第10話 怒り

 二次会のカラオケで、黒龍は俺に命じられて何曲か歌った。


「歌手になれるんじゃないか?」


「って言うか、歌手より上手いよ……聡といい、黒龍といい、商社に勤めるより、歌手デビューした方が良いんじゃないか?」


 うっとりと聞いている女子社員達に「うるさい!」と叱られる。歌が終わった後で、営業とかにも有利でしょ! と言われて、そんなものかな? と首を捻る。


 男子社員達は次々とリクエストに応えさせられている黒龍が、いつキレるのかとはらはらしていたが、彼奴は俺とのデュエットに気を良くしていたので心配は無用だった。


「そろそろ、遠い家の人もいるので御開きにしましょう」


 俺のアパートはそんなに遠くは無いが、1時間半掛かる人もいる。


「天宮さん! また、カラオケ行きましょう」


 女子社員達を同じ方向の男子社員達が手分けして送ることにした。


✳︎

『まだ青龍からは引っ越し終了の言葉は無いな』


 こんなチャンスは滅多にない。いつも青龍が側にいるからだ。


「聡君、折角の初給料だから奢るよ。もう一軒行こう!」


 聡はカラオケ店でも女子社員達に勧められるままビールを飲んでいたので、少し酔っていた。本当にラッキーチャンスだ。


「雑誌でお洒落なバーを紹介していたんだ。社会人なのだから、大人の雰囲気も楽しまなきゃ」


 接待とかもあるのだからと黒龍が誘うと、そうかもしれないと聡は頷いた。


 黒龍は落ち着いたバーに聡を案内した。


「へぇ~、確かにお洒落だよね」


 大人の雰囲気のバーは初めてだ。少し聡はどきどきしたが、黒龍が一緒なので安心して注文を任せる。バーカウンターは綺麗に磨かれていたし、黒龍が注文したモルトウィスキーは美味しかった。


「聡君、飲みにくいようなら、チェイサーを……」


 言いかけた黒龍は、スッと飲み干した聡に微笑んだ。


「チェイサーって、水のこと?」


 バーテンダーは如何にも新入社員の聡を、落ち着いた黒龍があれこれ説明しながら飲んでいるのを微笑ましく思った。


「ねぇ、水割りとか、ロックとかは邪道なの?」


 何杯か飲むと少し酔ってきた聡は、何かで読んだけどと、少し小声で黒龍に尋ねる。


「いいえ、水割りはバーテンダーの腕がわかるのよ」


 華やかな声が二人の頭の上から降り注ぐ。


『チェッ! 赤龍だ』


 折角、聡君と良い雰囲気だったのにと、黒龍は内心で腹を立てる。落ち着いたバーの客も、現れた壮絶な美女にざわざわとする。


「聡ちゃん、お隣に座って良いかしら?」


 赤龍が立ったままなので、ハッとして椅子を勧める。


「水割りを2つ下さい」


 人間離れした美女に唖然としていたバーテンダーも、オーダーを受けて機能しだす。


「聡ちゃん、ストレートで飲むのがしんどいなら、水割りを注文しても良いのよ」


 バーカウンターに出された水割りを、カチンと聡のグラスと乾杯しているのに黒龍は少し苛ついた。


『もう、引っ越しは終わったぞ』


 帰って来い! と言わんばかりの青龍の声が、少し怒気を帯びているのに黒龍は肩を竦める。


 赤龍はスッと水割りを飲み干すと、聡の腕を持ってバーから出て行く。黒龍は支払いをしながら、もう少し聡君と二人っきりで飲みたかったなぁとボヤいた。


✳︎

「あれ? ここは何処?」タクシーから降りた俺は、高級住宅街なのに気づいて不審に思う。


「青龍から説明してくれるでしょう」


 赤龍が男の姿なら、手を振り切っただろうが、何となく美女には冷たくできない。門柱に『天宮』と表札があるのを見て、天宮の本家が別の屋敷を用意したのかと俺は溜め息をついた。


「僕は……」怒って拒否しようとしたが、赤龍に肩を組まれて玄関に入る。


 大学時代を過ごした天宮の屋敷は、純日本建築だったが、今回赤龍が手配した屋敷は洋風でモダンだった。夜目にも立派な屋敷だったが、玄関は聡のアパートの部屋が入りそうな大きさだ。白いカラーの花が大胆に生けてあるのは、赤龍の趣味だろうと俺は感じる。


「土足より、家の中ではリラックスできるから」


 フワッと履き心地の良いスリッパを出された。


「青龍は? 説明すると言ってたけど……」


 何時もは玄関まで出迎える青龍だが、俺にどう説得しようか悩んでいるのか出てこない。きちんと説明して貰うぞ。


「我が君、お帰りなさい」と、カバンを受け取ろうとするが、俺は説明を求める。


「聡ちゃん、先ずは上がって話しましょう。こんな玄関で立ち話なんて……」


 赤龍もかなり俺が怒っているのをビシバシ感じたようだ。


「茶漬けでも食べるか?」と顔を出した白龍を睨みつける。 


「黒龍も知っていたの?」


 何時もは怒鳴っていても無視する龍人達だが、今回は空気が痛い。


「私は、天宮家の用意した屋敷なんかに住むつもりは無い!」


 玄関を飛び出そうとする聡を、青龍は後ろから抱き止める。


「我が君に無断で引っ越しをしてしまって、申し訳ありません。しかし、この家は天宮家が用意したのではありませんから、お気を使わないで下さい」


 天宮家が用意したのでは無いのなら……小さな部屋なので、青龍がPCを買ったのは聡でも気づいていた。


「まさか! 青龍!」


 俺は酔いの勢いもあって、怒りが爆発する。


「貴方達だけで住むといい!」


 そう怒鳴りつけると、裸足で外へ飛び出した。何時もと違う怒りの深さに、呆然と龍人達は立ち尽くした。

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