龍を統べる者

梨香

第1話 龍神祭

 俺は天宮聡あまみやさとる。今、社会人になり、新生活を送ろうとしているのに、狭いアパートには4人もの男が居候している。何故、こんな羽目になっているのか?


 それは十二年前に遡って説明しなくてはいけない。本当にあの日から俺の人生は変わってしまった。過去に帰ってやりなおせるものなら、絶対に天宮本家には行かない!


「わぁ~! 本家って、こんなに大きいんだね」

 天宮家の立派な門の前で、俺はまるで時代劇に出てくる屋敷みたいだと驚いた。自然豊かな山里に相応しいまるでお城のようなお屋敷だ。すげぇよ。

「前の祭りの時には聡は赤ちゃんだったから、覚えてないだろうなぁ」

 分家の分家にあたる父親は10年ごとの龍神祭にわざわざ天宮一族の全員が本家に集まらなくてはいけないとは、何時の時代の話だろうと苦笑した。祖父の代に地方都市に出た聡の家族は、盆正月も同じ市内にある祖父の家にしか行ったことがなかった。

「おお、今年の祭宮様のお着きだ」

 姉の芽衣めいが龍神祭の祭宮をするというのは俺も聞いていたが、大きな屋敷の中から大人達が勢揃いで出迎えたのには驚いた。

 俺の曾祖母がよく来たねと、姉を座敷に案内した。両親は他の親戚と挨拶したりと忙しそうなので、俺は姉にくっついて座敷で曾祖母の話を聞く。

「昔は龍神様に娘を嫁にだして、日照りや嵐などから護って貰っていたのでしょうね。今では10年ごとに龍神祭をおこなって、一晩神社にお籠もりする形式だけが残っているのですよ。これは天宮一族が勤める掟なのです」

 中学生の姉は曾祖母の話を緊張して聞いていたが、小学生の俺は自分には関係ない話だと寛いでいた。本家に集まったハトコ達や従姉達は祭宮をした経験があり、姉に神社で夜明かしするだけだよと説明している。ふぅん、俺は男の子だから関係ないね。


「ちょっと遊んで来るよ!」


 自然がそのまま残されている山や、きれいな冷たいせせらぎを聡は満喫した。笹の葉っぱを川に流したり、冷たい水を手にすくったりして遊ぶ。


「お姉ちゃんは大変そうだけど、夏休みに田舎に来られて良かったなぁ」


 街育ちの俺は夏休みの塾も休ませて貰って、ラッキーと喜んでいた。祖父の代から街暮らしをしていたので、天宮の本家に来た記憶も無かったが、何故か懐かしい気持ちもする。


「聡~! こんな所にいたのか、探したぞ!」


 父親に本家に連れて帰られた俺は曾祖母から意外な事を頼まれた。この時、逃げたら良かったんだ!


「聡、祭宮になりなさい。芽衣は身体の具合が悪くなったの」


 目をぱちくりして、俺は驚いた。


「曾祖母ちゃん、僕は男だよ! 確か祭宮は龍神様のお嫁さんなんでしょ?」


 そうだ! 俺は男なのだ。逃げろ! なのに俺は本家の人達や両親に囲まれて説得された。嫌だ、俺は首を横に振る。姉に祭宮の説明をしていたハコトにして貰えば? と言い返す。


「みんな結婚しているのですよ、祭宮は清い身体でなくては……」


 俺は男の子だけど、龍神祭の当日に祭宮がお籠もりしないのは天宮一族として進退窮まった事態だ。一族の当主も困った顔だし、村の人達が祭りの装束を着て集まりだした。


「聡、祭宮をしたら、お前が欲しがっていたゲーム機を買ってやろう!」


 俺は何時もはゲームに批判的な父親の言葉に飛びついた。


『馬鹿だ! まだ今なら逃げれるぞ!』


「えっ! お父さん、本当? なら、ゲームソフトも買ってくれる?」


 親戚も何でも買ってあげなさい! と祭宮不在では祭にならないと急かす。俺は風呂で身を清め、祭宮の衣装を曾祖母や祖母に着付けて貰う。白い打ち掛けに赤い袴姿は、まるで巫女さんみたいだと、俺は鏡に向かってベェーとするが、曾祖母にたしなめられる。


