトア媒介はもうこの場には居ないでしょ」

 やや挑発気味に吐き捨てた。

 思えばそれは、自分がずっと感じていた違和感を払拭する為のものだったのかもしれない。

 ルキフェルが楽しげに喉を鳴らす。

「ご心配には及びません。間もなくこの周辺に大規模の結界が張られる手筈になっております。もう邪魔は入らせませんし、誰も逃げられはしません」

「……ならばここで貴様を――」

 『滅ぼすのみ』と言いかけた火凪の言葉が止まる。

 視界の隅に入ったを、その目に捉えてしまったからだ。


「くふふ、申した筈ですよ。、と」

 

 それはルキフェルの肩ごし、その向こう側に虚ろな表情で立つ、の姿だった。



 ――時間は少し遡る。


 屋上で火凪と別れた天示は、灯朱を抱き抱えたまま、夜の校舎をひた走っていた。腕の中で眠る少女の体は酷く冷たく、呼吸も心音も微弱そのものだった。

  変わり果ててしまったその姿に、歯ぎしりをする天示。表情にも、焦りの色が滲む。

 脇目もふらずに階段を降り続け、やがて1階の踊り場に降りたった。

 その時――


「……おく、の……さん……」


 腕の中に居た灯朱の、か細い声が耳に届いた。

「! 灯朱ちゃん! 意識が……!」

 目を向けると、灯朱の目がわずかに開かれていた。

 天示の表情に安堵が浮かぶ。ほぼ無意識による気遣いで、走る速度を緩めた。

「ここ、どこ……ですか?」

「灯朱ちゃんの学校だよ。灯朱ちゃんは大きな事件に巻き込まれたんだ」

「がっ、こう……」

「あまり喋らないほうがいい、舌を噛んじゃうから」

 ふと、灯朱が苦しそうに目を伏せる。

「奥乃さん、おろして……ください」

「えっ? で、でも」

「痛い、んです、わたし、歩けますから、おろして……」

 少々迷ったものの、『痛い』と言う言葉に天示は足を止め、ゆっくりと灯朱を降ろした。  

「……少しだけ休んだらまた運ぶよ。早く灯朱ちゃんを病院に連れて行って、火凪さんを助けに戻らないと」

「カナ姉ちゃんも、ここに、居るんですか?」

「うん、今屋上で悪い奴と戦ってるんだ」

 そう言った天示が、一瞬だけ後ろを向いた。

 その時、


「じゃあ、殺さなきゃ」


 ぽつりと、

 灯朱の声がした。

「――え?」

 耳を疑うよりも先に。言葉の意味を理解するよりも先に。

 振り返った。

 そして、灯朱と目が合った瞬間、真っ直ぐ伸ばされた手が、天示の首を掴んだ。

「ーーーーッ!?」

 驚きの声を上げる間もなく、尋常ではない力で振り回され、そのままの勢いで壁に叩きつけられた。押し付ける力で、壁がメキメキと陥没を始める。

 ギリギリと首を締め付ける力は、とても少女のものとは思えない。

 ――否、締め付ける等と言う生優しい物ではなかった。

 言うなればそれは、

 何が起こったのか分からなかった天示には、激痛の中、自分の首の肉がブチブチと裂ける感触と、首の骨が砕ける瞬間を知る事位しか出来なかった。

 絶命に溶けゆく意識の中、少女の声が聞こえた。


「さようなら。奥乃さん」


 ゆっくりと閉じられる瞳に最後に映ったのは、その手に持った棒状の何かで、天示の眉間を貫きながら、楽しそうに嗤う灯朱の顔だった。

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