第2話 天宮家の掟

 東京の下町の小さな何処にでもあるアパートで、何処にでもいそうな平凡な俺は難しい顔をしている。


 洗面所の小さな鏡に映った自分のベビーフェイスにしかめ面をしながら、俺は自分に言い聞かせる。


『天宮聡はれきっとした22歳の男だ。身長も175㎝と日本人の平均身長を抜いている。今日からは社会人として独立するんだ!』と背筋をシャンと伸ばす。


 今日、苦労して就活した『東洋物産』の入社式を迎える俺は、慣れないネクタイをキュッと締めて……締めすぎてコホンと咳をした。黒のスーツに、青のストライプのネクタイをほどく。


「我が君、そのようなことは私がいたしますのに……」


 俺は親切な申し出を無視して、ネクタイを締めなおす。濃い青の瞳を心配そうに影らして、190㎝の長身の青龍は差し出した手を力なく落とす。ドキッとするが無視だ。


「ほっときなさいよ! 聡ちゃんは遅い反抗期なのよ」


 燃えるような赤い長髪を後ろで括った赤龍が、ソファで長い足をこれ見よがしに組み換えながら笑う。はっきり言って、狭いアパートでは、その長い足も邪魔だ。本当に長すぎる足って腹立つよ。


「聡! 朝ご飯はキチンと食べないと駄目だぞ!」


 これまた195㎝はありそうな白龍が、マッチョな身体に似合わぬ割烹着を着て、美味しそうな朝ご飯をテーブルに用意していた。


「そうだよ、聡君! 早く食べないと、初日から遅刻しちゃうぞ」


 ちゃっかりと白龍が作った朝食を食べながら、これまた俺に劣等感を持たせる美男子が声をかけた。スキッとスーツを着こなした姿は、洋服屋の宣伝になりそうだ。俺はムッとする。こいつと並ぶと不利じゃないか。


「おい、黒龍! これは聡のために作った朝食だぞ」


 白龍は知らぬ顔で食べる黒龍を睨みつけたが、それより俺にきちんと食べさせなくてはと、ご飯や味噌汁を用意し直す。美味しそうなご飯の艶やかさと、お味噌汁の良い香りに、俺はグラッとするが、同居を認めるようで口にはできない。絶対に出て行って貰うのだ!


「朝ご飯はいらない! それと黒龍、お前は会社について来るな!」


 この件に関しては他の三人? 三頭の龍も同意見だ。


「我が君と同じ会社に就職するとは、黒龍の抜け駆けは許し難い!」


「ずるい、同盟に反する行為だわ」


「てめえ! 前から聡にチョッカイ出しすぎなんだよ」


 青龍、赤龍、白龍、黒龍は聡が自ら伴侶を選ぶのを阻まないとの同盟を結んでいるのだ。なのに、黒龍は聡と同じ大学へ通ったのも抜けがけだが、同じ会社に就職するという同盟破りをしたのだ。


「私が常に側で聡君を護らなきゃ、他の人間に取られていましたよ」


 他の龍に睨まれても、黒龍は平然と朝食を食べる。俺は、グゥとお腹が鳴るのを無視して、カバンを持って玄関というか靴を脱ぐ場所に向かう。


「あっ! 聡君、もう出るなら、一緒に出勤しよう」


 お茶碗とお箸を置くと、黒龍もカバンを持ってついてくる。俺は4人の龍人を振り返って、深呼吸した。


「このアパートから出て行って下さい! ここは一人住まい用のアパートなんだ! デカい男が4人も住めるか!」


 出勤1日目の朝から俺はストレスMaxだ。 



「ほら、聡君! こっちの席があいたよ」


 付いて来るな! と言ったのに黒龍は俺と同じ電車に乗っている。ギュウギュウの通勤電車なのに、何故か黒龍は悠然と座っているし、隣もあいている。


 何か黒龍がズルいことをしたのだ。俺は無視して立っている。龍人達は普通の人間ではない! 神と崇められるに相応しい力を持っている。


 子供の頃は無邪気に喜んで見ていたが、去年の龍神祭からは聡には自分の意志をねじ伏せる力に思えて疎ましい。自分が無視しているのに、黒龍は何も感じていないように座っている。


『そう言えば、黒龍って出会った時から、こんな感じだよなぁ~青龍と赤龍と白龍が揉めてる間に、横に座っていたんだ』


 ふと、出会った龍神祭を懐かしく思い出し、ぶるるると身を震わせる。


『男と結婚なんて、御免だ!』



「聡君、降りる駅だよ!」


 黒龍に声を掛けられて、ハッと夢想していた俺も慌てて人の流れに乗って電車から降りた。


「もう、初日から遅刻だなんてシャレにならないよ! さぁ、行こう!」


 人混みから護るようにエスコートする黒龍を俺は睨みつける。


「黒龍、お願いだから帰ってくれ」


 黒龍は整った顔に笑みを浮かべて、嫌だ! と言い捨てると、足取りも軽くサッサと地下鉄の階段を駆け上がる。


 俺は大きな溜め息をついて、黒龍の後を追った。


『何で龍が新入社員なんだよ!』


 この点は他の三人も同じ意見で、黒龍が聡と同じ会社の内定を貰った時から責め続けていたが、全く動じず入社式を迎えてしまった。


『同じ大学に入学した時に、きっぱり断っておけば良かった』


 俺は18歳の時の自分の馬鹿さに腹を立てながら、都心の一等地に経つビルの中へと飲み込まれていった。  

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