「まぁ、とても可愛い祭宮様だわ」


 髪の毛が短いのは男の子だから仕方ないが、かもじを付けたりして髪飾りを付ければ、立派な祭宮様だ。


 柱の陰から姉の芽衣が、青い顔で聡を眺めていた。


「聡、ごめんね……」


 俺は何時もはお姉さん風をふかす芽衣が本当に具合が悪いのだと驚いて、ゲーム機を買って貰えるからと笑った。


 座敷の中に祭宮が乗る輿が運び込まれ、俺は天宮一族に担がれて龍神様の神殿へと向かった。夏の夕暮れ時、提灯を手に手に持った村人も祭宮の輿の後ろに行列を作っている。


 龍神様の神殿は山の中腹にあり、石階段を輿を平らにして運ぶのは大変そうだ。中に乗っている俺も転がり落ちないようにバランスをとるのに必死だった。


 神殿の庇の下に輿が降ろされた。


「さぁ、祭宮様……」本家の当主に手を引かれて聡は神殿の中に入った。


「では、朝に迎えに参ります」


 一連の行事が済むと、聡一人を残して天宮一族や村人もしずしずと神殿に向かって一礼すると去って行く。


「ええっ? みんな帰っちゃうの?」


 夜の神殿は蝋燭の灯りがあるだけで、俺は心細くなってしまった。


『そう、この段階で逃げても良かったんだ』


 磨き上げられた床には白絹の布団が敷いてある。ゲーム機につられて祭宮を引き受けたのを聡は後悔したが、逃げて帰ろうとは思わなかった。


 形式的になっているとはいえ、曾祖母から天宮一族の掟だと聞かされたからだ。それに姉の芽衣の為にも、ちゃんと祭宮を勤めなくてはいけない! とは言っても、神殿に一人は心細くて涙が溢れそうになる。


「ええい! 寝てしまえば、朝になるよ!」


 こんなTVもマンガもない神殿なら、寝るしかないと俺は布団に潜り込んだ。


『そんな呑気な事をしていたから、こんな羽目になったんだ』


『我が君、一人寝とは味気ない』


 澄んだ声が聞こえて、俺は誰か引き返してくれたのかと、布団をはねのけた。


 磨き上げられたら床に凛とした青年が正座していた。青い袴に白い衣を着ているが、こんな美青年は俺の短い人生でお目にかかったことがない。


「貴方は誰ですか?」


 まっすぐな黒い長髪を後ろで括った青年は、黒く見える濃い青い目をしていた。子どもの目にも、とても美形だと写る。


「私は青龍と申します、我が君の名前は?」


 青龍? 凄い名前だけど、目の前の青年にぴったりだと俺は感じる。他の名前だと違う気持ちがする。


「僕は天宮聡です、青龍さんは村に住んでいるのですか? それと、何で我が君と呼ぶの?」


 青龍は聡と口にだして、これ以上ない程の幸せを噛みしめる。


「我が君と呼ぶのは、私が聡様をずっとお待ちしていたからです。そして、さんなど付けなくても好いのです。青龍とお呼び下さい」


 自分より大人の立派な青年を呼び捨てで良いのかな? と俺は思ったが、青龍と呼んでみる。


「はい、我が君」嬉しそうに青龍は返事をするが、俺はずっと自分を待っていたとはどういうことか気になった。


「我が君は黄龍なのですよ。そして私は黄龍にお仕えする青龍です。長い年月を経て、我が君に巡り会えるとは……」


 感極まった青龍は、少し呼吸を整える。


「青龍は龍なの? ええっ~もしかして龍神様なの?」


 人ばなれした端正な顔立ちと、凛とした座姿を見つめて、龍神なのだと俺は驚く。そちらは醸し出す雰囲気とかで納得できたが、自分が黄龍だとの言葉は信じられない。


「青龍、何かの間違えじゃない? 僕は人間だよ~」


 青龍はにっこりと微笑んで、大人になれば力が満ちて自覚も芽生えてきますと取り合わない。


「我が君、私と盟約を結んで下さいますか?」


 俺の手を握って青龍は真剣な目で見つめる。黒に見える濃い青の瞳に、自分の顔が映っている! 俺は魅せられて、何の盟約かもしらず、頷こうとした。


「ちょっと、待ったぁ! 青龍、抜け駆けは狡いわよ!」


 燃えるような赤毛の華やかな青年が突然現れた。青龍が凜とした静けさを纏っているのと違い、華やかで派手な印象だが、こちらも顔立ちや姿はとても整っている。俺はこんな田舎の祭をレポートしにきた芸能人かな? と首を傾げる。


「おお、黄龍だわ! 私は赤龍です、聡ちゃん、宜しくね」


 神官姿に近い青龍と違い、街の流行りの服を格好よく着こなしたモデルのような赤龍は、チュッと頬にキスをした。


「赤龍! 我が君に何をする!」


 青龍が怒っている間に、もう一人現れた。


「我が名前は白龍! 聡、細っこいなぁ、ちゃんと食べてるのか?」


 小学生の俺には白龍は大男に見えて、思わず青龍の背中に隠れた。


「俺はそんなに怖いか?」大男の白龍だが、根は優しそうだし、顔は整っている。


 聡は青龍の背中から出て、はじめましてと挨拶をした。


「おお! 聡は良い子だ!」頭をポンと撫でてくれて、その温かな大きな手は自分を守ってくれると感じた。


 赤龍が白龍に、青龍が聡と盟約を結ぼうとしていたと言いつけて、三人で揉めている間に、聡の横に何時の間にか美青年が座っていた。他の三人よりは若く感じる。


「私は黒龍です、聡君はまだ子供だけど、大人になっても一緒にいてくれる?」


 揉めていた三人は、ちゃっかり盟約を結ぼうとしている黒龍に気づいた。


「黒龍! お前という奴は!」


 大男の白龍に怒鳴られても、黒龍は素知らぬ顔だ。青龍は聡の前に座り直した。


「我が君、私と盟約を結んで下さい」


「盟約って、何なの?」


 龍は嘘をつかないのだが、不都合なことは話さない。


「私達は龍ですが、人の形を取って我が君のお側にいたいのです。こうした清らかな神殿などでは大丈夫ですが、我が君がお住まいの場所に会いに行くには盟約を結ばないと駄目なのです。それと、我が君が大人になれば盟約の意味は理解されると思います」  


「へぇ? 家にも会いに来てくれるの?」


 青龍が好きになった俺は喜んだ。


「生涯、我が君のお側を離れません」


 他の龍人達も俺の前に座って、それぞれと盟約を交わした。


『今でもはっきりと思い出される。青龍、赤竜、白竜、黒竜との出会いを。俺はあの時小学生だったんだ。子供を騙したのだ!』


 夜が明けて龍神祭が終わり、天宮一族が輿を担いで祭宮を迎えに来た。


 そこには白絹の布団ですやすやと眠る俺の周りに4人の龍人が、この眠りを邪魔する者は許さないとばかりに護っていた。


 天宮の当主はその4人が人ならぬ龍人だと気づいて、腰を抜かしてしまった。


 青龍は当主を無視して、天宮一族を見回すと聡の父親を見つけ出した。


「我が君の父上であられますか? 私は青龍と申します」


 龍人に頭を下げられて、父親は狼狽えた。


「どういうことでしょう!」


 天宮家の当主も、伝説になっていた龍神がまさか姿を現すとは思ってなかったが、狼狽えている父親に後で説明するからと宥める。


 人の気配で目を覚ました俺は、4人の龍人を見つめて夢ではなかったのだと驚いた。


「お父さん、青龍、赤龍、白龍、黒龍だよ! 家に遊びに来たいんだって、いいでしょ?」


 父親はマンションに龍人が遊びに来るのかと、気絶したくなった。それと同時に、父親から聞かされていた天宮家の掟を思い出し、俺が普通とはかけ離れた人生を送ることになると覚悟した。  


『本当にこの日から俺は普通の人生とおさらばする事になったんだよ』

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